「心」はひとつの「発明」である。科学と哲学、文学から「心」と「意識」の現在をひもとく|下西風澄
昨今、「心」のあり方や捉え方に、大きな変化が生じつつあります。
メンタルヘルスは多くの人々の関心事となり、身体的のみならず精神的・社会的な健康を意味する「ウェルビーイング」という概念も広まりました。マインドフルネスのように、「意識」に目を向けた実践に取り組む人も増えています。
他方、ここ数年で再び熱い視線が注がれているAI技術も、「心」のあり方を揺らがせています。翻訳技術の飛躍的な発展はもちろん、人間の「知能」と見違える精度でコミュニケーションを取れるチャットボット、さらには小説やプログラム、画像や音楽までもを“創作”してくれる「生成系AI」……「心」を再現、もしくは超越しようとするテクノロジーの加速度的な発展は、とどまるところを知りません。
いま、「心」はどこに向かっているのでしょうか?
「心」とは「一つの発明(one of the inventions)」に過ぎない──そう喝破するのは、2022年12月に初の単著『生成と消滅の精神史──終わらない心を生きる』(以下、『生成と消滅の精神史』)を上梓した、下西風澄さんです。
「人類は『心』をどのように捉えてきたのか?」というシンプルな問いを起点に、西洋哲学や認知科学、夏目漱石まで横断しながら、人類と心の3,000年の歴史を紡ぎ出した『生成と消滅の精神史』。その著者であり、普段は在野で哲学に関する講義・執筆活動を行っている下西さんへのロングインタビューを敢行しました。既存の哲学研究の枠に収まらない横断的な思索があぶり出す、「心」と「意識」の現在に迫ります。
下西 風澄(しもにし・かぜと)
1986年生まれ。東京大学大学院博士単位取得退学。哲学に関する講義・執筆活動を行っている。論文に「フッサールの表象概念の多様性と機能」(『現象学年報』)ほか。執筆に「色彩のゲーテ」(『ちくま』)、詩「ねむの木の祈り」(『ユリイカ』)、絵本『10歳のころ、ぼくは考えた』(福音館書店)など。心という存在は歴史の中でいかに構築されてきたのか。哲学を中心に、認知科学や文学史など横断的な視点から思索しており、2022年12月にその成果をまとめた初の単著『生成と消滅の精神史──終わらない心を生きる』(文藝春秋)を刊行。
哲学と「分断」されてきた、認知科学やAI
——『生成と消滅の精神史』では、ホメロスまで遡って西洋哲学史を紡ぎ直し、認知科学やAIをたどり、さらには『万葉集』から夏目漱石まで日本文学史までもを大胆に渉猟しながら、3,000年という壮大なタイムスパンで「心」の歴史を紡ぎ出しています。AI技術、そして出自を同じくする認知科学が、日々目まぐるしい進歩を遂げている昨今だからこそ、「心」や「意識」のあり方をラディカルに問い直す意義は大きいと感じました。
ありがとうございます。認知科学やAIの発展に対して、哲学はどう反応すべきなのか。この問いについて考えるための土壌が十分に整っていないのではないかという問題意識を、僕はずっと持っていました。言語の哲学から発展した「心の哲学」では積極的にAIや認知の哲学と議論の交流を持っていましたが、意識の主観的性格や第一人称性を重視する現象学の領域では、最近まで認知科学やAIとの関係はあまり議論されてこなかったように思います。
——どういうことでしょう?
