“普遍人類学”に向けて──数理シミュレーションで「親族構造」と「家族形態」を解明する|板尾健司
人類学、人口学、歴史学……これまで世界各地の「家族」の形態について、さまざまな分野の研究者が社会構造や環境要因などの観点から議論してきました。
例えば、これまで文化人類学では、伝統的な生活を送る小規模集団において「親族構造」という体系が存在することが明らかにされています。また、歴史人口学においては、いかなる「家族形態」が主流にあるかによって、その社会の構造的な特徴が異なるという議論がされてきました。
こうした「家族」の形態にまつわる法則性に対して、数理モデルによって統一的な説明を与える研究をしているのが、東京大学 大学院総合文化研究科 広域科学専攻 博士課程に在籍する板尾健司さんです。
板尾さんが2021年3月に発表した論文「多階層進化モデルによる社会構造の生成」は東京大学総長賞を受賞。2021年10月にはコペンハーゲン大学 ニールスボーア研究所 教授/東京大学名誉教授の金子邦彦さんとの共著論文“Evolution of family systems and resultant socio-economic structures”を発表し、その研究成果を『家族形態の起源と社会構造の多様性~進化シミュレーションが解き明かす環境要因、家族形態、社会構造の関係~』と題して東京大学から発表。
また、2020年1月には“Evolution of kinship structures driven by marriage tie and competition”(『レヴィ=ストロースの70年来の謎を進化シミュレーションで解明- 文化人類学の基礎「親族の構造」を数理モデルで生成 -』)を発表しています。
「いま私たちはどんな時代を生きているのか?」──デサイロではこの観点から人文・社会科学分野の研究や研究者の方々を紹介してきました。このたび研究テーマに注目し、その内容を紹介していくシリーズ「Research Curation」を新たに立ち上げます。第1回では、進化シミュレーションを用いて親族構造や家族形態の進化などを説明する、「普遍人類学」とも呼べる新たな人類学の領域を開拓する板尾さんの研究について、ご自身へのメールインタビューを含めて掲載します。
板尾 健司(いたお・けんじ)
東京大学 総合文化研究科 広域科学専攻 相関基礎科学系 博士課程。専門は複雑系科学と統計物理学に基づく文化進化論。論文に"Evolution of kinship structures driven by marriage tie and competition" Proceedings of the National Academy of Sciences, 2020.や"Transition of social organisations driven by gift relationships" Humanities and Social Sciences Communications, 2023.など。
Q:まずは板尾さんの研究内容について、概要をご説明いただけますか?
これまで、世界各地の「家族」の形態について、さまざまな分野の研究者が社会構造や環境要因などの観点から議論してきました。
とりわけ文化人類学では、伝統的な生活をする小規模社会において、人々がいくつかの文化的な集団のうちのひとつに属していて、所属する集団に応じて結婚や親子関係に関する規則が存在することが知られています。例えば、「太陽」の集団に属する人は「月」の集団から配偶者を選ばなければならない、というようなものです。
こうした社会においては、家族的なつながりの延長として「親族構造」と呼ばれる社会構造が組織されており、世界中に遍在するさまざまな構造の間に一定の特徴があることが発見されています。
一方、歴史人口学では、人口規模がさらに大きい社会では、親族構造ではなくさまざまな「家族形態」に応じて、社会の構造的特徴が異なることが明らかになっています。例えば、三世代で同居をするのか、子供が成人したら独立するのか。あるいは、長男が遺産を独占的に相続するのか、子供たちが平等に分配するのか等です。また、家族形態に応じて、近代化時に社会で支持されるイデオロギー(自由主義、共産主義など)が決まると考える研究者もいます。
こうした状況に対して、なぜ社会が属する環境と、家族のあり方、そして社会構造やイデオロギーが関係するのかを考えるためには、単にさまざまな地域の観察事実を比較するだけでは不十分ではないかと疑問を持ちました。そこで、数理モデルのコンピュータシミュレーションを通じて、「実際に社会らしいものを作ってみたらいつでもそのような関係が生まれてしまう」ことを示し、社会が組織されるメカニズムや、環境要因と人々の振る舞いと社会構造の間の関係の由来などを統一的に説明するための研究に取り組んでいます。(板尾さん)
Q:研究内容を一般の方々に向けて紹介するとき、どのように説明していますか?
