アカデミアにおける資金状況の改善に向け、「DeSci(分散型サイエンス)」が乗り越えるべき課題──経済的持続性、コミュニティづくり、システム基盤の整備|濱田太陽
短期的な実益に結びつきづらい人文・社会科学の研究にとって、重要な課題の一つが「資金調達」です。その現状を打開するヒントを探るべく探究する連載シリーズ「研究資金調達のオルタナティブをめぐって」。
連載第2回では、新たな研究資金の調達手段として昨今注目が集まっている「DeSci(Decentralized Science:分散型サイエンス)」が構築しているエコシステム、特にデータや特許などのマーケットプレイス、資金調達の仕組み、ガバナンスモデルなどが切り拓く可能性の全体像について、神経科学研究者・濱田太陽さんに最新事例を紹介いただきました。第3回ではそうした状況において、DeSciが直面している「3つの課題」について濱田さんに論じていただき、今後の発展に向けた道筋を考えます。
DeSciは2022年に、著名ベンチャーキャピタルとして知られるAndreessen Horowitzが、科学者たちがブロックチェーン技術によって現代サイエンスの課題を改善しようとするムーブメントとして取り上げて注目されました。しかし、その開発や社会実装はまだまだ進んでいません。
筆者の考えでは、現状のDeSciには、特に以下の大きな3つの課題があります。
経済的な課題::持続的な成功モデルを構築できるのか?
コミュニティの課題::持続的に参加する研究者を誘致、育成できるか?
システム基盤の課題:不正などに耐性があるシステム基盤を発展させていけるか?
今回の記事では、まだあまり議論されていない上記の3つの課題について、筆者の視点で説明していきます。
課題(1):分散性を保ちながら、持続的な成功モデルを構築できるのか?
まず1つ目の課題は、「経済的な課題: 持続的な成功モデルを構築できるのか?」。
DeSciは始まったばかりで、持続的な成功モデルが構築できるのかどうかは、今後の発展に向けた重要な課題です。ここでは、既存のエコシステムの影響をいかに回避するのか、長期的なプロジェクトの支援をいかに行うのか、多様なプロジェクトがどのように資金調達するのか、という3つの観点から述べていきたいと思います。
まず、既存のエコシステムの影響をいかに回避するのか。研究室で生まれた知財を取引するためのマーケットを整備するだけなら、既存の仕組みが反復され、大企業やVCによる支援が中心になってしまう可能性があります。連載の前回でも紹介したバイオテック系のDAOの代表格「VitaDAO」は、大企業のVC部門であるファイザーベンチャーズとの連携を開始し、50万ドルの支援と引き換えに「VITA」と呼ばれるガバナンストークンをファイザーベンチャーズに提供しています。この際に、DeSciのエコシステムがVCや大企業から支援を受けることの是非に関して、Twitter上で議論が湧き上がりました。「二次投票」のように投票数を多く保有すればするほど有効投票数が制限される仕組みの導入も考えられていますが、既存のエコシステムが強い影響力をもつ可能性は、未だなくなっていません。
次に、長期的なプロジェクトの支援をいかに行うのか。バイオテック領域などの科学技術への支援は、通常10年を超えるような長期投資になる可能性があるため、長期的にグラントを供給したり運営したりできるのかどうかも大事な視点です。暗号通貨においては「FUD」(Fear, Uncertainty and Doubt、いわゆる「恐怖、不安、疑念」)のような脅威によって、プロジェクトを信頼できなくなった人たちがトークンを投げ出し、トークンの価格が急落して資金が抜けてしまう可能性もあります。このような価格の変動が高い仕組みで、長期的なプロジェクト支援が続けられるのかどうかが、今後検証されていくでしょう。一方で、他のプロジェクトと比べ簡単に短期でリターンを得られないがゆえに、プロジェクトに参入する人たちのリテラシーが比較的高くなり、風評被害の影響は小さく済んでトークン価格の急落が起きづらい可能性もあります。
そして、多様なプロジェクトがどのように資金調達するのか。VitaDAOを中心とした、活発に活動しているグラント系のDAOは、業界にそもそも資金が豊富であるため、資金調達も比較的容易な傾向があります。しかし、それ以外の、資金調達が容易ではない領域でどのようにプロジェクトを支援すればよいのかは不透明です。これまで述べたグラント系DAOのようなプロジェクト以外の、多様なサイエンスのプロジェクトをサポートしていくシステムが今後は必要になっていくわけです。資金調達が容易ではないプロジェクトを含めて今後DeSciが広がっていくためには、プロジェクトの価値を伝える役割を担う人たち=キュレーターが必要になると、筆者は考えています。例えばイーサリアムやHarmonyなどに代表されるパブリックブロックチェーン(注:誰でも許可なく参画でき、取引履歴が公開されているブロックチェーン)は、オープンソースソフトウェアに寄付するためのプラットフォームである「Gitcoin」などを通じて、DeSciを含めた多様なプロジェクトをサポートしています。このようにしてプロジェクトを支援する仕組みが、今後は必要になると筆者は考えています。
課題(2):参加する研究者は増えるのか、そして研究者を育てることはできるのか?
