創造性はいかにして社会を変えるのか?政治参加のオルタナティブを「アーティビズム」から模索する──映像人類学者・丹羽理
いま、日本だけだなく、世界中で民主主義に対しての信頼が揺らいでいます。
政治や民主主義の活動において、主たる役割を果たすのは「市民」でしょう。国民の権利である「投票」だけでなく、特定のイシューへの賛同者を集める「署名活動」や路上に集まって意見を主張する「デモ」といった社会運動も、一つの政治参加の形だと言えます。
そうした民主主義や政治参加のオルタナティブなあり方を、社会変革を目的とする芸術実践を示す概念「アーティビズム」の観点から研究しているのが、京都大学人間・環境学研究科博士後期課程在籍中の丹羽理さんです。
「デサイロ アカデミックインキュベーター・プログラム(以下、AIP)」第1期に採択された丹羽さんは、本プロジェクトで「市民的抵抗としての芸術を考える──『アーティビズム』の映像人類学」をテーマに、芸術と政治のあり方を問い直すことができないか模索していると語ります。
現代フィリピン・マニラ首都圏におけるアーティビズムの映像人類学的研究
人々を分断し、その生/死を管理・統制するグローバルな支配権力の横行を、わたしたちは日々目にしている。わたしたち自身もまた、そのような力を(多かれ少なかれ)内面化している。そのなかで、わたしたちひとりひとりが政治主体として在り、かつ、他者とともに生きることを可能にする社会を、どのように想像・創造しうるのか。民主主義の再考と、政治参加のオルタナティブが模索されるなか、アーティビズムという実践への関心が高まっている。
アーティビズムとは、社会変革を目的とする芸術実践である。そこには、二つのラディカルな問いが包含されている。「政治とは何か」、そして、「芸術とは何か」である。芸術と政治。アーティビズムはこの両者が根本から問い直されつつ、ひとつの実践として立ち現れる位相である。では、そのような<芸術=政治>の実践は、場所、歴史、文化との関連においてどのように生まれ、いかなる力を創出しているのか。
この問いを、フィリピン・マニラ首都圏におけるアーティビズムを対象として考察する。若者たちを中心としたその「芸術」実践は、いまだ継続する植民地構造からの脱却を目指す、草の根の社会運動として展開している。共同での映像制作を軸足として、自身もまた運動に積極的に関与することでその実践の諸相を描き出すとともに、運動の内部から、人々と創発的な知の生産を目指したい。
本記事では、丹羽さんに研究テーマの背景にある問題意識や、これまでの歩みをお聞きしました。フィリピン・マニラ首都圏の芸術文化をめぐる政治性から、現代にあるべき民主主義や政治参加の形について問い直す丹羽さんの試みとは。
丹羽理(にわ・さとる)
京都大学人間・環境学研究科博士後期課程在籍中。専攻は文化人類学。2010年からフォトジャーナリストとして活動を開始。東日本大震災やアラブの春、日本の自死問題など多岐にわたるテーマを扱い、『タイムズ』や『デル・シュピーゲル』など海外メディアに寄稿。また、KL国際写真賞ファイナリストやRPS東京ドキュメンタリーワークショプ最優秀賞など、国内外で評価を得る。他者理解・他者表象の問いをさらに探求するため、2019年、ベルリン応用科学大学映像・メディア人類学修士課程入学。2021年、同課程修了。
「アート×アクティビズム」から、民主主義の見方を変える
──丹羽さんはAIPで取り組む研究テーマに「アーティビズム(Artivism)」を設定されています。聞き馴染みがない方も少なくないと思いますが、簡単に概要をお聞かせいただけますか?