僕の研究は、社会科学の観察事実に基づいて、人々の行動を数理モデルで表現し、観察されたさまざまな社会構造が生まれるメカニズムやそれぞれの構造が生まれるための条件を調べるものです。
研究にはコンピュータシミュレーションを用いていますが、そこで得られたロジックの概要は実は言葉でも説明できます。例えば、家族形態の進化に関する研究では、農村社会に土地が余っている場合には「子供が親元を早期に離れて土地を開拓する核家族形態が進化する」「その結果、各自が収入を得られるので貧困層が発達しづらく、保護的な政策よりも自由主義的なイデオロギーと相性が良くなる」ということなどを議論しています。
土地が希少な場合の結果などと比較することで、一つの数理モデルが環境要因の違いに応じて多様な社会構造をうむ過程を実演でき、さまざまな社会構造をうむ普遍的なメカニズムと多様性をもたらす要因が明らかになります。(板尾さん)
Q:現在のテーマに興味を持ち、研究をはじめた理由や経緯を教えてください。
高校生の時にリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読み、行動生態学という分野によって動物の行動(例えば、鳥や魚が一度に生む卵の数)が数理的に説明できること、そして単にそれを適用するだけでは人間の行動は説明できないことを知りました。
それ以降、物理学や生物学などの分野で用いられる数理モデルを学び、それらを応用して人間の行動を説明するためのより良い数理的な枠組みが得られないかと考え続けています。
現在のテーマは統計物理学や複雑系科学、そして進化論という分野から影響を受けつつ、個人レベルの人間の行動と社会レベルの構造の関係を説明するための一つの方法の提案です。(板尾さん)
Q:研究を進める過程で、このテーマにどのような面白さや魅力を感じていますか?
人間の行動や人間社会の構造(以降、あわせて「振る舞い」と呼ぶことにします)は他の動物とは著しい違いを示していて、ヒトという一つの種内での振る舞いの多様性にも目を見張るものがあります。
そうした振る舞いに関する社会科学の膨大な知見は、ただ読むだけでも面白いものです。しかし、異なる地域で観察された人々の多様な振る舞いが、実はシンプルな数理モデルで環境要因を変えたときの多様な帰結として普遍的に説明できるとなると、人間性に関する想像力が掻き立てられ、その魅力は計り知れません。(板尾さん)
Q:影響を受けた本や先行研究などがあれば教えてください。
まず、僕の研究は社会科学諸分野の知見がなければ始まりません。その中でも、最大の影響を受けているのが、文化人類学者のレヴィ=ストロースとその著書『親族の基本構造』です。
また、そうした議論を数理的に表現し、ミクロレベルの個人の振る舞いとマクロレベルの社会の構造との関係を考察することを可能にしたのは、統計物理学と複雑系科学という学問分野の知見です。元指導教員の金子邦彦東大名誉教授の『普遍生物学』は、僕が人類学でやりたいことを生物学で実現しています。(板尾さん)
Q:ご自身の研究は、今後の社会や経済、文化などにどのようなインパクトを与えうると考えていますか?
僕の研究は、数理モデルのコンピュータシミュレーションを通じて、一つのモデル(メカニズム)のもとで環境条件を変えたときに多様な社会構造が進化することを実際に示し、地域ごとの文化的多様性を普遍的な人間性の多様な表れとして理解することを目指すものです。
文化の違いを表層的に捉えてしまえば一見理解不可能に見えるものでも、実は深いところでは繋がっていると考えることは異分野理解の重要な出発点であると思います。
もちろん、僕の研究は文化のごく一部を説明するものでしかなく、特定の文化を理解しようとする際にはほとんど役に立たないかもしれません。それでも、異文化を考える一つの方法を示すことで、新しい世界の見方を提案できるのではないかと考えています。(板尾さん)
(編集部補足)板尾さんの研究詳細
板尾さんは、東京大学での研究成果発表『家族形態の起源と社会構造の多様性~進化シミュレーションが解き明かす環境要因、家族形態、社会構造の関係~』の実施に伴って、研究者向けの講演を行っています。以下はその発表動画です。
板尾さんの発表によれば、前近代の農村の家族のあり方をモデル化すると、環境要因(今回は土地資源/生存に必要な富の多寡)の違いに応じて異なる家族形態が生起すること、そして家族形態に応じて社会構造が定まることが理論的に説明できます。また、世界186の社会に関する民族誌データベースを用いた統計解析によると、理論的に提案された環境要因と家族形態と社会構造の関係が現実と整合的であることが示されます。これは“普遍人類学”とも呼べる構想、すなわちモデルによる理論研究によって、さまざまな人間社会に通底する普遍的な構造を解明する方法論の可能性を示すものである、と板尾さんは語っています。
以下、『家族形態の起源と社会構造の多様性~進化シミュレーションが解き明かす環境要因、家族形態、社会構造の関係~』より全文を引用します。(強調:編集部)
