学際的概念を社会実装につなげるために──「バイオミミクリー4.0」での議論とアプローチから考える
生物の構造や機能などを観察・分析した上で、そこから着想を得て新しい技術開発やものづくりに活かすという概念「バイオミメティクス」。
科学の発展や我々の生活を豊かにすることに大きく貢献してきたこの概念を、私たちはあまりに無批判に受け入れてきたのではないか?──こうした着眼点から、「バイオミメティクス」がもたらす功罪を人文・社会科学的な観点を交えて検証し、「バイオミミクリー」の概念を捉え直し、未来にあるべき方向性を再定義する試み「ネイチャーテクノロジーを活かした『負から正への転換』のための社会科学技術論と自然の模倣を通じた発想転換型イノベーションのための政策研究」。
東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部において森林風致計画学研究室を主宰する、森林環境資源科学/国際環境・自然資源マネジメント研究者の香坂玲さんがプロジェクトの代表者を務め、自然科学・工学から人文・社会科学まで、多領域の研究者が「バイオミミクリー」という概念を基軸に研究に取り組んでいます。
前編記事ではプロジェクトの全体像を概観しながら、概念としてのバイオミミクリーの現在地と展望を紹介しました。
生物模倣から「生態系システム全体の模倣」へ──学際的概念から社会変容につなげる「バイオミミクリー4.0」
後編記事では、再定義した「バイオミミクリー」という概念をいかにして社会実装へとつなげていくのか、その具体的なアプローチを見ていきます。フューチャーデザイン、倫理・社会実装、AI・データベース──3つの切り口から、学際的な概念を社会実装するための方法論やアプローチについて、プロジェクトでの実践・分析や議論を振り返りながら考えます。
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あるべき未来のビジョンを形成する──フューチャーデザイングループ
生態系システム全体を「模倣」するという考え方を採用し、人間がつくったものが生態系システム全体でいかなる影響を及ぼすかに目を向けていく──そんなバイオミミクリーを再定義した「バイオミミクリー4.0」という概念を社会実装に繋げていくことを目指す本プロジェクト。
社会実装に向けて進めていく道筋として、①フューチャーデザイングループ ②倫理・社会実装グループ ③AI・データベースグループの3つの研究グループに分かれて、それぞれの観点から検討が進められています。
まずフューチャーデザイングループでは、バイオミミクリー4.0の理念やビジョンを具体化するために、さまざまなステークホルダーを交えたワークショップを開催しました。それが前編記事で紹介した、2024年8月に東京大学で開催されたワークショップです。
同ワークショップでは、ネイチャーテクノロジーの歴史を振り返りながら、「2054年の未来」に想いを馳せるグループワークを実施。以下のような問いが参加者に投げかけられました。
■WS①:過去についてのディスカッション
質問:
2024年の今、世の中はどのような姿になっていると、過去の人たちに伝えたいですか?