アーティビズムは、「アート」と「アクティビズム」を結びつけた概念で、社会変化を求める芸術的・創造的アプローチとして一般的には説明されています。この定義はとても広くて、例えば政治的なメッセージのある作品をゲリラ的に制作するバンクシーから、黄色い傘のシンボルによって連帯を広げた香港の雨傘運動までを射程に入れる、包摂的な概念・実践であると言えます。
ただ、アーティビズムという概念は、アートを用いてメッセージを投げかけたり、大衆を動員するために共感を集めたりするものに矮小化されやすいと考えています。つまり、アートをアクティビズムのための「道具」や「機能」として捉える、あるいはその逆に、アクティビズムを単なるアート作品に還元してしまう傾向があるのではないかと。
そこには、アートとアクティビズムを、それぞれ独立したカテゴリーとする慣習的な理解があると思っています。しかし、僕はそれらはひとつの形式として捉えられるのではないかと考えているんです。
──どういうことでしょう?
政治学者のランシエールは、芸術と政治の関係は二項対立ではなく、両者は見えるものと見えないもの、聞こえるものと聞こえないものといった、「感性的なものの分配=共有」を再配置するための二つの形式であるといいます。この考え自体はとても示唆的ですが、彼は芸術がその自立性を保つ限りにおいて、政治と同じ力をそこに見る。
なので彼にとっての芸術はいわゆるファイン・アートに限定されてはいたのですが、これはとても保守的な見方です。芸術がパフォーマンスやソーシャル・プラクティスと言われるような実践までを含めるのは現在では自明のことですし、政治実践との境界は限りなく曖昧です。それはもはや「感性的なものの分配=共有」を再配置するための二つの形式ではなく、ひとつの形式として同定するほうが自然ではないか。
ですから僕は、アートとアクティビズムをひとつの創造的実践として捉えたい。そしてそこに未文節な形で包含されている、人々を揺り動かす潜在的な力のようなものに焦点を当てたいと考えています。
──「社会を変える」こと、すなわち「政治や社会運動としての形式」に焦点を当ててアートを捉える……とも言えそうです。ただ、そもそも日本ではこうした政治的な行動や考え方には忌避感を持つ人も多いですよね。
たしかに日本でも東日本大震災を契機に市民起点のデモや抗議行動が盛り上がりましたが、そうした活動にアレルギーを持つ人は少なくないかもしれません。政治的であることに対する冷笑的、あるいは無関心な雰囲気の一因は、私たち日本人にとって政治とは「制度」であって、「生活」ではないという理解にあるのだと思います。
一方で、私がフィールドにしているフィリピンでは、デモはより身近で日常的なものだと思います。たくさんのアクティビズムの団体が草の根で組織化され、集団的に、持続的に運動を展開している。これらの運動はコミュニティをつくり、そのコミュニティ同士がつながって相互扶助のネットワークを構築している印象を受けています。
──フィリピンにおいては、デモが生活の中に当たり前に存在していると。
民主主義社会においては、それは本来の姿だと思います。選挙による代理民主主義は一つの例外状態です。選挙そのものが民主主義ではない。たしかに個々人は選挙で勝った代議士や政党に主権者としての権利を一部移譲するわけですが、権利の大部分は移譲不可能なものであり、自分自身が保有し続けているはずです。だから本来、選挙以外の機会で個人が自分の権利を主張したり、デモや抗議活動を行うことはなんら不自然なことではないはず。
ただ先に触れたように、政治へのアレルギー、あるいは無関心から、大きな社会変革へと向かう「運動」が日本では起こりにくいのは事実です。だからこそ、市民の政治参加のオルタナティブとして、これまでの社会運動のイメージを変えるようなアーティビズムは、いま注目を浴びているのだと思います。
「芸術とは何か?」を問い直す、行為としてのアート実践
──今回、AIPに応募された理由として、フィリピン・マニラ首都圏でのフィールドワークを実施予定であることを挙げられていましたよね。
はい、そうです。今年5月から約一年間ほどフィールド調査でマニラ首都圏のケソン市という地域に住む予定です。それに先立ち、昨年(2023年)マニラで約2ヶ月間の予備調査を行っています。その際に彼ら・彼女らが教えてくれたのは、フィリピンには直接行動が受容されやすい文化的・歴史的な土壌があるということです。
まずフィリピンには400年以上にわたる被植民地化と、それに対する独立運動の歴史があります。また、1986年に起こった「第一次エドゥサ革命(ピープルパワー革命)」では、20年以上にわたり独裁を敷いたマルコス政権が民衆デモによって打倒されています。市民の直接行動によって政治は変えられる。そんな成功体験が人々の間で受け継がれているんです。
──日本においては、近代化以降、民衆蜂起によって政権が変わることは珍しい。そう考えると、歴史的・文化的な差は大きそうですね。現代のフィリピンでも直接行動は数多く行われているのでしょうか?
