生物模倣から「生態系システム全体の模倣」へ──学際的概念から社会変容につなげる「バイオミミクリー4.0」
研究における概念やコンセプトが、人々の認識や政策、企業活動、ひいては社会のあり方を変えてゆく──そんなアプローチの一つの先行事例として挙げられるのが、「バイオミミクリー(生物模倣)」です。
「バイオミミクリー」は1997年出版の書籍で提唱され、生物模倣により持続可能な社会に繋がるイノベーションを生み出す概念として世界で注目を集めています。そして生物模倣に着眼した概念としては、それ以前の1950年代に「バイオミメティクス」が提唱されています。
この概念は、生物の構造や機能などを観察・分析した上で、そこから着想を得て新しい技術開発やものづくりに活かすという考え方です。その登場以降、科学の発展や私たちの生活を豊かにすることに大きく貢献してきました。たとえば、新幹線のデザインにカワセミの嘴が活用されたり、自動運転に魚群の動きが活用されたり……バイオミメティクスは、「自然界の仕組みを模倣する」という着眼点によって生物学と工学の橋渡しを行い、数多くの発明につながってきたと言えるでしょう。
他方で、「バイオミメティクス」がもたらす功罪を人文・社会科学的な観点を交えて検証し、生物模倣の概念を捉え直し、未来にあるべき方向性を再定義する試みも動きはじめています。
私たちはあまりに無批判に生物模倣の概念を受け入れてきたのではないか──そうした問い直しの動きの一つが、環境省の推進によって2024年4月からはじまったプロジェクト「ネイチャーテクノロジーを活かした『負から正への転換』のための社会科学技術論と自然の模倣を通じた発想転換型イノベーションのための政策研究」です。
東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部において森林風致計画学研究室を主宰する、森林環境資源科学/国際環境・自然資源マネジメント研究者の香坂玲さんがプロジェクトの代表者を務め、自然科学・工学から人文・社会科学まで、多領域の研究者が「バイオミミクリー」という概念を基軸に研究に取り組んでいます。
バイオミメティクスの功罪とは何であったのか。いかなるプロセスで概念の変革が行われ、新しいバイオミミクリーの概念を立ち上げようとしているのか──本記事では、同プロジェクトのワークショップを振り返りながら、「バイオミミクリー」という概念の現在地と展望について考えます。
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「自然との会話」のための科学技術へ
「実は我々は地球環境や生態系のことを何も考えず、きわめて楽観主義的にバイオミメティクスを発展させてきてしまったのではないでしょうか?」
2024年8月、東京大学で開催されたワークショップの冒頭で問いを投げかけたのは、国内第一人者としてこの分野を切り拓いてきた公立千歳科学技術大学名誉教授の下村政嗣さんです。
下村さんによれば、レオナルド・ダ・ヴィンチが鳥類の飛翔を研究して飛行機械の設計を試みて以来、人間は生物から着想を得て多くの発明を生み出してきました。その後、1950年代に「バイオミメティクス」という概念が提唱されはじめてから、その技術的な潮流が変化するタイミングが何度かあったといいます。
1960年代:機械系バイオミメティクス。センサー技術、飛行制御技術など。
1970年代:分子系バイオミメティクス。自己組織化によるものづくり。
2000年代:材料系バイオミメティクス。生物のマイクロ・ナノ構造を人工的に再現する。
2010年代:生態系バイオミメティクス。自律的に協力し合うロボットなど。
さらに、2020年代にはシステムとしての⽣態系の模倣を⽬指す「エコミメティクス」という考え方も重要になると下村さんは語ります。
「現在さまざまな領域で同時多発的に起こっているのは、人間中心の⾃然観から、⾮・⼈間中⼼主義的な世界観への移行だと感じています。従来の科学技術は人間が自然を支配・搾取するものでしたが、残念ながらバイオミメティクスも例外ではありませんでした。
