「自前の思想」が立ち現れていく学際的な場を目指して──2023年、デサイロの展望
2022年10月に立ち上がった、「いま私たちはどんな時代を生きているのか」をアカデミアの知を頼りに探っていく「デサイロ」プロジェクト。その代表を務める岡田弘太郎による、22年の振り返りと、23年の展望。
2022年11月、「効果的利他主義(Effective Altruism=EA)」という概念が意外なかたちで注目を集めることになりました。
同月11日、数兆円規模の負債を抱えて経営破綻をした暗号通貨取引所FTXの創業者であり、「SBF」の愛称で知られるサム・バンクマン=フリード氏が「効果的利他主義」の実践者であったからでした。
「効果的利他主義」とは、米国の倫理学者ピーター・シンガーが1970年代に提唱した概念です。他者を助けるための最良の方法を発見し、実践することを目標に掲げており、その最良の方法を定量化し、慈善行為や寄付の社会へのインパクトを最大化することを目指したムーブメントでした。
そのムーブメントの一翼を担っていたオックスフォード大学哲学准教授ウィリアム・マッカスキルは、SBFがMITの学生時代に出会い、「最近ヴィーガンになったので、動物愛護のための仕事をしたい」と発言した彼に対して、「大金を稼いで、それを関連する慈善団体に寄付するようにすれば、動物の苦痛をはるかに減らすことができる」と提案したエピソードが『New York Magazine』にて紹介されています。
そうしてSBFは「Earning to give(寄付するために稼ぐ)」という考えに魅了され、「FTX Foundation」という財団や、「FTX Future Fund」というファンドを立ち上げ、暗号通貨事業で得た利益をフィランソロピーに還元していきました。しかし、その“利益”とは顧客資産の流用や不正な会計処理の結果によるものでした。ちなみに、サイエンスへの貢献という側面では「FTX Future Fund」は、総額1,000億円規模でサイエンスや新たな研究機関への支援や投資を謳っていました。
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デサイロでは、研究者が提唱した「概念の社会化」を目指しているものの、今回のSBFによる「効果的利他主義」の社会化は、研究者の提唱した新しい概念やコンセプトが社会化されたひとつの事例と言えるものの、それは最悪なかたちで帰結したものでした。
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「自前の思想」を立ち上げていく
概念の社会化のよりよいアプローチについてはまだ明確な道筋は描けていませんが、デサイロではフィールド=現場の知を研究者の方が思想として編み上げ、また社会に介入していく……そんな「自前の思想」を重要視したいと考えています。
「自前の思想」とは、関西大学特任教授の清水展さんと九州大学准教授の飯嶋秀治さんが編者を務めた『自前の思想: 時代と社会に応答するフィールドワーク』にて語られた概念で、文化人類学者の波平恵美子さんから医師・土木技師の中村哲さんまで、10人のフィールド=ワーカーの紹介を通じて、自前の思想を紡ぎ、社会に向き合う術が語られています。
本書にて、清水さんはフィールドワークを次のように定義づけています。
「フィールドワークとは、人々の暮らしの営みやそこで生ずる諸問題を、暮らしの場(生活世界)のなかで理解し、逆に個々人の暮らしの営みを見つめ丁寧に描くことをとおして、その喜びや悲しみ、日々の生活の背景や基層にある意味世界、つまり文化というコンテクストを明らかにしようとする企てと言えるでしょう。そしてその総体を丸ごと描き考察するために、欧米の偉大な思想家の言説や流行りの理論を安易に借用(乱用/誤用)したりしませんでした。人々の生活の場に身を置き、腰を低くして同じ高さ(低さ)の目線で話し、その説明に謙虚に耳を傾け、彼らが生きる社会文化や政治経済のコンテクストに即して粘り強く考え続けました。けっして虎の威を借る狐になろうとせず、かといって井の中の蛙になることも避けて身体と思索の運動を続け、具体的で手触りのある現場から的確な言葉を自ら紡ぎ出し、自前の思想を編みあげてゆきました。さらにその先には、人々の暮らしに直接に関わるような政治社会状況に積極的に関与し、問題の解決や状況の改善に寄与するために積極的な介入を行ったりしました」
「概念の社会化」を掲げるデサイロとしても、「自前の思想」を編みあげるだけではなく、その知を頼りに現場や社会に介入していった偉大な先人たちの実践に多くを学んでいきたいと考えています。
