アントレプレナーシップを感性的/審美的な視点から捉え直す──「企業者的想像力」から考える|経営学者・山縣正幸
2010年代以降、日本においてもシリコンバレーの余波を受けながら、第4次ベンチャーブームが到来。政策や教育においてもスタートアップの振興・育成が重要アジェンダになり、さまざまなシーンで「アントレプレナーシップ」の重要性が叫ばれるようになりました。
他方で、アントレプレナーシップの条件や構成要素に関する議論に関しては、まだまだこれからという面もあります。
そんな中で、感性的/審美的な視点からアントレプレナーシップを再考することに取り組んでいるのが、経営学者の山縣正幸さんです。
山縣さんは経営学史、サービスデザイン、デザイン経営を専門に幅広いテーマの研究に取り組まれており、近年は「アントレプレナーシップへの美学的アプローチの可能性:企業者的想像力概念を軸に」というテーマにも取り組まれています。本稿ではそんな山縣さんに、「企業者的想像力」という概念を手がかりに、アントレプレナーシップの感性的/審美的側面について論じていただきました。
美学的アプローチから見えてくる、アントレプレナーシップの新たな側面とは?
【9/24開催/参加無料】「企業者的想像力」からアントレプレナーシップを再考する──経営学者 山縣正幸【Academic Insights #3】
|1 はじめに
アントレプレナー(entrepreneur)、あるいはアントレプレナーシップ(entrepreneurship)。この言葉を耳にしたことがある方は少なくないかと思います。どちらかというと、キラキラ(ギラギラ?)していて華やかな。儲かるとなれば、ガツガツと機会をつかみに来るような。人によっては、新自由主義の権化(の一つ)のように見ている方もいるかもしれません。たしかに、そういった面があることは事実です。しかし、それだけでは語り切れません。むしろ、経済のみならず、社会に変化をもたらし、ダイナミズムを惹き起こすところに、アントレプレナーシップ/アントレプレナーの最大の特徴があります。
このダイナミズムを惹き起こすはたらきを考えるとき、一つの手がかりになるのが「企業者的想像力 Entrepreneurial Imagination」という概念です。
経営学において、想像力という言葉が直接的に用いられることは、今までそう多くありませんでした。もちろん、想像力が重要であることは認識されていました。ただ、どうしても主観性が前面に出てくるために、避けられていたといってよいでしょう。とはいえ、たとえば日本においても、経営史研究者の大河内暁男は1979年に刊行した『経営構想力』(東京大学出版会)という本のなかで、実際の企業者が客観的な諸条件をどの範囲まで視野に入れ、どれだけの問題を感知し、経営行為にかかわりある問題として拾い上げるかを企業者の知覚能力と位置づけ、そこから先見し、構想を立てていく一連の諸力を“経営構想力”と呼んでいます。そして、大河内はこの企業者の経営構想力について、人間の知覚能力などで制約があるため限定された側面を持つ一方、今までになかったような新しい経営行為のかたちを創造しうるという面、つまり無限の能力としての側面も持っていると指摘します。
また、1980年代以降の日本の経営学をリードしてきた研究者の一人である加護野忠男が1988年に刊行した『組織認識論』(千倉書房)は、社会学や認知科学の知見を活かしながら、企業における組織的な認知や行動などをメタファーやパラダイムといった概念なども援用しながら明らかにしようとしています。その際、企業者/企業家がパラダイムの創造者として位置づけられています。これらの議論では、想像力という概念は用いられていませんが、そこに通じる考え方が示されています。一方、マーケティング論の領域ではレヴィット(Levitt, T.)が“Marketing Imagination”(Levitt, T. 1983/1984)と題した文献を公にしています。近年では、田中洋(2020)が想像力とブランドとの関係性を解明する試みを提唱しています。とはいえ、その数が多いわけではありません。
では、なぜ本稿でわざわざ企業者的想像力という概念を持ち出すのか。ひとまず想像力という概念は、現実に生じている事態を一つのトータルな状況として捉えることを可能にするはたらきであると同時に、現実には存在していない、あるいは認識されていない状態をアイデアルに想い描くはたらきでもあると捉えることができます。このはたらきこそが、社会に何らかの新しい状態を生み出すわけです。その意味で、想像力は社会のダイナミクスの源泉の一つであるといえます。
