「感情資本主義」から読み解くウェルビーイング経営と未婚化の時代|エヴァ・イルーズ × 山田陽子
「感情」と「経済」のかかわりを長年研究してきた世界的社会学者エヴァ・イルーズと気鋭の社会学者・山田陽子。「感情資本主義」という概念から読み解く、現代社会が直面する難題とは。
仕事では「怒りのコントロール」が必要とされ、恋愛では「コスパ」が求められる……。理性的・合理的な領域である「仕事」と、感情的・非合理的な領域である「プライベート」の区別がますます曖昧になる現代社会を読み解くうえで、大きな示唆を与えてくれる概念が「感情資本主義」です。
近代資本主義の発展を、「経済的行為のエモーショナリゼーション」と「感情生活の経済化・合理化」が同時に進行する動的プロセスとしてとらえるこの概念を提唱したのが、イスラエル=フランスの社会学者エヴァ・イルーズ(ヘブライ大学教授、EHESS教授)さんです。
『Forbes JAPAN』2023年5月号にて掲載された、デサイロとForbes Japanが共同で企画・編集を担当した特集「人文社会科学と次なる社会像」では、共著『ハッピークラシー』を上梓したイルーズさんに、インタビューを敢行。
インタビュアーを務めたのは、『ハッピークラシー』の「解説」を執筆し、デサイロでは「ポスト・ヒューマン時代の感情資本」をテーマに研究を進めている社会学者の山田陽子(大阪大学准教授)さんです。
参考:「感情」すらも資本化されていく時代に、「働くこと」と「癒し」を問い直す──社会学者・山田陽子
「感情資本主義」というレンズを通すことで、現代社会のいかなる側面が浮かび上がってくるのでしょうか。
個人の感情すらも、ビジネスに利用されるように
山田:あなたは、著書『Cold Intimacies: The Making of Emotional Capitalism』のなかで、「感情資本主義」を「感情生活の合理化」と「経済的 行為のエモーショナリゼーション」とが同時に進行するプロセスとして描き出しています。現代社会をとらえるうえで、非常に重要な示唆を与えてくれる概念だと思いますが、まずはこれについて、あらためて教えていただけますか?
イルーズ:感情資本主義のいくつかの側面について説明しましょう。そもそも20世紀には精神分析や臨床心理学などの「心の科学」が広まり、サイコロジストと対話すれば自分の内面を知ることができ、人生で何らかの困難が生じた場合も感情や精神の状態を改善すれば対応できるという考えが普及しました。それまでも精神的な苦しさや生きづらさは誰にでもあるものでしたが、「個」という観念が希薄であった前近代社会では個人の内面に格別の注意を払うことはありませんでしたし、困難は宗教的な枠組みで解釈されてきました。
「心の科学」は20世紀の文化や政治に深く関わっています。メンタルヘルス、すなわち心理的に安定していることは「健全な国民」の条件であり、そうではない人は病院に収容されるというかたちで社会から隔離されることさえありました。また、恥や罪の意識をもつことなく自分で目標を決めて実現できる──このような文化がアメリカ、少し遅れて西欧で大きな力をもつようになりました。
山田:自分の内面を見つめ、精神のバランスを取りつつ、自分自身で人生を選択して切り開いていくことが重要視されるようになったのですね。
イルーズ:これを背景に、1920~30年代には「職場の心理学化」が生じます。生産性を高めるためには、働く人の感情や対人関係を相応に整え、利用するのがよいと企業が気づいたのです。理想のリーダー像もそれまでの権威ばった人物ではなく、「熱心で人柄がよく、従業員にもフレンドリーであるよう自己コントロールできる」人物へと変化しました。そうしてアメリカでは1930年代以降、成功を説くビジネス書が、ポジティブ・トークや共感、熱意を重視するようになり、友好的で快活であれと強調してきました。最近ではスピリチュアルなものやセラピー的なものがそこに含まれるようになっています。
山田:国内でも、怒りのコントロールやマインドフルネスをテーマとする研修が企業に導入されるなど、職場における感情マネジメントが定着していると思います。適切な感情管理は生産性向上の手段であると同時に、あらゆる企業が取り組むべきリスクマネジメントの一部になっていますね。