そもそも認知科学やAIが目覚ましい発展を見せはじめたのは20世紀後半のことですが、この領域、つまり「心」あるいは「意識」を取り扱う領域においては、哲学(現象学)とサイエンスの関係は「分断」から始まっている側面が大きいんです。
そのわかりやすい端緒は、現象学を創始したフッサールです。彼は19世紀後半から20世紀初頭に勃興した生理学やゲシュタルト心理学、あるいは動物行動学など、認知科学領域の諸学問(当時の「心理学」)に対して批判的で、「反心理主義」という立場を取り、明確な対立軸を作り出しました。哲学における「意識」と、認知科学における「意識」は、全くの別物であると主張したわけです。
フッサールの弟子筋にあたるハイデガーも、哲学を科学や技術の対立項として議論する立場を引き継いでいます。それは、彼らが二つの世界大戦を体験していることと関係しているかもしれません。世界がはじめて経験した科学技術の総結集である世界大戦が、いかに人間の生活や存在を脅かすものであるかということに対する、警戒や嫌悪感があったのだと思います。
——フッサールとハイデガーをはじめ、20世紀前半の哲学(現象学)は、サイエンスに対する距離感が大きかったのですね。
一方、20世紀後半に生きる新たな世代は、おそらく科学技術に対する印象が違います。むろん技術は人間存在を疎外する傾向もありますが、同時に私たち人間の経験を拡張し、理解を手助けするという側面も持っている。そうした感覚が少しずつ広まっていったのではないでしょうか。
しかし、現象学の科学に対する警戒というこの態度は、20世紀後半になっても続きます。例えば、ハイデガー研究者のヒューバート・ドレイファスというアメリカの哲学者は、はじめて本格的に認知科学と現象学の関係を考えようとした人物ですが、その内容はあくまでAIや認知科学に対する強烈な批判でした。彼は1972年に『コンピューターには何ができないのか』と題した、人工知能の研究者たちに半ば喧嘩を売るような本を書いています。
あるいは、フランスを代表する伝統的な現象学者ポール・リクールはフッサールの仏訳者でもあり、現在でも重要な注釈者でもありますが、脳科学者ジャン=ピエール・シャンジューとの対談『脳と心』のなかでも、あくまで哲学の強固な独立性、科学の不可侵性を主張しています。
哲学と認知科学の交点。「神経現象学」がひらく地平
——「心」や「意識」をめぐるサイエンスやテクノロジーである認知科学やAIは、哲学から分断される歴史を歩んできたと。
ところが1990年代から2000年代にかけて、ようやく両者が近づきはじめました。とりわけアメリカでは現象学など哲学的に「意識」を考える領域の研究者たちと、神経科学やAIの研究者たちが共同研究を行い、共通の理論構築に挑む動きを見せ始めてきました。
僕もそうした潮流を背景に、科学と哲学が不可分になったこの時代において、両者の関係を考え直したいと思った。それが『生成と消滅の精神史』につながる、僕の研究の出発点です。
——認知科学やAIと、哲学の分断が、20世紀末には解消へと向かってゆくのですね。
そうですね。本の中でも紹介している「神経現象学(Neurophenomenology)」は、まさに現象学と認知科学の交点で生まれた学問です。僕が修士・博士時代に研究していた神経生物学者/思想家のフランシスコ・ヴァレラが1990年代に提唱した学問で、現代のアメリカでは多くの哲学者や認知科学者たちがこの議論を参照しています。
──神経現象学、たいへん興味深い学問分野です。フッサールやハイデガーなど、20世紀に科学や技術に対して明確な対立姿勢を示した哲学者たちが作り上げた現象学が、ついに認知科学と結びついたのですね。ただ、日本ではまだ、あまりメジャーな学問領域としては知られていない印象を受けます。
そうですね。とくに日本ではヴァレラの神経現象学は、ここ数年は少しずつ認知度が高まってきてはいるものの、それまではあまり注目されていなかったと思います。現在、ヴァレラの弟子筋にあたり、神経現象学のプロジェクトを牽引する哲学者エヴァン・トンプソンの本や論文の邦訳もないため、神経現象学の現状は日米間で全く異なっています。
ただし、最近では北海道大学の人間知×脳×AI研究教育センター「CHAIN」をはじめ、現象学者と認知科学者が共同研究をする動きが国内でも生まれているので、これからさらに盛り上がってくるといいなと思っています。
「心」の起源は単一ではない
——ここ数十年は、「心」にまつわる哲学と科学が歩み寄る時期だったのですね。ただ『生成と消滅の精神史』では、その潮流の紹介だけにとどまらず、古代まで遡って哲学の歩みを紡ぎ直しています。
いま僕らが哲学と科学を統合的に考える目線を獲得したのであれば、この目線で、過去の哲学を捉え直すこともできるのではないかと思ったんです。
先ほど挙げたドレイファスは、プラトンの思想に現在のコンピューターサイエンスの思想につながるようなアイデアを見出しているのですが、僕はソクラテス(プラトン)の具体的なテクストの中からAIの思想的基盤に結びつくような記述と思想を見出したり、近年の生物学研究の知見や神経科学的な発見をホメロスの文学の中に見出そうとしています。また、本ではカントも取り上げていますが、カントには特に認知科学やAI的な発想を読み取ることができる点を強調しています。
20世紀に顕在化してきた「哲学と科学の対立」という構図は、哲学と科学そのものの対立というよりも、古代よりあった、人間の「心」や「意識」を理解するためのいくつかのモデルの対比構造──「私」に閉じず世界のネットワーク上に分散する《拡散する心》と、「私」という小さな箱の中に凝縮する《集中する心》──が表出したものだったのではないか。そうした対比構造を念頭に置きながら、哲学の歴史を掘り下げていこうと思ったんです。
——『生成と消滅の精神史』では西洋哲学史を掘り下げるだけでなく、『古今和歌集』や『万葉集』、あるいは夏目漱石といった日本文学まで渉猟していますよね。
はい。その結果、「心」は複数の起源を持っている、ということが見えてきました。僕たちは「心」を人類の普遍的で統一的な概念だと思いがちだけれども、そうでもないのではないか。「心」あるいは「意識」を「概念」としてだけでなく「メタファー」として捉えると、そのイメージは、地理的・歴史的・文化的な差異によって大きく変わるということに気づきます。
現代でも「ある思想や概念には普遍性がある」とみなす考え方は強いような気がしますが、それに対する対抗言説も改めて重要視されていると思います。
——どのような「対抗言説」があるのでしょう?