続いて、DeSciが抱える2つ目の課題が「コミュニティの課題:: 持続的に参加する研究者を誘致、育成できるか?」。
現状ではDeSciはほとんど、既存のシステムで活動している研究者には認知されていません。例えばTwitterのようなソーシャルメディアを考えても、日本においては誕生から10年以上経ってようやくその普及が進んできたことから、DeSciにも長期的な認知活動が必要になることは必至でしょう。
では、とりわけどういった人々に向けて、DeSciの認知を広めていけばよいのでしょうか? 現状では、大きく分けて以下の3つの特徴がある人々に向けて、DeSciのメリットを訴えかけていく必要があると筆者は考えています。
既存の査読や出版システムに、研究活動が阻害されている感覚や不満を持っている人たち
これまで既存のシステムでは研究活動と捉えられていなかった活動を、読み返す文脈を見つけた人たち
新たな研究システムの勃興の中に、事業的・研究的チャンスを見つけた人たち
まず、既存の査読や出版システムに、研究活動が阻害されている感覚や不満を持っている人たち。すでに長期的な研究支援を受けられている研究者は、DeSciに期待するメリットは現状ほとんどありません。一方、既存の査読や出版システムに命運を大きく左右されている若手研究者や研究費が得づらい領域の研究者などは、潜在的に関心があるはずです。日本では、2013年からはじまった「academist」のような学術系クラウドファンディングがようやく認知を獲得し始めたところですが、今後より一層、研究者たちに新たなメリットや資金調達先を提供できるシステムを構築していく必要があります。他にも、有名論文誌への掲載を目指す既存の研究評価指標だけを前提としていると、DeSciに参入するメリットはないので、評価指標自体が新たに構築される必要があります。DeSciが注目される以前から、イギリスの心理学者であるクリス・チェインバーズは『心理学の七つの大罪』の中で多元的な研究評価指標を提案しており、今後このような研究と接続できるかが問われていくでしょう [Chambers, 2019]。
そして、これまで既存のシステムでは研究活動と捉えられていなかった活動を、読み返す文脈を見つけた人たち。市民の課題をサイエンスで解決する市民研究者や学術機関に所属しない研究者のように、論文以外の目的で研究を遂行する人たちにおいては、DeSciは研究プロジェクトの資金調達におけるメリットをもたらすはずです。連載の前回でも紹介したように、研究者向けのソーシャルメディア「ResearchHub」など、彼らが参入するためのオープンなシステムもありますが、それだけでは十分ではないと筆者は考えています。なぜなら、既存のサイエンスの仕組みでは、大学教育の中であったり、実際の研究室の中で研究に必要な倫理や手順を学びますが、DeSciにおいては現状はコミュニティにおける議論が中心で、そうした倫理や教育を提供する仕組みがないためです。このため、質に問題がある研究が溢れると、学術研究者の参入が遅れてしまう懸念もあります。また既存の研究システムは学術的な新しさや概念的な前進を求めますが、市民が日常で抱えている課題や企業の課題を解決するような多様なサイエンスの実践を目指すDeSciの理念は異なります。従って、学術研究者のみに基づいてシステムを構築するのではなく、多様な研究者が参画してシステム基盤を構築する必要があります。
さらに、新たな研究システムの勃興の中に、事業的・研究的チャンスを見つけたい人たち。DeSciがより一層普及していくためには、研究者一人ひとりにとってのメリットがあるだけでなく、多くの人たちが利用していることによって利便性が高まる「ネットワーク外部性」も高まる必要があります。例えば、Google ドキュメントなどのサービスは、無料で誰でも利用できるのと同時に、多くの人が使うようになることで共同編集機能から得られるメリットが増えるという側面があります。このようなネットワーク外部性が提供できるような新たな仕組みを持った、研究者以外にもメリットがあるようなアプリケーションが構築されれば、これまでの業界の課題を解決する基盤が構築されるかもしれません。
課題(3):不正などに耐性があるシステム基盤を発展させていけるか?