毎日とまではいかないものの、毎週末どこかでデモが行われている印象です。その中心となっているのは、草の根の社会運動のグループや、NGO・NPO団体です。そうした団体がフィリピンに数多く存在するのは、政府の社会福祉政策の弱さが一因だと言われています。社会的なつながりによる相互扶助や民間団体が中心となるセーフティーネットが必要とされているわけです。
──いわゆる「互助」「共助」を実践する団体がたくさん存在し、直接行動の主体となっている。その上で、フィリピンでは具体的にどのようなアーティビズムが実践されているのでしょう?
多くのアーティビズムの団体があり、その実践もさまざまです。たとえば政治家を揶揄する「エフィジー」という大きな張子人形を共同制作するグループもあれば、ドキュメンタリー映画祭やクィアのファッションショーなどのイベント企画をメインに活動するグループもいる、またティーチ・インやワークショップなど教育的な活動に力を入れるグループもあります。とはいえ、どのグループもデモには必ず参加する。
また共通しているのは、脱植民地化の未完のプロジェクトであるという認識が共有されていること、実践的であること、かつ、創造的なアプローチを採用しているという点です。そこでは、アート作品それ自体が(その審美的な質も含めて)それほど重要視されていません。また、ひとりのアーティストがイニシアティブを握っているということもありません。わたしたちがイメージするような「アート性」は見えてこないんです。
──アート性が見えてこない、とは?
たとえば、独裁者の顔を風刺したこの団扇。あるアーティビズムのグループがデモのために制作したものですが、これがいわゆる「アート」かといえば、断言はしづらいですよね。
最初の調査では、僕もいわゆる“アートらしい”実践が行われているという仮説の下でフィールドに入ったのですが、現地ではそうではなく、彼ら・彼女らにとっては社会運動それ自体がアートだという認識なんです。この思想は、「社会的リアリズム」という、フィリピン独自の芸術実践から引き継がれているものですが、フィリピン人美術批評家のアリス・ギレルモによれば、フィリピンの社会的リアリズムは、美学よりも倫理を、啓蒙よりも直接行動を志向し、アートを社会と民衆のリアルを現前化する実践として捉えるものです。
予備調査を通じて、僕自身、西洋のアート・ワールドを中心として形作られてきた「アート」の概念を内面化していたことに気づきました。僕たちはもっとラディカルに、「芸術とは何か」を問い直す必要があるのではないか。そう思ったんです。
──「アーティビズム」の姿を正しく捉えるためには、私たちが持っている既存のアートへの固定概念そのものを疑う必要があるのではないか、と。
はい。従来のアーティビズム研究の多くは芸術作品の形態に着目して、その意味を読み解こうとするもの、あるいは、その作品がいかに人々に影響を与えるかを分析してきました。しかしこれはアート批評の域を出るものではない。つまり、アーティビズムを現代アートの文脈に回収してしまう危険性がある。フィリピンに限らず、世界中で実践されている草の根のアーティビズムは、それぞれに異なる系譜学をもち、多様な主体と形態をもちます。であるならば、西洋的な「アート」の概念を前提とすることはできない。
ですから、こうした団扇であったり、デモであったりという部分を切り取って、それがアートかどうかを考えることはあまり重要じゃない。特定の場所、歴史、文化において、マクロ・ミクロ双方の視座から実践のダイナミズムを見ていくことで、芸術の可能性を問い直す。そうして視点を転換する必要性をアーティビズム研究において感じています。だからこそ、文化人類学的な手法が有効だと思うんです。
アクティビストとして、調査する・される側の関係性を越える
──「芸術とは何か」から捉え直すために、フィリピンではどのように研究を進めているのでしょうか?
