人文・社会科学の知を頼りに「いま私たちはどんな時代を生きているのか」を考える。デサイロの軌跡と展望【De-Silo Meetupレポート】
人文・社会科学の研究により生み出される知は、いま私たちが生きている時代を読み解く、あるいは社会がこれから直面する課題発見のための重要なリソース(資源)であるはず──。
こうした視点に基づき、一般社団法人デサイロは人文・社会科学分野の研究者を支援する「アカデミックインキュベーター」として、「いま私たちはどんな時代を生きているのか」を研究者とともに探り、研究のなかで立ち現れるアイデアや概念の社会化に取り組んでいます。
これらの活動の一つの節目として、2023年8月、これまでの活動の報告イベント「『いま私たちはどんな時代を生きているのか』を4人の研究者と考える」を開催しました。本記事では、4人の研究者による第一期プログラムを振り返りながら、イベントの様子をレポートします。
財団/出版/コミュニティを通じて、人文・社会科学領域の研究者を支援
イベント冒頭では代表の岡田弘太郎より、1年間の活動の簡単な振り返りが行われました。
デサイロ代表・岡田弘太郎
デサイロでは2022年10月の立ち上げより1年弱、財団/出版/コミュニティという3つの機能を通じて、人文・社会科学領域の研究者を支援してきました。
財団機能では、後述するように第一期のプログラムとして、4人の研究者とアーティストの協働により、その知を論文や書籍以外のオルタナティブな回路で社会に届けるサポートを行ってきました。
さらに2023年7月には、人文・社会科学分野の研究のエコシステムを豊かにするべく同領域の若手研究者を支援する「デサイロ アカデミックインキュベーター・プログラム」をローンチ。単年での研究資金の提供にとどまらず、人文・社会科学分野の研究と社会の新しい接点を模索し、研究活動を総合的に支援することを目指したプログラムには、総勢100人を超える研究者の方々から応募をいただきました(現在審査中)。
■【8月25日応募〆切】一般社団法人デサイロ、人文・社会科学分野の研究者向け助成プログラム「デサイロ アカデミックインキュベーター・プログラム」を開始
出版機能では、ニュースレターの発行やイベントの開催等を通じて、研究者の知を社会に届けてきました。以下はその一例です。
■ 道徳判断のその先へ。「ケアの倫理」がひらく“問い直しの倫理学”|倫理学研究者・冨岡薫
■ 「プラグマティズム」から考える仮説的思考、あるいは哲学の魔法|哲学者・谷川嘉浩
■ 「心」はひとつの「発明」である。科学と哲学、文学から「心」と「意識」の現在をひもとく|下西風澄
■ 人文・社会科学の研究者に「大学の常勤職員」以外の選択肢を。アカデミア外にも広がるキャリアの可能性を考える:磯野真穂 × 藤嶋陽子 × 岡原正幸
■ 雑誌『Forbes JAPAN』2023年5月号に、デサイロが協力した特集「人文・社会科学と次なる社会像」が掲載
■【8/14開催】「人文・社会科学系研究者のキャリアデザインを考えるバー」を学問バーKisi(新宿)にて開催
コミュニティ機能では、オンラインを中心に交流の場をつくることで、学際的な知が結集するコミュニティづくりに取り組んできました。その端緒として、現在はDiscordを用いて、人文・社会科学領域の研究者の方を対象としたコミュニティを運営しています。
■ Discord
https://discord.gg/ebvYmtcm5P
続いて、会場を提供いただいた「PYNT(ピント)」から場の紹介が行われました。PYNTは、2023年4月、日建設計の3階にOPENした、「都市の課題をあつめ、未来を共に考える」共創スペースです。社会課題解決に向けての知見や視野の広げる活動として、本イベントでは場所をお借りしました。
「身体の未来」を小説として提示する
続いて、磯野真穂さん、柳澤田実さん、山田陽子さん、和田夏実さんの4名の研究者がそれぞれ展開してきた、第一期の研究プロジェクトの中間報告が行われました。
最初に登壇したのは、デサイロの理事も務める人類学者の磯野真穂さん。
人類学者の磯野真穂さん
