人文・社会科学をめぐる「指標化」の現在地──長い“文系軽視”を超え、「生産的相互作用」の評価へ
2015年にメディアを賑わせた「文系学部不要論争」に象徴されるように、昨今の人文・社会科学領域の研究は厳しい状況に置かれていると言えるでしょう。「何の役に立つのかわかりづらい」「評価指標が明確でないために社会的意義が示しづらい」──こうしたイメージを持たれるケースも少なくないのではないでしょうか。
一方で、いま改めて人文・社会科学領域の研究の存在意義を示そうという動きも生まれています。
2021年4月に施行された「科学技術・イノベーション基本法」に基づく内閣府の計画では、人文・社会科学の振興を「総合知」の活用として位置づけて推進する方針が提示。評価や指標化に関する議論にも注目が集まりはじめています。
そうした流れを受けて、2022年9月に発表された「人文・社会科学系研究の評価に関する論点地図Ver.1」(以下、Issue Map)では、複雑に絡まりあった評価や指標化の議論が整理されました。このIssue Mapは、京都大学学術研究支援室(KURA)と、人文・社会科学系URAネットワークの有志メンバーが指揮を取り、NPO法人ミラツクの協力によって質的調査の方法論を取り入れて制作されたものです。
本記事ではこのIssue Map及びその参考文献を辿りつつ、人文・社会科学領域の研究における、評価や指標化に関する取り組みを概観します。
平成初期から続く、「文系軽視」の系譜
2015年6月8日、文部科学省から各国立大学法人にとある通知(以下、「6.8」通知)が届き、メディアや学術界は大きな衝撃を受けました。
人文・社会科学系の学部や大学院は「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を実施する──「国立大学法人等の組織および業務全般の見直しについて」と題された文章には、そのような方針が記されていました。
「6.8」通知に至るまでの経緯が整理された、奈良女子大学名誉教授の三成美保氏の論文「人文・社会科学研究評価の課題と展望─日本学術会議の成果をふまえて」では、1995年に成立した「科学技術基本法」が人文・社会科学系研究が軽視される原因になったと分析されています。日本の学術行政を決める根拠となる同法は、以後5年ごとに「科学技術基本計画」を策定するという枠組みを制定。しかしながら、同法の目的には「人文科学のみに係るものを除く」と明文化されており、これが文系軽視の根拠になったとのこと。
この状況に対していち早く危機感を持った日本学術会議は、2001年から以後約20年以上にわたり、人文・社会科学に関する声明や報告、提言などで反論。しかし、グローバル化に応じて国際基準に合わせた研究評価の客観化・一律化・数値化へと向かった多くの自然科学領域に対して、人文・社会科学は明確な評価や指標化の議論が停滞した期間が続きます。
そして2015年に「6.8通知」が起こります。これに衝撃を受けたメディアや学術界は文科省を批判。例えば、東京大学元副学長の社会学者・吉見俊哉氏は2016年に『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社)を出版し、改めて文系や教養教育の意義を唱えました。
さらに日本学術会議は2017年に「学術の総合的発展をめざして―人文・社会科学からの提言―」という宣言を出し、人文・社会科学を取り巻く深刻な問題を再度提起します。
これらの流れを受けて、日本学術協力財団が出版する雑誌『学術の動向』2018年10月号で、「人文・社会科学系研究の未来像を描くー研究の発展につながる評価とはー」という特集が組まれます。当時の京都大学総長であり人類学者・霊長類学者の山極壽一氏や、京都大学大学院教授・哲学者の出口康夫氏、オックスフォード大学教授・社会学者の苅谷剛彦氏など著名な学者が賛意を示して寄稿。Issue Mapの参考文献の多くは、この特集号から取り上げられています。
しかし、こうした動きがありながらも情勢は大きく変わらず、2019年5月の日本学術会議シンポジウム「研究評価の客観化と多様化をめざして」では人文・社会科学を取り巻く学術界に対して、以下のような強い批判が起こります。
“これらの提言に対して人文・社会科学はどのように対応してきたか。ほとんど何もしてこなかった。”
ピアレビュー、ビブリオアセスメントから「インパクト・アセスメント」へ──国外での指標化の動き
定量化や評価しにくい特徴ゆえに、人文・社会科学が軽視されやすい傾向は日本だけではありません。
日本で「文系学部不要論争」が行われている間、欧州・米国では人文・社会科学にどのような評価指標を策定すべきか、議論が進行していました。
林隆之「研究評価の拡大と評価指標の多様化」によれば、人文・社会科学系の研究では、同じ専門分野の研究者によるピアレビュー(査読)が研究評価の基本として用いられます。しかし、これには弱点もあり、対象とする研究を十分に評価できる人がいることや、論文が高評価を受けることで不利益を被るような、利害関係のない人をピアとして集められることなどの条件を満たす必要があります。
