研究者の潜在能力を引き出す「専門性の伝え方」を考える|西村歩
「文系」か「理系」か……2024年現在、日本人の多くは大学に入るまでの進路選択によって、どのような学問や教育に触れるかが大きく左右されます。一方で、とりわけ近年ではパンデミックや環境問題など大きな社会変化によって、文理を越境して物事を考えて意思決定する重要性が注目されはじめています。
こうした潮流を受けて、行政も既存の知のシステムを変えています。内閣府は、1995年に制定された理系優遇の政策「科学技術基本法」を2021年に改定。人文・社会科学の知を「総合知」という名の下で融合させていく方針を打ち出しました。
しかし、こうした文理融合の「総合知」という概念は目新しいものではなく、数十年前から何度も繰り返し提唱されてきた議論ではなかったか──そう指摘するのは、株式会社MIMIGURIにリサーチャーとして勤務する西村歩さんです。
そこで本寄稿では、人文・社会科学の研究知がいかにして「総合知」の形成に寄与してきたのか。そして、人文・社会科学の研究者は、自らが持つ潜在能力を発揮するためにどのような工夫が考えられるかについて、西村さんに論じていただきました。
西村歩(にしむら・あゆむ)
株式会社MIMIGURI リサーチャー。東京大学大学院情報学環客員研究員。東海大学経営学部非常勤講師。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。専門は実践研究方法論。現在はナレッジマネジメントに関する研究活動に従事。電子情報通信学会HCGシンポジウム2020にて「学生優秀インタラクティブ発表賞」、電子情報通信学会メディアエクスペリエンス・バーチャル環境基礎研究会にて「MVE賞」を受賞。
2021年3月26日に閣議決定された「第6期科学技術・イノベーション基本計画」では、いわゆる自然科学知見を通じた科学技術の振興のみならず、人文・社会科学の知見と自然科学的知見の融合による「総合知」の創出と、その活用を通じた国家戦略の策定や研究開発等を推進するという基本指針が提唱された(内閣府 2021)。
この「総合知」の解釈は多様であるが、オフィシャルな定義として内閣府は「人文・社会科学と自然科学を含むあらゆる「知」の融合により、人間や社会の総合的理解と課題解決に資することを目指すもの」(文部科学省 2022)と定義されている。こうした政府や社会の潮流に併せて、現在は科学技術イノベーションにおける人文・社会科学知見の活用をめぐる議論が至るところで見られている。
しかし、学際科学や異分野融合に関する議論を追いかけてきた方々にとっては、どうもこの「総合知」の理念に目新しさを感じなかったのではないか。というのも人文・社会科学の知見と自然科学的知見の融合の重要性は頻繁かつ、繰り返し議論されてきた背景があるからだ。
例えば、学際系学部設立のムーブメントの一つであり、文理融合型で学の縦割りを越えることを掲げた「総合政策学」は1990年に慶應義塾大学の新学部設立と共に生まれている(上山 2021)。また、2003年の日本学術会議「新しい学術体系委員会」でも①19 世紀に制度化された「科学のための科学」に適合した学術体系から「人間と社会のための科学」に適合した学術体系への転換・移行、②自然科学法則を秩序原理とする理系学術と、 それらだけでは収まり切らない文系学術との間の乖離を克服しうるように学術体系を構築するという問題が議論されている(日本学術会議 2003)。
こうした潮流を概観すると、少なからず前述の「総合知」の理念は決して新規ではなく、過去から何度も議論されてきたものの継承であることが伺える。とはいえ、これらの文理融合や総合知という理念が繰り返し提唱されているということは、「現状の研究/実践が理想と比べて不十分である」ないしは「現在においてその重要性が一層高まっている」所以であると考えられよう。
本稿の目的は二つある。
第一に「人文・社会科学の知見と自然科学的知見の融合」の実践が現在いかに行われているのかを、学会および企業という二つの立場から概観した上で、「総合知」の形成に人文・社会科学の研究がどのような貢献が期待されうるかを考える。
