「DeSci(分散型サイエンス)」とは何か?研究資金調達のオルタナティブとなりうるムーブメント|濱田太陽
人文/社会科学の研究にとって、重要な課題の一つが「資金調達」。短期的な実益に結びつきづらい領域の研究資金を確保するための最適解は、未だ見つかっていないのが現実でしょう。そんな現状を打開するヒントを探るべく、研究資金調達のオルタナティブを探究する連載シリーズ「研究資金調達のオルタナティブをめぐって」。
ここで一つの道標となる可能性があるのが、新たな研究資金の調達手段として昨今注目が集まっている「DeSci(Decentralized Science:分散型サイエンス)」です。現代の科学技術が抱える課題を、ブロックチェーン技術を活用して解決することを目指すDeSciには、米国の著名ベンチャーキャピタル・Andreessen Horowitz(a16z)も注目するなど、国内外で期待が集まっています。
連載の第1回はそんなDeSciの現在地と未来を、神経科学研究者・濱田太陽さんが読み解きます。そもそもDeSciとは何なのか、そのムーブメントの全容や背景を解説いただきました。
そもそもDeSciって何?
DeSciとは、Decentralized Scienceつまり分散型サイエンスという言葉の略称で、「オープンサイエンス」が抱える問題をブロックチェーン技術で解決するサイエンスのことを指しています。
オープンサイエンスは、サイエンスに科学者だけでなく多くの市民が参加できるようにしたり、サイエンスのプロセスや結果を透明化して誰しも内容にアクセスできるようにしたりする、サイエンスの民主化運動のことを指しています。
そもそもWeb技術は、1990年前後に欧州原子核研究機構(CERN) に勤めていたティム・バーナーズ=リーによって、CERNで勤める数千人の科学者や参加者たちへの情報伝達ツールとして開発された背景があります。オープンサイエンスは1980年代後半以降、そうしたインターネット技術の発達により、科学者たちが世界中どこでも情報のやりとりができるようになったことを背景に急速に発達しました。
インターネットの登場以降、オープンサイエンスの基盤は確実に進歩しましたが、なかなか進まない部分も明らかになってきました。また、サイエンスにおける競争の激化からサイエンスを行うための新たな資金調達の方法も求められています。ブロックチェーン技術による分散的な意思決定やインセンティブの再設計によって、これらの課題を解決すると期待されているのがDeSciです。
2022年の初めから複数の海外メディアでこのDeSciという言葉が見られるようになっています。例えば、著名ベンチャーキャピタルとして知られるAndreessen Horowitzは、科学者たちがブロックチェーン技術によって現代サイエンスの課題を改善しようとするムーブメントとしてDeSciを取り上げました。
2021年からDeSciのムーブメントはすでに始まっており、DeSci系の分散型自律組織 (DAO)と呼ばれる、中央集権的なリーダーシップが介在しないメンバー保有型の組織運営を目指したコミュニティがいくつも立ち上がっています。特に、新たな資金調達の手段としては、バイオテックを中心に少しずつ取り組みが始まっています。
この記事では、DeSciというムーブメント、背景にあるオープンサイエンス運動やサイエンスが抱える問題、さらにDeSciにおけるいくつかの事例についてご紹介し、研究資金の調達手段のオルタナティブとしてのDeSciの可能性に迫っていきます。
2021年より勃興したムーブメント
2017年は暗号通貨界隈において大きな変革が起きました。
その一つが、非代替性トークン(NFT)の規格が、イーサリアム(Ethreum, ETH)から提供され始めたことです。それにより、いくつものNFTアートとこれらを売買する「OpenSea」のようなマーケットプレイスが誕生しました。
NFTは単なるアートとしての活用方法だけはなく、特許やデータをNFTと紐付け取引可能にする「IP-NFT」や「データNFT」などの活用方法も提案されました。
例えば、DeSciの代表的なプレイヤーであるMoleculeが提案しているIP-NFTは、特許(IP)をNFTと紐づけることで取引可能にするだけでなく、複数人でNFTを保有することも可能にします。2021年からIP-NFTは、ファンディングの提供の代わりにIPを取引するために利用開始されています。
2020年以降、再び暗号通貨市場が活況になり、NFTブームが出てきました。その中で教育や研究費を賄う新たな資金調達のため大学や研究室が公開したNFTが、寄付や活動支援を目的に、高値で取引されることも起こりました。
例えば、UCバークレー校が行ったノーベル賞を受賞したがん免疫療法研究に関するNFTがオークションにかけられ、22ETH(購入当時約600万円)で売却されました。他にも遺伝子情報を取引するための手段としても利用され始めていたり、ネットワーク科学で著名なアルバータ・バラバシ教授(ノースイースタン大学)も自身の研究の一部をNFTとして公開し話題になったりしています。
2021年にはいくつものDAOが誕生し、長寿研究にファンディングする「VitaDAO」や遺伝子情報のデータバンクを提供する「GenomesDAO」などトークンを発行するDAOも出てきています。特に、VitaDAOは研究者に新たな研究費獲得の手段を提供するだけでなく、DAOの意思決定に参加する新たな機会を与えています。こうしたDeSciのエコシステムは、現在も拡大しています (図1: 分散型サイエンスのエコシステム)。
