社会学理論×情報技術で、「ゲーム実況」の熱狂メカニズムを解き明かす。ライブ配信研究の新展開|小田中悠
YouTube、Instagram、TikTok……かつて映像配信や放送の主役はテレビでしたが、さまざまな映像プラットフォームの登場により、「配信者」と「視聴者」の関係は大きく変容しています。
その潮流のなかで、近年発達しているのが「ライブ配信」です。配信者がリアルタイムに映像を流し、同時に視聴者がその映像に対してコメントを寄せる。日本では2000年代に登場した「ニコニコ動画」をはじめとして、配信者と視聴者のコミュニケーションにより、ライブ配信で「熱狂」が生まれるという現象が増えていきました。
「離れていても人々がともに盛り上がれる魅力的なメディア」──ライブ配信をそう表現し、計算社会科学の観点からゲーム実況における「熱狂」の研究を進めているのが、京都先端科学大学人文学部心理学科講師の小田中悠さんです。
一方で、現在のライブ配信には課題もあると小田中さんは語ります。過度な「投げ銭」への依存、配信者への人格攻撃のようなバッシング、ジェンダーやエスニシティに基づく差別……こうした“負の現象”にも向き合いながら、ライブ配信で起こる現象を社会学×情報技術で解き明かす小田中さんの研究を紹介します。
小田中悠(おだなか・ゆう)
京都先端科学大学人文学部心理学科講師。1989年生まれ。栃木県宇都宮市出身。慶應義塾大学大学院社会学研究科社会学専攻後期博士課程修了。博士(社会学)。芝浦工業大学大学院理工学研究科ポスドク研究員、東京大学大学院情報学環・学際情報学府助教を経て、現職。専門は社会学、計算社会科学。
Q:まず、小田中さんが進められてきた研究の概要について教えてください。
現在、私が研究しているのは、ライブ配信におけるコミュニケーションです。ライブ配信は、YouTube、Instagram、TikTokなどの大手プラットフォームはもちろん、17LIVEやミクチャなどの専用プラットフォームで行われています。その特徴は、テレビのように配信者と視聴者の非対称がありながら、チャットを通して、リアルタイムで配信者と視聴者がコミュニケーションできることです。
とりわけ関心を持っているのが、ライブ配信における熱狂です。ライブ配信においては、時に、音楽ライブ会場やスポーツ会場における轟きのような「テキストの洪水」が起こります。たとえば、アイドルグループが新曲の発売を発表する時や、「ゲーム実況」で配信者が勝利を決めた時に、視聴者が一斉にチャットを送ることで、「きたあああ」や「勝った!!!!」のようなコメントでチャット欄が溢れかえります。
そのような熱狂の実態を捉え、そのメカニズムを明らかにすることを目指しています。そのために依拠しているのが、社会学者ランドル・コリンズの理論と計算社会科学の方法です。コリンズは、人々が互いにやりとりを繰り返しながら、熱狂へと至っていくプロセスを論じています。その理論から考えると、熱狂へと至るためのポイントは、「人々が共通のシンボル(ユニフォームなど)を共有している」「音楽ライブにおけるコールやスポーツ観戦における応援歌のように、皆が同じことをする」などがあります。
この理論に依拠しながら、ライブ配信のチャット欄で起こることを分析するために、計算社会科学の方法を用いています。計算社会科学は、コンピュータ(計算機)を駆使した、ビッグデータの収集・分析を通して、社会現象の解明を目指す学際的な領域です。計算社会科学の方法による熱狂の分析は、X(旧Twitter)における盛り上がりの検知に応用されています。たとえば、あるスポーツの試合中になされた投稿は、その試合を見聞きしながら盛り上がっている人たちの熱狂を捉えるためのビッグデータとなります。その大量のテキストデータを、コンピュータを駆使して解析し、人々が盛り上げるタイミングや、盛り上がっている時に使われる語彙の特徴を明らかにするのです。