そして、DeSciが抱える3つ目の課題が「基盤の課題: 不正などに耐性があるシステム基盤を発展させていけるのか?」
これまで、グラント系のDAOやDeSciのプレイヤーに関する課題を取り上げてきましたが、システム基盤にも課題があります。その大きな課題は、「どのように『信用システムを構築』していくか」ということです。信用システムが構築されるためには、筆者は、以下の3つの今後の課題を乗り越えていく必要があると考えています。
不正耐性があるシステムができるのか?
研究者の実績や貢献を評価するシステムを構築できるのか?
プライバシーを保ちつつ、データを管理するシステムを構築できるのか?
まず、潜在的な不正を防ぐシステムを構築できるのか、という課題があります。現在、Web3の基盤で多くの議論や取り組みが出てきているのが、匿名のアカウントを複製して数をかさ増しして影響力を持とうとする「シビル攻撃」などのような不正に対抗するための、堅牢なシステムの構築です。例えば、課題(1)でも触れた、オープンソースソフトウェアのプロジェクトに寄付する仕組み・Gitcoinでは、寄付額や人数に応じてGitcoinが持つプールから資金が分配されます。この際に、プロジェクトを立ち上げた本人がアカウントを大量に複製してプロジェクトに寄付すれば、Gitcoinから得られる資金を増やすことができてしまいます。他にも、アカウント保有者が知り合いなどに資金を配って、プロジェクト支援を呼びかける談合なども可能です。このような不正行為を防ぐために、アカウントとDNAや目の虹彩などのような生体情報など結びつけ、実在する人であることを証明する個人認証のシステムが提案されています。また、誰もが参加できる分散的な金融システムを目指す「分散型金融(DeFi)」においても、取引の信用を保証するために認証システムが求められています。このように不正行為を防ぎ信用を保証するために、譲渡不可能な「Non-Transferable NFT」を保有している個人にのみ貸付を可能にするなどの仕組みが提案されています [Weyl et al., 2022]。この個人認証のシステムを使って、アカウント同士の関係をブロックチェーンに記録されている取引履歴などの情報から抽出したり、その影響を計量化してシビル攻撃や談合などを防いだりすることが期待されています。DeSciにおいても、研究支援を二次ファンディングで受ける際には、個人認証の確立によってこのような不正を防ぐ必要があります。
次に、どのような評価システムを構築するのか、という重要な課題があります。DeSciにおいて、既存の研究者以外の研究者たちを評価するための指標は現在存在せず、研究評価をすることができないという課題があります。一つの方法としては、何かしらのプロジェクトに貢献した証明やデータを作成した履歴などをもとに評価する方法が考えられます。しかし、登録された研究データが本当に実在するのか、信用に足るのか、などは履歴からは辿ることはできません。このような現実世界での貢献や行動についての情報をいかにブロックチェーンに信頼できる形で記録するのかという問題は、「オラクル問題」と呼ばれています。似たような問題に取り組んでいる分散型オラクルネットワークである「Chainlink」は、Googleと提携し天候情報をブロックチェーンと結びつける取り組みを行っています。天候情報にブロックチェーンをつなぎ、正しく書き込んだことを保証する仕組みを構築しているわけです。同様にDeSciにおいても、研究データやプロジェクト貢献などをブロックチェーンにつなぐ仕組みが必要になります。また、ブロックチェーンと結び付けられたデータがどこまで信頼性があるのかがスコア化されるような仕組みが展開される必要もあります。
最後に、研究や医療データをプライバシーを守りつつ共有する仕組みを構築できるのか、という問題があります。個人認証のためのIDに研究データや健康情報などを紐づけることには、既存の研究機関にとってもメリットがあると同時に、使うユーザーにもメリットがあります。研究機関や医療機関においては、研究や患者の医療データを管理するための多額のデータの管理費用がかさんでいます。またプライバシーの観点から医療情報は機関を超えて移転できないことにより、健康情報を何度も取り直さなければならず、被験者や患者自身が支払わなければならいコストが高くなってしまいます。さらに、個人で医療データを持っていれば、個人の病気に対するリスクなどを知ることができるため、健康管理に応用できるというユーザー側のメリットもあります。しかし、個人がデータを管理するためのサーバー費用なども個人で支払うことになるかどうかや、個人でプライバシーを守りつつデータ管理をしなければならない面倒をを超えて今後使われるのかどうかは現在わかっていません。また個人でデータ管理をしても、そのデータが活用されなければ意味がないため、活用されるためのキュレーションを担うようなアルゴリズムやプロトコルが出てくる必要あるでしょう。そもそも、現状ではこれまで言及してきた個人認証のシステムに研究のデータを紐付けて管理する仕組みは存在しません。
他にも、これまでの雑誌社や査読システムを代替するような良いモデルは現時点では始まっていないことや、研究を実施するために必要な倫理委員会を分散的に運営することなどが受け入れるかなどは、今後の運営面での課題になります。
ハッカソン等を通じた試行錯誤。今後のカギは「公共」にある?
