覆い隠される「死そのもの」に迫るために。文化人類学とアートの協働がひらく地平──人類学者・金セッピョル
前世紀的な「家族」や「ライフプラン」のあり方が相対化されていく中で、人生の終わりである「死」のあり方もまた、揺れ動いています。「自分の死に方は自分で決める」──そんな言説もいまや珍しいものではなく、「終活」は一過性のブームを超えて浸透してきているように思われます。
そんな中、死が「個人の人生の終わり」として語られるようになったことで、むしろ人々は「死そのもの」に向き合えなくなってしまったのではないか──そう問題提起するのは、人文・社会科学分野の研究者を伴走支援する「デサイロ アカデミックインキュベーター・プログラム」(以下、AIP)第1期の採択者である金セッピョルさん。
文化人類学を専門として、映像人類学などの手法も探究する金さんは、日本における自然葬を中心に葬儀研究に取り組んでいます。AIPにおいては、「『死そのもの』とはなにか?──アートとの協働による文化人類学的探究」という研究テーマを掲げました。
わたしたちは生きているあいだ、絶えず他人の死を経験するが、自分の死を経験することはできない。死とはわたしたちの言語的な思考で捉えられる範疇を越えており、だからこそ人類は死を形容する多様な表現を生み出し、また死に対処するための工夫を凝らしてきた。
それが個人化や医療化が進むにつれて、死とは自分、または他人の「生の終わり」という意味を軸に、縮小されつつある。たとえば、自分の生の終わりに備えてエンディングノートを書く。または他人の生の終わりにあたってお別れを告げ、悲しみを癒そうとする。しかしこのような捉え方だけで、わたしたちは死に対処することができるのだろうか。
本プロジェクトでは、誰かの「生の終わり」だけでは捉えきれない「死そのもの」の多様なレイヤーを、アートとの協働で浮かび上がらせることを目的とする。言語を超えた領域で死を表象しようとするアート作品を探求し、またそのアーティストと共に文化人類学的な死の研究の現場でフィールドワークを行う。そしてその成果を論文以外の媒体で表現する。このような取り組みを通して、より豊かな死との向き合い方を、社会とともに探っていきたい。
本記事では、葬儀を通じて「死とは何か」を考え続けてきた金さんの活動の軌跡と背景にある問題意識、そしてアートとの協働や映像人類学という新たなアプローチの可能性についてインタビュー。覆い隠される「死そのもの」と向き合うために必要な、これからの文化人類学のアプローチとは?
金セッピョル(きむ・せっぴょる)
総合地球環境学研究所・客員助教。韓国放送公社(KBS)勤務後、2008年から日本に留学。総合研究大学院大学文化科学研究科博士後期課程修了、博士(文学、2016年)。2016年国立民族学博物館・外来研究員を経て2017年から現職。専門は文化人類学、葬送儀礼研究、映像人類学。 主な著作に『葬いとカメラ』(左右社、2021年)、『現代日本における自然葬の民族誌』(刀水書房、2019年)、「自然葬の表象のアリーナから:『We Don't Need a Grave』をめぐる映像人類学的実践」『比較日本文化研究』19(風響社、2019年3月)など。
「終活」ブームが覆い隠すもの
──金さんはAIPの研究テーマとして「死そのもの」を設定されていますが、なぜいまそれについて考える必要があるのでしょうか?
