「クリエイティブ労働」の光と闇。芸術と知識をめぐる産業の課題と可能性を読み解く|中條千晴
いま、文化にかかわる産業領域が注目を集めています。この領域での事業創造に携わる「文化起業家」が脚光を浴びるケースも近年では増えており、海外に向けて日本の“文化輸出”を促進していくべきだとする声も存在します。
しかし、いわゆる「クリエイティブ労働」の現場には課題も数多くあります。音楽家、アーティスト、翻訳家、フォトグラファー、アニメーター……たとえばこうした仕事に従事する方々は、自身の創造性を絶えず問われながら次々とタスクに追われる、厳しい労働環境を経験することも少なくありません。
こうしたクリエイティブ産業をめぐる課題について研究しているのが、文化社会学やポピュラー音楽とジェンダーを専門とする、仏リヨン第三大学准教授の中條千晴さんです。
2024年4月25日に発売された『Forbes JAPAN』2024年6月号では、デサイロが編集担当・中條さんが執筆した寄稿「「クリエイティブ労働」の光と闇。芸術と知識をめぐる産業の課題と可能性を読み解く」が掲載されました。
「クリエイティブ産業」が持続可能な発展を遂げるために必要な論点について、とりわけ"女性が直面しやすい困難"の観点も交えつつ、中條さんに論じていただきました。
0.1%ーー何を表す数字だろうか。
これは文化芸術活動に費やされる日本の国家予算の割合だ。その実、韓国の10分の1、フランスの9分の1である。日本は、いわゆる先進国のなかでも文化芸術活動やその受容への体系的な支援が著しく遅れている(芸術と創造 2012)。一方で、近年はSNSや動画プラットフォームなどの普及により様々なコンテンツが容易に受容できるようになった。それに伴い、映像・音楽・(漫画やアニメを含む)出版産業などの分野におけるクリエイターへの期待が高まっている。だが、そうしたクリエイティブなものが生み出される人々の労働現場について、私たちが知らないことも多い。
さて、「私はクリエイティブな仕事をしています。」というと、どんな反応が返ってくるだろうか。賞賛や尊敬、あるいは羨望や好奇心、もしくは不信や軽蔑、あるいは無関心や無理解。クリエイティブな仕事をする人とは、一体誰なのだろうか。
創造性や表現力を必要とされるこの仕事は、社会に新しい価値や意味を提供するとともに、クリエイター自身の才能や情熱による社会的成功を実現することを想定する。しかしそれは決して楽ではない。クリエイティブな仕事は、不安定な収入や労働条件、競争や評価の厳しさ、ジェンダーや階層の不平等、やりがい搾取(本田 2011)や過労など、多くの課題や困難と隣り合わせの世界である。本稿では、クリエイティブな労働の世界を照らし出し、 その中で生きる人々の立場を、特にジェンダーの視点から考察してみたい。
経済成長の新たな分野「クリエティブ産業」とは
クリエイティブ労働という言葉を扱う際に、まず、そもそもどのような種類の仕事における労働を指すのか。ここで「クリエティブ産業」という言葉に注目したい。現在のクリエイティブ産業の定義はさまざまであるが、例えば日本の経済産業省は「価格ではなくクリエイティビティの付加価値によって市場から選択されるモノ・コト・ヒトからなる」(前掲)分野であるとし、ファッション、食、コンテンツ(映画・映像・放送、音楽、出版、ゲーム、ソフトウェア)、地域産品(伝統工芸品)、すまい(建築、インテリア)、観光、広告、アート、デザインを対象分野としている。
クリエイティブ産業はその起源を文化産業に遡ることができる(Hesmondhalgh & Baker 2011)が、生産プロセスに関わる「創造性(クリエイティビティ)」に重きが置かれ、純粋に「文化的」であるために必要な基準(つまり商業的ではないこと)を必ずしも満たさない(Kolsteeg 2013)。クリエイティブ産業という用語自体は、1998年に英国政府が、テクノロジー産業を芸術と関連させ「戦略的な産業分野として世界に先駆けて位置付ける」(東京都産業労働局 2014)ために採用した。つまりクリエイティブ産業を経済成長のための新たな分野と位置づけたのである。
「クリエイティブ労働」の何が問題なのか?