例えば最近、『ブルシットジョブ』を書いたデイビッド・グレーバーは『民主主義の非西洋的起源』(原題:There Never Was a West)という本を書いていますね。
この本の中でグレーバーが指摘しているのは、「民主主義」のような概念は、まるでヨーロッパという「歴史」の番人を自称する地域の、単一の知的生産者が発明したように思われるが、実際はそれぞれの文化や環境の複雑なプロセスのもとに生成され、現在もさまざまなかたちで機能しているということです。
具体的には「民主主義」という名で呼ばれるものを、概念として捉えると西洋に固有の思想であると考えられるけれど、それを平等志向でオープンな意識決定プロセスだと考えると、ブラジルやアフリカの村々にも十分に民主主義的が存在している、という主張です。あるいはアメリカにおける民主主義の発祥においてすら、階級社会に生きてきたヨーロッパからの入植者たちが、現地のインディアンたちが子供も女性も自由に生きて生活をしている様子を見て、平等主義を経験的に理解したきっかけがあったのではないか。また、当時のアメリカ建国期において沿岸部で活動していた「海賊」(海賊たちはアフリカ人からオランダ人まで多種多様な人種と民族の集合するコミュニティで、船長を選挙で選び、分前の契約を個人で結んでいた)に民主主義や社会契約のアイディアを見出したのではないか、と論じています。
あるいはまた最近では、フランスの哲学者スティグレールの弟子にあたる哲学者のユク・ホイも『中国における技術への問い:宇宙技芸試論』の中で、「技術」という概念の普遍性を疑問視しながら、アジアにあった別の「技術」の可能性に注目しています。
──「民主主義」や「技術」といった概念の普遍性に対する疑義が、各所で呈されるようになっている。『生成と消滅の精神史』も、ある意味ではそうした「対抗言説」の一翼として捉えられるのかもしれません。
そうかもしれません。「心」という概念も、単一で普遍的なモデルではない。その普遍的な概念やイメージが形成される過程には、様々な歴史的な条件や、心のモデルそのものの継承や更新、そのせめぎあいのなかでの絶えざる創造のプロセスがあったのではないか。そう捉える視座の重要性を感じ、この本を書いた側面もあるんです。
概念の普遍性を疑う
——概念の普遍性を疑うべきなのは、なぜでしょうか?