私はこれまで日本における自然葬の研究をしてきたのですが、その中で、現代人は死とあまりうまく向き合えていないのではないか、もう少し考える余地があるのではないか、と思うことが度々ありました。
たとえば、「終活」という言葉が流行り、エンディングノートを書いたり、自分の葬儀を生前契約したりする人が増えているいまの状況は、一見すると「死が語られるようになってきている」ように見えるかもしれません。しかし「終活」とは、死を「人生の終わり」と捉え、そのための準備をしているだけであって、「死そのもの」について考えているわけではない。むしろ、個人化や医療化が進んだ現代において、死そのものについて考える機会は、以前より減っているのではないかと思うのです。
──「終活」というある種の事務的な手続きを通して死と向き合うことで、死そのものが持つ生々しい部分が見えづらくなっている気もしますよね。
まさに、私が自然葬に関するフィールドワークを通じて得たのは、そのような違和感でした。私の自然葬の研究は「先祖代々の墓があるにも関わらず、なぜ『お墓をつくらない』という選択をする人がいるのか」という興味から始まったのですが、調査を進めていくうちに、自然葬という選択をする人は、死に対して非常に現代的な、個人化した考え方を持っていることがわかったんです。
死を国家や家制度に縛られるのはおかしい。自分の意思、自分の生き方に合わせた死に方をしたいし、そのような弔い方/弔われ方をしたい……そういう考え方です。「遺骨を土に埋めないといけない」という決まりは、明治維新後の家制度と一緒にでき上がってきた規定であり、自然葬はこれに反発する人々が提唱したものなのです。
──自然葬という馴染みがないように思えるあり方は、実は旧来の家制度を乗り越えようとする価値観に立脚していると。
はい。そして、先祖代々の墓を否定する立場をとる人々が理想とする自然葬には、けっこう厳格なところがあります。たとえば、陸地に散骨をする場合には、一つの固定的な場所に撒くのはあまりよくないという考え方が共有されています。一つの場所に撒いてしまうと、お墓のようなものになってしまうからです。
また、散骨した場所を訪ねることもよしとされません。こうした行為は、遺骨への執着を意味するからです。遺骨はすべて撒き、遺骨に対する一切の執着を捨てる。それこそが、彼らが理想の自然葬として語ったものでした。
「死の個人化」の極例としての自然葬と、その限界
──自然葬の思想的な面においては、徹底して、旧来的な価値観に接近することを避けられているのですね。
ところが、いざ身内の方を自然葬で送る場面に直面すると、彼らが事前にインタビューで語っていた思想とは違った行動をとることも多いのです。
遺骨を全部撒こうと思っていたのに最後まで撒くことができなかったり、命日に何かしないと気が済まないような感覚に陥って、散骨した場所を訪ねたり。「これでよかったのだろうか」という葛藤を感じて、いろいろな試みをされる方が多い。
──たいへん興味深いですね。なぜ、そのような齟齬が生じてしまうのでしょう?
自然葬を提唱する「葬送の自由をすすめる会」というNPO法人ができたのは1991年のことですが、私の考えでは、自然葬とは当事者が自分の生き方や思想と照らし合わせて考案した、自分が「送られる」ための儀礼です。それゆえ、いざ自分が「送る側」として自然葬を実行しようとすると、齟齬が生じてしまう。
つまり、自然葬の「送られる儀礼」としての側面と、そもそも葬儀自体が持つ「送る儀礼」としての側面が衝突して、思想と行動のギャップが生じている。これが、私が博士論文に書いた結論でした。
そして、この思想と行動のギャップには、現代における死にまつわる普遍的な問題が反映されているような気がしたのです。
──どういうことでしょう?
自然葬は、一言で言えば「自分の死に方は自分で決める」という価値観、すなわち「死の個人化」の最たる一例であると考えています。しかし、既にご説明した通り、「死の個人化」の思想のもとでどれだけ理想的な死に方をつくりあげたとしても、いざ実際に死に直面すると、それができない。
このことは、社会がどんどん個人化に向かう一方で、個人化した考え方では死そのものに向き合えないということを意味しているのではないかと思うのです。
──なるほど。しかし、個人化した考え方では死に向き合えないのだとすれば、他にどのようなアプローチが考えられるのでしょうか。