私は、そのような大量のテキストデータの分析方法をライブ配信の研究に応用できないか探ってみています。多くの視聴者がいるライブ配信では、数万件以上のコメントが寄せられることがあります。そのビッグデータを分析することを通して、視聴者が熱狂している様子を数量化し、誰にでも分かるようなかたちで示すことができるのです。
そして、プロ野球ゲームをプレイしている少数の「ゲーム実況」のアーカイブを分析して得られた2つの仮説を検証して行くことを目指しています。第1の仮説は、Xにおける熱狂と投稿文の形態が異なる可能性があるということです。笹原和俊先生による研究では、Xにおけるプロ野球観戦者の投稿は、盛り上がっているタイミングでは、投稿文は短くなる傾向、また、語彙の偏りが大きい、つまり、多くの投稿で同じような語彙が用いられる傾向があることが指摘されています。誤解を恐れずシンプルな例をあげれば、多くの人が「打った!」などと同タイミングで投稿する傾向が強いということになります。
それに対して、分析した「ゲーム実況」においては、そのいずれの傾向もはっきりとは現れません。逆に、投稿文は長くなり、語彙の偏りも少ないという傾向がある可能性が見出されました。このような結果になったのは、分析した配信では、「打った!」のような場面の描写ではなく、「うおおおお」や「やったああああ」のような叫びを視聴者たちが各々のしかたで投稿していたからだと考えています。
これが「ゲーム実況」に共通する傾向だと言えるものなのか、もし、そうであるなら、Xとの違いが生じるのはなぜなのか。メディアの特徴も踏まえながら、この問いを検討していくことは、社会学やメディア研究において価値のある課題だと思います。
第2の仮説は、コリンズも述べていたシンボルの共有がライブ配信における熱狂にも影響を与えているかもしれないということです。盛り上がりのタイミングを見ていくと、当然、ゲーム内で試合に勝利した場面でコメントの投稿が増加します。
しかし、そのような、誰もが盛り上がりうる状況だけでなく、いわゆる「内輪ネタ」が盛り上がりに影響している可能性も見えてきました。「内輪ネタ」には、配信者の過去の言動、ゲーム中に登場するキャラクターの愛称やテーマソングならぬ「テーマテキスト」、そして、ゲーム内で用いられる独自の戦術名などがあります。このようなものが、配信を重ねる中で配信者と視聴者が作り上げられ、それが、コリンズが言うシンボルとして働き、人々の感情の昂りを促していると考えています。
これからの研究では、そのようなシンボルがある配信はそれがない配信と比べて、盛り上がりやすいのか否かを明らかにしていけたらと思います(そうであるならば、もし今後自分が配信をする機会があれば、積極的に「内輪ネタ」の種を蒔いていきたいところです)。
Q:現在の研究テーマに取り組まれている理由や、その経緯も教えてください。
ライブ配信に興味を持ったのは、コロナ禍における個人的な経験が大きいと思います。2020年4月に緊急事態宣言が発出され、しばらくのあいだ「ステイホーム」が暮らしの中心となりました。そのタイミングでライブ配信を始めた有名芸能人が多く、そういった人たちの配信を視聴しはじめたのを機に、色々な人の配信を見るようになりました。
今振り返ってみると、独りでいることが寂しかったのだと思います。毎日同じ配信者の小規模な配信を見ていると、コメント欄にはいつもの人たちが集まっていて、「独りじゃない感」を感じることができました。また、配信を見ながら、「すげえええ」などと声をあげることもありました。テレビであれば独りで叫んでいるだけになってしまいますが、ライブ配信では同時にチャットに書き込むことで、同じく叫びを投稿する人たちと感情を共有することができました。