哲学に限らず現代社会全体において、昨今はある種の「固有性」が顕在化しているとともに、その固有性の扱いに僕たちは困惑しているように見えるからです。それを「分断」と呼んでもいいし、グローバリズムに対する反動と言ってもいいと思います。この5年から10年の間に明らかになったのは、結局僕たちはそれぞれの場所で、それぞれの思想・文化をつくっていたという当たり前の事実と、それを共有することの途方もない困難ではないかと思います。
僕が哲学の世界に足を踏み入れ始めた2000年代、人々はインターネットの力によって世界は「フラット化」すると信じていました。インターネットはグローバリズムを加速させ、世界の経済圏や思想など、あらゆるものがフラットになるという淡い夢をみんなが共有していた時代だったと思います。
しかし、ここ5〜10年ほどでグローバリゼーションに対するバックラッシュが生じましたよね。2016年にはアメリカでトランプが大統領に選出され、イギリスでブレグジットが決議されました。さらに西洋諸国とはまったく別の力学で動いている中国が台頭し、ついにはロシアがウクライナを侵攻する事態まで発生したわけです。世界は全然フラットにならなかった。
——いま世界各地で「普遍性」とは正反対の状況が生み出されているからこそ、概念の普遍性も問い直すべきなのだと。だからこそ『生成と消滅の精神史』では、「心」や「意識」もまた、さまざまな起源を持っていることを描き出したのですね。
はい。僕たちは「心」や「意識」を、“mind”や“consciousness”という普遍的な知的概念だと捉えているけれども、実は日本、中国、アメリカ、ヨーロッパ……それぞれの場所において、それぞれのプロセスを経て、全く別の思想や経験から発生しているかもしれない。そして、それぞれの個別性や歴史や経験を丹念に掘っていくと、同じ名前のもとに、全く別のものが生成されたり、消滅したりしているプロセスがあるのではないか。そう考えて、横断的に「心」の歴史を紐解いてみたんです。
もちろん、ポストモダンと呼ばれる思想潮流においては、こうした普遍的な概念の脱構築や解体が、西洋哲学の自己反省として行われてきました。ただ僕の関心としては、意識の解体性や消滅に焦点を当てるのではなく、同時にその創造と生成にも同じくらい焦点を当てたかったんです。だから歴史を論じることにしました。
例えば、「自己は存在しない」「自己は虚構だ」ということが分かったとしても、それでも人間は自己を求め続ける欲望を持っている。自己は解体して解けていく方向にも向かうけれど、同時に自らを形成する方向にも向かう。意識はその構築と解体、生成と消滅の両方のプロセスを持っているからこそ、歴史的な固有性が存在する。
日本の「心」は「花鳥風月と共に在る」
——「心」は普遍的な概念ではないけれど、私たちはどうしても「心」を求めてしまうのだと。「心」に地域ごとの固有性があるのだとすると、とりわけ日本における「心」や「意識」には、どのような特徴があるのでしょう?
まず、かつての日本においては「花鳥風月なき心」はあり得なかったのだろうと思います。どんな心情を持つにせよ、何を思考するにせよ、心は常に花鳥風月、つまりは自然の事物と共に生成され、決してそれ単体では存在できない「弱いもの」だと考えられていた。
しかし、日本人は明治時代になり「近代化」という大きな切断を経験することになります。また、第二次世界大戦後にアメリカが進駐してきたことも、僕たちにとっては転換点の一つでしょう。明治期における中央集権国家への移行と文明開化、そしてアメリカによる間接統治によって、日本社会の近代化は進んだわけです。
このとき西洋から輸入されたのは、行政制度や社会システムだけではなく、心のモデルでもありました。とりわけ文学者たちは、この「新しい心」をどう扱えばよいか、恋愛や人生、友情や家族など、様々な物語を通じて実験しながら創造していたのだと思います。こうして心と社会システムが一気に変革されていく変動がありました。
ただ、社会システムについては法制度、行政制度など具体的な変革はそれなりの速度で更新できたと思うのですが、「心」というレイヤーにおいては、その変様は「建前」に留まっていたのではないかと思うのです。つまり、日本人の心は明治時代になっても、戦後になっても、その実「花鳥風月と共に」在ることを忘れられなかった。近代的な「個人」という主体であることを前提とし、それ単体で存在し得る西洋的な「心」のモデルをインストールしながら、同時に「心はより大きなものと共に在る」という、もっと長い歴史の中で育まれてきた感覚を捨て切れていなかった。
近代以降の日本の心は、西洋的な独立的な強い心と、相互依存的な弱い心の、ダブルレイヤーでパラレルに作動していながら、そのことを認めず、むしろ隠そうとしているようなところがある。よく言われる言い方で言えば、日本はモダンを経ずにポストモダンに突入したということでもあるし、もっと普通に言えば、本音と建前の乖離に苦しんでいる。
