〈治療的思想〉としてのミニマリズム──自己啓発のセラピー的側面とその政治性|応用哲学研究者・藤井翔太
AI時代のサバイブ術、リスキリング、FIRE(アーリー・リタイア)……こうした多種多様な自己啓発書が書店に平積みされる光景を目にしたことがある方も少なくないでしょう。
こうした自己啓発の浸透は、現代のいかなる社会的風潮を表しているのでしょうか。あるいは、自己啓発が浸透した社会において、私たちの物事の捉え方はいかに変化していくのでしょうか?
そうした現代における価値観の変遷を読み解く際、手がかりになるのが「治療的思想」という概念です。応用哲学研究者の藤井翔太さんは、その一例として「ミニマリズム」を挙げます。
一見個人的なライフスタイルにも見えるこうした実践には、「治療的思想」の系譜に連なる個人の救済とそのための倫理、あるいは“セラピー”的な側面がある。そして、その背景にはある特定の社会・政治思想的なイデオロギーが存在し、それは利己主義や排外的な思想にも接続しうる──そう藤井さんは指摘します。
今回はナンシー・スタンリック『アメリカ哲学入門』(勁草書房、2023年)の翻訳、ドナルド・ロバートソン『認知行動療法の哲学:ストア派と哲学的治療の系譜』(金剛出版、2022年)の共監訳も務める藤井翔太さんに、「治療的思想」という概念の現代的意義や可能性について寄稿していただきました。
【12/10開催】「治療的思想」から自己啓発の “セラピー”性を読み解く──応用哲学研究者・藤井翔太
はじめに:合理的自己啓発書の流行
「工学者が教えるAI時代に生き残るための仕事術」、「経営学者が提唱するミドル世代のためのリスキリング」、「ファイナンシャル・プランナーが伝授する老後の生活」あるいは「アーリー・リタイア(FIRE)のための資産運用術」――2024年現在、書店に行くとこういったテーマを扱うビジネス書が平積みされている光景を見ることができる。
こうした近年主流の自己啓発書は、現実的かつ具体的なビジネススキルや金融知識を伝授するものだ。一方で、古くからよくあるタイプの自己啓発書は、コミュニケーション能力やストレスに対処するための心の持ちようを心理学者が指南する類のものが少なくなかった。これらはどちらも、読者が抱えている漠然とした不安の解消を目的とした、合理的・科学的装いをまとった問題解決法の提供をうたっている点において、通俗的書籍として同じカテゴリーに属するものだと言えるだろう。
件の書籍群に通底しているのは、〈治療的思想〉とでもいうべき発想ではないか、というのが私の見立てである。そして、この思想は、自己啓発書の多くにとってインスピレーション源となっている哲学・思想の歴史においても、反復して見られる一種の類型だと考えられる。本稿では、その〈治療的思想〉という発想の由来を簡単に紹介した上で、それが纏いうるイデオロギー性を指摘し、さらにその現代的な発露の一例として、ライフスタイルとしてのミニマリズムについて考察していく。
〈治療的思想〉の系譜
「哲学・思想」と「治療」という二つの概念は、収まりが悪いように感じる人もいるかもしれない。確かに現代における哲学といえば、主として大学という場(特に、日本の大学組織においては文学部哲学科)で行われているような、純粋に学術的な営みであって、具体的には、重要なテクストについての精緻な文献学的解釈、あるいは明確に定義された諸問題についての論理的討議と、その成果の学会や学術雑誌での発表からなる一連の活動、といったイメージがあるかもしれない。
しかし、共通の議論の型や、研究における分業体制といった、自然科学に範を取った知識生産のモードを獲得する以前には、哲学が今日とは異なる仕方で実践されていた。例えば、フランスの哲学史家ピエール・アドは、西洋古代の哲学者たちの思索的営為を「生き方としての哲学(philosophy as a way of life)」として特徴づけ、当時の賢人たちの全人的・理論的な探求が、「善く生きること」という実践的な目標に資するために行われていたことを指摘している(アド, 2021)。とりわけ、ストア派を含むヘレニズム期の諸哲学派にその傾向は強く見られるとされており、米国の哲学者マーサ・ヌスバウムは、古代哲学のプロジェクトを「欲望の治療(therapy of desire)」と呼んでいる。彼女によれば、この時期の哲学の影響は、その後の西洋思想の歴史を通じて広がっている(Nussbaum, 2009, p. x)。