人類の葬儀の歴史を振り返ってみると、たとえば共同体的な葬儀というものがありますよね。あるいは、死を終わりでなく「再生」と捉える。最近は「グリーフケア」というのもすごく流行っていると思うのですが、喪失や悲しみにフォーカスしすぎるのではなく、「再生」という側面に目を向けることで、死に対して違う捉え方をする。これは全世界に普遍的に見られる、死と向き合うためのナラティブの一つです。
死を穢れたものと捉えたり、恐怖を感じたりすることも、すごく重要な死との向き合い方だと思っています。たとえば日本における葬儀の歴史を見てみると、今では死者を供養や追悼が当たり前に行われているわけですが、古代においては死者が非常に恐ろしい、自分に悪さをする存在として捉えられていました。つまり葬儀は、誰かを思い出したり記憶したりするためだけではなく、「鎮魂」を目的に行われていたのです。
──「死」というものは、時代や文化によって、さまざまな捉え方をされてきたのですね。
そして、古代の人が持っていたような死に対する恐怖は、人間が本来普遍的に持っているものであるようにも思うんです。ですから、否定したり、隠したりするのではなく、今一度しっかりと向き合った方がよいのではないかと。
しかし、死が「人生の終わり」と捉えられる現代の個人化した状況においては、みんな「自分の人生をどう終わるか」という話を延々とするばかり。もはや誰も「死そのもの」に向き合えていないのではないように感じるんです。
語り得ない「死そのもの」に迫るアート
──そして「死そのもの」という研究対象に対して、「アートとの協働」というアプローチで取り組まれる点も、今回のAIPにおける特徴だと思います。
この背景には、「死」について研究しようとしていながらも、ほとんど「死そのもの」について見てこられなかったという、これまでの研究への反省があるんです。「死」について研究しようと思って葬儀を見ていたわけですが、気づけば自然葬を選択する人たちの語りやその人たちが生きてきた人生、すなわち「生」の部分にすごく引っ張られていた。生と死はつながっているので、当たり前と言えば当たり前なのですが。
──たしかに、死んだ人に話を聞くこともできなければ、自分自身で死を体験することもできない以上、生きている人や葬儀のような儀式を手がかりにするしかない。しかしそれでは、ある程度までしか「死そのもの」には迫れない。
まさに、それが他のテーマと大きく異なる、このテーマのジレンマなのです。基本的に文化人類学的な調査をしていると、生きている人間を対象としてしか話を聞いたり観察したりすることができないので、葬儀研究と言っても、それを通じて「死そのもの」を見ようとしているのか、葬儀を行う共同体の文化を見ようとしているのかが、いまいち判然としない。
そこで、今までとはちょっと違ったアプローチをしてみたいという思いがありました。とりわけ、言語を超えた「アート」というものをこの領域に掛け合わせることで、従来のアカデミズムの手法では迫れなかった場所に、到達できるのではないかと思ったのです。
──アートであれば、「死そのもの」に迫れるかもしれないと。
はい。たとえば、文学作品において強烈に死が表現されていると感じたことが、過去に2回あります。
1つ目は、ハン・ガンという作家の『少年が来る』という作品。1980年の5月18日に起きた光州事件について、そこに参加していた何人かの一人称の視点で書かれた小説です。どんどん話者が変わっていくのですが、途中で語り手になるのが殺されて既に死んでいる少年で、魂になった状態で、遺体が積み重ねられて仮埋葬される様子について語るのです。それはほんの1〜2ページの短いパートなのですが、そこで語られる死の恐怖や殺されたことに対する恨み、韓国で言えば「ハン(恨)」になるのですが、その感情や死後の世界の描写がものすごく生々しくて。
もう1つは、アン・ユンという韓国人作家の短編集で、おそらく身近な人を失った人たちが、会って話している状況が描かれた作品です。描写されているのは本当にたわいのない言葉で、亡くなった人のことや死については作品の中ではほとんど描かれていません。にもかかわらず、そこにいない人の死が、すごく感じられる描写なのです。
なぜ文学がそうした描写に辿り着けるのかと言えば、やはりアート作品においては、言語的思考の外側で、感覚的に考えることができるからだと思っています。言語ではなく感覚で考えたときには、特殊性のある「文化」化されていない、死の普遍的な部分を掴んで表現することができるのではないでしょうか。
──文学以外にも、注目されているアートフォームはありますか?