——建前上は西洋的な「心」や「意識」の捉え方を受け入れたものの、実際には日本古来の「花鳥風月と共に在る心」が根強く残っていると。
はい。西洋哲学は、他の何ものにも依存せず存在する「自己」という一つの基盤を「発明」して、心の中心に据えました。ただ実際には、『生成と消滅の精神史』にも書いたように、西洋だってソクラテス以前は「弱い心」が主流でしたし、近代においても「弱い心」から逃れきることはできなかったのですが……ともあれ大枠としては、自律した「自己」という精神が、西洋哲学の起源かつ基本だと言ってもいいでしょう。西洋の心のモデルの中心は、あくまでそれそのもの単独で存在できる「強い心」なのです。
対して、日本古来の「花鳥風月と共に在る心」は、自らの意識を外部に拡散させ、自然界の事物も含めた「他者」と意識を共有するように育まれてきたのだと思います。こうした意識のモデルと相性が良かったのが、インターネットだったのかもしれません。2チャンネルにせよ、ニコニコ動画にせよ、SNSにせよ、自らの「意識」を、ネットワーク上でと共有する感覚を僕たちは自然に持てたし、そこから生まれるこの文化は、世界から見ても稀有なオリジナリティを持っていた。だからこそ日本では、多くの人が「求めていたのはこれだ」と飛びついたのではないかと思います。
少し古い議論にはなりますが、2000年代にネット文化が勃興しはじめたとき、アメリカではブログが注目され「個人をエンパワーメントするツール」と捉えられていた一方、日本ではSNSが注目され「個人の意識を集団的な意識に同化させる環境」になっていると指摘されました。
つまり、日本という国は、情報技術を「個人という主体が利用するツール」ではなく、新たな「(疑似自然)環境」として受け入れる傾向があるのではないかと思うんです。そして、その傾向は段々と強くなっているように感じています。いい意味でも悪い意味でも、SNSやそれらを支える技術と、日本的な心の相性があまりにも良すぎるのではないでしょうか。
人々は「意識」を捨てたがっている?
——現代のSNSを中心としたインターネット空間が、「花鳥風月」を代替しているようなイメージでしょうか。
はい。これはかなり単純化した見方かもしれませんが、SNSやインターネットで、人々がまるで動物の群れのように行動する状況を見て、日本人はずっと「個の意識」を捨てたがっているような気がすることがあります。個の意識を自然や環境の中に溶け込ませて、消してしまいたいという欲望を、多くの人々が持っているのではないかと。
例えば国民的アニメ作家である宮崎駿は、『ルパン三世 カリオストロの城』や『崖の上のポニョ』でも、湖や海に物語の象徴となるような建造物を沈めるなど、「すべてを水に返す」ような演出をしていますよね。海などの自然物に意識を溶け込ませてしまいたいという欲望が、ここに端的に表れている気がします。
そして、インターネットなどの技術の発達によって、その欲望は増大しているのではないかとも思っています。例えば、SF作家の伊藤計劃はライフログデバイスが生体内部に埋め込まれ、ネットワーク化された未来を描いた小説『ハーモニー』の中で「意識であることをやめたほうがいい」と語り、「意識」は生物の進化が生み出したさまざまな機能の一つでしかなく、不必要な機能は「治療可能」なものだとしています。技術的な条件が整い、意識が不要だと思われるような状況になったとき、それを手放してしまいたいという欲望を、僕たちはどこかに持っているのかもしれないと思います。
——日本人は「強い心」を持っていないのではなく、そもそも「持ちたくない」のだと。
もちろん「日本において顕著である」というだけです。実際はむしろ20世紀的なもので、この欲望自体は西洋諸国の人々の中にも存在していると思っています。
例えば、今や世界的な作家として注目されるフランスのミシェル・ウェルベック。彼の『素粒子』という小説の主人公ミシェルは分子生物学者で、「意識」がひとつの幻想であると語って、深く絶望する。彼は最終的に、遺伝子操作によって意識を持たない人間を生み出す技術を開発し、人間を消滅させる。そして物語のラスト、ミシェル自身は海に身を投げ死んでいきます。
科学の進歩によって人間の脳や神経に対する解像度が格段に上がると同時に、コンピューターサイエンスの進化によって人間の脳を模したAIが、人間と同等の能力を手にしていくプロセスを、今世紀の全世界の人々は共有しています。こうした現状において、「人間が固有の意識を持つことに意味があるのか」という問いが人間に突きつけられ、それを捨てようとする考えが、一つの象徴的な思想として表出しているように思えます。