第二に人文・社会科学研究に従事する者が総合知の形成を目的とする研究プロジェクトに参画し、自らの潜在能力を拡張していく上での、「自らの専門性の伝え方」を考察する。
学会に見られる人文・社会科学と自然科学の融合
「人文・社会科学の知見と自然科学的知見の融合」を実践している学会は歴史的にも多く見られてきた。電子情報通信学会誌にて塚常が人文・社会科学におけるデータサイエンスの融合の動向について解説している(塚常 2024a、塚常 2024b)本稿ではそれとは異なる軸でいくつか事例を挙げよう。なお、塚常(2024a)でも論じられているが、本稿での紹介は融合の「一部」に過ぎず、各分野の専門家からは不十分に感じられるかもしれない点は承知されたい。
(1)情報処理学会と「人文科学とコンピュータ研究会」
情報処理学会では「人文科学とコンピュータ研究会」が、調べた限りでは1989年よりシンポジウムや研究会を開催し続けている(八村 1997)。この研究会では「情報技術を活用した人文科学分野の研究」と「人文科学に関連する情報資源の記録、蓄積、提供」という二つの分野に関する研究が推進されている(情報処理学会、online1)。
また同研究会のシンポジウムである「じんもんこん(人文科学とコンピュータシンポジウム)」は毎年開催されており、デジタルアーカイブや保存科学、文化財防災、デジタル博物館、デジタル化文書、ドキュメンテーションといった領域の研究発表が盛んに実施されている(じんもんこん 2023)。
これらの分野は過去の人間が生きた証としての「史料」を未来永劫に保存し、リファレンス可能にしていくために重要な研究領域といえよう。当該分野の活況ぶりについては2017年に投稿された山田の論文では、人文科学と情報学の学際領域に関する研究会・学会が「この10年間に乱立」し、「本研究会および関連するイベント・研究会が年中毎週のように催されている状態」であると評されているほどである(山田 2017)。
(2)ヒューマンインターフェース学会
ここまで例示した「じんもんこん」は人文科学における情報資源蓄積へのコンピューター活用という趣旨に基づく研究が主といえる。それに加えて、他にもエンジニアリングデザインやシステムデザインなどの工学研究者も多く参加する「デザイン」に関する研究領域でも、人文・社会科学領域への関心が高まっている。
例えば2015年に始動したヒューマンインタフェース学会の「ユーザエクスペリエンス及びサービスデザイン専門研究委員会 (SIGUXSD)」では、本委員会における研究対象であるユーザーエクスペリエンス(UX)について考える際に「様々な立場のユーザーやユーザー間、さらに彼らを取り巻く環境などの要因」も検討することを重要視し「社会学的・認知心理学的アプローチを中心に議論」することを掲げられてきた(ヒューマンインタフェース学会 online2)。
さらに同じくヒューマンインタフェース学会では、哲学とデザインの融合に力点を置く研究会として、2022年に「デザイン思想・哲学専門研究委員会(SIG-DPs)」が立ち上がり、人間と技術・機械・道具とのよりよい関係を検討するために「人間と技術の関係性を扱う思想や哲学」から議論する試みも始まっている(ヒューマンインタフェース学会 online3)。
このような動きはヒューマンインタフェースやデザインの研究においては、使用者である「人間(ヒューマン)」の理解が不可欠であるという観点から、工学や情報学に縛られない多角的な「人間」の理解方法が援用されつつあると感じられる。
(3)人工知能学会「AI哲学マップ」
ここまでは比較的継続的に取り組まれてきた研究事例であるが、最近の学会において特筆すべき事例としては、株式会社スクウェア・エニックスの三宅らの研究チームが、人工知能学会にて2021年から実施している「AI哲学マップ」がある。