たとえば、1935年に化⽯資源を原料に絹⽷を模倣したナイロンの発明は、その後の合成繊維・プラスチックの開発促進のきっかけとなり、我々の生活を大きく豊かにしたように見えました。しかしご存知の通り、現在これらは海洋を漂う“マイクロプラスチック問題”を引き起こし、人類や地球環境を脅かしています。いまや石油化学製品は資源枯渇や環境汚染の象徴となり、飛行機もカーボンフットプリントの大きさから『飛び恥』とすら呼ばれるようになりました。
その他にも、“知覚”から着想されたセンサー技術の結晶であるドローンは戦争の殺人兵器になり、脳の神経ネットワークの模倣から生まれたAI技術は人間疎外を引き起こしているように見えます。こうしてバイオミメティクスの功罪が鮮明化したいま、個々の生物の機能や仕組みを真似て人間のために使うのではなく、生態系(エコロジー)の複雑な仕組みを考慮しながら“自然と会話する科学技術”の開発が求められているのではないか、と私は思っているのです」(下村さん)
バイオミメティクスの功罪を検証し、負の側面を正の方向へと転換させる。自然を支配・搾取する科学技術から、自然と会話するための科学技術へ──「バイオミミクリー4.0」という新しい概念を検討する研究プロジェクトは、こうした課題意識からはじまりました。
生態系システム全体の模倣へ──「バイオミミクリー4.0」とはなにか?
2023年4月から環境研究総合推進費により開始したプロジェクト「ネイチャーテクノロジーを活かした『負から正への転換』のための社会科学技術論と自然の模倣を通じた発想転換型イノベーションのための政策研究」。新たにELSIとして社会科学技術論的な視点や対応を加えていくものとしての「バイオミミクリー4.0」のあるべき姿を議論しながら、最終的にはビジョンの確立と具体的な政策提言へと落とし込んでいくことを目標として掲げています。
このプロジェクトは、①フューチャーデザイングループ ②倫理・社会実装グループ ③AI・データベースグループの3つのグループに分かれて、それぞれの観点から検討が進められています。
最初の大きな動きとして、2024年8月にフューチャーデザイングループが中心となってワークショップを開催。国内のバイオミミクリーに関連する領域の研究者などに加えて、官公庁の職員、建設会社や林業系企業なども交えながら、バイオミミクリー4.0が実現した未来を学際的に考える場が設けられました。
また、同10月には3つのグループが集まって会合を開催。それぞれのグループから経過報告とともに、バイオミミクリー4.0のあるべき姿や、どのように社会実装できる可能性があるかについて議論が交わされました。
議論を重ねる中で、バイオミミクリー4.0という概念を洗練させていく過程における課題が見えてきました。
たとえばプロジェクトメンバーであり、フューチャーデザインや参加型ビジョニングの観点から持続可能性のあり方を研究する中川善典さんは、「現段階の議論では概念の全体像がまだまだ掴みづらく、プロジェクトメンバーの間にも理解の齟齬が散見される。あるいは、生物多様性という比較的理解しやすいトピックに着地しがちである」と指摘しています。
そうした課題もある中で、ワークショップ内ではバイオミミクリー4.0のあり方について、いくつかの意見が挙がりました。
まず、人間がつくったものが生態系システム全体でいかなる影響を及ぼすかに目を向け、生態系システム全体を「模倣」するという考え方を採用していくのが基本的な考え方となるだろうという意見です。
言い換えれば、個々の技術の社会影響を考えるときでも、それを人間以外から見てどんな影響があるかを考えながら、その技術活用を「やっていいのか?悪いのか?」という点まで考える。人間を取り巻く動物・植物・虫などの生物がどのように世界を見ているのかを知ることで、非人間の視点を取り入れた共生的な考え方ができるのではないか、という議論がなされました。
建築・農業から都市デザインまで。「バイオミミクリー4.0」の社会実装にむけて
また、現時点で考えられる応用範囲についても議論がありました。一例としては、建築や農業、都市デザイン、経済活動などです。
「たとえば農業では、農薬によって昆虫を殺生するのではなく、昆虫の習性を知って活用する防除対策、コンプラント(混合栽培)や新しい農薬開発などが進展していくと考えられます。あるいは、まちづくりという観点では、日本中の市町村で熊が出没している問題に対して、動物生理学に基づいた解決が期待できる可能性があります」(中川さん)