(図1: 分散型サイエンスのエコシステム 出典:UltraRare Bio)
さらに、サイエンス支援を行うDAOのみならず、大手暗号通貨取引所であるFTXのCEOであるサム・バンクマン-フリードらが設立した人類の長期的な発展を支える慈善財団である「FTX Future Fund」が、総額1000億円規模でサイエンスや新たな研究機関への支援や投資を行っています。
研究資金調達の困難、オープンサイエンスの限界──DeSciが望まれる背景
DeSciが期待されている背景にはいくつかの大きな問題があります。それは研究業界の資金問題と、オープンサイエンスが進まない問題です。
世界各国で、サイエンスに対する投資は年々上昇している一方で、世界のサイエンスをリードするアメリカでは研究者が得られる資金の獲得率は減少しているという指摘もあります。その背景として、研究にかかるコストや論文の出版コストの上昇があります。通常、研究機関や研究者が出版料を出版社に支払うことで、学術論文は出版されます。有名な雑誌で出版するためには多額の出版費用を負担しなければならず、研究費を確保しにくい大学や国の研究者は研究を続けるには不利な状況になります。
この問題に対して、すでにアメリカでは、フィランソロピー(個人や企業による社会貢献活動や、寄付行為)や、民間の立場から新たな資金調達の方法が模索されてきました。私設慈善財団によるサイエンス支援も2010年代では年々上昇し、アメリカ国立衛生研究所(NIH)が提供する資金の総額を私設財団による支援の総額が超えたという指摘もされています。また老化研究に30億ドルの資金調達を行なったAtlos Labsといった営利目的のバイオテクノロジー会社と協力する科学者(ノーベル生理学・医学賞受賞の山中伸弥教授(京都大学)も参加)も出てくるなど、サイエンスの新たな資金調達や運営の形が模索されています。
また冒頭でも述べたように、インターネットの登場以降、多くの人がサイエンスに参加できるオープンサイエンスの基盤が劇的に整えられてきましたが、問題も出てきています。
多くの研究は税金から支援を受けているため、積極的に情報を公開しています。しかし、いまだに有料閲覧の壁に阻まれ、研究機関に属する一部の研究者しか読むことができない学術論文も数多くあります。このように、オープンサイエンスが進んできたとはいえ、いまだにサイエンスに参加できる市民や、アクセスできる情報も限られています。
このように現在のサイエンスでは、競争の激化による資金調達の問題や、オープンサイエンスの問題があるわけです。
これに対してDeSciでは、既存の研究機関とは異なる研究のエコシステムであったり、分散型意思決定ツールを活用して、より多くの人々がサイエンスに参加する機会を作ることで、資金を調達しオープンサイエンスを実現しようとしています。また、ブロックチェーン技術に基づいたトークン分配による査読への報酬付与やスマートコントラクトによる事務作業の軽減などによって、無償の査読や多額の掲載料の問題の解決を目指しています。
データマーケットプレイス、ファンディング、コミュニティ……動き出しているDeSciのプレイヤーたち
DeSciにはすでにいくつものDAOや会社が生まれており、サイエンスの問題を解決するための動きが活発になっています。すでに注目に値するプロダクトや活動をしているプレイヤーも出現しています。ここでは、そのいくつかを簡単にご紹介します。
1.データマーケットプレイスを提供する「Ocean Protocol」
2018年にローンチされた、自動運転開発のための画像データや医療データなど売買を行うマーケットプレイスを提供する「Ocean Protocol」。Ocean Protocolはブロックチェーン技術の活用を目的に設立されたコンソーシアム「MOBI(Mobility Open Blockchain Initiative)」にも所属しており、同組織の加入しているBMWやダイスラーなどとデータ共有に関して連携を行っています。Ocean Protocolはサイエンスデータ取引においても重要なプレイヤーとなっており、データをNFTと紐付けるデータNFTの活用が提案されています。
2.長寿研究にファンディングを行う「VitaDAO」
「VitaDAO」は、医薬品開発における問題をオープンなコミュニティによるファンディングによって解決するDAOです。VitaDAOは大学や研究機関等の研究室に資金援助をする代わりに、研究プロジェクトのIPの所有権を取引します。このIPはNFTに紐付けられ、このIP-NFTを売却したりライセンスアウトすることで得た利益の一部を所有者が得ることを想定しています。
3.サイエンスを加速させるコミュニティ「ResearchHub」
「ResearchHub」は、研究のディスカッションや論文の紹介やキュレーションによって研究活動を促進するサイエンスコミュニティです。ResearchHubが提供するプラットフォームで、研究者は学術論文をアップロードしたり、研究の内容をまとめたり、議論したりします。これによってそれぞれResearchCoinと呼ばれるトークンが得られ、研究活動が促進されることを狙っています。
4.生命科学研究のツールマーケット「LabDAO」
「LabDAO」は、生命科学研究に関するツールをオープンに共有するDAOです。LabDAOは、研究機能を取引するプラットフォームを提供し、ピアツーピアで取引を行うことを可能にします。例えば、企業側がある研究データを欲しい場合に、LabDAOが提供するプラットフォームで研究者が研究データを提供することを引き受けます。正しくデータが提供されれば、報酬が支払われる仕組みです。現在開発中ですが、今後DAOを介した研究の取引も活性化するかもしれません。
