[寄稿]大形綾|「個と集団」あるいは「個と普遍」の狭間で──『「死を肖像する」文化人類学とアートの協働がひらく地平』展に寄せて
雷
インドネシア・ボルネオ島のダヤク族は物理的な死を迎えた直後の死体をこのように表現していた。
腐敗が進み骨が乾いていくと、死体は死の汚染から次第に解放され、やがて雷は石となる。
石
(ロベール・エルツ『右手の優越――宗教的両極性の研究』)[1]
死には様々な様相がある。ひたひたと密かに迫り来るような死と、雷のようにはじける突然の死と。二十歳の鄭を襲ったのは後者のような死だったという。情熱的で気丈夫だった祖母が死に、彼女の葬式で久しぶりに出会った祖父は年老いていた。長らく疎遠だった祖父の姿を目にした後で、鄭はおもむろに筆を執り祖父の肖像画を描き始める。それは衝動的なものだった、と彼女は言う。
二〇二四年九月一四日から二三日まで神戸市垂水区のギャラリーUMUで、展覧会「死を肖像する」が開催された(協力:一般社団法人デサイロ)。開催期間中の九月一六日、同ギャラリーにて座談会が行われた。磯野真穂(文化人類学者)、サラ・デュルト(美術史研究者)、大形綾(思想史研究者)、佐々木健(アーティスト)が本展に関するクロストークを行い、主催者である鄭梨愛(美術家)と金セッピョル(文化人類学者)がナビゲーターを務めた。
なお、本エッセイは座談会の登壇者の一人である大形綾が執筆した。哲学者ハンナ・アーレントの思想に基づいて人間の生命にかんする研究を行っている執筆者は、本展覧会に足を運び、座談会でのトークを終えたのちに、生と死の連続性や個人の生命の時間と歴史的時間の重なり合い、民族・国籍・文化といった多様なテーマへの関心を深めることとなった。これまで、主に人間が誕生する「場」に目を向けてきた執筆者は、死という誰しもに訪れる一回限りの経験から目を背けたままで生命の始まりについて語ることが、いかに空虚な試みであったのかを、このイベントを通じてまさしく「雷」に打たれたかのように反省することとなった。本エッセイは、座談会でのトーク内容を執筆者の視点から再構成し、まとめあげたものである。
[執筆者]大形綾(おおがた・あや)
専門は思想史。2021年、京都大学人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。政治哲学者ハンナ・アーレントの研究を行う。著書に『アーレント読本』(共著、法政大学出版局)。共訳書に、マリー・ルイーズ・クノット編『アーレント=ショーレム往復書簡集』(岩波書店)、キャスリン・T・ガインズ『アーレントと黒人問題』(人文書院)。日本学術振興会特別研究員(RPD)。
展示会場には、「祖父」(2013)と題された大判の作品の隣に「傍」(2012)という作品が飾られていた。横たわる鄭の傍(かたわ)らには一匹の蝉の死体が描かれている。若く健康な女性の身体と短命な蝉の死体が並置された作品を描くにあたり、鄭は夏の暮れに何匹もの蝉の死体を集めてはスケッチを繰り返したと言う。祖母の死と祖父の老い、彼らの生と死の影に導かれるかのように、彼女は身の回りに存在する様々な死に目を向けるようになっていく。枯れた鉢植えを描いた「アイビー」(2012)や、俯いたいくつもの向日葵を見つめた自画像「無題」(2013)など、時と共に、彼女の視点は祖父という一人の個人を超え出て、自然が有する生と死のサイクルへと向かっていく。そのようにして伸び広がった彼女の視点は、やがて歴史に一つの収束点を見出したかのようである。
日本で生まれ育ち朝鮮学校で学んだ鄭は、朝鮮大学校で美術を学んだ。「在日四世」という彼女のアイデンティティーは、祖父が亡くなった二〇一五年以後、主に映像作品を介して表現されるようになっていった。彼女は絵画という媒体を手放したのである。座談会では登壇者の一人から次のような問いかけがなされた。「どうしておじいさんの死後、筆を折ってしまったのですか?」。
