磯野真穂|「理想の身体」への終わりなき旅の末、私たちはどこへ?「21世紀の理想の身体」研究に寄せて
「ダイエット」はもはや流行語の域を超えて一般名詞となり、美容脱毛や美容整形も特別なことではなりつつある昨今。美容にとどまらず、毛髪再生医療や医療痩身といったアプローチも普及してきています。
私たちはなぜ、「理想の身体」に向けて、身体を改変・加工し続けるのでしょうか?
こうした問いに取り組むのが、人文・社会科学領域の研究者を支援するアカデミックインキュベーター「デサイロ(De-Silo)」で、「21世紀の理想の身体」をテーマに研究を進めている人類学者の磯野真穂さんです。
21世紀の理想の身体
人間は、自分の身体に必ず手を入れる。その理由は手を入れると安心するから。そのままだと不安だからだ。「ありのまま」といった言葉が近年もてはやされているが、現状はその逆である。毛髪再生医療や美容整形、医療痩身といった言葉に代表されるように、時に医療の手も借りながら、私たちは自分の身体を加工する。加えて、身体のデジタル化を容易にしたSNSやメタバースなどのIT技術の進化は、他者に見せるための身体変工の幅を広げ、かつ容易にした。しかしここまできても、身体変工はとどまることがない。あるひとつの問題が解決されても、次なる問題が発見・発掘され、私たちはその修正に追われるからだ。本プロジェクトでは、身体変工を取り巻く技術、情報、さらには「問題のある身体」を「理想の身体」に作り変えたいという欲望を支える分類思考を中核概念とし、多種多様な身体変工を俯瞰的に捉える。その作業を通じ、21世紀の理想の身体とその裏にある不安、さらにはその身体に賭ける希望のかたちを浮かび上がらせてみたい。
参考記事:“ありのまま“ではいられない私たち。「理想の身体」への欲望から見えてくるもの──人類学者・磯野真穂
磯野さんはまず「身体の未来を小説として提示する」というかたちで、研究プロジェクトを進めていくといいます。本記事ではその序説として、磯野さんに背景にある問題意識や、研究の構想を寄稿いただきました。
「21世紀の理想の身体」は、いかにして解明されていくのでしょうか?
リスクの実感
私は、これまでシンガポールと日本をフィールドにした摂食障害の研究を10年余り実施し[1]、その後、循環器外来と漢方外来におけるフィールドワークを断続的に5年間実施した[2, 3]。またそれと並行しながら、日本における糖質制限ダイエットの広がり[4]、およびHPVワクチンの積極的勧奨の停止に関する言説分析を行い[5]、2020年からはへき地や九州・北陸地方において新型コロナウイルスのフィールドワークを実施している。
扱ってきた研究テーマは幅広いがこれらに共通する概念が1つあり、それが「リスクの実感」である[3]。
科学技術の進歩と予防医学の拡大により、私たちは心身に具体的な不調がなくとも、未来に起こりうる問題をリスクとして確率統計的に認識することができるようになった。しかしそれは熱湯が手にかかって熱いというような「直接経験」に拠るものではなく、「この栄養素を摂りすぎるとAという病気になる可能性が上がる」といった「情報経験」に基づくものだ[6]。
しかし「栄養素Aを摂りすぎると〇〇という病気になる可能性が▲%上がる」というリスク提示がされただけでは、そのリスクを自分ごととして捉えることは難しい。なぜならその情報は常に三人称的に提示されるからだ(例:100人のうち20%が〇〇という病気になる可能性がある)。したがって、リスクを提示して行動変容を促したい専門職は、介入対象にこの命題を一人称的に捉えさせるための工夫を凝らさねばならず、そのために多様なレトリックや最悪事例の持ち出しなどが行われる。(ex.最悪事例の提示:治療をしないと長嶋茂雄さんのような後遺症を脳梗塞によって負うかもしれない/新型コロナウイルスにかかって亡くなると火葬にもお葬式にも立ち会えない)
くわえて情報経験が身体に根差したものとしていったん定着すると、すなわちリスクの実感が醸造されると、その実感を手放すことは困難になる。たとえば摂食障害からの回復を試みる当事者は、糖質を摂取しても際限なく体重が増えることはないと頭ではわかっている。しかし糖質に関するリスクの実感が一旦強固に作られてしまうと、その恐怖からはなかなか抜けられず苦しむこととなる。
このように私は、リスク概念と身体の関わりを多面的に調査してきた。
リスクの裏側としての「理想」
「リスクの実感」の醸造プロセスを検討する際に欠かせないのが、哲学でよく使われる三区分である真善美のうち、真と善が混ざり合った「理想」という概念である。
例えば糖質制限ダイエットにおいては糖質を制限することが「正しく」(真)、かつ「良いこと」(善)と見做されるし、新型コロナ感染症の対策においては自粛をすることが「正しく」(真)、かつ「良いこと」(善)とみなされた。加えてこれが外見に関する事柄と結びつくと、「理想」は真善美の全てを体現したものとなり、その典型が細く引き締まった身体である。
本プロジェクトにおいては、リスク概念の裏にあり続けた「理想」にむしろ注目し、これを基点としながら、社会と接合する学問のあり方を探る。
なぜいま、「理想の身体」なのか?