より属人性を排除する形での研究評価の仕組みとして、書籍や学術誌などの出版に関するさまざまな計量を行う「ビブリオメトリクス(計量書誌学的数値評価)」と呼ばれる手法がピアレビューと並んで用いられていた時期もあります。これは論文数や引用数などで研究者や研究期間などを評価する仕組みです。
しかし、「論文の定量的評価は研究の質とは関係しないのではないか」という批判も多く、研究者の雇用や昇進、助成の決定を行う際に、個々の研究論文の質を測る方法として雑誌掲載量などの数量的指標を用いないこと、出版物という形態以外の幅広いアウトプットの価値とインパクトを検討することなどが、2013年の「研究評価に関するサンフランシスコ宣言(DORA)」において提起されました。
2015年には、「論文の被引用数等の計量データは、適切に利用されれば専門家(ピア)による評定をより妥当、公正にするための補完となり得るが、データに主導された評価や、指標の意味・性質の不十分な理解による誤用がしばしば見られる」ことを問題視して作成された「研究計量に関するライデン声明」がNature誌上で公表。同論文において、研究評価における計量データの利用についてのベストプラクティスが示されました。こうした動きを受けて、日本においても量的評価の再検討がなされはじめるようになります。
ピアレビューやビブリオメトリクスを代替する形で議論され始めたのは、研究開発活動が社会・経済にもたらす幅広い影響(インパクト)を評価するシステムの構築です。このような評価は、「インパクト・アセスメント」と呼ばれ、研究成果に基づく資源配分の参考指標として様々な国や地域で試行錯誤が始まります。
標葉隆馬氏が2017年に発表した論文「人文・社会科学を巡る研究評価の現在と課題」では、研究開発評価のインパクト評価システムをめぐる2017年時点での議論を整理した上で、以下のような指標を例として取り上げています。
■アメリカ:National Science Foundation(NSF)
NSFが示す「広範囲の影響」という評価姿勢は、ファンディング申請の段階でその研究活動が持つ将来的かつ様々な種類のインパクトを考察することを求めるもの。この NSF の「広範囲の影響」では、教育・学習への貢献、(研究活動などへの)マイノリティの参加拡大、研究環境の充実、公衆の科学理解増進などが想定されている。
■イギリス:Research Excellence Framework(REF)
REFは英国で行われる評価基準であり、「学術を超えて、経済、社会、文化、公共政策・サービス、健康、生活の環境・質に関する変化あるいはベネフィットをもたらす効果」と定義される。その評価はアウトプットの質が 65%、社会的・経済的・文化的インパクトが20%、研究環境が15%と複数の評価視点の導入と重みづけがなされ、その評価結果がファンディングに反映される。
■欧州委員会:Horizon 2020
2014年から2020年まで実施された、欧州の科学技術政策の枠組み「Horizon2020」では、「社会的挑戦課題」プログラムとして、医療・食糧・環境・エネルギー・社会問題などの政策的・社会的課題に関わる各種の研究開発の振興が実施。その中には、人文・社会科学的な知見に直接的に関わる課題も設定されていた。例えば、欧州域内における不平等と社会的排除を減少させることを目標に、貧困や若者の教育・就業訓練格差、失業率の問題への取り組みなどの研究が提示された。
2020年以降、国内で活発化する人文・社会科学の振興
こうした国外の動きも受けて、日本における指標化の動きは、2020年以降に活発化していきます。
まず大きな動きとして挙げられるのは、2021年3月26日に内閣により閣議決定された「第6期科学技術・イノベーション基本計画」です。1995年に制定され、文系軽視の根拠ともなっていた前述の「科学技術基本法」は、「科学技術・イノベーション基本法」に生まれ変わりました(2021年4月施行)。この基本計画では新法に基づき、人文・社会科学の振興を「総合知」の活用という名目で位置づけています。
また同年、文部科学省と政策研究大学院大学により「研究成果指標における多様性と標準化の両立 - 人文・社会科学に焦点をおいて -」というワーキングペーパーが発表されます。これは文部科学省SciREX(科学技術イノベーション政策における「政策のための科学」推進事業)の成果の一部として作成され、「研究力向上に向けた新たな測定指標の開発」として人文・社会科学の「社会的インパクト」を測定する評価基準を科学的なアプローチから検討した試みとなりました。また、2021年に英国REFにおいて示されたインパクト指標例など、世界中で用いられている人文・社会科学におけるインパクト測定の方法を表にしてまとめています。
さらに、日本学術会議も2021年に「学術の振興に寄与する研究評価を目指して-望ましい研究評価に向けた課題と展望-」という論文を発表し、海外の評価システム・指標化の流れを整理し、日本における評価の方向性を提言しています。
出典:林隆之ほか『研究成果指標における多様性と標準化の両立 - 人文・社会科学に焦点をおいて -』(2021年)
出典:林隆之ほか『研究成果指標における多様性と標準化の両立 - 人文・社会科学に焦点をおいて -』(2021年)
「生産的相互作用」こそが、人文・社会科学振興のカギ?