とはいえ、現段階では抽象的な概念とも言えるものを、実際に社会実装に落とし込んでいくのは容易ではありません。プロジェクトのプログラムオフィサーである奥田敏統さんは以下のように語ります。
「バイオミミクリーを生態学的に再構成していくのは非常にハードルが高いとも思いました。飛行機の機首や新幹線の先頭車両部分などへのバイオミミクリーの活用は考えやすいものの、『アリの社会』『鳥の個体群』などを理論として取り込んで実装させるのは、人間と他の生物の特性の違いまで考慮するという注意が必要になります」(奥田さん)
最終的には社会全体における価値観の多様性やコミュニケーションといった議論も射程に入ってくるので、経済のあり方や市民間の情報共有など、幅広い応用方法が考えられていくという予想もなされました。あるいは、拡張現実やバーチャルリアリティ技術を用いて人間が動物の視点を理解するという、新技術を用いるからこそ描ける未来像も提示されました。
技術革新だけでなく、社会構造の再構築へ
こうしたワークショップ内での議論を踏まえて、本プロジェクトの研究代表者を務める香坂玲さんは、官公庁の方々とも協力する共同研究であるからこそ、研究成果を社会実装へと接続して物事を動かしていけるダイナミックさと、現実的に実現可能な「政策提言」へと着地させていく責任を感じているといいます。そして、以下のように今後の意気込みを語りました。
「バイオミミクリーという概念を再検討する本プロジェクトは、技術革新に過度な期待をかけるのではなく、それを支える社会構造の再構築までを視野に入れなければならない点が重要だと思っています。個別の技術開発だけでは現在直面している環境問題などは解決できないという前提で、自然界における適応戦略や共生関係などから新たな示唆を得ていければと考えています。
さらに今回は政策提言を目標としているので、生態系から学んだ原理を『自然共生型社会』の制度設計やガバナンスへと接続していく必要があります。これには規制のあり方や倫理的観点を考えることが欠かせないと思っています。また、フォーラムへの出展など一般向けの広報や関係省庁との意見交換などを通じて、コンセプトの社会的浸透を図っていくことも必要です」(香坂さん)
一方で、フューチャーデザイン班リーダー(研究分担者)の中川さんは、研究成果が政策提言に盛り込まれることが、すぐに社会的な結果につながるとは限らないとも指摘します。バイオミメティクスという一つの科学技術の発展の功罪を振り返った上で、次の世代があるべき姿を示すビジョンや、そこに至るための「シナリオ」を描くことが、今回の共同研究における重要なポイントであると語りました。
「バイオミミクリー4.0という新たな概念を用い、特定の政策を直接提示するのがもちろんゴールではありますが、直近は長期的なビジョンの形成を重視したいと考えています。というのも、まだまだ概念自体が未成熟で、生物多様性のわかりやすい側面を手がかりに議論が進んでいるのが現状だからです。
今後は30年程度のスパン、2050年代を念頭にした社会転換を見据え、どこに手をかけるべきかを明示する『シナリオづくり』が目標です。現在はまだ1年目なので、プロジェクトメンバーが創造的かつ長期的な視点から『こうした方向で社会を構想できるのではないか』というビジョンの『種』を見つけ、これらをもとに政策提言や社会設計への応用の足がかりを得ることを目指したいと思います」(中川さん)
今後はさらなる議論の深化を目指して、このプロジェクトでは再度会合を開き、引き続き研究者・行政・多様な関係者間での対話を発展させていく予定です。続く後編の記事では、引き続きプロジェクトでの議論を振り返りながら、「バイオミミクリー4.0」という新しい概念を構築し、それをいかにして社会実装へとつなげていくのか、その具体的なアプローチを見ていきます。
(Text by Tetshuhiro Ishida, Photo by Ryo Yoshiya, Edit by Masaki Koike)
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