磯野さんは、これまで主に摂食障害や循環器疾患、糖質制限に紐づくダイエット、新型コロナウイルスのワクチン問題などを「リスクの実感」という概念から研究してきました。デサイロの研究プロジェクトでは、「21世紀の理想の身体」をテーマに掲げています。
21世紀の理想の身体
人間は、自分の身体に必ず手を入れる。その理由は手を入れると安心するから。そのままだと不安だからだ。「ありのまま」といった言葉が近年もてはやされているが、現状はその逆である。毛髪再生医療や美容整形、医療痩身といった言葉に代表されるように、時に医療の手も借りながら、私たちは自分の身体を加工する。加えて、身体のデジタル化を容易にしたSNSやメタバースなどのIT技術の進化は、他者に見せるための身体変工の幅を広げ、かつ容易にした。しかしここまできても、身体変工はとどまることがない。あるひとつの問題が解決されても、次なる問題が発見・発掘され、私たちはその修正に追われるからだ。本プロジェクトでは、身体変工を取り巻く技術、情報、さらには「問題のある身体」を「理想の身体」に作り変えたいという欲望を支える分類思考を中核概念とし、多種多様な身体変工を俯瞰的に捉える。その作業を通じ、21世紀の理想の身体とその裏にある不安、さらにはその身体に賭ける希望のかたちを浮かび上がらせてみたい。
本プロジェクトでは、まず「身体の未来を小説として提示する」ことを目指し、作品『HRR』を執筆・公開。そこから有識者との対談などを展開しています。
「『HRR』は人文・社会科学、とりわけ人類学の文献を参照しながら執筆しています。人類学の研究を小説という形式にしたのは、『こういう文献があるので、未来はこうなるでしょう』と論文で未来予測をするよりも、ストーリーの中で面白く人類学に触れられるほうが、より多くの人々に学問の魅力を届けられるのではないかと思ったからです」(磯野さん)
(関連記事)
■“ありのまま“ではいられない私たち。「理想の身体」への欲望から見えてくるもの──人類学者・磯野真穂
■磯野真穂|「理想の身体」への終わりなき旅の末、私たちはどこへ?「21世紀の理想の身体」研究に寄せて
■脱毛しないのは「他者危害的」?「理想の身体」をめぐる「ノーマル」と「アブノーマル」の境界を考える──人類学者・磯野真穂×生命倫理学者・小林亜津子(前編)
脱毛が人権になった世界を描いた小説『HRR』は、下記リンクから無料で読むことができます。※無断転載等は禁止です。
▶▶磯野さんが「21世紀の理想の身体」を想像した小説『HRR』はこちら
「私たちである」という感覚を、ポジティブに捉え直す
続いて登壇したのは、関西学院大学神学部准教授・哲学者の柳澤田実さんです。
柳澤さんは、哲学を専門軸に宗教と人間の道徳性について研究しており、日本社会に根付く個人主義や自己責任論、オタク的な個人消費なども一種の“宗教的信仰”として捉えて研究の対象としています。デサイロでは「『私たち性 we-ness』の不在とその希求」をテーマに研究プロジェクトを推進中です。
「私たち性 we-ness」の不在とその希求
政治の不在以前の「私たち性 we-ness」の喪失こそ、今日の日本人が置かれた状況ではないだろうか。日本社会における個人主義や自己責任論、オタク的な個人消費の普及は、新自由主義を政治家から吹聴されたからというよりむしろ、多くの日本人が「私たち」である感覚を持てず、「私」とそのささやかな延長しかわからないという状況から来ていると予想する。「私たち」という実感を持てない日本人は、国のために戦わないだろうが(ナショナリズムの不在)、同時に他人を助けること(道徳)にも無関心で未来の子供たちために投資すること(長期的展望)にも乏しい。「私たち」なき「私」は、多くの場合外部も超越性も持たないため、実は相当脆弱で、自分が愛着する対象によってかろうじて自己を立てることしかできない。他方で今日の様々なジャンルでのファンダム形成、ヒップホップの流行、キリスト教福音派の若年層への拡大には、どこかで超越性に基礎付けられた「私たち」への渇望が見え隠れするようにも感じる。こうした日本人の「私たち」感覚の喪失と掘り起こしを、イメージのアーカイヴとフッテージによって顕在化させ、他者と共同する中間領域がすっぽりと抜けた2020年代の日本人の「セカイ」を作品として記録し、希望的には「私たち」が生成する兆しを指し示すことを目指す。