当時、私は、対面のコミュニケーション研究で博士論文を書き終えて、次のテーマを模索していたところでした。私の関心は、古典とされる社会学者のアイデアを数理モデルや、計算社会科学という新しい計量的な分析方法とマッチさせて、コミュニケーションを研究することにあります。博士論文では、ハロルド・ガーフィンケル、アルフレッド・シュッツ、アーヴィング・ゴッフマンといった、古典とされる社会学者の議論を、ゲーム理論モデルで表現し直すことで、彼らよりも先へ進むことを目指しました。その後は、計算社会科学の方法を用いて、歌詞や雑誌記事を分析しながら、そのような分析結果が、古典的な議論を引き継ぎながらコミュニケーションを考える時にどういう意義を持つのかを考えていました。
その中で、コロナ禍を経験し、自分にとって、そして、おそらく多くの人たちにとって身近なものとなった、ライブ配信というコミュニケーションに研究対象としても興味を持つようになりましたが、どう研究したものかはっきりしないまま過ごしていました。それを今のようなかたち研究できる見通しを持ったのは、2022年に東京大学大学院情報学環教育部で行った、計算社会科学の主要テーマの一つである、メディアと感情をテーマとした講義を通してです。
その講義で先述した笹原先生の研究を紹介したのをきっかけに、受講生たちと熱狂について議論する中で、「この切り口でなら、自分の従来の関心と絡めながら、ライブ配信を研究できるかもしれない」という感触を得て、先に述べたようなアプローチで研究を始めることができました。当時の受講生には感謝しています。こうして研究を紹介する機会をいただけて少しは恩返しができたかなと感じています。
Q:研究を進めるなかで、ご自身の研究テーマの面白さや魅力を伝えるとすると、どのように表現しますか?
魅力の一つは、ライブ配信が比較的新しい現象なため、研究もフロンティアなことです。黎明期を代表するプラットフォームである日本のニコニコ生放送やアメリカのTwitchでさえ、設立されたのがおよそ15年前で、広く普及したのはここ数年なように思います(この感覚の正否を実証することもできればと考えています)。それゆえ、ライブ配信におけるコミュニケーションの研究も始まったばかりで、これから新しい知見がどんどん見出されていくのではないかと思います。
正確なレビューを行ったわけではありませんので、はっきりとしたことは言えませんが、ライブ配信が視聴者にもたらす影響を心理や健康、マーケティングなどの様々な観点から論じたものが目につきます。私が注目している感情の昂りに関しても、海外の研究では、視聴者がたしかにフロー体験的な感覚を経験していることが示され、そうした昂りが配信者への金銭的な支援とも結びついていることが示唆されています。そうした流れの中で、計算社会科学の方法を用いた研究は、私の見た限りでは現れていません。新しいアプローチで、何か新しい発見ができればと思って取り組んでいます。
もう一つの魅力は、ライブ配信の熱狂を研究することを通して、社会学の伝統と計算社会科学という最先端の方法を交差させることができる可能性があることです。社会学の伝統的な議論は熱狂に注目してきました。社会学の祖の一人とされる、エミール・デュルケムも『宗教生活の基本形態』で集合的沸騰という術語で「未開社会」で宗教的な儀式を執り行う人々の熱狂を論じており、先に挙げた、コリンズの理論もデュルケムを発展させようとしたものです。
他方で、計算社会科学の方法は、ここ数年で社会学内で注目を集めるようになったものです。計算社会科学を代表する研究者である、ダンカン・ワッツは、情報処理技術の進歩により、社会科学者は望遠鏡を手に入れたと述べています。私にとっての望遠鏡は、自然言語処理技術です。ChatGPTに代表されるように、私たちが日常の中で使う言語をコンピュータで扱う技術は目覚ましい進歩を遂げています。その流れの中で生み出された技術を、自分の研究の中にうまく取り入れていきたいと思っています。