それだけなら、大河内や加護野の議論でも言及されています。だとすれば、なぜか。この想像力という概念によって、今まで経営学(のみならず、社会科学全般)において十分な位置づけを与えられてこなかった感性的/審美的な側面を摂り込むことが可能になるからです。
なぜ、そんなことが言えるのか。その点について、以下のような流れで考察を進めていきたいと思います。
アントレプレナーシップとは何か
企業者的想像力と制作(poiesis)としての「企て」
「企て」とaesthetics:企業者的想像力という概念の可能性
|2 アントレプレナーシップとは
アントレプレナーシップという言葉の発祥はかなり古くにさかのぼることができます。ホゼリッツ(Hoselitz, B. F. 1951/1960)によれば12世紀ごろにEntreprendreなる言葉が登場するようで、それ以来の数百年は英語でいうところのUndertaker=請負人という意味合いで用いられてきました。つまり、誰かから請け負って、何事かを実現していく人のことをさしていたわけです。ちなみに、Undertakerには「葬儀を担う人」という意味もあります。藤原辰史『分解の哲学』(青土社)でも引用されているハインリッチ『生から死へ、死から生へ:生き物たちの葬儀屋の物語』(化学同人)で「葬儀屋」と言われているのはUndertakerです。
さて、このアントレプレナー/アントレプレナーシップという言葉の和訳について、触れておきたいと思います。
この言葉にはいろいろな訳語があります。代表的なところでは、「企業者」「企業家」「起業家」あたりがよくみられます。どの訳語を用いるかは、その人のアントレプレナー/アントレプレナーシップの理解によって違いがあります。私自身は、抽象的な役割あるいはその擬人化として捉えるときは「企業者」と呼び、実際に存在する具体的な人物についていうときは「企業家」と呼んでいます。一般的には、「起業家」という言葉のほうがよく使われるかもしれません。
ただ、アントレプレナー/アントレプレナーシップは、必ずしも会社/企業を起こすということに限られる言葉ではありません。むしろ、アントレプレナーシップを発揮する人であれば、誰でもアントレプレナーであるという考え方は、この領域の学問的議論において一定程度の共通理解が得られています。したがって、新しく入った従業員(新入社員)であってもアントレプレナーシップを発揮することは可能であるわけです。さらに、複業で会社に勤めながら自分がもっている資源を活用して、何か新しいことをやりはじめるとき、その人はアントレプレナーシップを発揮しています。その意味で、ここでは「企てる」というところに着目します。それゆえ、日本語で表現するときは「企業者」「企業家」という言葉を用います。
アントレプレナーシップをどのように捉えるか、つまりアントレプレナーシップ概念の定義は論者によってさまざまです。ここでは、(1)将来の不確実性と危険の負担、(2)新しい価値の創造と資源の編成、そして(3)将来への構想投企(プロジェクト)と想像力という3つの視点から、アントレプレナーシップを捉えてみたいと思います。
視点(1)|将来の不確実性:危険の負担と魅力の発見
私たちが生きている「今」(これは2024年に限られたことではありません。古代から、まさに“現在”にいたるまで、すべての生きている瞬間です)は、いつも「何が起こるかわからない」という意味で不確実です。このうち、確率的にある程度まで予測できる場合をリスク、予測ができない場合を「真の不確実性」と呼んだのが、アメリカの経済学者ナイト(Knight, F.)でした。ナイトは、この真の不確実性という状況のなかで、所得を獲得するために組織的な事業体である企業が生まれてくること、そしてそれを差配する役割としてアントレプレナーシップが重要になると述べています。つまり、何が起こるかわからないという、ある種の“危険”を引き受けて事業を構築し、遂行していくこと、ここにアントレプレナーシップの重要な点があるとみているわけです。
こういった不確実性に着目する考え方はきわめて古くからあります。そもそも、アントレプレナーシップという言葉に経済的な意味合いをもたせて、アントレプレナーシップ論の祖となったアイルランド出身のフランスの実業家で銀行家のカンティヨン(Cantillon, R.)は、相互の交換を取り決める自己調整的なネットワークとしての市場において、先見の明を持ち、リスクを進んで引き受け、利潤(時として損失)を生み出すのに必要な行動をとる人をアントレプレナーと呼びました。