イルーズ:はい。ここ20~30年の間に、企業が労働者を雇用したり評価する際、「感情知能」を指標とすることが増えています。企業のなかで、「感情知能が高いセールスパーソンは売り上げ成績がいい」といった考え方が支持されるようになると、ある特定のパーソナリティの型をもつ人 ──例えば、感情をうまくコントロールし、心地よい話し方ができる人―が高く評価されるようになります。そして、感情知能の高い人ほど、感情を資本にうまく収斂することができるため、感情の階層化が生じます。これが、感情資本主義のひとつ目の側面、「経済的行為のエモーショナリゼーション」です。
山田:日本でも、近年「健康経営」や「ウェルビーイング経営」が推奨されていますが、これは従業員を健康で幸せな状態にすることで、職場の生産性や創造性を高めようとするものです。長時間労働やハラスメントが横行する職場よりはベターですが、自分自身の幸せや心身の健康が仕事に利用されている気がして、違和感を覚える方もいるようです。
愛やロマンスに侵入する「コスパ」思考
イルーズ:そして感情資本主義の第二の側面として、愛やロマンス、他者との親密な関係性が、正義・公正・公平という政治的言語や功利主義的な言語で染められていること──すなわち「感情生活の合理化」が挙げられます。
20世紀になると、フェミニズムや「心の科学」の影響もあり、人間関係に一種の交換モデルがもち込まれるようになります。特に20世紀後半の社会 では、男女の性別役割分業にもとづいて、男性らしく外で稼いでくること/女性らしく家事育児をきちんとすることによって愛情を表現するような関係性ではなく、コミュニケーションを十分に取り、お互いのパーソナリティに深くコミットしてお互いに理解し合うことが重要視されるようになりました。
ただ、ここには落とし穴があります。自分たちの関係性を常に反省的に振り返り、点検して綻びをただすためにさらにコミュニケーションを重ねる。それはとても民主的な関係である一方で、「私が愛するのと同じぐらい、相手は私を愛しているのだろうか」と相手の愛情と自分の愛情の比較をしはじめてしまう。関係を対等で平等に保つためには、自分が何を与え、何を得ているのかを絶えず自問自答する必要があるためです。
山田:社会的地位や金銭、ジェンダーにとらわれず、純粋に相手に向き合おうとするがゆえに、ふたりの気持ちを査定し、評価し、ときには損得勘定にまで及んでしまうという逆説ですね。
イルーズ:はい。そして、感情資本主義の第三の側面は、「エモディティ」(感情商品)です。ダイヤモンドや洋服といった有形の商品ではなく、旅行や怒りのコントロール法を習得するためのワークショップのように、無形で、リラクゼーションや家族との楽しい時間、コミュニケーションスキルといった自己変容や感情の変容がもたらされる一連プロセスが商品となっています。
山田:映画や音楽、プレゼントやカウンセリングサービスのように、消費が遂行される過程で生じる消費者自身の感情変容・自己変容とともに完成する商品、それが「エモディティ」ですね。
経済的行為のエモーショナリゼーションと、感情生活の合理化、そしてエモディティ。資本主義は否応なく人々の感情を巻き込み、「心の科学」やフェミニズムに由来する言葉とマーケットに由来する言葉が結びつき、文化的にも政治的にも強力になるなかで感情資本主義が発展してきたという指摘は、現代社会を考えるうえで大変重要であるとあらためて思います。
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本記事は、『Forbes JAPAN』2023年5月号に掲載された同名記事の一部を転載したものです。対談の全文は、ForbesのWebサイト上にも掲載されています。続きはぜひ、こちらからご覧ください。
Text by Mariko Fujita, Edit by Masaki Koike
対談者プロフィール
Yoko Yamada|山田陽子
社会学者。大阪大学大学院人間科学研究科准教授。著書に『働く人のための感情資本論──パワハラ・メンタルヘルス・ライフハックの社会学』『「心」をめぐる知のグローバル化と自律的個人像──「心」の聖化とマネジメント』など。
Eva Illouz|エヴァ・イルーズ
ヘブライ大学社会学教授。フランス国立社会科学高等研究所教授。2022年6月にはケルン大学アルベルトゥス・マグヌス教授に就任。共著書に『ハッピークラシー』、著書に『Cold Intimacies』などがある。
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