脳外科4階の411号室。
生きる上での一種の葛藤のようなものはなくなった気がする。
ただ死を、運命を、甘受している。
苦渋に満ちた運命に翻弄され、家庭を築き、異国の地で新たな幸せをつかむ。
父と母は遠い故郷へ骨を埋め、今自分もその近くまで来ている。
けれども故郷は遠く、もう言葉も忘れてしまった。
ハルベ〔祖父〕はどこへいくのか。どこに帰るのか。
(鄭のドローイングブックより)
作品のモチーフとなる個人=祖父の不在は、鄭に、映像作品という新たな手法への変化をもたらした。塗り重ね、拭い去り、また筆を走らせる。油絵の持つそのようなアナログさは、鄭の祖父が持つ壮大な歴史――植民地支配とその後の冷戦の影響下によって、家族と土地を離れ日本に移り住むにいたった個人の壮大な歴史――を映し取るには、時間と労力がかかりすぎるのだろうか。座談会で、鄭は、彼女の母が何らかの形で祖父のオーラルヒストリーを残すことを強く願っていた、ということを語ってくれた。媒体の変化はアーティストの視座やテーマの変化と共鳴する。鄭の祖父という一人の人間の生の物語は、在日朝鮮人やその家族の歴史という集団の物語への「合流点[2]」を見出だすこととなった。とはいえ、本展では鄭がそのような合流点を見つけ出す、その少し手前の作品群にスポットライトが当てられていた。在日朝鮮人という集団的な記憶に向かう前の、個人の記憶に立ち向かい葛藤する鄭の作品からは、「個から集団」への移行のグラデーションをはっきりと見てとることができる。
***
本展覧会では、繰り返し次の問いが提起された――私たちはどこから来て、どこへ行くのか。この問いへの応答となりうるものが、「祖父の足」(2013)と題された作品にあるのかもしれない。この絵を見たある人はこんな感想を漏らしたという。「たくさん苦労したんだね……この足を揉んであげたい」。
鄭の祖父の裸足の足が、いま地面に降ろされようとしている。雑草がまばらに生えた暗い色彩の大地とピンク色の足の対比が鮮やかだ。しかし足の爪はひび割れ、それぞれがいびつな形に歪んでいる。浮腫み青白い血管が透けて見える無骨な足は、見る者に、彼が歩んできた人生の困難を想像させる。普段、靴下に覆われ靴を履くことで隠されている人びとの足には、彼らの人生の歩みが刻まれているのかもしれない。
鄭の祖父の裸足の足が、いま地面に降ろされようとしている。一人の人間の命が尽きたとき、彼/彼女たちはどこに帰るのだろうか。それは草花に覆われた大地だろうか。大地へと降ろされてようとしている鄭の祖父の足は、大地からいまだほんの少しだけ浮遊しているように思われる。死へと向かう生の微妙な距離感がキャンバスに刻まれる。
「祖父の足」の翌年には、「無題」(二〇一四)と題された三枚の絵が描かれた。そこでの鄭の祖父の姿は、暗闇に沈み込んでいくかのように、輪郭がぼやけ薄れている。描かれているのは鄭の祖父という個別具体的な個人というより、老いに包まれた一人の人間の姿なのかもしれない。暗い色彩の中で、祖父の姿は残像となり、重なり合い、ぼやけ始める。
私は祖父という一人の人間を追究するとき、人間が持つ個人的な歴史というものと向き合うようになる。
このような思索をしていると、一人の祖父に無数の祖父が見えてくる。
不確かで未知で、祖父の肖像が定まらない。
鄭の個展「見えない襞、無数の肖像」(2014年)ステートメントより
本展覧会は「死を肖像する」と銘打たれているが、死へと向かう祖父の姿を誠実に見つめ続けた鄭の絵画が、時と共に祖父の姿を見失い始める様を目の当たりにすると、「死を肖像する」ことがどれほどの困難を伴うのかを思い知らされる。そしてまた、「死そのもの」を葬送を通じて見つめる金の研究も、多くの困難に直面するに違いない。とはいえ、鄭の絵画作品に金が寄せた言葉から成る本展において、座談会の参加者から、ある興味深い感想が共有された――「鄭さんのおじいさんの絵を見ていると、僕は亡くなった僕の祖父のことを思い出します」。鄭の作品が、金が選び取った言葉と響き合い、増幅され、観衆の心に揺さぶりをかける。
