豊かな社会をもたらす健全な「社会的アイデンティティ」とは|ジェイ・ヴァン・バヴェル × 柳澤田実
イノベーション創出や社会変革、はたまた陰謀論や排外主義まで、現代社会で論点となる多くの事象を読み解くカギとなる概念のひとつが「社会的アイデンティティ(集団への帰属意識)」です。
家族や企業、国家といった集団に対する帰属意識が、自意識や、周囲の認識や理解の仕方、意思決定の仕方にいかなる影響を及ぼすのでしょうか。
「社会的アイデンティティ」の正体と影響について、社会心理学や神経科学を横断しながら研究しているのが、心理学者のジェイ・ヴァン・バヴェル(ニューヨーク大学教授)です。
『Forbes JAPAN』2023年5月号にて掲載された、デサイロとForbes Japanが共同で企画・編集を担当した特集「人文社会科学と次なる社会像」では、共著『私たちは同調する』を上梓したヴァン・バヴェルさんに、インタビューを敢行。
インタビュアーを務めたのは、デサイロで「私たち性(we-ness)の不在とその希求」をテーマに研究を進めている哲学者の柳澤田実さん(関西学院大学准教授)です。
参考:“集団の熱狂”に加わると高揚するのに、一歩引くと煩わしくなるのはなぜか?<私たち性 we-ness>研究序説|柳澤田実
「社会的アイデンティティ」という概念は、「いま私たちはどんな時代を生きているのか?」という問いにいかなる示唆を与えるのでしょうか。
柳澤:私たち人間は群れで生きる動物なので、「集団」は生きるうえで避けては通れない重要な問題だと言えます。そしてこの「集団」というものはよいものにも、有害なものにもなりうる両義的なものですよね。これは宗教や「神聖さ」を研究対象としてきた私の長年の関心事でもあります。ヴァン・バヴェルさんは、集団がもつネガティブな可能性もふまえたうえで、「社会的アイデンティティ」という概念を中心に、個人にとっても社会にとっても益になる集団の適切なあり方を研究なさっていますよね。
ヴァン・バヴェル:はい。例えば私たちの研究室では、fMRIを用いた脳波計測などにより、「人々が個人ではなく連帯して協力するとき、脳に何が起こるのか」を研究しています。例えば、人間は同じグループの仲間だと感じている人が報酬を獲得する姿を見ると、自分の脳の報酬系まで活発化することがわかっています。
柳澤:その話は「進化」という観点からも興味深いですね。強い帰属意識をもつグループでは、あるメンバーがうまくいくのを見ると、当事者ではない周りのメンバーまで脳の報酬系が活性化する。人間は協力によって他の動物よりも繁栄したと、「協力の進化」の議論でも語られていますよね。また、協力しない集団よりも、構成員が犠牲をいとわず協力する集団が繁栄することで、協力行動が進化してきたとも論じられていますが、脳に見られる現象も人間の協力行動の進化に関係していると思われますか。
ヴァン・バヴェル:面白い研究結果があります。見知らぬ4人を私たちの研究室に連れてきて、「あなたたちはチームです」「これから一緒にタスクに取り組んでもらいます」と伝えたうえで、一緒に仕事に取り組んでもらう実験を行いました。すると、チームだと伝えた瞬間に、人々の脳活動のパターンがシンクロし始めた。そして、全員が近い脳の波長をもつ集団は、単なる個人の集まりよりも、より協力的で賢くなり、よいパフォーマンスを発揮したんです。
「悪い」集団主義に陥らないために
柳澤:一方で、社会的アイデンティティは「同調圧力」にもつながりうるとヴァン・バヴェルさんは本で指摘しています。強い社会的アイデンティティをもつと、その集団の価値観に染まってしまい、大勢と異なる意見を表明しづらくなるということですよね。
ヴァン・バヴェル:もちろん、社会的アイデンティティには、そうした負の側面もあります。とあるアンケート調査によれば、人間が最も恐れるのは「人前で話すこと」でした。もしばかなことを言って恥をかいたら、「もう誰も自分と関わりたくなくなるのではないか」と心配になるからだそうです。こうした恐れはストレスになり、人間のパフォーマンスを著しく下げます。別の研究調査では、もしあるグループが「一緒に仕事をしたくない」とメンバーを追い出したら、追い出された人のIQは約15ポイントも下がることもわかっています。
そもそも人間は有史以前から、集団から追い出されることを恐れていたのではないでしょうか。自己中心的に振る舞う人が、アフリカのサバンナのような場所で集団から追い出されたら、おそらく餓え死にするでしょう。集団から追い出されることが死に直結していた名残が、「グループから追い出されたくない」という人間の本能に繋がっているのかもしれません。
fMRIを用いた脳波計測
柳澤:特に同調圧力が強いといわれる日本の組織では、他人の気分を害したくないという意識が強く働き、「問題があることがわかっていても声を上げて反対しづらい」という話をよく聞きます。かつて山本七平は著書『「空気」の研究』で、日本人は他人の気分を神聖視しているとも言いました。私は何かを神聖視する心理について研究をしていますが、「聖なる価値」理論では、集団を神聖視することで自己と集団を融合させてしまう「アイデンティティ・フュージョン」の状態があるともいわれ、テロリストなどにこういう傾向が見られるとされています。社会的アイデンティティには、こうした抑圧的な集団主義を生みだすリスクが伴うのでしょうか。
ヴァン・バヴェル:一概にそうとは言えません。反対意見の表明もまた、強いアイデンティティに起因することが多いからです。集団のことをよくしようと思っている人のほうが、進んで異論を唱える傾向があります。チームや物事がうまくいかない状態を見て、声をあげるということは、難しくてストレスフルな行為です。だから本当にそのグループのことを思っている人しか、反対の声をあげないのです。
柳澤:反対意見もまた集団のためのある種の自己犠牲だということですよね。では、一体どうすれば、「悪い」集団主義を避けることができるのでしょうか?
ヴァン・バヴェル:最も大切なのは、何でも言い合える「健全な」文化や規範をもつことです。反対意見があがらない集団や、反対意見があっても受け入れられない集団には、誤った情報や行動がまん延します。「カルト化」と呼んでもいいかもしれません。もしも同僚が誤った発言や行動をしたら、それを指摘し合うことが「当たり前」だと感じる集団をつくることが大事なんです。これは「心理的安全性」といわれていることでもあり、最近はこの考え方を積極的に取り入れる企業が増えています。
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本記事は、『Forbes JAPAN』2023年5月号に掲載された同名記事の一部を転載したものです。対談の全文は、ForbesのWebサイト上にも掲載されています。続きはぜひ、こちらからご覧ください。
Text by Tetsuhiro Ishida, Edit by Masaki Koike
対談者プロフィール
Tami Yanagisawa|柳澤田実
関西学院大学神学部准教授。専門は哲学・キリスト教思想。東京大学21世紀COE研究員、南山大学人文学部准教授を経て、現職。編著書に『ディスポジション ―哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』。
Jay Van Bavel|ジェイ・ヴァン・バヴェル
ニューヨーク大学心理学・神経科学准教授。ニューロンから社会的ネットワークにおよぶ、潜在的なバイアス、集団のアイデンティティ、チームパフォーマンス、意思決定、公衆衛生における心理学・神経科学を研究している。
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