主な研究手法としては、フィールドでの参与観察やインタビューを元にした民族誌記述になります。ただ今回は一歩踏み込んで、自分も現地のアーティビズム団体に所属し、積極的に活動することを通じて、内在的な理解を深めていきたいと考えています。
このスタンスは「アクティビスト人類学(者)」とも呼ばれ、その認知も少しずつ広まっているように思います。文化人類学者のデヴィッド・グレーバーが「Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)」で実践していますね。個人的にも、人類学者とアクティビストという立場には親和性があると思います。どちらも知識生産に関わり、既存の価値観や社会構造をラディカルに問い直すものですから。
──自らアーティビズムの活動に身を投じながら、同時に記録を残していくと。丹羽さんの専門である「映像人類学」の観点からはいかがでしょうか?
とりあえずのところ、写真記録と、現地のアーティビズムの活動家たちと共同での映像制作を考えています。映像民族誌のようなものになるかもしれません。これらは現地だけでなく、日本でもみなさんと共有する機会をつくりたいです。
──活動の様子を写真や映像に収められていくんですね。
活動だけでなく、メンバーたちの日常生活にも興味があります。みんなどれくらい運動にコミットしているのか、アーティビズムの活動が、彼ら・彼女らの日常にどのような影響を及ぼしているのか。たとえば、アーティビズムの活動家たちのグループは大抵は事務所のような場所をもっていて、そこで打ち合わせや作業をしているのですが、何もなくても毎日そこに行っている人もいるかもしれないし、デモなどイベントの前だけ来る人もいるかもしれない。それはそれぞれの動機や生活環境に関わってくるものだと思います。運動が人々の生とどれだけ密接に絡み合っているかを伝えたいですね。
これは、研究を進める上でチャレンジになる点でもあります。どうしても研究者と研究対象には「調査する側」「される側」の非対称的な関係が生まれがちですが、これを乗り越える努力をして、いかにして現地の活動家たちに近づけるか。本当の意味で仲間になれるかが、成果にかかわってくると思います。
フォトジャーナリストから人類学の道へ
──もともと丹羽さんは、フォトジャーナリストとして約9年間活動されていたとお聞きしています。写真のお仕事を始めたのはなぜでしょうか?
写真を撮り始めたのは、本当にたまたまです。大学卒業後に企業の内定を断ってフリーターをしていました。それまでずっと打ち込んできたスポーツでプロになることを諦めたタイミングで、自分の将来についていろいろと考える時間がほしかったんです。企業に入ったらそのまま流されてしまいそうだなと。
そのとき、とあるワークショップに参加したことがきっかけで、フォトジャーナリズムに出会いました。自分が知らない世界だったので単純に面白く、ちょっとやってみようかと思いました。それで、まずは自費で上海に取材に行ってみたんです。ちょうど上海万博の時期で、大規模な再開発と住民の強制立ち退きが問題化していました。その時の写真と記事が雑誌に掲載されたことで、フォトジャーナリストとしての活動がはじまりました。
その後、すぐにターニングポイントが訪れます。2011年に起きた東日本大震災です。当時の僕はすぐにこの仕事で食べていけるようになるとは思っていなかったのですが、震災によって海外メディアからの依頼が一気に増えて、その後に続くコネクションができました。皮肉にも仕事に困らなくなったんです。
──たまたま始めた写真の仕事が軌道に乗って、食べていけるようになったと。
はい。だから僕は、今でも写真そのものに思い入れがあるわけではありません。しかし、世界を知るきっかけとしては、これ以上のものはなかったと思います。自分が普通に生活しているだけでは絶対に出会えなかった人と出会い、取材や撮影を通じてその人の人生を深く知ることができる。当時はとにかくそれが面白いと感じていました。
一方で、現場を取材していると、当たり前ではありますが、誰しもが一生懸命に生きていることを知ります。それまでも頭ではわかっていたのですが、経験を通して気付いたことで、その重みをより深く理解できました。取材を重ねるうちに、人々を苦しめる社会の構造的な不平等への疑問や憤り、また、この状況を変えるために自分に何ができるのかという想いが自然に高まっていきました。
その時期、2010年代はSNSの普及やカメラ機能の進化によって、フォトジャーナリズムは構造的にも表現形式においても変化を迫られていた時期だと思います。個人的にも、フォトジャーナリズムに固執する必要性はあまり感じていませんでした。それよりも、今のうちにこれからの自分の基盤となるような体系的な知識を身につけたい、写真だけでなく、映像など他のメディアの可能性も探ってみたいと考えるようになりました。
──そこから研究者へ活動をシフトさせていった?