このように将来が不確実であることに焦点を当てる議論は、最初に触れたナイト(Knight, F.)やミーゼス(von Mises, L.)、カーズナー(Kirzner, I.)、シャックル(Shackle, G. L. S.)などによって、さらに展開されることになります。このなかで、カーズナーは、カンティヨンがアントレプレナーに想定していた「さや取り利益の獲得」に注目します。これは、何が起こるかわからない状況のなかで、抜け目なく利潤獲得の機会を探し、それをものにするというはたらきをさします。これを、カーズナーは企業者的機敏性(entrepreneurial allertness)と呼んでいます。こう書くと、カーズナーは『企業家と市場とは何か』のなかでアントレプレナーの狡猾な面に焦点を当てているようにもみえるかもしれません。実際、そう言った面を重視しているのはたしかです。けれども、利潤獲得という以上に「魅力的な機会を発見することは、愉快な驚きをあらわす」と指摘し、“発見”という行為がもたらす創造性に重点を置いていることは留意しておいてよいでしょう。
視点(2)|新しい価値の創造と資源の編成
アントレプレナーシップというと“イノベーション”という言葉を想起される方も多いかもしれません。イノベーションというと、シュンペーター(Schumpeter, J. A.)の名前がよく出てきます。最近でこそ、イノベーションを技術革新と訳する誤りは減ってきましたが、シュンペーターが提唱したイノベーションは「新結合(Neue Kombination)を通じた価値の創造」です。ここでいう新結合について、シュンペーターは、
(1)新しい生産物、または生産物の新しい品質の創出と実現
(2)新しい生産方法の導入
(3)工業の新しい組織の創出
(4)新しい販売市場の開拓
(5)新しい買い付け先の開拓
の5つを挙げています。今ここで、この5つについて詳しく見ていく余裕はありませんが、大事な点は「今までとは異なる新しい組み合わせ=結合によって、享受者の欲望や期待を充たすことで、提供者(企業者/企業)も成果を獲得する」という点です。シュンペーターは、じつのところ個別企業についてではなく、社会経済全体のダイナミクスに関心がありました。そのため、「じゃあ、具体的にどうする必要があるのか?」という点についてはそれほど踏み込んでいません。
この点は、シュンペーター以前にすでに論じられていました。例えば、誰かが欲しいと感じる有形のモノであったり、あるいは無形のコトであったりを、さまざまな資源を結びつけることで生み出すところに、アントレプレナーシップの意義を最初に見出したのが、フランスの経済学者セイ(Say, J.-B.)でした。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、近代経済学の基盤を構築したイギリスの経済学者マーシャル(Marshall, A.)は、硬直化しやすい大企業において創意(initiative)をどうやって活性的なものとするかに焦点を当てています。その意味で、マーシャルは企業の外部環境と内部環境を結びつける役割としてアントレプレナーシップを位置づけたといえます。こういった議論を踏まえつつ、シュンペーターはあえてイノベーションに焦点を絞り込んだわけです。その意味で、アントレプレナーシップそれ自体に注目するときは、シュンペーターが強調したイノベーションを資源の結びつけ/編成という観点とつなぐ必要があります。
ここに注目したのが、ペンローズ(Penrose, E. T.)です。ペンローズは、1959年に公刊した『企業成長の理論』において、企業を動かしていく役割を「企業者としてのはたらき」(企業者用役; Entrepreneurial Service)と「経営者としてのはたらき」(経営者用役; Managerial Service)に整理しています。前者は不確実な状況のなかで、自分たちを取り巻いている環境をどう認識し、それにもとづいて主観的な事業機会をどう構想するかがポイントになります。一方、後者においては資源から生産的サービスを引き出し、それが成果につながるようにしていくことがポイントになります。これに関して、環境の認識や解釈、さらに事業の構想に際して、想像力(imagination)あるいはイメージ(image)が重要な役割を果たすことを指摘しています。ただ、この点をペンローズは掘り下げてはいません。