では、その望遠鏡で、100年以上前にデュルケムが、そして、20年ほど前にコリンズが見ようとしたものを覗き見ようとしたき、何の解像度が上がるのでしょうか。たとえば、それは集団的な熱狂にある人々のふるまいの描き方に現れると思います。私たちは、たしかに、一目見て、ある人々が盛り上がっていることが分かります。たとえば、阪神タイガースが優勝した夜の道頓堀を見て、盛り上がっていないと感じる人はいないでしょう。しかし、いざその視覚的、聴覚的に捉えた様子を言葉にしようとすると、「大勢の人が押し寄せています」や「皆が歓喜の声をあげています」といった表現にとどまらざるをえません。また、高精度のカメラで撮影して人数をカウントしたり、マイクを設置して音量を測定しようとしても、一回切りの現象ということもあり、現実的には難しいところがあります。
しかし、ライブ配信のアーカイブには、配信者、そして、視聴者たちの熱狂がそのまま残されています。計算社会科学的なアプローチをすることで、大量に存在する、その人々のふるまいや「声」の痕跡を手際よく整理して、描き出してみせることができます。もちろん、そのような景色を見るためには、見落とさざるをえないものも多くあるように思います。自分はどのような望遠鏡で何を見ているのか、見ようとしているのか、常に自問自答しながら研究を進めていかなければと思っています。
Q:影響を受けた本や先行研究などがあれば教えてください。
社会学に興味を持ったきっかけとなったのは、大澤真幸著『不可能性の時代』です。当時、私は理工学部数理科学科の学生でしたが、ぼんやりと哲学や社会科学に興味を持っていました。そんな中で、先輩と友人に勧められたことで、この本と出会い、著者の専門である、社会学、そして、数理社会学という学問に興味を持ちました。
本格的に数理社会学を知ったのは、数土直紀・今田高俊編著『数理社会学入門』でした。自分が勉強していた数学と社会が結びつくということに面白さを覚え、もっと勉強したい、研究したいと思いました。
社会学の勉強を本格的にはじめてから面白く読んだのは、コミュニケーション研究の代表格である、ゴッフマンの一連の著作です。ゴッフマンが提唱した概念で一番有名なのは、「儀礼的無関心」でしょう。それは、電車内やエレベーターなどで乗り合わせた人に対して、「ちらっと見るけれどすぐに視線をそらす」というしかたで、お行儀良く無関心を示していることを捉えるものです。この他にも彼は多くの概念やアイデアを提唱していますが、いずれも「あるある」と思えるもので、いろいろな現象の研究に使うことができそうです。
現在進めている研究でも、たとえば、「ゲーム実況」における配信者の発言や、視聴者の叫び声のような投稿を見る際に、ゴッフマンがForms of Talkで示したアイデアを使うことができると考えています。ゴッフマンは、その著作の中で、マスメディアのアナウンサーによる実況を分析しており、それは日本でもテレビやラジオのスポーツ中継の研究に応用されてきています。そして、そのアイデアは、英語圏では、「ゲーム実況」のコミュニケーションの研究にも応用されはじめています。
「ゲーム実況」における熱狂を見ようとする時、重要なのは、その熱狂が、仮に配信者が無言でも起こりうるような、ゲーム内の出来事によるものだけでなく、実況者の発言に起因するものもあることです。そのような側面を捉える際には、計算社会科学にだけ頼るのではなく、ゴッフマンのアイデアやそれを洗練させてきた諸研究を踏まえて、微細なやりとりを追いかけいくことが有用だと思っています。
Q:ご自身の研究は、今後の社会や経済、文化などにどのようなインパクトを与えうると考えていますか?