そうですね。フォトジャーナリストとしての自分の方向性を模索した時期もありました。たとえば、即時的なニュース写真ではなく、長期的な取材をもとにしたルポルタージュに軸足を置きたいと考えたりですね。自殺に及んで結果的に未遂となった人々のその後の人生を映像化するプロジェクト「再生-Saisei-」もそのひとつです。
今にして思えば、このプロジェクトの長期的な取材と記録のプロセスは、文化人類学における民族誌記述のそれと大きく重なるものがありました。このプロジェクトでは、個展の開催や複数の雑誌に寄稿するなど、できる限り発表機会を増やす努力をしましたが、それでも、彼ら・彼女らの声であったり、僕自身がそこで見たり感じたりしたことを、どれだけ人々に伝えられたかは疑問が残ります。フォトジャーナリズムの限界というよりは、自分自身がフォトジャーナリストであることの限界であったように思います。
そうした試行錯誤を経てですが、2019年にベルリンへ移住したのを機に、長年興味をもっていたベルリン応用科学大学の映像メディア人類学の修士過程(2018年まではベルリン自由大学による運営)に入学して、研究者としてのキャリアが始まりました。
「芸術の政治性」をめぐる現代の視点
──修士課程では、どのような研究をされていたのでしょうか?
僕は自分が住む都市という空間と、そこに生きることで直面する問題に関心がありました。そこで修士研究では、オリンピックを控えた東京・渋谷の再開発において、排他的な意図をもつモノや空間が増加している状況に着目し、それらが人々の経験や感情に与える影響について、主に野宿者の人々を対象として調査しました。例えば「クリエイティブ・シティ」や「美しい都市」といったトップダウンのスローガンの下に、排除デザインのベンチが増加し、公共の場であるはずの公園が消費空間に変わっていく。また、ストリートからの意思表示や抵抗の手段であるはずのグラフィティが、行政主導のアート・プロジェクトに流用され、高架下で雨風をしのぐ野宿者の人々を拒絶する空間づくりに加担しているという事例もみられました。このような都市空間の再編成と、それに伴って野宿者が社会的に排除されている現状を調査するとともに、写真や地図といったメディアを用いて可視化する方法を模索しました。
それらを修士論文の成果としてまとめたのが、「都市の周縁に⽣きる―東京における社会空間的排除とホームレス問題の映像⼈類学的探究」*です。多様な形態をとりながらアートが「望ましくない他者」を排除する直接的・間接的な契機となり、野宿者の人々を空間的にも社会文化的にもさらに周縁化していく。このような状況を実証的に明らかにすることが、修士研究の主眼でした。
──そうした過去の研究と、今回のフィリピンにおける「アーティビズム」というテーマとの間には、どのような共通点や連続性があるのでしょうか?