哲学にも情緒があり、芸術にも知性がある
——「心」や「意識」は決して、絶対的で確固たるものではないと。『生成と消滅の精神史』でも、日本はもちろん、西洋においてもホメロスやパスカルに着目し、心の「弱さ」……人類が求めてきた「強い」心が生み出す歪みに目を向けている点が印象的でした。
そもそも僕は、西洋哲学を勉強していく中でずっと、そこに居場所がないような気がしていました。例えば、本書でもカントの心は情報処理をする一つの機能のようなものだ、と位置づけましたが、それを頭で理解することはできるものの、他方ではどうしてもそこに実感が伴わなかった。僕自身のリアリティとして、「強い心」を前提とした考えに馴染めなかったんですよね。
西洋の哲学者たちは、「強くあらねばらならない」時代に生きていたからこそ、「強い心」を創造しようとしていたのだと思います。例えばプラトンの時代、アテネの隣国にはスパルタが圧倒的な軍事力と統率力を持った国家として存在して彼らを脅かしていたし、デカルトが思想を紡ぐ前のヨーロッパには大規模な三十年戦争があって、人間同士の途方もない戦争がありました。
彼らは、自分たち人間は知的で強い存在であるというアイデンティティを確立する必要に駆られていた。そしてその強迫性ゆえに、自らが「生命」や「動物」であることを忘却したり、隠蔽したりしなければならないプレッシャーのなかで生き、知を形成していた。
そうしたプレッシャーはヨーロッパにおいて何度も反復し、亡霊のように取り憑いているように思います。もちろんそれは、哲学者たちだけではないでしょう。例えば、フランツ・カフカはユダヤ系だったこともあり、律法における神との契約を常に意識していたでしょう。だからこそ「契約を破ると、たちまち虫になってしまう」というほどまでの危機感や怯えが、作品のなかにも表れている。つまり、成熟した主体として神と契約を結び、そのことによって人格を完成させられなければ、たちどころに「人間ではなくなってしまう」という恐怖感を感じながら生きていたんだと思うんです。
——西洋の文化圏では、「強い心」へと駆り立てられるプレッシャーが強かったと。
ただ、西洋においてそうした恐怖や不安を表現する場は、文学などの芸術に集中していたのではないかと思います。哲学などの「知」に関しては、確固たる基盤の上に、確固たる方法によって合理的に積み上げられるものだと考える傾向が中心で、文学などで表現されていた「弱さ」は、むしろ克服すべき態度だったのではないかと。
でも僕は文学や芸術も好きだということもあり、「弱さ」に重きをおいて哲学を語ってみたいと思っていたんですよね。
——『生成と消滅の精神史』は思想史を論じた本でありながら、きわめて文学的な表現が多く使われていますよね。その背景には、西洋哲学の確固たる方法論や合理性への違和感があったと。
そうですね。僕はこれまで詩を書くということもしているのですが、それは確固たる合理的な言語によっては、掬いきれない世界へのかかわり方を模索するためでもありました。
西洋の哲学者たちは、概念によって世界を構築したり、改変したりします。そして概念によって作り上げた世界を、かなりリアリティを持って認識している。でも、僕の場合はどうしてもそういった形而上学的な世界の姿にリアリティを感じられず、むしろ概念によって切り取られた世界の「外部」の方が広いのではないかという感覚があります。
概念や知では捉えきれない世界の手触りをなんとか形にしたいという思いから、詩を書き続けています。だから、僕にとって詩作は、哲学をすることの副作用だと言えるかもしれません。僕は概念と情緒のどちらも大事にしたいし、そうすることは、西洋的な価値観を内在化させてしまった僕たち日本人の心にとって重要なことだと思っています。
哲学の中にも情緒があり、芸術の中にも知性がある。僕はそう考えています。
デカルトから脳、そして“前期ヴァレラ”から“後期ヴァレラ”へ
——下西さんが「心とはなにか?」というシンプルな問いを起点に、さまざまな領域を横断し、さまざまな手法を組み合わせながらアプローチされている背景が、少しずつ見えてきた気がします。そうした思索のスタイルに至った経緯をもう少し聞いてみたいのですが、そもそも、最初に哲学に興味を持ったのはいつ頃だったのでしょう?
中学生くらいだったと思います。なぜかは忘れてしまいましたが、デカルトの思想を知り、興味を持ったことがきっかけです。いわゆる中二病みたいなものかもしれませんが、さまざまな哲学者の思想に触れ、「世界って何だろう?」と考えていたことを覚えていますね。昔からとにかく考えることが好きだったので、「哲学の道に進むのもいいかもしれないな」と、漠然と考えるようになりました。
——その頃から既に「心」や「意識」に関心があったのでしょうか?