人類学者たちはこれまで、世界各地の家族が配偶・親子・兄弟姉妹の関係などに関して多様な性質を持つことを示し、種々の家族形態を特徴付けてきた。特に前近代の農村社会の家族は、親子関係と兄弟姉妹関係について多様であることが知られている。親子の同居関係には、子供が結婚後すぐに親元を離れる核家族の場合と、子供が結婚後も親元に残る拡大家族の場合がある。また、兄弟姉妹の遺産分配の関係には、嫡子が独占的に相続する場合と、平等に分配される場合がある。この両者の関係に注目して、四つの基本的な家族形態が示されている。すなわち、遺産分配が不平等な核家族である絶対核家族、平等な核家族である平等核家族、不平等な拡大家族である直系家族、平等な拡大家族である共同体家族である。
これらの四類型の地理的な分布も調べられており、絶対核家族はイギリスやオランダで、平等核家族はフランスやスペインで、直系家族は日本やドイツで、共同体家族は中国やロシアで観察されている。さらに、歴史人口学者などは家族形態に注目して歴史の進展を説明してきた。特に、エマニュエル・トッドは家族形態と社会イデオロギーの関係を明らかにした。そこでは、絶対核家族、平等核家族、直系家族、共同体家族のそれぞれが多い地域において、自由主義、自由平等主義、社会民主主義、共産主義のイデオロギーが栄えやすいことが論じられている。しかしながら、家族形態を規定する社会・生態的環境要因の分析は網羅的ではなく、家族形態と社会構造の相関についても説明は不十分であった。ここで、環境要因と家族レベル、社会レベルの性質の関係を統一的に説明する枠組みが求められている。
板尾と金子は人類学の報告に基づき、前近代農村社会では、家族単位で労働をすること、労働量を追加投入するほど労働量の増加に対する生産量の増加率が小さくなること(収穫逓減)、所有する富が多いほど子供の数が増えることなどに注目し、家族とその集合としての社会をモデル化した。それぞれの家族に、兄弟姉妹が親元で共同して生産する確率(すなわち拡大家族になる確率)と兄弟姉妹の間の遺産分配の不平等性を定める戦略パラメータを与え、これらのパラメータが世代交代の際にわずかな変異を伴って伝えられるとした。このモデルの進化シミュレーションを行うことで、社会内の利用可能な土地資源と、家族が生存に必要とする富という二つの環境要因に依存して、家族の戦略パラメータがいかに進化するか、またそれに伴って社会内の家族の所得分布がどのように変化するかを調べた。
シミュレーションの結果、土地資源が多い時に核家族が、少ない時に拡大家族が進化すること、生存に必要な富が多い時に平等な遺産分配が、少ない時に独占的な相続が進化することが明らかになった。利用可能な土地資源の多寡が農耕開始以来の期間により定まり、生存に必要な富の量が社会内の争いの頻度により定まり、争いの頻度が文明の極の近くで増大すると考えれば、ユーラシア大陸の周縁地域で核家族が見られ、オリエントや中国の文明の極の付近で平等な遺産分配が見られることが説明されるだろう。また、拡大家族が多い社会で貧困層が厚くなり、遺産分配が不平等な社会で富裕層が厚くなることも示された。貧困層が薄い地域で自由主義的な政策が、富裕層がさほど発達していない地域で平等主義的な政策が支持されやすいと考えれば、この結果は経済構造を介して、家族形態と社会イデオロギーの関係を説明する枠組みになることが期待される。(ただし、家族形態に応じてとるべき政策が自動的に定まると主張するわけではない。)さらに、これらの環境要因、家族形態、所得分布の関係について、世界186の社会に関する民族誌データベースを用いた統計解析により実証した。
本研究により、環境要因の違いに応じて異なる家族形態が生起すること、そして家族形態に応じて社会構造が定まることが理論的に説明された。従来の研究で、地域ごとに多様な家族形態があること、家族形態の違いが環境要因や社会構造の違いと相関することは知られていた。これに対し、本研究は環境レベル、家族レベル、社会レベルの諸要因の関係を統一的に説明し、異なる地域の現象を一般的に比較するための普遍的な枠組みを提示する。これは、モデルによる理論研究により、多様な人間社会に通底する普遍的な構造を解明する新たな方法論と普遍人類学の構想を与えるものである。民族誌や歴史記述による多様な社会の記述と、それらを比較しつつその背後にある普遍性を探求する理論研究の共同により、人間社会の一般的な理解が可能になると考えられる。
今後、板尾と金子は普遍人類学の課題として、人類史上の様々な社会現象について理論モデルを用いて、個人レベルの振る舞いと社会レベルの現象を結ぶ論理を解明していくことを企図している。そこでは社会の宗教的・政治的・経済的構造などの起源が論じられるであろう。
今後もデサイロでは、「いま私たちはどんな時代を生きているのか?」を読み解く補助線になる人文・社会科学分野の研究をご紹介していきます。本連載シリーズにぜひご注目ください。
(編集部補足)参考リンク:
・『家族形態の起源と社会構造の多様性~進化シミュレーションが解き明かす環境要因、家族形態、社会構造の関係~』
・『レヴィ=ストロースの70年来の謎を進化シミュレーションで解明- 文化人類学の基礎「親族の構造」を数理モデルで生成 -』
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