人間の認識や知覚、知能を旧くから問い続けてきた哲学の知の視点から、「知能」が意味しているところを理解し、新たな人工知能研究のフロンティアを望むために人工知能学会誌上で哲学者と人工知能研究者の対談を行っている。各種対談内容の意図を汲み取って三宅らは「哲学から人工知能への15の批判」にまとめ(三宅 2023a)、また哲学と人工知能の間に横たわる概念マップ図を生成し、現在の人工知能分野に新しい研究領域を示唆している(三宅 2023b)。
また、人工知能研究は単に人工知能技術をつくるだけでなく、知能とは何かを考えたり、人間と機械や、人間と人間が協力しあう先に生まれる知能の世界を構成することも研究の営みのうちに含まれると、人工知能学会元会長の堀浩一は論じている(堀 2013)。この堀の見解を踏まえて、三宅らの「AI哲学マップ」の実践を鑑みると、哲学という観点から改めて「知能とはなにか」を考察することによって、人工知能研究における世界や視野を拡大していく試みであると伺える。
以上に見られるように、技術と人間の相互性を問うような研究領域(例えばデザインや人工知能)、また人文知の泉源となる「文献資料の蓄積」を伴う研究領域などにおいては文字通りの「知の融合」が盛んになってきたとまとめられる。
企業活動に見られる人文・社会科学と自然科学の総合
加えて本稿では、企業での研究開発における人文・社会科学的研究についても触れたい。
一般的に企業における研究活動といえば、主に企業が扱う新製品開発の萌芽となる科学的・技術的研究が中心といえる。それに対して、人文・社会科学的領域の研究活動を企業が積極的に推進、あるいは投資すべき理由はあまり議論されてこなかったといえる。
また、文部科学省科学技術・学術政策研究所が毎年実施している『民間企業による研究開発活動の概況』によれば、人文・社会科学分野(文学、史学、哲学、法学・政治、商学・経済、社会学、心理学、家政、教育、芸術等)の研究活動が実施される割合は、「人工知能(AI)技術、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)の融合に関する技術の研究開発」と比較して圧倒的に少ないことが示されている(文部科学省科学技術・学術政策研究所 2022)。
(1)オムロン「ヒューマンルネサンス研究所(HRI)」の事例
しかしながら、決してそれらが皆無なわけではない。例えば電子機器メーカーのシンクタンクなどでは人文・社会科学系研究に従事する部門が形成されている。代表例としてオムロン株式会社のグループ内シンクタンクとして設立された「ヒューマンルネサンス研究所(HRI)」では、当社の未来予測理論である「SINIC理論」を活動基盤とした未来社会・生活研究に取り組まれている(中間 2006)。
このSINIC理論とは''Seed-Innovation to Need-Impetus Cyclic Evolution''の頭文字で構成された「科学・技術・社会が相互影響して社会発展が進む」ことを人類史の俯瞰に基づき未来を展望する理論として、オムロン創設者である立石一真らを中心に構築されたものである(Omron株式会社 online3)。当社により発刊されてきたリサーチペーパーも多岐にわたり、ホームページには「SINIC理論」「価値観・ライフスタイル」「科学技術と社会との関係性」「働き方・企業のあり方」「未来に向けた「学び」のあり方」といったテーマのレポートや出版物が掲載されている(ヒューマンルネッサンス研究所 online4)。
(2)NEC「国際社会経済研究所(IISE)」の事例
他にも日本電気株式会社(NEC)の独立系シンクタンクである国際社会経済研究所(IISE)でも、昨今では「ソートリーダーシップ活動」に注力し、人々が公平で効率的な社会で暮らすべく「技術を適切に社会に活かす」ための未来洞察やビジョン創出に関する活動を推進している(国際社会経済研究所 online5)。
特にこの「ソートリーダーシップ活動」を推進する上で、デジタル化が進む社会の姿や課題について社会・経済・文化的な観点からの調査が必要であり、多様な関係機関や有識者との交流を通じた調査活動を2000年代初頭より継続している(国際社会経済研究所 online5)。今後はこれまで蓄積してきた社会調査知見を基に、NECが科学技術領域でリーダーシップを発揮していくことが期待されよう。