この〈治療的思想〉は、哲学から派生した心理学の基本的発想にも波及している。まず確認として、今日の臨床心理学においては、認知行動療法(cognitive behavioral therapy, CBT)が主流の介入アプローチとして知られている。CBTには、次のような根本的前提があるとされる。「1. 認知は行動に影響を与える。2. 認知はモニタリングできるものであり、変容可能なものである。3. 望ましい行動変容は、認知変容に影響されうる」(Dozois et al., 2019, p. 4)。自己の思考や行動を定量的に把握し、実際的な変容をもたらすことを目指す技法群で知られるCBTは、その名の通り、認知科学や行動科学を母体とする実証主義・科学主義の申し子のように思われている。だがCBTはその実、エピクテトス、セネカ、マルクス・アウレリウスといった、ストア哲学からの影響のもとに形成されたものだという指摘がある(Robertson, 2020)。
このCBTは、実際に多くの自己啓発書のインスピレーション源となっている。例えば、2024年7月に発売後、好調な売れ行きで版を重ねているビジネス書『あっという間に人は死ぬから』では、「人生の『3つの理(死・孤独・責任)』と向き合う」ための有効な技法として他ならぬCBTが推奨され、事実と解釈を分けて捉えるための具体的なワークも紹介されている(佐藤, 2024, p. 298)。このように、哲学に由来する〈治療的思想〉が、ビジネスパーソン向け書籍に伝播している様子がうかがえるだろう。
〈治療的思想〉のイデオロギー
〈治療的思想〉の眼目は、個人の救済とそのための倫理であるように見えるが、そこから派生する社会・政治思想的な含意や傾向も無視するわけにはいかない。一つに、自己啓発書には、強い意志をもった個人という観念と、それに伴う自己責任主義を助長する機能があり、それは新自由主義的なイデオロギーの反映である、と指摘する社会学的研究は少なくない(e.g., Ouellette, 2019; 平井, 2014)。
加えて注目すべきは、そもそもの「治療」という観念に内在する、「身体や心が本来発揮すべき健康な状態を取り戻す」という志向である。これを社会にも当てはめれば、伝統的に維持されてきた共同体の規範の是認と、それへの回帰を善とする思想になるだろう。このミクロ・マクロでの発想の同型性を考慮すれば、〈治療的思想〉からは政治的保守主義が接続される回路が存在する、という見方もできる(藤井, 2023)。例えば、哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの議論には「治療的」な側面があるとされるが、彼の言語哲学的な探求は、ある種の保守思想を含意するという解釈がなされることがある(Bloor, 1983)。さらに、一般にはコスモポリタニズムを支持したものとされるストア哲学にもまた、伝統的共同体への帰属・帰依を重んじたとする解釈が存在する(Rogers, 2022)。
翻って現代においては、CBTや(通俗的)ストア哲学が、リベラル派・革新派的な価値観に対する攻撃や、極端な場合には人種差別主義的な言説のための理論的根拠や箔付けとして用いられている状況がある。例えば、ジャーナリストのグレッグ・ルキアノフと心理学者のジョナサン・ハイトは、米国の大学教育の左傾化を問題視し、その原因には「認知の歪み」があるとして、現状打破のために学生・教職員がCBTを取り入れることを推奨している(Lukianoff & Haidt, 2018)。また、古典学者のダナ・ザッカーバーグは、ミソジニー(女性蔑視)や白人至上主義的な傾向を持つオンラインのコミュニティ「レッド・ピル」において、後期ストア派の哲学者たちの思想が称揚されていることに注目している。ザッカーバーグによると、「情動のコントロールは道徳的優位性の印」(Zuckerberg, 2018, p. 82)という発想のもと、「(白人)男性=理性的=道徳的、女性=感情的=非道徳的」という思想を正当化するものとして、マルクス・アウレリウス等の作品が用いられているのだ(藤井, 2023, p. 139)。
こうした治療的な発想を持つ哲学の「悪用」は、単なる「誤用」として済まされるべきものではなく、もともとの思想の根幹に、そうした転用を可能にする理路が組み込まれていると考えることもできるだろう。
〈治療的思想〉としての現代ミニマリズム
ここで唐突に思われるかもしれないが、現代の自己啓発書というジャンルの中でも一定の存在感を示している、ライフスタイルとしてのミニマリズムに注目したい。というのも、ミニマリズムもまた、こうした〈治療的思想〉の系譜に連なる実践と見ることができるからだ。
