「DeSci(分散型サイエンス)」はアカデミアの資金不足を救うか?──研究資金調達のための“次の一手”|高橋祥子×濱田太陽
人文・社会科学の振興にあたって、重要な論点の一つが「資金調達」です。短期的には実益が見えづらい領域において、研究資金を持続的に確保するためには、どうすればいいのでしょうか?
そんな中で、新たな研究資金の調達手段として模索されているのが、「DeSci(Decentralized Science:分散型サイエンス)」です。現代の科学技術が抱える課題を、ブロックチェーン技術を活用して解決することを目指すDeSciに、国内外で期待が集まっています。
人文・社会科学領域の研究者を支援する、アカデミックインキュベーター・プログラム「デサイロ(De-Silo)」。そのローンチに際して開催されたイベントでは、「『DeSci(分散型サイエンス)』がひらく世界──窮乏する研究資金、調達のための次の一手」と題したトークセッションが行われました。
DeSciの可能性について研究・実践を重ねる神経科学者の濱田太陽さんと、研究室発ベンチャーの経営者として研究の社会実装を試行錯誤するジーンクエスト代表の高橋祥子さんが登壇。科学研究における資金調達の潮流の変化、DeSciが可能にする資金調達とデータの確保について議論しながら、人文/社会科学領域の研究資金調達の“次の一手”を探りました。
寄付・慈善活動に支えられたDeSci
セッションの冒頭では、濱田太陽さんが国内外でのDeSciの現在地について語りました。
インターネットの登場以降、科学者だけでなく多くの市民がサイエンスに参加できるようにしたり、サイエンスのプロセスや結果を透明化して誰しも内容にアクセスできるようにしたりする「オープンサイエンス」の基盤が進歩しました。一方でその限界も明らかになりつつあり、またサイエンスにおける競争の激化から新たな資金調達の方法も求められています。
これらの課題を、ブロックチェーン技術による分散的な意思決定やインセンティブの再設計によって解決すると期待されているのがDeSciです。
DeSciが注目を集める背景には、アメリカをはじめとする科学研究の資金調達における、民間財団による資金提供などのいくつかの潮流があると濱田さんは指摘します。
濱田「米国では国家機関であるNational Institutes of Health(NIH)が各研究機関に対して科研費(競争的研究資金)を配分する機能を担っていますが、2019年には、私設財団による科学研究への支援総額がNIHを上回りました。さらにCOVID‑19の世界的流行も後押しになり、例えば2020年4月には『Fast Grants』という民間の慈善団体が設立され、パンデミックへの対策に役立つ可能性のある研究プロジェクトに迅速に資金提供できる仕組みが確立されています」
新たな研究資金の調達手段として、企業経営の仕組みを活用しようとする動きも起きていると濱田さんは続けます。例えば、長寿研究・老化を抑える薬を研究開発する「Altos Labs」は、研究開発を目的に多額の資金調達に成功した民間企業の一つ。ノーベル生理学・医学賞を受賞した医師/医学者・山中伸弥氏も上級科学アドバイザーに就任している同企業は、Amazon創業者のジェフ・ベゾスなどから既に約4,500億円ほどを調達しているそうです。
濱田「寄付による研究支援の動きの背景には、アメリカの富裕層に根付く『社会にどのように富を還元するか』という意識があると考えています。営利企業による大規模研究開発とともに、個人の篤志家(フィランソロピスト)や民間財団による慈善活動を中心とした資金調達の潮流の中で、現在もう少し小規模な、草の根の活動として立ち上がり始めているのがDeSciなのです」
マーケットモデルを構築し、研究資金の調達プロセスを変革する
草の根の活動と民間財団からの支援など複数のステークホルダーから立ち上がったDeSciは、マーケットモデルの構築により、これまでのオープンサイエンスが抱えてきた資金調達の問題を解決すると期待されています。
濱田「個人・研究機関・企業といったプレイヤーは、ブロックチェーン技術を用いて構築されたマーケットの中で、知的財産(IP)や特許などを取引できます。例えば、薬に関する基礎研究に取り組む機関が、特許の一部をNFT化して製薬会社へ販売することで、その利益を研究者に報酬として還元するケースなどが想定されます。
また、科学者が自身の研究成果の一部をNFTアート化し、一般の個人に向けて販売する試みもあります。例えば、ネットワーク科学の研究者であるアルバート=ラズロ・バラバシは、研究で利用したネットワーク分析の結果をアート作品にして、0.25ETHで販売して話題を集めました。このケースの場合、一般市民からクラウドファンディングのように応援の資金を集めつつ、単純に『購入して楽しむ』ものとして、科学者と市民との間に関係性を構築することが目的になっています」
さらにはDeSciを用いて、ブロックチェーン上で研究用のデータを取引する用途も模索されています。個人がゲノムデータを企業に提供したり、自動車関連の法人が自動運転に活用できるデータを他の企業に渡したりするユースケースが想定されているとのこと。
濱田「今後は『誰にどんなデータを共有するのか』を決定し、データを渡したり取引したりできる仕組みが普及していくでしょう。それにより、マーケットプレイス上での売買を通じて研究者に資金を還元したり、データ流通の整備によって研究を加速させたりできるようになるはずです」
DAOが生み出す、新たな研究開発のエコシステム
さらにDeSciでは、ステークホルダーとの関係性を構築するために、「DAO」(分散型自律組織)が重要な役割を果たすと濱田さん。
DeSciのDAOにおいては通常、研究者・企業・一般の支援者など研究のステークホルダーが参加し、同じトークンを保有。そこに資金が投入されると、どんなプロジェクトに研究資金を与えるかが議論され、その決定に応じて研究が実施されます。