リスク概念の特徴の1つはその発掘に終わりがなく、かつ1つのリスクがどんどんと細分化されていくことにある[7, 8]。
例えば、ある薬剤が疾患Aのリスクを数%下げたとしよう。しかしそのリスクをゼロにすることはできない以上、改善の余地は残ることとなる。加えてその薬剤に付随する副作用は新たなリスクとなるため、今度はその副作用を軽減する薬の開発が急がれたり、もう1つの薬剤をそこに被せてそのリスクを抑えたりといった工夫がなされ続ける。
加えて、1つの疾患が複数のタイプに枝分かれすることは往々にあり、それぞれのタイプが持つリスクも少しずつ異なるため、取られるべきリスクヘッジも同様に複数生ずることとなる。
これを「理想の身体」という概念から捉え直すとどのようなことが言えるのか。これはつまり、身体が本質的に抱える「粗」—身体はそもそも私たちの全ての欲望を満たすようにはデザインされていないこと/身体が、老化して種々の機能が落ちていくこと/個々人の身体がそれぞれ異なり、それぞれの身体が何らかの不都合があること—が露わになり、その粗が次々と刈り取りの対象となっていくことを示す。
粗の刈り取りは時に人の心身の苦痛を軽減し、不都合を抱えた人々の生活をいくばくか改善していくだろう。
しかしリスクの発掘と除去に終わりがないように、理想にも終わりがない。粗の刈り取りがこのまま進んでいった場合、私たちの身体には何が起こり、社会はどのように変化していくのだろう。身体の未来を想像することは、社会のあり方を考えること、未来を無責任に次世代に投げ出さないことにもつながるはずだ。
プロジェクトで目指したいこと:文化人類学を中心とした人文・社会科学の知見を用いて体の未来を想像する
De-Siloは知の提供のオルタナティヴを開拓するプロジェクトであるため、私自身のプロジェクトも従来の研究のあり方を思い切って崩してみたい。具体的には次のような崩し方を想定している。
文化人類学を中心とした身体についての先行研究をベースに:
研究者自身が身体の未来を小説として提示し、そこに解説を付す。
研究者が小説に利用した先行研究の概略と小説そのものをアーティストに手渡し、それをベースにした作品化
(1)&(2)を用いた希望者によるワークショップを開催する(予定)
このようにプロジェクトをデザインしたことには理由がある。それは、「役に立たない」という批判を人文社会科学がしばしば被った際、「いや違う。それには意義があるんだ」とうい形で真っ向から反対してしまい、その結果、啓蒙的になってしまいがちなことへの反省からだ。
学校の勉強と同じく「今はわからなくても将来役に立つからやりなさい」と説き伏せられることほど、人のやる気を削ぐものはない。翻って、人は「面白い」と思えば、どんなに「役に立たない」ゲームでもお話でも熱中してそれらに関わる。
本プロジェクトでは、文化人類学の面白さを起点とし、それに徹頭徹尾基づいたプロジェクトを展開するため物語の力を借りることにした。物語や作品を面白いと感じた人が、それに惹かれて小説に付された学問の解説を読み、自分自身の物語を作成し、その中で未来の身体を考えられるようなプロジェクトを実行したい。
小説第一弾公開:脱毛が人権になった世界を描いた『HRR』
私がプロジェクトで提示したい一つ目の小説は「HRR」。
これは脱毛が人権として確立される未来を想像したものだ。コロナ禍以降に顕著に増えた駅構内や車内の脱毛広告。将来介護を受ける際に迷惑をかけないようにといった理由ともに着実に顧客を増やす「介護脱毛」。短パンを履いたら自分のすね毛を汚いと感じてしまった男性。テレビの解像度がよくなったためテレビ映りをよくしたいと自ら脱毛を願う子役たち。
ありのままがもてはやされる社会で「ありのままの毛」はもはや汚れだ。この脱毛ブームにはどのような社会の力学が働いているのだろう。人類学を中心とする学問の力を背景に据えながら毛を取り巻く未来の社会を想像してみた。
デサイロ運営より:脱毛が人権になった世界を描いた小説『HRR』は、下記リンクから無料で読むことができます。※無断転載等は禁止です。
▶▶磯野さんが「21世紀の理想の身体」を想像した小説『HRR』はこちら
参考文献
磯野真穂, なぜふつうに食べられないのか―拒食と過食の文化人類学. 2015, 東京: 春秋社.
磯野真穂, 医療者か語る答えなき世界:いのちの守り人の人類学. 2017: ちくま新書.
磯野真穂, 他者と生きる : リスク・病い・死をめぐる人類学. 集英社新書. Vol. 1098I. 2022: 集英社. 275p.
磯野真穂, 糖質制限の考古学―日本においていかに始まり、広がったのか. 2019.
磯野真穂, 松崎かさね, and 池田祐美枝, HPVワクチン”副作用/副反応”報道の言説分析-積極的勧奨直前から積極的勧奨停止まで. 女醫会, 2022. 826: p. 58-60.
市川浩, 「身」の構造 : 身体論を超えて. 講談社学術文庫. Vol. [1071]. 1993: 講談社. 227p.
Skolbekken, J.-A., The risk epidemic in medical journals. Social Science & Medicine, 1995. 40(3): p. 291-305.
Dumit, J., Drugs for life : how pharmaceutical companies define our health. How pharmaceutical companies define our health. 2012, Durham, N.C.: Durham, N.C. : Duke University Press.
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