ミニマリズムの一つのルーツは、米国の社会哲学者リチャード・グレッグ(Greg, 1936)が提唱し、彼に触発された文筆家のデュアン・エルジンら(Elgin & Mitchell, 1977)が世に広めた「自発的簡素(voluntary simplicity)」というアイデアだとされている(大平&増田, 2020)。彼らのもともとの動機は、地球環境に配慮した生き方を打ち出すことであって、それを脱資本主義の倫理として高く評価する論者もいる(橋本, 2021; 四角&斎藤, 2023)。
しかし現代においては、ミニマリズムは環境思想の実践というよりも、あくまで個人の心身の健康、あるいはスピリチュアルな救済を得るための手段として用いられている節がある。例えば、米国でもヒットした、片づけコンサルタントの近藤麻理恵による「こんまりメソッド」は、「片づけ術というよりもむしろ自己啓発術」として受容されたという指摘がある(入江, 2022, p. 60)。同様に、「自己啓発的展開」(牧野, 2015, p. 232)を経た整理術とともに、アート・デザインの潮流にも影響を受けた現代ミニマリズムの実践者もまた、エコロジーのような大義とは異なる関心に動機づけられていると考えられる。ここで特に注目したいのは、彼らの多くが、「ミニマリズムはセラピーだ」と捉えて、自らの生き方として採用している、という説である(Chyka, 2020, 1-V)。
実際、SNS上のインフルエンサーとして活動している、日本の有名なミニマリストたちの少なからぬ数が、個人的な危機を打開するためにそのライフスタイルを取り入れたことを告白している。一例として、開設から一年で100万ビュー数を超えるブロガーになり、現在では文筆家・YouTuberとしても活動しているミニマリストしぶ(澁谷直人)に注目しよう。彼は、「2浪したあげくに大学も行かないわ、警察に連行されるわ、しまいに我が家で唯一のノートパソコンとモバイル Wi-Fiまで没収される」(澁谷, 2022, p. 82)という「人生どん底で、精神的に参っていた」(p. 81)ときに、ミニマリズムと出会って希望を取り戻す。彼によれば、「空間の余白が、メンタルの健康にも、命を守ることにもつなが」るという(p. 67)。
また、同じく文筆家・YouTuberとして活動しているミニマリストTakeruは、「身も心も限界を迎え〔…〕健康も仕事も失い、当時同棲していた元カノにもフラれ、人生どん底の状態」(ミニマリストTakeru, 2020, pp. 3-4)にあったところ、「約3年かけて3000個以上のモノを手放し、ミニマリストにな」(p. 4)ったことで、精神の平穏と経済的安定を得られたことを強調している。
合理主義・技術主義
彼ら現代ミニマリストは、環境を配慮して限られたわずかなもの長く使うという、グレッグ=エルジン的な姿勢とは、相反するような消費傾向を持ち合わせている。つまり、自分の感じるストレスや労力を最小限にするためには、高価なデジタル家電を積極的に利用する方が合理的だ、という判断である。
例えば、経済評論家の勝間和代が汚部屋の断捨離を決断したきっかけは、アップルウォッチによる徹底した自己管理の可能性に気づいたことだと述べている(勝間, 2016, p. 17)。彼女は自分の掃除・片付け経験に基づくマニュアル本において、必ずしも安価とは言えないドラム式洗濯乾燥機、お掃除ロボット、全自動調理器などを導入することによる技術的問題解決を推奨し、「サンクコスト」、「MECE」、「バッチ処理に対する逐次処理」など、行動経済学的・経営学的なタームを用いつつ、それが「ロジカル」な暮らしのあり方であることを強調している(勝間, 2016; 勝間, 2017)。
ミニマリストしぶも勝間と同様に、ドラム式洗濯乾燥機やお掃除ロボットを導入しており、高価な機材に大いに依拠した技術的解決を、肯定的に捉えている。
片付けする努力、掃除する努力、労働する努力、そして、ゴミを分別する努力……このように、今まではなんにでも努力が求められ、それができない、つまり「がんばれない」人には「ダメ人間」のレッテルが貼られていた。しかし、テクノロジーが進化した今、「努力=がんばること」は無駄だ。(澁谷, 2018, p. 178)
また彼は、新たに追加される機能による生活のさらなる利便化を期待しつつ、「新作iPhoneを発売日に、毎年買」っていることを公表している(澁谷, 2022, p. 208)。これについてミニマリストしぶは、新機種の購入と同時に旧機種を中古で売りに出すができる(=旧機種にリセールバリューがある)ことに注目した、経済合理性に見合った手法であって、スマートフォンという日ごろ長時間使用するものに投資を行うことで自分の満足度が高まる「コンフォート原則」にも即した、理にかなった実践であると正当化している(pp. 208-209)。