研究成果であるIPや特許もDAOが保有しますが、例えばそれがNFT化されて製薬会社へと共有されれば、新薬の開発など事業化の段階へと進むといいます。そして販売・貸付された利益は、投資家やメンバー、研究者などに貢献度に応じて分配されます。
既にこうしたモデルで研究が進むDAOの事例を、濱田さんは二つ紹介してくれました。まずは「Vita DAO」。アメリカを中心に活動し、老化克服や寿命延長を目的として医薬品開発を行うVita DAOは、すでに10以上のプロジェクトに資金提供が開始され、投資総額も200万ドルを超えています。また、メンバーが議論するDiscordには5,000人以上が参加するなどコミュニティとしても活発です。まだ始まったばかりですが、ファイザーとも提携し、その取り組みが公開されはじめています。
もう一つが「Vibe Bio」です。希少疾患を持つ人々のコミュニティとしてDAOを利用しており、DAO内の議論で決まった研究プロジェクトを実際に支援しています。2022年6月に1,200万ドルほどの資金調達を完了しており、患者の人数が少ないがゆえに研究開発の優先順位が下げられやすい希少疾患の薬において、研究開発が加速することが期待されます。また、Vibe Bioは希少疾患を持つ患者を支援をするNPO団体と連携して資金提供を受けており、既存の財団などのステークホルダーと共に希少疾患の支援をしていく画期的なモデルを構築していると濱田さんは言います。
濱田「研究成果のインパクトを集団で目利きすることが難しいこと、優秀な科学者がまだまだ参加していないこと、ブロックチェーンのシステム自体が悪意に晒される可能性があること……DAOにはまだまだ課題があります。しかしながら、科学研究全体で資金調達のあり方が変化している今、DAOがもたらす変化は無視できないでしょう」
市民によるデータ提供が、研究を加速させる
続いて登壇したのは、ジーンクエスト代表の高橋祥子さんです。
高橋さんは、個人のゲノムデータや属性情報、生活習慣の情報をデータベース化し、それを活用した研究も実施しています。サービスが拡大すれば、ゲノムデータが増加してさらに研究が進展する。研究成果をサービスに反映させることで、さらに多種多様な個人の遺伝子解析が可能になる……そんな仕組みを構築しているとのこと。
そんな中で、新型コロナワクチンの副反応と遺伝子の関係を調べる研究を実施した際に、オープンサイエンスや研究の市民参加に可能性を感じたと語ります。
高橋「既に遺伝子をサービスで解析したことがあるユーザーに、『ワクチンを接種した方は、どれぐらい副反応があったか教えてください』と研究協力を呼びかけたところ、数日で大量のデータが集まったんです。大学で一からデータを集めてこの研究を実施すると、成果が出るまで約1年ほどかかるはず。しかし、市民からデータを収集することで、研究開始からインターネット上での論文公開まで約2ヶ月ほどで到達できた。大学外の民間企業などを巻き込むことで一気に研究が進められることがあるのだと、とても可能性を感じた出来事でした」
また、大学内でゲノムデータを用いる研究でも、データを集める工程に多くの時間とお金が費やされていることが多いといいます。それゆえ市民から直接データが得られれば、研究を加速させられるかもしれないと、高橋さんは期待を込めます。
高橋「現状の大学では一からデータ収集しなければならず、これがなかなか研究が進まない一因になっていると考えています。一方、個人はゲノムデータだけでなく、AppleWatchで計測した心拍数や瞑想アプリで計測した脳波の状態など、健康に関する研究にとって有益なデータを保有していることがあります。こうしたデータを個人から集められると、さまざまな領域で研究が加速するでしょう」
カギとなるのは、データ提供に対する「報酬設計」
市民によるデータ提供を進めていく際、議論すべきポイントが「データ提供者に対する報酬をどのように設計するか」。
先ほど高橋さんが紹介したコロナワクチンの副反応に関する研究では、データ提供に協力してくれた市民は完全なボランティアだったとのこと。しかし、インセンティブ設計にはまだまだ工夫の余地があると高橋さんは語ります。
高橋「研究成果が評価された際に、データ提供者にも報酬が与えられる設計が望ましいと思っています。とはいえ、個人情報の問題、データの価値をどう評価するか、自分のデータを提供して報酬を得ることの倫理的な問題……慎重に考えるべきポイントも多い。そうした論点は引き続き議論しながら、各個人が自分のデータを提供する相手を選んだり、公開/非公開にしたりできる仕組みが実現していくべきだと期待しています」
この高橋さんの指摘を受けて、濱田さんは市民がデータを提供できる仕組みの例として、「Genomes DAO」というサービスを挙げます。「DNAデータバンク」を謳うGenomes DAOは、個人のゲノムデータを大量に蓄積し、高い安全性とセキュリティの下で保存しています。また、各個人はゲノムデータの所有権を管理しており、「特定の研究機関には自分のゲノムデータを提供する」など権限設定が可能とのこと。
さらに、安全かつ透明性を保ちながらデータを選択的に公開できる「Ocean Protocol」のような分散型プラットフォームも生まれていると濱田さんは続けます。
濱田「全てのデータが単に全員に公開されるのではなく、自分が使ってほしい人だけを選んで使ってもらえる設計にすることが大切です。現在はこうしたデータの受け渡しは研究機関と製薬会社などBtoBのマーケットで行われることが多いです。しかし、もう少し個人利用のキュレーションやプライバシー保護の仕組みが整備されてくると、さまざまなデータが蓄積されて研究が進展していくのではないでしょうか」
人文・社会科学こそ、DeSciとの相性がいい?