オムロンもNECも日本有数の技術力を誇る電子機器メーカーであり、オムロンでは京阪奈イノベーションセンターなどが、NECではNEC中央研究所といった日本有数の技術研究の開発拠点を有している。しかし、いずれの会社も、未来社会における技術の展開可能性を検討することなどを目的に、人文・社会科学領域に踏み込んだ調査・研究活動に取り組まれているという点が非常に興味深い。
(3)その他、ヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)分野における事例
ここまで電子機器メーカーのシンクタンクでの研究開発において、人文・社会研究が取り入れられた例を紹介してきた。加えて伊賀らはヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)分野においては、Xerox Palo Alto Research Center(PARC)やソニーコンピュータサイエンス研究所、さらにはMITメディアラボなどで人文学者と技術者の協働による研究プロジェクトが盛んに存在するという。
その上で伊賀らは米国の米国 PARCでの人文学者・技術者の協働研究事例(6例)を取り上げ、個々の研究プロジェクトのテーマが立ち上がったプロセスや異領域同士が接点を持った状況を記述し、また人文学が技術研究にいかなるインパクトを与えたかを考察している(伊賀 2023)。この伊賀の研究を改めて筆者がまとめると、
技術研究主導であった研究の問題設定が、人文学研究主導に変化しているものがある。
ユーザーに受け入れられなかった応用技術に人文学研究を導入することで、ユーザーから受容される新たな製品コンセプト転換に繋げているという価値が提示されている。
人文学研究者は機会発見ワークショップやフィールドワーク実践などを通して、研究プロジェクト全体的なゴールの設定や共有といった役割の一端を担っていたことも報告された(以上伊賀 2023)。
すなわち、こうした分野横断的な研究開発プロジェクトにおいて人文学系研究者は自らの研究を進めるだけでなく、基礎研究から応用研究、開発研究に至るまでのプロセス全体をマネジメントしていく、いわゆるプロジェクトマネージャーのような立ち位置でも活躍の可能性があるものと考えられる。
「人間とはなにか」の解像度を高める担い手として
「総合知」を形成する上で人文・社会科学研究者に期待される働きは様々あるが、一つ共通点を捻り出すならば、広い意味で「人間とはなにか」の解像度を高めていくために新たな視点や観点を取り入れていくことが挙げられる。
例えば人工知能の構成にはまずもって人間が有する知能(例えば創造性や社会集団のうちのコミュニケーション)の理解が不可欠と考えられる。なぜなら肝心の「人間」そのものの理解が薄い状態では、人間の諸機能に近づける技術を実現することも、またどれだけ近づいたかを測定すること自体も困難になるからといえよう。そこで現に人工知能学会は人工知能と人文科学(特に哲学)を架橋する研究プロジェクトを推進しているといえる。
電子機器などのメーカーの応用研究においても、各種技術のユーザーである「人間」の理解なしには、ユーザビリティが低くて敬遠される製品やそもそもニーズを生まない製品の開発を促しかねない。
そのため、大戸が論じるように人類学者が企業研究所でのエスノグラフィックな調査をその企業に適応する形で先導したり(大戸 2017)、また伊賀らの研究で見られたように、人文学研究者と技術研究者との協働によって新たな製品コンセプトを生み出していくことも期待されている(伊賀 2023)。NTTも未来社会における情報化が進む中でICTの活用や発展を通じて「多種多様な価値観」が表出し、その多様性ある「他者」を理解するには、「自分とは違う他者の立場に立った情報や感覚、他者の目線を通した情報を得ること」が重要であるとしている(岩科 2020)。そのための方法として岩科らは「科学技術のみならず、人文科学、社会科学の知見をも取り入れる必要」についても言及している(岩科 2020)。こうした実践も「人間」について理解を深めていくために行われる研究に含まれよう。