クリエイティブ労働とはしたがって、これらの分野において知識や情報を生産し、利用する人々の仕事を指す言葉である。自らのクリエイティビティを最大限に発揮し市場に参入していくこの労働形態はもちろん、やりがいがあり充実したものである。しかし、同時に多くの課題や困難にも直面している。
例えばその不安定さ。クリエイティブ労働の環境は、その多くが低賃金、長時間労働、不安定な契約関係を求められ、社会的保護は少ない。また、時間とエネルギー、さらにクライアントや同僚への気遣いなどといった、「感情」をも投資することを求められる。そして「報酬が少なくてもやりがいがある」という自己実現の追求から、やりがい搾取に陥ってしまう場合も少なくない。
クリエイティブな仕事のスリルある成功体験などは感動的な美談として語られることも多いが、事業がうまくいかなければ社会の辛辣な目にも耐えなければいけない。その影には自分の「やりたいことをやる」自由(高橋 2023)にはリスクに対する自らの責任が伴って当たり前だ、という自己責任の論理が公理となってしまった社会構造がある(マクロビー 2023)。
クリエイティブ産業に従事する人間はまた、市場における「付加価値」を保証するため、芸術的表現や自律性と、市場や聴衆からの要求や期待とのバランスをとらなければならない。そこには、自らの創造性を洗練させていくアーティストとしての向上心を保たなければいけない一方、特定のスタイルやジャンル、流行に合わせることや、収益性が高く人気のあるコンテンツを制作することへのプレッシャーとも向き合わなければならない環境がある。また、自らのクリエイションに対する知的財産の法的保護がない場合、作品が流用、模倣、海賊版の対象となり著作権をコントロールできなくなるリスクもある。
そのため、一見矛盾しているようだが、仕事においてクリエイティブであるということは、束縛とストレスをも伴うものでもある。例えばあるプロジェクトが短期間であった場合、納期までに仕事を仕上げないと自らの評価に影響を与え、次の仕事の可能性にも影響を及ぼす可能性がある。その一方で、そのプロジェクトの完了を待たずに次の仕事を探さなければならない圧力がある。そのような自転車操業の労働環境で、クリエイターは作品に創造性を失ってしまう、あるいは自ら見出せなくなる場合もあるだろう。
さらにクリエイティブ産業の世界は人脈と人望が仕事の可能性に影響を与えやすい。それは単なる「コネ」の世界というわけではなく、実力がコミュニケーション能力によって倍増したり、あるいは半減したりするような仕事環境なのだ(マクロビー 前掲)。そこでは、誰を介し、どのような枠組み、あるいは背景で、誰にどんな印象を与えて自らの創造性をアピールするかが重要になる。つまり、作品や活動を自由奔放に表現するだけでは、偶然に恵まれない限り仕事につながらない、つながっても持続しない世界なのである。
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本記事は、『Forbes JAPAN』2024年6月号に掲載された同名記事の一部を転載したものです。記事の全文は、Forbesの誌面にてご覧ください。
寄稿者プロフィール
中條千晴(ちゅうじょう・ちはる)
仏リヨン第三大学准教授。1985年生。専門は文化社会学、ポピュラー音楽とジェンダー。翻訳に『女性ジャズミュージシャンの社会学』(青土社2023 年)、代表的論文に「Women’s movements in Japan in the 1970s : Transgression and Rejection」in Eileen B et al,『Engendering Transnational Transgressions』(共著 Routeledge 2021年)、『フィメールラッパーの恋愛表象 : 逸脱・密猟・対話』(ユリイカ 青土社 2023年)など。
参考文献
・マクロビー・アンジェラ、田中東子(監訳)、中條千晴・竹崎一真・中村香住(訳)『クリエイティブであれ』花伝社(2023)
・永田大輔・松永伸太郎・中村香住(編)『消費と労働の文化社会学』ナカニシヤ出版(2023)
・中根多恵「「労働」カテゴリーに抗う音楽家たちによる運帯への模索 芸術性と労働性の間にある「労働的なもの」のジレンマをめぐって」
・高橋かおり「「やりたいこと」と〈仕事〉の分離 。近接・管理 美術作家と音楽家の実践を事例として」
ビュスカート・マリー、中條千晴(訳)『女性ジャズミュージシャンの社会学』、青土社(2023)
・本田由紀 『軋む社会---教育・仕事・若者の現在』河出書房新社(2011)
・一般社団法人 芸術と創造『諸外国の文化予算に関する調査 報告書』(2012)
・東京都産業労働局 『クリエイティブ産業の実態と課題に関する調査』(2014)
・Hesmondhalgh D. & Baker S. Creative Labour, Mediawork in three cultural industries, Routledge(2011)
・Kolsteeg, J. Situated Cultural Entpreneurship. Artivate 2(1), 3-13(2013)
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