今回、第1期でご一緒している4名の研究者の皆さんは、フィールドワークやインタビュー、あるいはデザインリサーチの手法を用いて、「フィールド=現場で何が起きているのか」を起点に社会を考えている方々です。
例えば、メディア研究者/インタープリターの和田夏実さんは内言を起点に、言語やコミュニケーションに関する探究を行いながら、「『生きているという実感』が灯る瞬間の探求」をテーマとしており、『生きがいについて』で知られる神谷美恵子さんが精神科医として勤務していた長島愛生園(国立ハンセン病療養所)でフィールドワークをしており、一人ひとりの内なる世界から立ち現れてくる「生きているという実感」を研究しています。
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また、社会学者の山田陽子さんとは、一般の参加者の方も巻き込んだ「“仕事とセルフケアをめぐるモヤモヤ”を語り合ったワークショップ」を開催。参加いただいた皆さんが職場や親密な場という“現場”で感じている実体験にもとづいた葛藤を語ってくれましたが、特に、会社が従業員の「ウェルビーイング」を重んじることに対する葛藤について、少なくない参加者が語っていたのが印象的でした。
・生産性の向上を目的とした健康経営は従業員のためになっているのか?
・「ウェルビーイング」の推進が、画一的な「幸せ」像の押し付けになってしまってはいないか?
といった問いが参加者の皆さんから立ち現れており、「いま私たちが生きている時代」を考えるうえで、「感情資本」や「感情労働」の概念が多くの人の拠り所になっていくのではないか、と感じさせてくれるものでした。
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4人の研究者の皆さんがフィールドの知を起点としてまとめていく研究成果は、論考やアーティストとの協働による表現というかたちで23年秋ごろにお届けするのでご期待ください。
学際的な場をいま再び
また、デサイロのローンチ後にいただいた様々な反響や、関心をもってくれた方との議論のなかで、「デサイロ」というプロジェクトの向かう先として考えているのが、学際的な視点をもつ研究者の皆さんが集い、議論することで自らの思想を深めていく場をオーガナイズしていくことです。
もちろん、団体名のきっかけとなった、日本のアカデミアにおいて「サイロ化(=組織やシステムなどが連携せずに孤立してしまう状態)」を編集的観点から解きほぐしていくこともそうですが、00年代から10年代にかけての偉大な取り組みをモデルケースにしていきたいとも思っています。
例えば、昨年末のブックリスト企画でも言及しましたが、約10年のときを経て文庫化された鈴木健さんによる『なめらかな社会とその敵』は、国際大学GLOCOMにて行なわれた共同討議「ised(Interdisciplinary Studies on Ethics and Design of Information Society:情報社会の倫理と設計についての学際的研究)」や、東京財団仮想制度研究所などでの発表や議論が、その書籍で提唱された社会構想につながっています。
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04~05年に哲学者/ゲンロン創業者の東浩紀さんが代表を務めていたisedは、情報技術と社会の関わりについて人文・社会科学/技術(アーキテクチャ)の両側面から検討し、まさしくその後のソーシャルメディア以降の情報社会を予見するものでした。
07〜11年に開催されていた東京財団仮想制度研究所は、経済学を中心に政治学、社会学といった社会科学や哲学など隣接分野の様々な視点から“超学際的”に制度分析を行い、政策提言につなげていくプロジェクトで、デサイロのローンチイベントにもご登壇いただいた成田悠輔さんも東京大学大学院在学中に研究助手を務められていました。
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そのどちらも、「いま私たちはどんな時代を生きているのか」を見通すためのプロジェクトであったように感じています。デサイロとしても、研究者の皆さんが集い、議論することで自らの思想を深めていく場をつくるだけではなく、そこから立ち現れていく概念や時代を捉えるキーワードを皆さんに届けていくパートまで伴走していきます。また、その一環としていまの時代と社会に応答する研究者の方を支援するアカデミックインキュベーター・プログラムも今年の前半に立ち上げる予定です。
学際的な研究者が集う場をつくり、そこで立ち現れてきた「自前の思想」を社会化していく──。まだこの取り組みは始まったばかりですが、2023年もぜひこの旅路にお付き合いください。
(Text by Kotaro Okada)