いずれにしても、あらゆる組織において社会ひいては「人間」を多角的な視点から検討するために、人文・社会科学にわたるあらゆる知見の活用はこれからも多く期待されると考える。
そもそも人文・社会科学領域の研究は、多かれ少なかれ人間の営みや、その人間の集合にもとづく社会によって生じる現象を扱っている。そのため本来であれば「人間」として生きている個々の経験と響き合い、万人からの「共感」を得やすい領域であるはずである。それにもかかわらず、現実には図1でも見られるように、企業での人文・社会科学に関する研究開発の割合は低い上に、文化人類学もサービス開発における生活者理解に方法を活用していくことは度々議論されてはいるが、生活者調査の専門的トレーニングを受けた人類学者の雇用がなかなか進んでいないと評価されている(大戸 2018)。
自らの専門性の伝え方を編集する言葉えらび
「総合知」への期待が高まり、自然科学に加えて人文・社会科学研究も交えた、より学際的な研究プロジェクトの事例も目にする機会が多くなった。にもかかわらず、肝心の人材活用が進んでいないと指摘されるのはなぜであろうか。
人文・社会科学に限らず専門知見については、常に「わかりづらさ」をはらむように思う。たとえば研究上で用いる鍵概念(Key concept)も、同僚研究者内で流通するに最適化された用語であるが、市井には平易な用語とは言い難い。また自身が取り組んできた研究にどれだけ意義深い貢献があったとしても、その研究の専門性からすこし外れただけで、その研究価値を評価すること自体も難しくなる。専門知の本質的価値を評価できるのは同じ専門性を持った人間にしか難しいという構造的課題をクリアしていく必要がある。
もちろん、すべての人文・社会科学研究に従事する者が、総合知の形成に貢献していくべきと考えている訳ではない。各種専門領域における知識生産において領域内で合意されている鍵概念を用いることは、知識の厳密性や妥当性、正当性などを確保し続ける上では重要なプロセスであるし、自らの研究領域を深め続けることも重要かつ意義ある活動である。しかし、その他方で「人間」を深く理解するための人文・社会科学的知見への期待の高まりもある。そうした期待に応えていこうと志す者には、やはり専門化の反面として生じるハイコンテクスト性を克服していくことが求められるのではないか。
人文・社会科学領域の専門性を、自らの専門から離れた研究者や実務家との学際的なコラボレーションへ活用を進めるには、前述の「わかりづらさ」を乗り越えるための、自らの専門知見を一般に伝えるための言葉選びのような「伝える工夫」が重要である。
工夫の一例として、たとえば日本生態学会誌において多田は「論文詩」とよばれる、論文における非経験的(科学的)な論理を、人間の無意識的な推論や判断に用いられる経験的な論理で記述される代表例としての「詩」に変換する実践を報告している(多田 2017)。また私が学会発表に関わった共同研究であるが、富田(2022)では、国立環境研究所の研究者間の専門性を越境した「協働研究」を推進するための方法として、研究手法や研究対象などの従来の研究紹介では抜け落ちがちな、研究者個人の経験的な関心、 ビジョン、危機感などが内包された「探究メガネ」を共有しあうワークショップの事例が紹介されている。
これらはいずれも、自然科学におけるサイエンスコミュニケーションの事例ではあるが、この二例で共通している非経験的な論理を経験的な論理に変換していく(多田 2017)アプローチは、専門知識をより非専門家に共有していく方法論として人文・社会科学においても参照できる余地があるのではないか。そうした工夫により「わかりづらさ」が克服されれば、専門外の他者とも対話の接点が生まれ、コラボレーションの発生する余地が高まりうる。すなわち新たな研究需要が喚起され、協働的な研究・実践をかたちづくる対話が生じ、また自らの専門性のポテンシャルを拡張していく機会が形成されていくものと考えられる。