方向転換しているように見えるかもしれませんが、問題意識として大きく変わったわけではありません。これまでは公共領域におけるデザインや建築物までをも含めた広義の「アート」の社会文化的な意味について研究をしてきたと言えますが、アーティビズムはその関心の延長にあります。通底しているのは芸術をめぐるポリティクスと、それが現代社会においてもつ意味の探求です。
渋谷の再開発に関する研究ではアートや美学が新自由主義的な言説に包摂され、また利用されていく状況について考察しました。これは東京に限らず、後期資本主義社会の特徴とも言えます。一方、このような機制に対する抵抗としての芸術もまた存在する。そのひとつがアーティビズムです。現代フィリピンのアーティビズムというテーマは、芸術をめぐるポリティクスの問題を、修士研究とは異なる角度から照射するものになるかと思います。
*ウェブサイトに掲載している文章は修士論文ではなく、その一部を短くまとめたものになります。
アーティビズムをめぐる、東南アジアの「シーン」を伝えていく
──アカデミックインキュベーター・プログラムの応募時には、自身の研究をアウトリーチすることにも積極的に取り組みたいと記入されていましたよね。
そうですね、ベルリンの修士課程で制作したメディア作品を東京で展示したところ、偶然足を運んでくれた人々が予想外に大きな関心を持ってくれ、対話が弾んだことが印象に残っているんです。そこには研究者同士の議論とは異なる知的な刺激があり、また、自身の研究が社会にひらかれていく感覚がありました。
論文を書き、発表していくことはもちろん重要です。しかし、それと同じぐらい、人々と出会い、自身の研究について「伝わりやすい言葉」で話す機会を設けていくことを、真剣に考える必要があります。
特にフィールドワークや参与観察という手法をとる文化人類学は、対象と長い時間をともに過ごし、深く関わることで研究を深めます。その中で、物語や経験を共有してくれた人々に対する責任が少なからず生まれてくる。その責任をどのように果たしていくか。それは、研究を研究者だけのものとするのではなく、社会にコモンズとして還元していくことではないかと考えています。
──丹羽さんは、今年の5月からフィリピン大学で1年以上の長期にわたってアーティビズムについて調査を始める予定だとお聞きしています。
はい。正確には、フィリピン大学ディリマン校の第三世界研究センターという研究機関に、特別研究員として受け入れてもらう予定です。ここまでお話してきたことは、あくまで現段階の仮説として考えているもので、これから実施する本調査後にはガラッと自分の考えが変わる可能性もあると思っています。自身の既成概念や仮説が一度否定され、崩れ落ちたあとで、また新しく思考を立ち上げていくプロセスもまたフィールドワークの醍醐味であると思いますし、それを楽しみにしている自分もいます。
調査における研究者の葛藤や失敗、あるいは発見を、フィールドノートのような形でデサイロを通じてみなさんと共有するというのも、ひとつのアイデアとして考えています。
──マニラからのフィールドノート、非常に楽しみにしています。今後、「アーティビズム」の研究者としての展望についてもお聞かせいただけますか?
まず現状、アーティビズムの問題が“現代アート”の議論に回収されてしまう傾向があることは先に述べたとおりです。そこで僕は、文化人類学だけでなく、社会運動研究やポストコロニアル理論などの隣接領域を含めて考察するなかで、アーティビズムを捉え直す理論的基盤を構築していきたいと考えています。主体化、身体、創造性など、切り口はいくつかあると思いますが、フィリピンのアーティビズムの文脈で鍵となるのは集合性だと思います。必ずしも個人に還元しえない、集合的主体化、集合的身体、そしてやはり、集合的創造性というものを捉える理論はどのようなものになるのか。今後の課題です。
また、現在アーティビズムの先行研究の多くは欧米とラテンアメリカに集中しており、東南アジアはまだまだ注目されていません。ただ、フィリピンを含む東南アジア──タイ、インドネシア、ミャンマーなど──におけるアーティビズムの内実を調べてみると、実はいま盛り上がりを見せていると感じるんです。東南アジアという地域、そして歴史のなかで、アーティビズムがいかに相互作用しながら発展してきたのかという点には関心がありますし、ゆくゆくは調査してみたいテーマです。
まずはフィリピンに生きる若いアーティビストたちが直面している社会的苦境と、それを乗り越えようという挑戦的な試みを理解し、また、より多くの人に知ってもらう。そうして交流を重ねていくことで、マニラのアーティビズムがトランスナショナルな運動へと拡大する契機になるかもしれません。同時に、日本に暮らす人々が社会運動に抱いている負のイメージが少しずつ変わっていくきっかけになれたら嬉しいですね。
Text by Ryoh Hasegawa, Photographs by Kazuho Maruo, Interview & Edit by Tetsuhiro Ishida
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