利己主義
加えて、一部の現代ミニマリストは、自らの利益を最大化することを最優先とする、利己主義的な生き方を、他者との関係にも適用することを、大っぴらに推奨している。例えばミニマリストしぶは、「人間関係は損得勘定」であるという認識のもと、「利益をもたらす人間としか付き合わない」(澁谷, 2018, p. 230)ことを勧めている。彼は、熊谷晋一郎の「自立」の定義、「自立とは、依存先を増やすこと。希望は、絶望を分かち合うこと」を引きつつ、広く浅く人間関係を維持することで自らが抱える「リスクを最小限にすること」ができると強調し、それは目の疲れを最小限にするために、大型のスマートフォンを選ぶのと同じことだと述べている(pp. 235-237)。
ミニマリストTakeruも同様に、スマートフォンの連絡帳を常に精査し、「『今の自分』にとって大事な人だけ」(ミニマリストTakeru, 2020, p. 144)を残すことが重要だとしている。彼もまた、人脈=他者の存在の価値は、自らの目的達成に資するかどうかという基準で判定されるものと理解しているように見える。
僕が人間関係の見直しで実践したことは、夢を叶えるために必要な人脈を築くことです。第1章で、あなたのやりたいこと、叶えたい夢・目標を明確にしました。その夢や目標を叶えるためには、どんな人が周りにいてくれたらいいでしょうか? あなたの夢を反対する人、否定する人、邪魔してくる人が周りにいたら夢は叶うでしょうか? もしも本気で夢を叶えたければ、そういう人と距離を置く必要があります。僕たち人間は、普段つき合う人の影響を常に受けています。(pp. 145-146)
あくまで自分という個人を中心におき、他者は道具主義的な価値を帯びた、自らの意志で取捨選択可能な存在として把握されているところに、Takeruとミニマリストしぶとの共通点が見出される。もともと自発的簡素という思想は、人間の利他性という事実性(荒木, 2024)に立脚しつつ、コミュニティ中心主義とシェアの精神を伴っていたが、現代ミニマリズムはそれとは対照的な人間観を奉じるに至ったことが分かる。
シンプルさの美学と排外的な思想の接続
本来は環境思想だった自発的簡素という生き方が、このような利己主義的・合理主義的なライフスタイルへと変容していった過程には、本来の=純粋な自己への回帰と、それ以外の事物を異物として排除する志向という、一種の〈治療的思想〉が働いていると推察することができる。
この基本的な発想と、それに付随するミニマリストの「美学を価値基準とする新しい選民思想」(真鍋, 2024, p. 115)には、抑圧的な社会思想が接続する潜在性があるという議論がある。例えば、先にも引用した、ミニマリズム論の著者カイル・チャイカは、建築家フィリップ・ジョンソンの「ガラスの家(Glass House)」に代表されるミニマリスト・デザインには「ある種の誇大妄想狂的な支配欲」や、「自分自身を除いては、客人の居心地のよさのことなど、全く考慮に入れない」(Chyka, 2020, 2-II)という自己中心性が顕在化している点を問題としており、精神分析家のアデル・トゥッターも、そこにファシスト的心性の顕れがあると指摘している(Tutter, 2011)。他にも、建築家のアドルフ・ロースが「装飾と犯罪」論文において、ギリシア・ローマ建築の簡素さを称揚する一方で、非西洋の、有色人種による装飾に満ちた芸術的伝統を、道徳的な頽廃・未熟さと結びつけている(ロース, 2021)箇所に注目し、ミニマリズムと白人至上主義・西洋中心主義の間に連関を見出す見解も存在する(Eckardt, 2024)。
こうした議論は、ミニマリズムと極端な主義主張の等価性を証明するものではないが、治療的な発想にもとづく質素なライフスタイルと、特定の思想との親和性・一貫性、あるいは接続可能性を示唆しているとは言えるだろう。
〈治療的思想〉の別のあり方
〈治療的思想〉は、その内在論理の運動によって、特定の社会的・政治的な方向性を帯びうることを、ここまで確認してきた。だからと言って、当然ながら、質素な生き方を選ぶ者が全員、必然的に利己主義者や差別主義者になるわけではない。