ええ。たとえば韓国には、伝統的な葬儀で用いられてきた「サンヨ(喪輿)」という棺を載せる輿がありまして。実は日本の自然葬を研究したあとは、しばらくサンヨの研究をしていたのですが、このサンヨにはすごく面白い装飾がたくさんあるんです。いわゆる民衆芸術と呼ばれるものだと思うのですが、たとえばその人形の表情や形とかを見ていると、やはり感じるものがあるというか。
完全に個人的な感覚ではありますが、なぜこんなカラフルな色にしたんだろうなどと考えると、何か葬儀に祝祭的な意味合いを持たせたかったのかなとか。また、サンヨには蓮のような仏教的モチーフがある一方で、鳥や龍などのあまり仏教とは関係のないモチーフもあり、いろんなルーツの宗教がごちゃ混ぜになって一つの輿に乗っているんです。
そうした装飾を見ていると、そこまでして、この死者を運ぶ輿に思いを込めたかったのだろうかと感動を覚えたり、死がもたらす感情みたいなものが、だんだんと迫ってきたりするような感覚がありますね。
「サンヨ(喪輿)」の装飾の一種
文化人類学が、死に直面した戸惑いを救った
──ここまで研究テーマやアプローチ、その背景にある「死」にまつわる問題意識についてうかがってきましたが、そもそもどのようなきっかけで、死や葬儀の研究を始められたのでしょうか。
20歳のときに友人が亡くなった経験がすごく大きいです。小学生のときから知り合いの、仲のいい友人だったのですが、兵役で軍隊に行ったときに、そこで突然自殺してしまって。
その死をどのように受け入れるかが、当時の自分の実存に関わる問題として存在していました。自分なりにいろいろ考えたいと思い、教会にも行ってみましたが、あまりピンとこなかった。家族と話をしようにも、ちゃんと話ができないというか、そうした話題をどう扱ったらよいのか、お互いわからないという状況がありました。
──身近な人の「死」に直面して感じた戸惑いが、出発点だったのですね。
同時にその頃、文化人類学にも出会いまして。私はもともと、大学での勉強に興味があったタイプではなくて、進路が定まらず、大学を休学して、半年間ほどバックパッカーで海外を回っていた時期がありました。
中でもトルコにはけっこう長いこと居て。帰国してからもトルコについて調べようと思い、文化人類学の先生が書いた本を読んだのですが、そのとき「こんな学問があるのか」と衝撃を受けました。
その後、『「劇場国家」北朝鮮』(法政大学出版局, 2024)という本の著者である鄭炳浩という先生の文化人類学入門の授業を受けたのですが、すごく素敵な先生で。文化人類学では、「すべての文化は対等であり、これが正常/これが異常、これが優れている/これが遅れているというものはない」とする文化相対主義という考え方をとるのですが、「この文化相対主義の視点に立ってみれば、皆さんも誰かが普通で誰かがおかしいというものはなく、みんながそれぞれの色眼鏡で世界を見ているだけだ」という話をしてくださいました。
それまで、変わった人間と見られることがけっこう多かったので、その言葉にすごく救われたというか。そのときから、文化相対主義という考え方が、自分の生きる指針として浸透したような感覚がありますね。
──そうした文化人類学のものの見方が、当時感じていた「死」に対する戸惑いを解消してくれる感覚があった?
価値判断を一旦保留し、ある人や物事、現象について、一歩引いた視点でみられるようになったのは、救いと言えるのかもしれません。
「死を受け入れる」ということは、個人の努力だけで何とかできるものではなく、社会的あるいは文化的に受け継がれた文脈──わかりやすく言えば、人類がこれまで死を処理するためにつくりあげてきた文化や伝統、宗教みたいなものの上で成り立っていた。逆に私が友人の死を受け入れることができないのは、そうした死と適切に向き合うための基盤が、現代において失われているからなのではないか……文化人類学に出会ってから、そう考えるようになりました。
──自然葬という研究対象には、どのように出会ったのでしょう。
まずは、他の人たちがどういうふうに死を受け入れているのかを研究しようと思っていました。当時は「葬儀」という部分に限定していたわけではなく、「看取り」や医療人類学的なアプローチも考えていたのですが、ちょうど日本に留学する機会があって。
さまざまなことにアンテナを張っているうちに、先ほどもご紹介した「葬送の自由をすすめる会」の催しが近くであることがわかり、行ってみたら非常に興味深かったんです。なんというか、思想的に自然葬をやっているという部分にすごく違和感があって。もう少し調べてみようと思い、そこから日本における自然葬の調査を始めました。
映像人類学が掬いとる、言語化されない「現実」
──自然葬の研究に際して、葬儀や死を映像に記録することで死を捉え直す、映像人類学の試みもされていますよね。