私の研究は、熱狂に注目しながら、ライブ配信におけるコミュニケーションのありようを社会学的に解明しようというものです。したがって、この研究が直接「暮らしを変える」といったことは残念ながらありません。
とはいえ、ライブ配信研究は学際的に行われているため、私の研究もまわりまわって、実学志向の研究と繋がっていくことはあるかもしれません。コンピュータサイエンス系の研究や、マーケティング系の研究にも目を配り、視野を広く持って研究を進めていきたいです。
また、ライブ配信のもたらすネガティブな問題を理解するためにも役立つことができるような研究ができればと考えています。ライブ配信は、離れていてもともに盛り上がることができる、魅力的なメディアです。しかしながら、それは同時に、過度な「投げ銭」を行うことへの依存や、ジェンダーやエスニシティに基づく差別といった問題をはらんでいます。そのような負の現象の基底にある、ライブ配信におけるコミュニケーションの研究を通して、ライブ配信にまつわる問題の解決に役立つことができたらと思います。
(編集部補足)小田中さんの研究詳細
以下、小田中さんの研究詳細です。(強調:編集部)
この研究では、「ゲーム実況」と呼ばれるオンラインライブ配信のコミュニケーションの特徴を示すことを目指している。「ゲーム実況」は、ビデオゲームのプレイ画面と、プレイする配信者の発話が中心となった配信であり、心理学やマーケティング、公衆衛生など多領域で研究が蓄積されつつある(Liu er al. 2020)。
とりわけ、配信時に生じる、「テキストの洪水」と呼ばれる、集団的な熱狂現象の実態や背景を明らかにすることを目指す.そのような配信のチャット欄では、たとえば、ゲーム内で重要なイベントが発生した時に、スタジアムの歓声のような「テキストの洪水」が起こることが指摘されている(Hamilton et al. 2014).そして、視聴者たちは、感情の昂りやフロー状態(チクセントミハイ)を経験することがあるという(Wang & Li 2020)。
その熱狂を解明するために、社会学理論と計算社会科学の方法を組み合わせながら研究を進めている。取り上げる社会学理論は、ランドル・コリンズの相互行為連鎖論である(Collins 2004)。コリンズは、一所に集っていると認識し合っている人々が、互いに注意を向け合い、あるシンボルを共有し、斉一/規則的な相互行為を繰り返す中で、熱狂へと至ると論じている。そして、その理論は、ライブ配信研究へも応用されつつある(e.g. Wang & Li 2020)。
このような議論に導かれて注目したのが、熱狂を導く、あるいは、熱狂の最中の相互行為の斉一/規則性である。「ゲーム実況」の視聴者たちのふるまいにおいては、スタジアムの轟と類似していると言われる、「テキストの洪水」が、この性質を代表するものだと考えられる。
この「テキストの洪水」が、いつ、どのように起きているのかを正確に記述するために、計算社会科学の方法を用いている。なぜなら、「ゲーム実況」をはじめとする、オンラインライブ配信へ寄せられるコメントは数万件を超えるようなビッグデータとなることがあるからである。この研究では、X(Twitter)研究で提案されている指標を参考にした(Thelwall & Kappas 2014; 笹原 2021)。具体的には、単位時間当たりの投稿数(熱狂=コメント数が多い)、投稿の文字数(熱狂時には投稿が短くなる?)、投稿に用いられる単語の種類(熱狂時には単語の種類が少ない=皆が同じ対象に言及している?)、1投稿あたりの同じ文字の個数(熱狂時には「うおおおお」などが増加する?)を測定した。
野球ゲームをプレイしている「ゲーム実況」のアーカイブを分析した結果、まず、試合中の得点時や試合勝利時にコメント総数上昇する、すなわち、「テキストの洪水」が起こっていることを確認できた。また、それは、必ずしも、短文の同じ語彙を用いた多くのコメントから構成されているとは言えず、むしろ、「勝ったあああ」や「うおおおおおお」のように、それぞれの語彙で同文字を繰り返すことで喜びや興奮が伝えられている可能性があることが示された。
それに加えて、「テキストの洪水」が起きる過程を、注意の共同性やシンボルの共有が熱狂を促すという、コリンズに依拠した観点から説明することを試みた。その結果、ある場面において、熱狂が起きたのは、配信者が「内輪ネタ」に基づく作戦を実行することで、視聴者が注目すべきポイントを示したことが、盛り上がりの発生に寄与していることが示唆された(cf. Recktenwald 2017)。
※この記事で紹介した研究は、第96回日本社会学会大会(2023年10月9日)で報告した「『ゲーム実況』における熱狂の研究:感情社会学的理論に基づく計算社会科学的分析」を基にしています。当日いただいたご意見、ご質問も反映させていただきました。フロアの方々に感謝申し上げます。
今後もデサイロでは、「いま私たちはどんな時代を生きているのか?」を読み解く補助線になる人文・社会科学分野の研究をご紹介していきます。本連載シリーズにぜひご注目ください。
(編集部補足)参考リンク:
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