彼らにどんなメッセージを伝えたいですか?それが伝わっていたら、今の世の中はどう変わっていますか?(以下の3タイプから検討)
タイプ1:感謝型(〇〇してくれて、ありがとう)
タイプ2:不満型(なんで〇〇をしたんだ/なんで〇〇をしてくれなかったんだ)
タイプ3:どうでも型(その論点は今ではどうでもよくなっているよ)
■WS②:フューチャーデザインについてのディスカッション
前提:みなさんは2054年にタイムトラベルし、そこで暮らし続けることになりました。いまから振り返ると、2024年は次のような時代でした。バイオミメティクスの功罪が鮮明化してきたことを踏まえ、人間中心主義や自然搾取のための科学技術という考えを見直す必要性を訴えていました。国際的に、生物多様性の損失に歯止めをかけるために設定された愛知目標がほとんど達成できていないことが明らかになる中、ネイチャーポジティブが投資家による企業選別の基準として着目され始めていました。
質問:
・2054年の今、世の中はどのような姿になっていて、その中であなたたちはどのように幸せを見出そうとしながら暮らしていますか。
・そんな2054年を実現するために、2024年の人たちに、リクエストメッセージを送ってください。
具体的に、会場では以下のような意見があがりました。
・「生物の多様性と人間の多様性とは近しい関係になるのではないか」
・「生物多様性が大事という意見はいわば綺麗ごとだけれど、その綺麗事を言ったときに、周りから叩かれないような人間同士の関係性が大事なのではないか」
・「それらは教育によって解決していく問題であるとも考えられる」
この取り組みのポイントは、ワークショップ内で交わされた議論を全て書き起こした上で、さまざまな手法を用いて分析していることです。たとえば、発言間の関連性を可視化する「ダイアログマップ」の作成や、発言をクラスター化して要約文を作成するといった分析によって、今後の議論において重要になる関係性を抽出しました。
今回、中間報告会での発表を担当した中川善典さんは、以下のように締めくくります。
「生物多様性とバイオミミクリーの関係をいかに捉えるか、といった理論的な枠組みを作成しながら、さらに個別の発言やナラティブを丁寧に掘り下げて、バイオミミクリー4.0を議論する上で必要な次なる理論的支柱を導き出せるように進めていければと思います」(中川さん)
概念に批判的分析軸を与える──倫理・社会実装グループ
倫理・社会実装グループでは、バイオミミクリーの実践と社会実装における課題を人文・社会科学的な視点から多面的に検討することを目指しています。
ネイチャーテクノロジーによる技術・製品開発が、いかなる社会的・倫理的・哲学的含意を持っているのかが十分に議論されてこなかった現状を踏まえ、そこに新たな視座と分析を加えることで、バイオミミクリー4.0のあるべき姿を模索していきます。特に以下のような問いを扱っています。
・科学技術を人間中心主義から脱却させ、より包括的な視点で評価するためのバイオミミクリーの理論的枠組み
・都市計画やサステナビリティ・トランジションにおいて、バイオミミクリーはどのように活用可能で、その課題は何か
・バイオミミクリー関連技術の倫理的課題、セキュリティ、デュアルユース問題にいかに対処するか
・バイオミミクリー実践におけるジェンダーバイアスや南北問題をどのように克服するか
現在、このチームが具体的に企画しているのは、『社会と倫理』特集号において「バイオミミクリーと持続可能な社会」をテーマにした特集を出版することです。
特集号では、バイオミミクリー4.0の基本概念と動向、その歴史的展開、環境人文学との架橋、モア・ザン・ヒューマン的視点による他種共生的評価、技術哲学の観点からの倫理的課題、持続可能な都市デザインへの応用、科学技術政策上の位置付けや政策提言、南北問題やジェンダー視点からの検証まで多岐にわたる予定です。とりわけ南北問題については、生物多様性の高い地域の資源を搾取するリスクに言及し、公正性の観点からバイオミミクリーを見直す必要性を指摘する論考も予定しています。
今回、中間報告会での発表を担当した内山愉太さんは、以下のように締めくくります。
「本特集号を通じて、バイオミミクリーの社会実装に向けた批判的分析を行い、政策立案者や企業関係者など広範なステークホルダーへの提言を目指していきたいです。2025年5月の最終原稿提出に向け、現在、執筆と編集作業を進めています」(内山さん)
テクノロジーで社会実装を加速させる──AI・データベースグループ
AI・データベースグループでは、バイオミミクリー4.0の実践に向けて、発想支援システム「BioTriz」の構築を目指しています。その中核となるのが、ロシア発祥の発明理論「TRIZ」とAI技術の活用です。