実際、治療的な思考やミニマリスト的なライフスタイルを、別の形で追求する試みもなされている。例えば、哲学者のルイス・デ・ミランダは、医療において伝統的な目標とされてきた身体的・心理的な健康(ウェルビーイング)という価値の不十分性を指摘し、それに代わる全人的な理想状態として「哲学的健康(philosophical health)」という概念を提唱し、医療従事者とも協働しつつ哲学カウンセリングに取り入れている(de Miranda & Loughlin, 2023; 藤井, 2024)。また、消費主義とミニマリズムはどちらも、外的な事柄に対して過度に執着している点において同じ穴の狢だと判ずるフリスティアン・ハディナタは、自発的簡素の起源の一つであるストア哲学と、米国で生まれた哲学運動であるプラグマティズムの要素を併せ持つ、ストア派プラグマティズム(Lachs, 2012)こそが望ましい倫理的消費態度であると主張している(Hadinata, 2023)。
複雑性・予期不能性に面した際に個人がどのような選択を取りうるか、そしてそこからどのような社会的ヴィジョンが派生するかを考察する上で、人の思考がとる一つの基本形としての「治療的なるもの」、そしてその含意に注目することは、一つの有益な視座になりうるのではないだろうか。
参考文献
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大平修司&増田明子(2020)「ボランタリー・シンプリシティと倫理的消費に関する一考察:幸福感への影響とボランタリー・シンプリファーの特徴」『国府台経済研究』30(1), 29-54.
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佐藤 舞(サトマイ)(2024)『あっという間に人は死ぬから:「時間を食べつくすモンスター」の正体と倒し方』KADOKAWA.
澁谷直人(ミニマリストしぶ)(2018)『手ぶらで生きる。見栄と財布を捨てて、自由になる50の方法』サンクチュアリ出版.
澁谷直人(ミニマリストしぶ)(2022)『手放す練習:ムダに消耗しない取捨選択』KADOKAWA.
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ロース、アドルフ(2021)『装飾と犯罪:建築・文化論集』伊藤哲夫訳、筑摩書房.
藤井翔太(ふじい・しょうた)
1987年生まれ。関心領域は応用哲学・教育哲学。北海道大学文学部哲学・文化学コース卒業、東京大学大学院教育学研究科修士課程修了、テンプル大学大学院教育学研究科修士課程修了。現在、都留文科大学専任講師/テンプル大学ジャパンキャンパス特任講師。訳書にナンシー・スタンリック『アメリカ哲学入門』(勁草書房、2023年)、ドナルド・ロバートソン『認知行動療法の哲学:ストア派と哲学的治療の系譜』(共監訳、金剛出版、2022年)、共著に『徳の教育と哲学:理論から実践、そして応用まで』(東洋館出版社、2023年)等がある。
【12/10開催】「治療的思想」から自己啓発の “セラピー”性を読み解く──応用哲学研究者 藤井翔太【Academic Insights #8】
人文・社会科学領域における「概念」や「アイデア」をよすがに、気鋭の研究者とともに、いま私たちが生きている時代あるいは社会がこれから直面する課題を読み解いていくレクチャーシリーズ「Academic Insights」。
第8回に登壇するのは、「治療的思想」という概念から、「自己啓発」の中に潜む“セラピー”性や政治性を明らかにしようとする、応用哲学研究者の藤井翔太さんです。
そもそも「治療的思想」とは何なのか? 「治療的思想」というレンズから見えてくる未来像とは? ──この概念の現代的意義や可能性について、本イベントでは藤井さんより直接レクチャーいただきます。
これまで光を当てられてこなかった、自己啓発の“セラピー”性という考え方や、今後の「治療的思想」の異なるあり方について、これから議論を深めていくためのレンズを共有していくような時間にできればと思っております。ぜひふるってご参加ください。
■イベント日時
2024年12月10日(火) 20:00〜21:30@Zoomウェビナー
■イベント参加申し込み(無料)
以下のGoogleフォームより、必要事項を記入のうえ、参加申込をお願いいたします。
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※イベント参加にはニュースレターへの登録が必須となります※
※配信リンクに関しては、お申込みフォームに記入いただいたメールアドレスに、後日お送りいたします※
■イベント内容
20:00-20:05:イントロダクション
20:05-20:35:藤井さんによる「治療的思想」概念のレクチャー
20:35-21:20:ディスカッション(モデレーターによる深堀り、参加者の皆様からの質疑応答)
21:20-21:30:クロージング