デカルトが最初の入口だったので、「思考」や「意識」が出発点になりました。そこから「脳」についても明確に関心を持ったのは、高校生になった頃です。たしか養老孟司さんの本を読んだことがきっかけだった気がします。そうして哲学のみならず、「意識のことを考えるのであれば脳についても学んだ方がいい」と考えるようにもなりました。
——認知科学やAIと、哲学を横断する下西さんの思索スタイルの萌芽が、その頃からあったのですね。その後、大学ではどのような研究を?
大学進学後には、哲学と生命論を掛け合わせたような領域に関心を寄せるようになり、先ほど挙げたヴァレラを専門に選びました。
ヴァレラを知ったのは、僕がもう10年以上お世話になっている、鈴木健(現・スマートニュース株式会社 代表取締役会長 兼社長CEO)さんがきっかけです。柄谷行人『NAM生成』(NAM, 2001)に収録されている、後に刊行される『なめらかな社会とその敵──PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論』(勁草書房, 2013)のプロトタイプになった健さんの論文に、生命論の文脈でヴァレラの議論が引用されていたんです。そこで興味を持ち、学部の卒業論文では、ヴァレラを中心に「生命とは何か」といった生命論について書くに至りました。
——大学院でも、引き続きヴァレラの研究を行っていたのでしょうか?
そうですね。ただ、生命論というよりは、冒頭でも触れた神経現象学に軸足を移しました。学部時代にヴァレラについて勉強していた過程で、日本では“前期ヴァレラ”──と僕は呼んでいます──つまりは生命論の研究者としてのヴァレラの側面に偏って知られているように感じたんですよね。先ほども触れましたが、現代のアメリカではむしろ認知科学と現象学を統合しようとするヴァレラ──つまり“後期ヴァレラ”──が著した、神経現象学の論文に注目が集まっていたにもかかわらず、日本ではほとんど注目されていなかった。
僕は、ヴァレラが生命を問題にしようとした背景をより深く理解するためには、後期ヴァレラの主張を知るべきだと思っていましたし、ヴァレラの前期と後期の理論がうまく統合されていないとも感じていたんです。だから大学院では、「現象学と認知科学の関係を考える」というテーマで、前期ヴァレラと後期ヴァレラとつなぐような研究に取り組みました。
独立研究者として、いかにして「知の共同体」と関わるか
——ただ下西さんは、東京大学大学院博士課程単位取得退学後、大学を出ていわゆる“在野研究者”のスタイルで、哲学を中心に講演・執筆活動を行うようになりました。なぜ、独立という道を選んだのでしょうか?
特に「独立してやっていくぞ!」という意欲があったわけではないんです(笑)。「思索したり研究したりするためには、大学の教員になった方がいいのだろうな」と漠然と思ってその道を模索した時期はあったのですが、次第に、論文を書いたり学会で発表したりするのは自分には合っていないのではないかと思うようになって。それで結果的に、アカデミアを離れることにしました。
——大学の外に出てから色々と変化があったかと思うのですが、特に大きかったのはどのような点でしょうか。
「全部一人でやらなければならない」という妄想に取りつかれるようになったことですかね(笑)。大学にいた頃は、近い領域の研究者仲間との交流が豊富にあったので、「あの人がこんなことをやっているのなら、僕はこっちをやろうかな」と、ある意味での役割分担ができていました。しかし、大学の外に出てからは、月に数回しか人に会わなくなってしまったので、「全部僕がやらなければならないのではないか」と思い込んでしまいました(笑)。
——逆に言えば、大学にいた頃は、他の人の研究を知ることによって、ご自身の役割が自然と自覚できていた?