その端緒として2023年3月に『私たちは同調する 「自分らしさ」と集団は、いかに影響し合うのか』を刊行したジェイ・ヴァン・バヴェルさんとの対談も行いました。
「いわゆるリベラル寄りの人々は『集団』という概念をともすれば悪く捉えがちです。しかし、学生さんたちとお話していると、いま個人と国家の間の中間にある市民としての『私たちである』という感覚が、あまりにも失われてしまっていると感じます。そうした感覚をポジティブに捉え直す可能性について、引き続き探索していきたいです」(柳澤さん)
哲学者の柳澤田実さん
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■“ねじ伏せない”社会変革のため、「私たち」の感覚にリアリティを付与する──哲学者・柳澤田実
■“集団の熱狂”に加わると高揚するのに、一歩引くと煩わしくなるのはなぜか?<私たち性 we-ness>研究序説|柳澤田実
■豊かな社会をもたらす健全な「社会的アイデンティティ」とは
資本主義に組み込まれつつある「癒やし」
3番目に登壇したのは、大阪大学大学院人間科学研究科准教授・社会学者の山田陽子さん。
これまで山田さんは、主に「感情資本主義」(emotional capitalism)の観点から、現代社会の諸問題について理論的・経験的に研究してきました。デサイロでは「ポストヒューマン時代の感情資本」をテーマに、社会や職場の中でいかなる感情管理が行われており、どのように「癒し」が資本主義の中に組み込まれているのかを研究しています。
ポスト・ヒューマン時代の感情資本 by 山田陽子さん
現在、多くの職場で、感情を抑え込んだり無かったことにしたりするのではなく、セルフコントロールに基づき上手に活用することが、生産性やモチベーションの維持に役立ち、自己の成長や人脈の拡大につながるとの考え方が一般化している。アンガーマネジメント、心理的安全、レジリエンス、「ファンベース」など、人びとの共感や愛着や信頼を原資にするビジネスモデルやマーケティングの手法、感情管理の技法を活用した人的資源管理や職場のリスク管理も顕著である。一方、家庭や親密な領域では、公正で公平な家事育児の分担やシャドウワークの可視化と支払い要求、時間の効率的な使い方、教育投資とリターンの予測、AI搭載マッチングアプリを介して効率よく相手に出会いたいという欲望など、私的で情緒的なつながりの範疇とみなされてきた事柄が合理性や効率性、公平性や正当性という基準によって測られ、査定されるようになっている。このように「経済的行為のエモーショナリゼーション」と「感情生活の経済化・合理化」が同時に進行する動的プロセスをイスラエル=フランスの社会学者エヴァ・イルーズは「感情資本主義」と呼んだ。本研究では、感情資本、「エモディティ・感情商品」、「ネガティブな関係性」をキーワードに、合理的なものと感情的なものの結びつきを解きほぐす。経済発展と技術革新が人間の感情や他者とのコミットメントを巻き込んだ結果、今何が生じているのかについて考察し、その未来を展望する。
その一環として、「”仕事とセルフケアをめぐるモヤモヤ”を語り合うワークショップ」を開催し、実際に企業内で働く方の葛藤などを聞いたり、テーマに関連する有識者へのヒアリングを行ったりしてきました。また「感情資本主義」という概念の提唱者である、イスラエル=フランスの社会学者エヴァ・イルーズさんとの対談も行いました。
「消費社会は人間の感情や親密な関係性を巻き込み、日常生活や職場では多種多様な感情管理が求められるようになっています。よりよい生き方や働き方、もしくは他者との絆や関係性を考えるにあたって、経済的なものと感情的なものの境界線を引くことが非常に難しくなっていますね。こうした状況について研究するため、これまで日本の健康経営やウェルビーイングをめぐる科学と政策について、実際に企業で働く方や有識者へのヒアリングを行ってきました。最終的には、それを何らかの形で実際に体験してもらえるような作品にして、皆さんにお届けできればと思っています」(山田さん)
社会学者の山田陽子さん
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「自分の世界」はいかにして構築されるのか?