もともと映画や写真が好きだったので、映像自体は昔からよく撮ってはいたのですが、博士論文を書きながら、「やはり言語化できないところに大事なものがあるんじゃないか」と思い始めて。それ以降、葬儀を題材にした映像作品を撮るようになりました。
たとえば、冒頭で申し上げた通り、自然葬をするときには、みんなさまざまな葛藤を抱えるわけです。「本当に自然葬でよかったんだろうか」とか「遺骨をすべて撒いてしまってよかったんだろうか」とか。そうした葛藤が、実際に当事者の方たちとお会いする中ですごく感じられるし、それは私の研究している現実において、すごく大事なものであるように感じます。
しかし、それが論文だと「迷いながらやった」みたいな1行で終わってしまう。それが、何か大切なものをバンバン捨てているような罪悪感があって。それは研究者として重要なものを表現できていないという罪悪感でもあるし、これだけ皆さんの時間と愛情をいただいて、フィールドワークで葬儀を見させていただいたのに、それをきちんと伝えられていないという罪悪感でもありました。なのでまず、映像として残すことで、新たな意味を持たせたいという思いがありました。
──論文では伝えきれない表情や身体の動きを、映像であれば伝えられると。
また、映像にすることで、新たなコミュニケーションが生まれる場面がたくさんありました。たとえば、私がつくった映像を見てもらったことで、それまでかけられたことのなかったような言葉をかけていただき、それが重要な発見に繋がる場面があったり。新たなコミュニケーションの方法として、映像にはすごく可能性があるなと思いました。
──アーティストの地主麻衣子さんとの共編著で出版された書籍『葬いとカメラ』(左右社, 2021)も、そのような新たなコミュニケーションから生まれたのでしょうか。
そうですね。地主さんからご連絡をいただいて始まりました。地主さんとは特にそれまでつながりがなかったのですが、私の自然葬の論文を読んでご連絡をくださり、お会いすることになったんです。
彼女はお墓と葬儀に関する映像作品をつくろうとしていたのですが、一方で私も葬儀に関する映像をつくっているという話をしたら、お互いの映像作品を見て話をする会をつくることになりまして。私の映像はインタビューに頼っている部分も多く、けっこう言語的な要素も多い作品なのですが、地主さんの作品は、リサーチの内容がどう反映されているか、一見わからないような映像でありながら、すごく「死そのもの」が感じられる場面が多かった。なぜそのような表現が可能になるのかと、他のアーティストや研究者の方も交えて探究をしてゆき、それが『葬いとカメラ』のベースになりました。
死には「音」がない?さらなる「死そのもの」の探究に向けて
──ここまでのお話を踏まえて、今後のご活動の展望についてもお聞かせいただけますか?
「死に関する研究」という部分は今後も変わらないと思うのですが、もう少しテーマを広げたいなという気持ちがあります。葬儀を通して死を見る場合には、今は日本と韓国を中心に見ているので、儒教文化圏以外の他の地域にも、対象を広げてみたいですね。
また、葬儀だけでなく、別の切り口から死を見てみたいという思いもあります。たとえば、医療の現場において、臨終がどのように扱われているのか。このあたりは先行研究も既に多くあるとは思いますが、自分自身が経験しているわけではないので、一度触れてみたいなと思います。
それから、まだ全然具体的ではないのですが、一つ地主さんとやりかけていたことがありまして。昨年(2022年)、まだ作品にはなっていない大量のフッテージ(映像の断片)をすべて見返し、その映像をどういうふうに編集したら「死そのもの」を浮かび上がらせることができるのか、実験的にいろいろ試してみたんですね。
そこで映像を見返していて気づいたのは、「死には音がない」ということ。つまり、個々の文脈特殊性を超えて、音がないところですごく死が感じられるのです。そのため、そうした映像を題材に、一度「音の不在」で死を表現してみたいと思っています。
──最後に、そうした展望のもと、AIPでチャレンジしてみたいことについて教えてください。
今回の研究テーマには、かなりいろいろな活動の可能性があるんじゃないかと思っています。ですのでデサイロでは、従来のアカデミズムの枠に囚われず、今までやってこなかったようなまったく新しい試みに挑戦していきたいですね。
また、文化人類学者としては、文化相対主義的な考え方を学生たちに身に着けさせることは、すごく意義の大きなことだと思っていて。大学生だけでなく、社会人の方や、中学・高校生くらいの、価値観がこれから形成されていく世代の人たちにも広げていきたい。そうした部分でも、何かご一緒できたら嬉しいですね。
Text by Mariko Fujita, Photographs by Kazuho Maruo, Interview & Edit by Masaki Koike
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