そもそもTRIZとは、あらゆる技術的課題は40の発明原理で解決できるとする理論です。ユーザーが抱える課題を39の特性パラメーターに分解して対応づけ、その組み合わせから解決方法を導きます。しかし、従来TRIZの理論はこの「対応関係」をつくることが多くの人々にとって難しいという課題を抱えていました。
そこでブレイクスルーとなりつつあるのが、近年の大規模言語モデル(LLM)の発展に基づく生成AIです。この中にTRIZの理論をインプットして、ユーザーが自分の課題(例えば「〇〇を改善するロボットが欲しい」など)を入力すると、AIが自動的にその要望を39の特性パラメーターへと紐づけて解決策を提示します。これによって、ユーザーが曖昧な課題や要望でもTRIZを使いこなして解決方法を考えることが可能になりました。
さらに、本プロジェクトにおける「BioTriz」では、この理論をバイオミミクリーに特化させて使用することを目指します。すなわち、バイオミミクリーの知見のアイデアをAIに学習させることで、ユーザーが抱える技術的課題に対してその知見を活かした解決策を手軽に得られるようなプラットフォームの構築を目指しています。
今回、中間報告会での発表を担当した藤平祥孝さんは、以下のように締めくくります。
「将来的には倫理・社会実装グループによって議論されたELSI(倫理・法的・社会的側面)関連の内容をAIにデータセットとして連携させることで、社会実装上の注意点や倫理的懸念をユーザーにフィードバックする仕組みも検討しています。さらにフューチャーデザイングループの成果も取り込み、単なる技術支援に留まらず、社会全体に長期的なインパクトを及ぼすことを見据えたシステムを目指していきたいです」(藤平さん)
学際的な概念を起点に、社会実装していくために
「ここまで見てきたように、バイオミミクリー4.0という概念を立ち上げ、『負から正への転換』という発想によって技術の社会実装のあり方を変える研究プロジェクトが動いています。フューチャーデザインという手法やELSIの検討、AI技術を活用したソリューションなど、あらゆる知を総動員して具体的に応用可能なモデルを提示する試みには期待が持てます。
しかし、本プロジェクトの最終目標は政策提言による『自然共生型社会』の制度設計やガバナンスへの接続であるため、研究を深めると同時に一般向けの広報や関係省庁との意見交換などを通じて、コンセプトの社会的浸透を図っていきたいと考えています」(香坂さん)
「概念の社会化」を掲げてきたデサイロでは、こうした従来は理工系の世界観で進められてきた研究に、人文・社会科学の観点からもアイデアが加えられ、学際的に新領域として発展していく動きに着目しています。
フューチャーデザイングループによる、あるべき未来のビジョンの形成。倫理・社会実装グループによる、概念への批判的分析軸の付与。AI・データベースグループによる、テクノロジーでの社会実装の加速……こうした多方面からの社会実装のアプローチは、本プロジェクトに限らず、学際的な概念を起点とした研究の社会実装において、一つのモデルケースとなり得るはずです。
(Text by Tetshuhiro Ishida, Photo by Ryo Yoshiya, Edit by Masaki Koike)
レクチャーシリーズ「Academic Insights」がリニューアル
人文・社会科学の知を頼りに、いま私たちが生きている時代やこれから社会が直面する課題を考えるレクチャーシリーズ「Academic Insights」。これまで、「日常美学」や「無知学」「ジェンダード・イノベーション」といった鍵となる概念に依拠しながら、多くの受講生とともに、いまの時代と社会を考えるヒントを探ってきました。
2025年4月から6月にかけて、約3ヶ月にわたる新シリーズが始まります。テーマは、「アメリカン・ダイナミズムの精神史」。第2次トランプ政権発足以降、激動するアメリカの現在地とその源流を、政治学、哲学、宗教学、思想史の研究者とともに読み解いていくシリーズです。
各回では、トランプ支持基盤のひとつであるキリスト教福音派(キリスト教保守)から宗教再台頭の時代に迫ったり、アメリカを支えてきた哲学思想「プラグマティズム」や、トランプ以前に脈々と受け継がれてきた保守主義の思想史を考えたりと、アメリカの「いま」を考えるための論点を一つひとつ深ぼっていきます。
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一般参加:全7回で19,980円(税込)
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