想像力がアントレプレナーシップにとって重要であることを、より掘り下げたのはシャックルとラッハマン(Lachmann, L.)、そしてハーパー(Harper, D. A.)といった主観主義的な経済学を提唱する研究者たちでした。その流れについて、みていきましょう。
視点(3)|主観的な解釈と想像力
ここまでに見てきた2つの視点を統合的に捉えることを可能にするのが、想像力です。想像力とは、これまたえらく日常的な言葉が出てきたと感じられる方もいらっしゃるでしょう。経済活動あるいは経営行為において、将来の不確実性を前提とするなら、想像力という概念が不可欠であることは言うまでもありません。にもかかわらず、想像力という概念は経済学や経営学において、必ずしも主流には位置づけられていないテーマでもあります。ここには、可能な限り客観性を担保した議論を展開したいという社会“科学”としての信念があるとみてよいでしょう。
この点を乗り越えようとしたのが、シャックルでした。シャックルはハイエク(von Hayek, F. A.)のもとで初め学び、そのあとハイエクのライバルともいえるケインズ(Keynes, J. M.)のもとで学んだ異色の経済学者です。シャックルが注目したのは、経済行為において起点となる“期待”でした。ここから、ケインズが言葉として用いながら十分に展開しなかった「万華鏡的状態」(kaleidics)へと展開していきます。つまり、誰かが何かを少し動かすことで、見える景色が変わりゆく動的状態です。その際に、シャックルは想像力に注目したのです。シャックルは想像力を「来るべき時間についてのありうる内容」(Shackle, G. L. S. 1979, p. 9)と述べています。つまり、さまざまにありうる可能性のなかで、ある主体が他の可能性を念頭に置きつつも、ある可能性を想起することをさしているわけです。
シャックル自身がアントレプレナーシップについての考察を展開したわけではありません。ただ、シャックルの想像力を重視する視座がアントレプレナーシップをめぐる議論に包摂されたこと、これが重要です。それに貢献した研究者を、ここでは2人挙げておきます。
一人は、オーストリア学派経済学のなかでも企業者の主観的側面を重視したラッハマンです。ラッハマンは、経済現象における“不均衡”をとりわけ重視し、企業者による期待の形成や、それにもとづいて立てられる計画(ここでの計画は、厳密精緻なものというより枠組に近く、動的な状態によって変更されうるという前提です)によって、事業を営むための資本(これは、バランスシートでいうところの資産)を構成していくという事態に注目します。その基底にあるのが、想像力です。ラッハマンの議論は企業者的想像力と経済行為を結びつけようとする点で、重要な示唆をもたらしてくれます。
もう一人が、ハーパーです。ハーパーもラッハマンと同じオーストリア学派に属しています。ハーパーは知識の成長理論に立脚し、企業者の学習過程を重視します。ここにいう学習とは試行錯誤のなかで、より好ましい状態へと進んでいこうとすることであると理解できます。その際に企業者的想像力が重要になってきます。ハーパーは、環境と主体の相互作用関係のなかで企業者的想像力を発揮することで、試行錯誤のなかで不確実性を乗り越えながら成果の獲得へと進んでいこうとするところに、アントレプレナーシップを見出しているわけです。
将来の不確実性つまり完全な予測が不可能な状況のもとで、他の誰かの欲望や期待を充たす=他の誰かに価値をもたらす効用(具体的には、モノやコトといった状態で提供されます)を創出・提供し、その対価として経済的成果を獲得するという一連の営み ——これを私は価値創造と呼んでいます—— を駆動していく“衝動”(impulse)、それがアントレプレナーシップなのです。その枠(scheme)を描き出していくのが、企業者的想像力であるわけです。
ここにいう“衝動”とは、デューイが『人間性と行為』のなかで用いた概念です。「活動の再組織化が回転する基軸であり、古い習慣に新しい方向を与え、その属性を変えることで逸脱をもたらす原因ともなる」(訳書99頁)と説明されています。
|3 企業者的想像力と制作(poiesis)としての企て