また、日本学術会議の2021年提言では、オランダにおける「科学と社会の生産的相互作用研究を通じた研究と投資のための社会的インパクト・アセスメントの方法(SIAMPI)」における「生産的相互作用(Productive Interaction)」の概念に着目したこともポイントです。
SIAMPI は、ヘルスケア、ICT、ナノサイエンス、人文、社会科学の4分野を事例として、研究プログラムの実施期間中に生まれたネットワークを、研究者とステークホルダー間の「生産的な相互作用」を評価視点として捉えることを特徴としています。
この概念は学術界に留まらず、産業界や行政、NPO、市民など多様なアクター間との「知識交換」ネットワークの拡大をポジティブに評価する試みです。ここでは、研究評価の対象が研究そのものだけでなく、研究活動がネットワークを生み出す相互作用のプロセスへとシフトしています。また、研究活動自体が人・モノ・情報をつなぐ「知的媒介物」*になることで、学術的成果が社会的インパクトに接続されるという考えにも基づいています。
日本学術会議の論文では、「生産的相互作用」を指標として取り入れる意義について以下のように示されています。
“「生産的相互作用」の観点から見るならば、東日本大震災後の民俗学や歴史学などの分野の活動は、より積極的な評価がされるべき事例と考えられる。民俗学や歴史学、文化人類学の分野の研究者らは、東日本大震災において被災した歴史資料の同収・修復・保存、あるいは無形文化財に関わる調査記録の共布や保護活動、またこれらの復旧プロセスの記録などに貢献した経緯がある。これらの学術活動は、地域の住民や行政と関わりあいながら行われるものであり、また資料や文化財を通じて人のつながりを支援するものでもある。しかしながら、論文や著作として刊行されるものはそれらの活動のごく一部分を反映したものにすぎず、これらの重要な活動の評価が単純な論文や著作の数といった視点だけで十全に行われるとは考えられない。このため、「生産的相互作用」の視点での評価が有効となる”
さらに、現在日本で行われている評価・指標化にまつわる最新の資料の一つが、2022年に公開された国立研究開発法人科学技術振興機構 社会技術研究開発センター「地球規模課題に関するトランスディシプリナリー(TD)研究推進のための動向調査」です。
この報告書は、コロナ禍や環境問題の深刻化などの社会変化に伴う「地球規模課題」の解決のために行われた、「人文・社会科学系の研究成果の評価に関する調査」に基づいています。日本学術会議の提言などを参考資料に、研究評価のプロセスを図表にして整理。日本学術会議の2021年提言の「生産的相互作用」 への着目を踏襲しています。
また同報告書の「生産的相互作用」解説の注釈によれば、この理論は人類学の「アクターネットワーク理論」の影響を受けており、その上でネットワーク形成を加速させる「バウンダリーオブジェクト」(※)を見つけることが重要だといいます。
(※)TD研究報告書の「知的媒介物」への注釈(p38)では、足立明「開発の人類学―アクター・ネットワーク論の可能性」(2001)を引用しながら次のように語っている。“有効な戦略の一つは「バウンダリー・オブジェクト」を探し出すことである。例えば、民間の草花研究者は植物採取に興味があり、建設会社の社長は仕事がほしい。市長は何か文化事業をしたい。植物学者はよい研究室をほしいとする。そのとき、これらの異なったアクターが異なった興味を持っているにもかかわらず、それらを一つに結びつけるのが、例えば植物館の建設である。これがその場合のバウンダリー・オブジェクトである”。また、株式会社コンセント代表取締役の長谷川敦士氏が執筆した論文「バウンダリーオブジェクトとしてのサービスデザイン」(2021)では、サービスデザインのプロセス自体がバウンダリーオブジェクトとなり得る可能性が示唆されている。
重ねられる、指標化をめぐる試行錯誤