そこで本稿では、「伝える工夫」のひとつを新たに考えてみることにした。それは一旦自らの専門性から距離を置いた上で「結局自分の研究は、人間のどのような側面を明らかにしている研究であるか」という問いにざっくりと答える方法である。なぜなら、そもそも人文・社会科学とは「人間の営みや社会現象を分析し説明すると同時に、それらの事象に対する価値判断や解釈をも学の対象」になる研究領域(国立大学協会 2015)である以上、人間という観点から、どこかしら自らの研究を言い換える余地があるように感じるからだ。
手前味噌であるがこの方法は、かつて大学院時代に就職活動に取り組んでいた際に、なかなか自分の研究の意義や価値が面接官に伝わらないなかで試行錯誤して考え着いたものだった。直球で研究の内容を説明しても、うまく伝わらずに面接が終わってしまう。その失敗を繰り返し、面接で研究のことを話すことを諦めそうになっていた。そのときに具体的な研究テーマの説明から離れ、自分の研究を「結局自分が興味あるのは、人間がどう知識を得て成長していくことなのかなんですよね」とこれ以上なく大雑把にまとめてみたところ、面接官に「なるほどそういうことか」「ようやく理解できた」と伝わった瞬間があった。
「人間のせっかちさを心理学的に研究している」「人間の面倒くささに関係する消費行動を経済学の観点から明らかにすることに興味がある」「人間の“自分は天才かも?”と思ってしまう図々しさを文学作品をもとに解明している」……というように、自らの研究対象を「人間の〇〇な側面」と抽象化して伝えてみることで、伝えた相手は、各々の日常文脈で研究の意味や価値を捉え直してくれるようになることがある。すなわち自らの専門的研究の伝え方を編集することによって「他者との対話の手段」になりうる可能性があるのではないか。
すると、新たな機会創出の可能性が高まる。例えば「せっかちさを研究しているといっていたAさんなら、きっとこの新しいライフスタイル領域の研究開発に興味を持ってもらえるのでは?」「うちの製品は『面倒くさい』ことを理由に選ばれないことが多いから、それを乗り越えるためのコンセプトの調査に専門性を発揮して貰えないか」と期待を受ける場合もある。勿論こうした機会提供が必ず生まれるとは限らないが、私自身が専門性の異なる研究者間の協働に関する研究に触れる中で、わかりえなさに諦めずに「伝えかた」を工夫することで分野越境的に関心が広がる事例も見てきた(富田 2022a、富田 2022b、冨田 2024)。
本稿を執筆するまでのレビューのなかで、現代では「人間」を多角的に、深く理解するニーズが高まっていることを知った。そのニーズの高まりの中で、自然科学との融合などを通じ、人文・社会科学研究者の活動の幅はむしろ広がってゆくのではないかとも展望することもできる。現在自分は科学技術社会論をテーマとする研究室に客員研究員として所属しているが、今後も人文・社会科学や自然科学といった分野の垣根を越えた「わかりづらさ」を克服するための方法を実践的視座も加えながら研究していきたい。
※なお本稿における人文・社会科学とは、国立大学協会の定義である「人と社会と文化を教育研究対象とし、自然科学とともに知の体系における主要な要素を成している」研究領域であり、「人間の営みや社会現象を分析し説明すると同時に、それらの事象に対する価値判断や解釈をも学の対象」になる研究領域として抽象化して示す(国立大学協会 2015)。とはいえ個人としては人文・社会科学をひとくくりに議論すべきではなく、また可能であれば個別研究の多様性を考慮した上で区分して考察していくべきであるが、本稿の執筆趣旨上そうせざるを得ないことを読者には承知されたい。
参考文献
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富田誠、丸山実歩、種橋征子、瀬島吉裕、西村歩(2024)「研究の模型表現と対話がもたらす協働可能性」、サービス学会第12回国内大会予稿集、印刷中
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