さて、長々とアントレプレナーシップ論の展開について(それでも断片的ですが……)述べてきました。なぜかというと、アントレプレナーシップについて論じるに際して、将来がどうなるかわからないという意味での不確実性のもとで、手持ちの、あるいは誰かから提供してもらえる資源を結びつけ、誰かが欲する効用を生み出し、提供することで、価値を創造するというところがポイントになることを知っていただきたかったからです。そして、その営みは単に誰かの欲望や期待を充たすというだけでなく、使う人、つくる人、伝える/届ける人、さらには社会や文化、自然といった“生態系ecosystem”とでもいうべき関係態を変化させることさえあるのです。
具体的な商品を例に出すなら、かつてソニーが出したウォークマンを想い起こしてもらえるといいかもしれません。ウォークマンの登場によって、私たちは音楽を移動中に聴くということが可能になったわけです。そして、さらにそこからAppleによるiPod(実は、音楽をデータとして捉えるのはそれ以前から始まっていましたが)によって、データとして音楽を聴くということを明瞭に自覚するようになりました。まさに、これは音楽を聴くという行為の生態系が変容した事例であるといえるでしょう。変容した、というより、ウォークマンやiPodといった物的媒体によって音楽を聴くという行為の生態系が“制作”された(現実には、制作されつつある)と表現するほうが、より適切であると思います。
ここでいう“制作”とはpoiesisという言葉です。制作というのは、古代ギリシアのアリストテレスに遡って“詩作”と重ね合わせて論じられてきた概念です。アントレプレナーシップというと、制作というよりも“戦略”や“計画”といった言葉のほうが結びつきやすいと想起される方も少なくないかもしれません。読者のなかで、会社や役所にお勤めの方はPDCA(Plan-Do-Check-Action)という言葉を思い出されるかもしれません。いわゆるマネジメントの場合は、PDCAも重要です。しかし、セルトーの『日常的実践のポイエティーク』(原著1980年; 訳書1987=2021年、ちくま学芸文庫)が示すような「何とかやっていく」なかでの制作=詩的創造にこそ、アントレプレナーシップの重要な側面があります。これは、シャックルが1972年に言及していたことでもあります。あるいは、近年のアントレプレナーシップの議論で盛んに採りあげられているサラスバシー(Sarasvathy, S.)のエフェクチュエーションの考え方も近いところにあります。また、アントレプレナーシップについての研究ではありませんが、経営学者ミンツバーグ(Mintzberg, H.)が経営層の仕事を密着的に観察・記述した『マネジャーの仕事』や、ミンツバーグの戦略論における重要概念“創発”ともつながってきます。これらに共通するのは、その時々の状況に応じつつ、「何とかやっていく」ことで道を切り拓いていくという事態です。
アントレプレナーシップのように、ナイト的な意味での不確実性のもとで将来を構想し、手持ちの資源や提供を受けられる資源などを編み直しながら、ありたい状態へと進もうとするとき、もちろん計画は必要であるとしても、精緻な計画のとおりに進んでいける保証はありません。予想外の状況が生じることは、むしろ日常です。前節で言及したハーパーの知識の成長理論をベースにした企業者的学習という考え方も、同様の発想に立脚しています。そのようななかでアントレプレナーはそのつどの状況においてありたい状態を描き、それをカタチにしようとする=制作するということを重ねているわけです。この制作するという営みをアントレプレナーシップに重ね合わせるとき、「企てる」という動詞を宛てることができます。
|4 「企て」とaesthetics:企業者的想像力という概念の可能性
この「企て」としてのアントレプレナーシップの発揮/発現は、当然ながら何らかの意図をもってなされます。アントレプレナーシップというとき、基本的にそこで生み出されるものは有形・無形を問わず“商品”です。これは、誰か他者と交換されることを前提としています。その媒介となるのが貨幣です。ただ、その際に留意しておきたいのは商品にせよ貨幣にせよ、相手に何らかの価値をもたらす効用/サービスがやり取りされている点です。この効用/サービスは、ふつう実際的な欲望や期待を充たすという意味で「機能的」であることが第一義となります。