最後に登壇したのが、メディア研究者の和田夏実さんです。
和田さんはこれまで、自身が手話言語の通訳を行っている経験も踏まえ、頭の中にある言語以前の映像的・触覚的なイメージ、すなわち「内言」に着目して研究を進めてきました。デサイロでは「『生きているという実感』が灯る瞬間の探求」をテーマに掲げています。
「生きているという実感」が灯る瞬間の探求
人には誰しもの中に、ときめきを覚え、無我夢中になり、それに向かって走っていきたくなる衝動というものが存在する。もしくはその種が、それぞれの中に存在している。存在理由、生きている意味、そういった言葉ではなく、はりあいという、何かとの間で芯のあるぱりっとした感情と衝動が走り、自分の中でそうある自分自身、そこに没入している状態のことを心地よいと感じること、そうしたいきいき(LIVELY)とした状態はいかにして生まれうるのだろうか。本研究では、独自の世界認識や設定をもとにそれぞれが構築する内言のありようを探りながら、自分をとりまく世界から手応えを感じ、自らの中で種を咀嚼し、大切に育て、身体の中に息づくものとして耕す方法について検討する。いきいきとすることが描きうる世界の未来、ときめき自体がもたらす世界の開拓について、極限状態を起点として描きながら、一人ひとりの内なる世界が描く未来を探求する。
本プロジェクトでは、フィールドワークや、研究結果をもとにした連載執筆などを行っています。
「私は『生きているという実感』を探求するため、音声言語と手話という映像的言語、それぞれを背景とする人々の異なる思考回路や思考方法について研究してきました。子どもたちは言語を獲得して世界と繋がっていく過程で、自分を発見して自己主体性を獲得し、自分の世界を構築していきます。今後はそうしたことを体感できるリサーチツールキットを作っていきたいと考えています」(和田さん)
メディア研究者の和田夏実さん。ミラノより遠隔での参加となりました
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■「レモン」のイメージは人の数だけある。言語による「名付け」の枠をこえて──和田夏実
「研究者エージェンシー」を目指して
デサイロは今後も引き続き研究者を支援する“インキュベーター”としての役割を試行錯誤しながらも、2年目以降は研究と社会をつなぐ「研究者エージェンシー」のようなポジションを目指していく、と代表の岡田は最後に語りました。
「アーティストやクリエイターの方にはマネジメント事務所があり、活動をサポートしていく仕組みがあると思います。今後、私たちは人文・社会科学分野の研究者の方にも“マネージャー”のように伴走させていただき、その活動をサポートしていきたいと思っています。例えば、デサイロとコラボレーションする研究者の方々のデータベースを構築し、企業や行政からご相談を受けた際に、適切な研究者の方とマッチングしていくといったことができないかと考えています」(岡田)
その後のミートアップでは、来場者と登壇者、デサイロの運営メンバーが入り混じって歓談。来場者には人文・社会科学領域の若手研究者の方も多く、研究者同士で意見交換をしたり、4人の研究者との交流を深めたりしていました。また研究者以外にも、人文・社会科学に関心のあるメディア関係者やビジネスパーソンも集い、職種を横断した交流が起こっていました。
会場では、気候変動問題の解決に向け環境や生態系に配慮したリジェネラティブ・オーガニック農法を採用した「OVERVIEW COFFEE」の協力により、飲み物や軽食が提供されました
2024年2月には、4人の研究者の研究成果を、アーティストと協働を通して発表するカンファレンスも開催予定です。また、それらの成果をまとめた書籍刊行、さらには人文・社会科学領域の課題構造と提言を包含したリサーチレポートの発信なども行っていきます。
こうした活動を通じて、デサイロでは引き続き人文・社会科学分野のエコシステムを豊かにするための活動を続けていきます。理念に共感いただけたり、活動や発信の内容にご関心のある方は、引き続きニュースレターや各種SNSをフォローいただけますと幸いです。
(photo by Ryo Yoshiya)
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■バックナンバー:
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いまこそ「時代」と「社会」に応答する人文・社会科学の研究を──デサイロ アカデミックインキュベーター・プログラム審査員の目線