何者でもない一人の人間の固有性が、自分が知っている誰かの固有性と響き合うとき、個人の生と死は普遍的な生と死へと架橋する可能性を示すことができるのかもしれない。生と死、その固有性と普遍性の結びつきは、鄭の感情の揺らぎや彼女が受け止めようとした親密な誰かの存在をとおして、絵画の中へ塗り込まれた。その塗り込められたディテールを、金は言葉という形で新たに取り出し、作品への導入を用意する。こうして、展覧会を訪れた人々は、会場に飾られた作品とともに自らが経験したことのある誰かの死を、記憶から呼び覚まし、「咀嚼[3]」し、反芻することが可能となったのではないだろうか。私たちが知っている誰かの死の記憶は、他者が経験した誰かの死の記憶へと、波紋のように、波立ち広がり無数に広がっていく。死を見つめて考えること、そこには「個から普遍」への跳躍が必要とされるのかもしれない。
最後に、金が「祖父」(2013)という作品に寄せた言葉を引用してこのエッセイを締めくくりたい。鄭の作品に刻まれた、私たちの生は死者を「咀嚼」し取り込んで生きることである、という事実を次の文章ははっきりと伝えてくれている。
これら祖父の肖像画から、一九九七年頃に新潟県佐渡島で行われていた葬儀に関する民族誌を思い出した。
この地域の葬儀の祭壇には、米で作られた「ヒトガタ」と呼ばれる団子が飾られる。普通の飾り団子に見えるこれは、実は死者を表すものであるらしい。
人が生まれ、家族の一員として米を作って食べながら生き、子どもを産み、年をとり、死を迎えるという人生の歩みから、ヒトガタを作って食べるという葬いの行為が生まれる。
そう考えると、葬儀は死者本人が特別に用意するものというよりも、日常生活に埋め込まれたものと考えることができる。
それは数世代にわたる日常の中で自然と用意され、死者本人の死後だけでなく、それ以降の世代の死を変換させ、生を維持させる装置でもある。
(山田慎也『現代日本の死と葬儀』)
[了]
[1]本エッセイでブロック引用した文章はすべて、展覧会「死を肖像する」主催者である金セッピョルが鄭の作品に寄せた言葉、あるいは金が鄭のドローイングブックから抜粋した言葉から引用している。アーティストである鄭の作品に対して、文化人類学者の金がどのような言葉で応えたのか。二人の舞台裏での対話は本展覧会の一つの見どころとなっていた。
[2]座談会の登壇者である佐々木健は、二〇二一年から二〇二二年にかけて「合流点」と題する展覧会を開催した。知的障害を伴う自閉症の兄を持つ佐々木は、二〇一六年に生じた相模原障害者施設殺傷事件を契機に、祖父母の家を会場とした絵画展を企画する。座談会で、佐々木は障害者差別が根強い日本社会に明確な「ノー」を突き付けるためには、写真やビデオといった公的で中立的な記録媒体とは異なる、絵画という私的で身体的な歪みを内包する媒体が持つ優位性について語った。――座談会「生命と身体と絵具」トークより。なお、佐々木のWebページは以下。https://ken-sasaki.com/
[3]座談会のトーク「死と言葉と美術」において、文化人類学者の磯野真穂はアチェという民族の食人文化を紹介しながら、「私たちは死者を何らかの形で取り込んで、その先の未来を生きるということをしている」と述べた。死者と生者の連関、あるいは死と生の円環を考える時、この「咀嚼」(食べること・理解すること)という言葉は一つのキーワードとなるかもしれない。
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