5.分散型IDを提供する「Opscientia」
Opscientiaは研究コミュニティの一つですが、DeSciのエコシステムの中で新たなツールも開発しています。研究者がファンディングを受けたり論文を投稿したりするためには一貫したIDが必要になります。DeSciのエコシステムでの利用を想定した分散型IDである「Holonym」の開発も行っています。Holonymは、研究者の業績やライセンスのような修了証明などと紐づけることで、DeSciでの活動をIDに記録することを想定しています。これにより、研究機関など学術団体による承認ではない研究エコシステムを構築します。今後DeSciエコシステムが拡大する中でどのように利用されるのか、筆者は注目しています。
人文・社会科学の研究領域との接点も
以上で取り上げたように、すでにさまざまな取り組みが始まっています。今年6月まででもすでに4つほど大きなイベント(ETHDenver、ETHAmsteldam、DeSci.Berlin、Funding the Commons)が開催されており、今後もイベントが開催されることになっています。
DeSciに関して、毎日のようにTwitter上で活発に議論が行われています。そこには、科学者だけでなく、エンジニア、弁護士、医者、VC、企業研究者などの多種多様な人々が参加しており、新たな市場への大きな期待を感じます。
また、DAOの組織運営やトークンが作る貨幣経済 「トークンエコノミクス」のダイナミクスを分析したり、経済学者であるグレン・ワイルやオードリー・タンらが参加する新たな政治運動を推進しているRadicalxChangeのようなグループがブロックチェーンを活用する社会科学系の研究も盛り上がりつつあります。さらにDAOをめぐる政治的理解を対象とした人文系の研究なども出現しており、これまで取り上げてきた生命科学など自然科学に限らない学術全般からの変化も出てきています。
筆者は、IP-NFTやデータNFTの活用が進むだけでなく、大学や研究機関にいる学術研究者に加えて企業研究者や市民にも関わる市場ができると、よりDeSciが活発になると考えています。
その可能性の一つとして、前掲の生命科学研究のツールマーケット「LabDAO」などが行っているような研究の一部のプロセスを取引することで、企業が行う研究機能を外部に委託するマーケットを想定しています。その理由として、多くの資本を持っているのは企業であり、その企業が参画する余地が大きくなるほど市場は拡大していくためです。
これに合わせて、フリーランスの科学者の業績を計量化するような仕組みの整備も進んでいくことでしょうし、現在の研究のシステムも変わっていくかもしれません。
こういったDeSci系DAOの長期的に開発が進むためには、持続的に運営できる成功モデルの構築と法的整備が進むかどうかが大きな課題になると考えています。さらに日本の場合、トークン発行に関する法的な問題やIP-NFTの取り扱いの問題など不透明な部分も多く、取り扱いについて蓄積が必要になってくるでしょう。
[2022.11.14]仮想通貨取引所 FTXは本記事の公開後の2022年11月、Twitter上で会計問題を抱えていることが噂され、FTXが発行しているトークンの価格が大幅に下落するなどし、会社更生手続きの申請が行われた。「FTX Future Fund」は、2021年に効果的利他主義の実践としてサム・バンクマン-フリードらによって設立された。しかし、一連の出来事によってチームメンバーは総辞職し、アドバイザーになっていた効果的利他主義の提唱者の1人であるウィリアム・デビッド・マカスキルも、Future Fundのアドバイザーを辞任したことをtwitter上で発言している [1-2]。
[1] https://forum.effectivealtruism.org/posts/xafpj3on76uRDoBja/the-ftx-future-fund-team-has-resigned-1
[2] https://twitter.com/willmacaskill/status/159121801470767104
濱田太陽(はまだ・ひろあき)
神経科学者(博士)。シニアリサーチャー(株式会社アラヤ)。沖縄科学技術大学院大学(OIST)科学技術研究科博士課程修了。2022年より、Moonshot R&Dプログラム (目標9)「逆境の中でも前向きに生きられる社会の実現」(山田PMグループ)のPrincipal Investigatorとして前向き状態に関するモデル化に従事している。研究テーマは好奇心の神経計算メカニズムの解明や大規模神経活動の原理解明。教育やサイエンスの新たな可能性を模索している中で、分散型サイエンスに注目している。
【スライド公開】サイエンスの地殻変動とDeSciの可能性
2022年10月22日に開催されたDe-Siloローンチ記念イベント「人文/社会科学領域の研究をエンパワーするには?──社会との接続、資金調達の方法を考える」では、濱田さんが、研究資金の調達手段としてのDeSciの可能性についてプレゼンテーションを行いました。当日の資料を掲載しますので、DeSciについて理解を深めたい方はどうぞご覧ください。
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