そうですね。やはり現代の研究は、共同体の中で行われるものであるということは間違いありません。かつては孤独に進める性格も強かった人文知の研究も、相互批判をしながら、みんなで進めていくという共同作業を前提とした側面が強くなっていると思います。
このことが示すのは、人文知が科学知に接近しているということでもあります。科学研究においては、「どこが最先端なのか」を全員で共有しながら進めなければ、「新しいこと」はできません。だから、共同作業であることが大前提です。もちろん独立していても、そうした共同作業に加わることは可能でしょう。積極的に学会に参加したり、読書会を開催したりしている方もいらっしゃいますから。
ただ、僕にはそうしたやり方が合わなかったというだけです。そういう意味で、僕は自分を「研究者」とも思っていません。特にスタイルにこだわったり意識したりすることもありません。ただものを考えて、ものを書く、物書きです。
アメリカ文学からひもとく、コンピューターの思想的源流
——だからこそ、ご自身にフィットした思索のスタイルを試行錯誤されてきたのですね。その一つの結実として、500ページを超える大著『生成と消滅の精神史』を上梓された。こうした活動の先に、今後はどのような取り組みをしていきたいですか?
率直に言えば、しばらくは何もしたくない(笑)。ただ、「やらなければならない」と思っていることは、既にいくつかあるんです。
その一つが、20世紀後半のアメリカにおいて、認知科学や生命論が登場した文化的背景をまとめること。実は『生成と消滅の精神史』はもっと長い本になる予定だったんです。2章ほど削って現在の形になっているのですが、その削った部分に書いていた内容の一つが、20世紀後半のアメリカにおいて特異な思想が生まれた文化的な背景の考察。これを改めて形にしなければならないと思っています。
——せっかくなので、少し内容を教えていただけますか?
もちろんです。ヴァレラと生物学者のウンベルト・マトゥラーナが、生命を「自律的な閉鎖系システム」と捉える「オートポイエーシス」を理論化したのは、1960年代から70年代にかけてのことです。
ただ少し遡れば1948年に、数学者であるノーバート・ウィーナーが、通信工学と制御工学を融合させ、さらに生理学や機械工学などの分野も統合的に扱う「サイバネティクス」を提唱しています。これらのアイデアは後のコンピューターサイエンスやインターネットをめぐる思想に大きな影響を与えることになるわけですが、当時の哲学は批判的に反応していたんですよね。ハイデガーもメルロ=ポンティも、明確にサイバネティクスを批判しています。
それにもかかわらず、20世紀後半のアメリカにおいてはなぜ、コンピューターと生命を巡る思想が生まれたのか。それに対する僕の仮説は、「アメリカにおいては、文明と機械の関係が、ヨーロッパとは違う形で捉えられていたからではないか?」というもの。
——冒頭でもお話しいただいたように、20世紀のヨーロッパ哲学は、サイエンスやテクノロジーに対して批判的な立場を取るのが主流だった。しかし、ことアメリカに目を向けると、逆に親和的な文化があったのではないかと。
そうした文化的土壌が形成された背景を、文学を中心としたアメリカの精神史を紐解くことで解き明かしていきたいんです。具体的には、アメリカ建国期のピューリタンの思想から、19世紀の文学者であるラルフ・エマーソンや、ヘンリー・ソローらの思想を追いつつ、20世紀のカウンターカルチャーやビートニクにまでつなげていこうと思っています。
なぜ文学を中心に据えるかというと、コンピューターと生命に関する思想的な基盤を生み出したヴァレラやウィーナーらと、アメリカの文学者たちは非常に近い思想を持っていたのではないかと考えているからです。見過ごされがちなのですが、モリス・バーマンの『デカルトからベイトソンへ』の翻訳をしているのはアメリカ文学研究者の柴田元幸さんですし、マトゥラーナとヴァレラの共著『知恵の樹』を訳したのは比較文学者/詩人の管啓次郎さんなんです。このことからも、アメリカにおけるコンピューターサイエンスを巡る思想と、文学の結びつきの強さがうかがい知れますよね。
さらに言えば、『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』を書いたマーク・トウェインは、晩年には人間機械論をテーマにした『人間とは何か』という本を書いています。自然と戯れ成長する喜びを描いていた作家が、最終的に「すべての人間は機械である」と言っているんです。これはとても興味深いことだと思います。
このあたりの議論は、本書を補完する背景になるとともに、AIやインターネットが人間にとっての「新しい自然環境」のように機能する現代的な状況を、どのように理解すればよいのか、という問題にも深く関わるテーマだと思っています。
——まさに、現代のインターネット社会の源流に迫る議論ですね。その探究が形になるのが、今からとても楽しみです。
Text by Ryotaro Washio, Interview&Edit by Masaki Koike
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道徳判断のその先へ。「ケアの倫理」がひらく“問い直しの倫理学”|倫理学研究者・冨岡薫