ここまで過去数十年にわたる人文・社会科学系の評価や指標化の動きを概観してきましたが、イギリスのREFや欧州委員会などの他にも、世界各国が様々なアプローチを展開しており、まだまだ議論は途上であると言えます。
どのようなアプローチを採用すべきかの議論は、特に日本ではまだ始まったばかりであり、現段階での正解はわかりません。「明確に数値化しづらいものの社会的価値を評価・指標化する」試みはアカデミアの外部にもたくさん存在し、さまざまなアイデアが試行錯誤されています。
例えば、いまビジネスの世界では「環境・社会課題へのインパクト創出とファイナンシャルリターン達成を同時に実現するもの」と定義される「インパクト投資」が注目を集めています。同様に、社会と環境の視点から、持続可能な範囲で利益創出や成長を目指す企業を指す「ゼブラ企業」や、厳格な評価のもとで環境や社会に配慮した公益性の高い企業に与えられる「B-Corp」など、ソーシャルグッドを評価する指標はアカデミア外部にも存在します。
あるいは、より思想的・アート的なアプローチや、「寄付」なども人文・社会科学が安定した研究体制をつくる一つの手段かもしれません。いままさに人文・社会科学系研究の指標化は大きく動き出し、これからの研究を持続可能なものにする、あるべき姿を定めていく段階にあると言えるでしょう。
Text by Tetsuhiro Ishida, Edit by Masaki Koike, Special Thanks to NPO法人ミラツク
■参考文献
・京都大学学術研究支援室(2018)『人文・社会科学系研究の未来像を描く --研究の発展につながる評価とは』,京都大学 学術研究支援室
・出口康夫「特集の要旨」
・山極壽一「人文・社会科学研究の行方」
・人文・社会科学研究評価の課題と展望ー日本学術会議の成果をふまえて|三成美保
・大学評価の現場における人文・社会科学の研究評価の現状|林隆之
・誰のための、何のための研究評価かー文系研究の日本的特徴|苅谷剛彦
・私立大学にとっての研究評価|田中愛治人文・社会科学の発展のためにー研究評価は可能か?|藤原辰史
・研究の量的評価は人文学に対して可能なのかー人間文化研究機構の試み|後藤真
・評価について考えるーどんな評価が未来志向となるか|狩野光伸、青尾謙
・人文・社会科学系の研究力可視化に向けた取り組みー研究推進・研究支援の観点から|稲・石奈津子、神谷俊郎
・DORAから「責任ある研究評価」へ:研究評価指標の新たな展開|林隆之、佐々木結|2021
・研究評価に関するサンフランシスコ宣言(DORA)|2013
・提言「学術の振興に寄与する研究評価を目指してー望ましい研究評価に向けた課題と展望ー」|日本学術会議|2021
・研究成果指標における多様性と標準化の両立 - 人文・社会科学に焦点をおいて -|林隆之ほか|2021
・地球規模課題に関するトランスディシプリナリー(TD)研究推進のための動向調査|国立研究開発法人科学技術振興機構 社会技術研究開発センター|2022
・人文・社会科学を巡る研究評価の現在と課題|標葉隆馬|2017
・「インパクト」を評価するー科学技術政策・研究評価ー|標葉隆馬|2017
・責任ある科学技術ガバナンス概論|標葉隆馬|2020
・研究評価の拡大と評価指標の多様化|林 隆之|2017
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jkg/67/4/67_158/_pdf/-char/ja
・「インパクト投資」- その意義と推進 -|一般財団法人 社会変革推進財団(SIIF) 安間匡明|2021
https://www.fsa.go.jp/singi/sustainable_finance/siryou/20210325/02.pdf
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