さらにセッションの終盤では、人文・社会科学領域の研究におけるDeSciの活用可能性にも議論が及びます。
高橋「DeSciはむしろ、人文・社会科学領域の研究で力を発揮するかもしれません。とりわけDeSciを研究のためのデータを集める手段として捉えると、数多くの市民を巻き込んで研究を加速させる方法は、人文・社会科学系の研究とも親和性が高いのではないでしょうか。
というのも、ゲノムデータや製品デバイスのデータは、データの提供の許諾などに関するハードルが高いんです。他方、人文・社会科学系の研究には、質問票によるアンケートを中心とする調査だけで幅広いデータを取ることができるものも少なくない。ジーンクエストでも遺伝子解析をしたユーザーに質問票を回答してもらう機会が数多くありますが、アンケートデータだけでも面白い発見がたくさんある。低いハードルで面白いデータが取れるという点で、オープンサイエンスに向いていると言えるのではないでしょうか」
市民が研究に参加することのメリットは、単に集まるデータが増えるという点だけではありません。高橋さんはジーンクエストの事業のみならず、執筆・講演活動やオンラインサロンの運営など、研究と社会の接点作りに力を入れています。科学者として研究の世界をよりオープンにしたり、市民参加の余地を作ったりする取り組みを続けるのはなぜでしょうか。この問いに対して、サイエンスコミュニケーションの重要性を高橋さんは訴えます。
高橋「研究者の世界では、『わからなかったら理解できなかった人が悪い』という前提があるんです。しかし、一般社会ではそうではないですよね。きちんと理解してもらえるように説明することが大事なのだと、研究者から起業家の立場になった時に痛感しました。
というのも、日本で初めて個人向けの大規模な遺伝子解析サービスを開始したときに、『そんなの危ない』『神への冒涜だ』と反対の声が挙がったんです。とても驚きましたが、その声を深掘りすると、『よくわからないから怖い』という反応が生じているのだと気付きました。テクノロジーが社会に受容されるか度合いによって、研究の進展度合いは大きく変わってくる。ですから私は、サイエンスコミュニケーションの活動に力を入れてきたんです」
この話を受けて、単にお金やデータを集めることだけでなく、市民の意思を研究プロセスに反映できることもDeSciの重要なポイントだと濱田さんは締めくくりました。
濱田「見られない、触れない、関われない……そんな状態で、内容がよく理解できない研究が進んでいる状況は、やはり市民の不安を掻き立ててしまいます。研究に市民が参加できる仕組みが生まれ、社会やコミュニティにその研究の価値を体感してもらえるようになるという点でも、DeSciには大きな価値があるのではないでしょうか」
(Text by Tetsuhiro Ishida, Edit by Masaki Koike)
■登壇者プロフィール
高橋祥子(たかはし・しょうこ)
1988年生まれ、大阪府出身。2010年京都大学農学部卒業。2013年6月東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程在籍中に、遺伝子解析の研究を推進し、正しい活用を広めることを目指す株式会社ジーンクエスト(https://genequest.jp/)を起業。2015年3月、博士課程修了。生活習慣病など疾患のリスクや体質の特徴など300項目以上におよぶ遺伝子を調べ、病気や形質に関係する遺伝子をチェックできるベンチャービジネスを展開。著書に「ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるのか?」。
濱田太陽(はまだ・ひろあき)
神経科学者(博士)。シニアリサーチャー(株式会社アラヤ)。沖縄科学技術大学院大学(OIST)科学技術研究科博士課程修了。2022年より、Moonshot R&Dプログラム (目標9)「逆境の中でも前向きに生きられる社会の実現」(山田PMグループ)のPrincipal Investigatorとして前向き状態に関するモデル化に従事している。研究テーマは好奇心の神経計算メカニズムの解明や大規模神経活動の原理解明。教育やサイエンスの新たな可能性を模索している中で、分散型サイエンスに注目している。
■ Twitter:@desilo_jp
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