今回、DeSciが直面している3つの大きな課題を紹介してきました。DeSciは2022年の初めから注目されるようになりましたが、ここまで見てきたように、まだまだ未熟な面があります。システム基盤の開発については、個人認証のためのNon-Transferable NFTの付与や研究データを個人認証に紐づけることなどによって、現在知られているシビル攻撃や談合などの課題は短期的にある程度解決されていくでしょう。しかし、経済的な課題においては、経済的なリターンが長期でしか得られない現状では成功モデルを構築できるかどうかは、10年単位で考えても不透明です。また、コミュニティの課題である、実際に参入者が出てくるかどうかという問題は、長期的に解決できるのかわからない問題でもあります。
2023年の1月には「DeSci Londonハッカソン」が開催されましたが、今後DeSciハッカソン等を通じて、上記の課題解決に向けた開発が進んでいくことでしょう。日本でも、少しずつDeSci的な取り組みが出てきましたが、今後たくさんの試行錯誤が出てくることに筆者は期待しています。
そして、詳しくは連載の次回で解説する予定ですが、今後のDeSciの発展においてカギになると筆者が考えているのが、公共的なシステムをめぐる思想や開発です。これまでの連載でも、イーサリアムやHarmonyなどのパブリックブロックチェーンが、DeSciのプロジェクトを含むエコシステムに全体に有用なプロジェクト支援の仕組みである公共的なプロジェクトを支援してきたことに何度か言及してきました。そもそもこれほどまでの課題解決の労力をかけてまで、どうしてイーサリアムを含めたパブリックブロックチェーンなどはDeSciを含む公共的なプロジェクトに支援をするのでしょうか?
それには、ブロックチェーンを支えてきた思想的な背景も関連していると筆者は考えています。例えば、イーサリアムの創設者の1人であるヴィタリック・ブテリンは、積極的に公共的なプロジェクトやサービスに関する議論や支援しています。何度か取り上げたイーサリアムのオープンソースプロジェクトへのプール金の配分システムであるGitcoinも、寄付をある意味で投票システムとして利用し、多くのユーザーにとって有用なサービスやプロジェクトを支援する一種の公共的なシステムを目指した例となっています。もちろんイーサリアムはパブリックブロックチェーンとして、多くのプロジェクトをサポートする基盤を構築する立場にありますが、筆者にはヴィタリックには、より思想的なところでブロックチェーンが有用に使われていくことに期待があるように見えます。公共的なシステムをめぐる思想や開発は今後のブロックチェーン業界の発展の根幹であり、彼以外にも現在活発に議論がなされています。
次回はこの点を深堀りし、なぜブロックチェーン業界がDeSciのような公共的なシステムを支援するのか、思想的な背景を含めて説明したいと思います。
参考文献
Chambers, C. 2019. The Seven Deadly Sins of Psychology: A Manifesto for Reforming the Culture of Scientific Practice. Princeton University Press. (クリス・チェインバーズ (訳) 2017. 心理学の7つの大罪――真の科学であるために私たちがすべきこと みすず書房)
Weyl, E.G, Ohlhaver, P., and Buterin, V. 2022. Decentralized Society: Finding Web3's Soul
濱田太陽(はまだ・ひろあき)
神経科学者(博士)。シニアリサーチャー(株式会社アラヤ)。沖縄科学技術大学院大学(OIST)科学技術研究科博士課程修了。2022年より、Moonshot R&Dプログラム (目標9)「逆境の中でも前向きに生きられる社会の実現」(山田PMグループ)のPrincipal Investigatorとして前向き状態に関するモデル化に従事している。研究テーマは好奇心の神経計算メカニズムの解明や大規模神経活動の原理解明。教育やサイエンスの新たな可能性を模索している中で、分散型サイエンスに注目している。