ところが、享受する側にしてみれば、その商品それ自体やそこからもたらされる効用/サービスには倫理的な善し悪しや感性的な好し悪しもあります。あるいは、そのやり取りをめぐる倫理的あるいは感性的な側面も生じます。ビジネスというと、一般的には損得で測られる経済的側面が前面に押し出されるわけですが、倫理的な側面や感性的な側面は時として経済的側面を上回ることさえあります。よく、ある企業に「ファン」が生まれるというような言い方をしますが、このファンという存在は多くの場合、損得だけでその企業が生み出す商品を購入しているわけではありません。
例えば、大阪府八尾市を本拠地に活動している木村石鹸工業株式会社(以下、木村石鹸と略称します)。木村石鹸の人気商品の一つであるシャンプー12/JU-NIは、髪質が合う人と合わない人がいるということをはっきりと打ち出し、クラウドファンディングで500万円を超える支援を獲得しました。現在は定期購入制度があって、この会社では“売れ筋”といえる商品です。
この商品の開発にあたった多胡さんは、自分で納得のいく商品を開発してみたいという思いで2014年に木村石鹸の戸を叩きます。ただ、当時、木村石鹸がシャンプーを商品として開発する予定があったわけではありません。しかし、当時は常務であった木村祥一郎さん(2013年に実家に戻り、現在は代表取締役社長)は多胡さんを雇うという決断をします。多胡さんは会社の業務としてのOEMなどの仕事をしつつ、自分がやりたいシャンプーの開発を続けます。そして、5年後にシャンプー12/JU-NIとして結実します。ここには、多胡さんの技術ベースでの「新しい、自分が納得できる何かを生み出したい」という衝動とともに、木村さんの「誰かにとって欲しくなるような何かが生まれてくる会社であってほしい」という衝動、さらにそれを支える木村石鹸の従業員のみなさんや、デザイナーさんなど外部のステイクホルダーとの協働の結果が、ひとつのアントレプレナーシップとして成就したといえます。それは、商品の意匠であったり、あるいは使用する際の感覚的な好みであったり、そういったよりトータルな感性的側面での好感をも生じさせています。さらに、この商品をめぐってSNS(とりわけ、Twitter/X)上でひじょうに丁寧なコミュニケーションをとっていました。そういった正直な姿勢が好感をもって受け入れられたことは間違いありません。
結果として、木村石鹸のシャンプー12/JU-NIは価値提案として、使う人(享受者)に「充たされ=価値の発現」をもたらしたと同時に、提供者である木村石鹸にとっても重要な柱となる商品の一つとなりました。これは経済的成果の獲得という面での重要性はもちろんですが、木村石鹸がどのようなスタンスの会社であるのかということを象徴する一つの「結晶」ともなっているわけです。これは、将来においてどうなるかわからない不確実性のなかで「企て」た結果ではありますが、一方で享受者の側も木村石鹸の商品、あるいは木村石鹸とのやり取りを通じて、経済的・倫理的・感性的な側面が交じり合う時空間を共創していると理解することもできるのです。このような共創は、企てなしにはありえませんが、企てだけで成就するものでもありません。
この企ての成就を希って、企てる側が企てつくすことのできない部分を想い描くこと、それが企業者的想像力であるといえます。もちろん、企てる側が「こういう状態を生み出したい」と想起すること、これが企業者的想像力の基本です。しかし、「こういう状態」には享受者や、あるいはそれ以外のアクターも含まれます。そういった自分以外のアクターに思いを致すことが必須となります。その意味で、不確実性に根ざす「不可能性」を受け入れて、なお価値創造の成就を庶幾すること、そこには必ず倫理的な側面や感性的な側面が含まれること、これらをアントレプレナーシップとして考慮に入れることが欠かせないと私は考えるのです。
想像力について、キルケゴールは現実を離れて想い描くことであると捉え、コウルリッジは対象を一つのトータルな存在として捉えるという意味での第一次想像力と、そこから発して現実には存在しない状態を想い描く、つまり空想(fantasy)という意味での第二次想像力の両方の重要性を示しました。こういった概念を援用することで、より広く他者に向け、あるいは他者とともに「ありたい状態/生活世界」を成就していく営みとして、アントレプレナーシップという概念を捉え返すことが可能になると、私は考えています。
|5 おわりに
以上、長くなりましたが、日本ではまだほとんど用いられていない企業者的想像力という概念を手掛かりに、アントレプレナーシップという営みを捉え返すということについて述べてきました。アントレプレナーシップというのは、将来どうなるかわからないという不確実性のもとで、「こういう状態(比喩的に“景色”と呼んでもいいかもしれません)を実現してみたい」という企てです。その際、経済的な持続や成果の獲得を基底に置いているというところが、それ以外の企て ——例えば、芸術家の冒険性(ベッカー)—— などとの違いであるといえるでしょう。この企ては、現実の状態を起点としながらも、現実を構成する要素の関係性を組み換え、新たに結びつけ、さらには異なる要素や関係性を包摂していくという想像力のはたらきなしには不可能です。企業者的想像力という概念は、この点を正面から捉えていくための重要な手掛かりになるのです。
その際、注意しておきたい点があります。それは、ある人 ——例えば、「私」—— が何らかの現実に触れつつ、想像力によってそれを想い描くとき、他の人は異なる想像力をはたらかせているという点です。この「他者の想像力に思いを致す」こと、これを忘れてしまうと、きわめて偏った想像に囚われてしまう危険性もあるのです。aestheticなスタンスにおいては、自らの感性を大事にすると同時に、他者の感性をも同じように大事にすることが大前提となります。このaestheticなスタンスを色濃く反映する企業者的想像力という概念は、「自分がこうありたい」という自らを主人公として位置づける視座と、他の人もまた同じように「その人はこうありたい」と考え、行為することをrespectし、careすることとセットになっていると、私は考えています。
本稿は、あくまでもこのテーマについて、お読みくださったみなさんと一緒に議論するための素材です。これを執筆するにあたって、これに関する先行研究を踏まえておりますが、その精査についてはまだ途上なので、残された課題とさせてください。
ただ、本稿から、さらに進んで他者も自分も支えるという意味でのケアや、それが可能になるようにデザインしていくこと、その原動力あるいは衝動としてアントレプレナーシップを再定位するような、そういう議論ができると、執筆した私にとっても嬉しく思います。
[了]
山縣 正幸(やまがた・まさゆき)
近畿大学 経営学部 教授。2004年関西学院大学大学院商学研究科満期退学。博士(商学)。2017年より現職。専門は経営学史、サービスデザイン、デザイン経営。『企業発展の経営学』(単著・千倉書房)、『DX時代のサービスデザイン』(共著・丸善出版)など、著書・共著書多数。その他に、国立能楽堂解説パンフレット執筆(2016年4月より現在)。
【9/24開催】「企業者的想像力」からアントレプレナーシップを再考する──経営学者 山縣正幸【Academic Insights #3】
人文・社会科学領域における「概念」や「アイデア」をよすがに、気鋭の研究者とともに、いま私たちが生きている時代あるいは社会がこれから直面する課題を読み解いていくレクチャーシリーズ「Academic Insights」。
第3回に登壇するのは、感性的/審美的な視点からアントレプレナーシップを再考することに取り組んでいる、経営学者の山縣正幸さんです。9/24(火)20時より、オンラインにて無料開催します。
そもそも「企業者的想像力」とは何なのか? 「企業者的想像力」というレンズから見えてくる現代の展望とは? ──「企業者的想像力」という概念、そしてその現代的意義や可能性について、本イベントでは、山縣さんより直接レクチャーいただきます。
これまで光を当てられてこなかった、アントレプレナーシップの感性的/審美的側面について、これから議論を深めていくためのレンズを共有していくような時間にできればと思っておりますので、ぜひふるってご参加ください。
■イベント日時
2024年9月24日(火) 20:00〜21:30@Zoomウェビナー
■イベント参加申し込み(無料)
以下のGoogleフォームより、必要事項を記入のうえ、参加申込をお願いいたします。
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※イベント参加にはニュースレターへの登録が必須となります※
※配信リンクに関しては、お申込みフォームに記入いただいたメールアドレスに、後日お送りいたします※
■イベント内容
20:00-20:05:イントロダクション
20:05-20:35:山縣さんによる「企業者的想像力」概念のレクチャー
20:35-21:20:ディスカッション(モデレーターによる深堀り、参加者の皆様からの質疑応答)
21:20-21:30:クロージング