生成AIで研究計画書をつくる。人文・社会科学の「研究テーマ設定」におけるAI活用の可能性──tacto・中島琢郎
新規性、有用性、検証可能性……さまざまな要素を考慮して行われる「研究テーマの設定」。
あらゆる研究者や院生・学生が避けては通れないこの難題に一筋の光明を与えてくれるのが、AIによってクリエイティブ思考を拡張するためのフレームワーク「Ideable(アイデアブル)」だ。このフレームワークは、デザインコンサルティング事業を展開するtacto株式会社の共同経営者・中島琢郎氏によって開発され、現在はさまざまな企業のマーケティング施策や新規事業アイデア の創出をサポートするために用いられている。
慶應義塾大学が運営する、未来のコモンセンスを作る博士人材の育成プログラム「Keio Spring」の一環として中島氏を招き、研究者を対象に「Ideable」を活用するワークショップが実施された。テーマは「AIを活用した研究テーマの立案」だ。
プログラムは、2日間にわたって開催。Day1では、中島氏による「Ideable」の概要やAIの基礎知識、「発想」の仕組みに関するレクチャーが行われ、約1ヶ月後に開催されたDay2では受講者たちはワークショップを通して実践に挑んだ。
本記事では、アカデミア領域における新たなAI活用法の可能性を提示した、この2日間のプログラムをレポートする。生成AIは、人文・社会科学における研究テーマの設定にいかにして資するのだろうか?( sponsored by Ideable)
生成AIを「研究テーマのアイデア創出」に生かす
中島が共同代表を務めているtactoは、さまざまの企業・商品のブランディングやコミュニケーションデザイン、UI/UXデザインを手掛けており、「Ideable」はその事業の中でもマーケティングや新規事業のアイデア創出に際して活用されている。そんな「Ideable」をアカデミア領域における「研究テーマのアイデア創出」へと活用する方法を模索することが、今回の取り組みの目的である。
「何かをアウトプットするためのステップは、『実装』と『発想』に大別できますが、後者の『発想』は形式知化されず、暗黙知になってしまう傾向があります。しかし、本来そこには明確なロジックがあり、そのロジックに沿ってプロセスを進めていけば、どのような人でもさまざまなアイデアが生み出せるようになるはず。その再現性を担保するため、AIを活用してサポートしてもらおうというわけです」(中島)
では、「発想」とはいかなるステップで進んでいくのか。その説明のために、中島は縦軸が「抽象/具体」、横軸が「常識/仮説」で構成される「発想の地図」を示した。
「アイデアを生み出すという行為は、基本的に左下、つまりは『具体×常識』のエリアからスタートし、逆U字を描きながら、最終的に『具体×仮説』に至ります。まずは、何らかの具体的な情報や知識をインプットし、それを整理する。次に、整理した情報を分析し、抽象化していく。
ただし、この時点では新たなアイデアを生み出したとは言えません。そこから『一般的な考えではないが、こんなふうにも考えられるのではないか』あるいは『もし、こうだったらこんな説明ができるはずだ』と考え、発想を『地図』の右上、『抽象×仮説』に持っていく必要があります。そうして導き出した仮説を、具体的な手法やサービス、あるいは研究テーマに落とし込んでいく。これが『新しいアイデア』が生まれる基本的なステップです」(中島)
しかし、多くの人は、目の前に具体的な事象としてあり扱いやすい「具体」にとらわれてしまいがちで、なおかつ非効率や無駄を恐れて大胆な「仮説」を打ち出せない──中島が「抽象化の壁」と「仮説の壁」と呼ぶこうした難しさを打開するために、AIが役に立つという。
「文脈」「評価」「反復」──AIから求める答えを引き出すための3ポイント
AIを活用し発想を広げていく際、前提となっているのは「『発想』のロジック」だという。「古今東西の『発想術』を分析した結果、8つのパターンに分けられると考えている」と中島。
そのうちの一つが「逆転」である。簡単に言えば『逆に考えると、こうなるんじゃないか』という考え方で、これは最もわかりやすい仮説の出し方の一つだ。他にも「類推」や「アブダクション(仮説推論)」を活用した発想法を示した上で、「これらのロジックをプロンプトに落とし込んでいくことによって、発想のサポートをしてもらうことが『Ideable』の目的です」と中島。
プロンプトとは「AIに対する指示」のことであるが、中島は「一発で答えを出させるための指示ではないことに留意する必要がある」と指摘する。すなわちプロンプトとは、「求める答えに収束させるための指示」であり、AIとの対話の中で繰り返し入力するものだと捉えておくべきなのだ。
だからこそ、プロンプトを入力するユーザーは「着地点」を見据えた上でプロンプトを入力する必要があり、ある意味ではAIを導いていく必要がある。ある回答を出力したAIに対して、漫然と「違う答えも教えて」と入力するだけでは、満足する答えは得られない。より具体的な指示を出していく必要があり、その中で意識すべきなのが「文脈」「評価」「反復」の3つだと中島は言う。
「『文脈』とは、会話の背景のことです。ユーザーはAIに対して何を期待して、会話を進めているのか。まずはAIの役割を言語化し、それを明確に伝える必要があります。
次に『評価』。AIが導き出した答えの正誤をしっかりと示し、異なるアウトプットをしてもらう場合には『どのようなポイントは期待通りで、どのようなポイントには満足できていないか』を具体的に示す必要があります。ユーザーの言語化能力が問われるところではありますが、具体的に評価を伝えれば伝えるほど、アウトプットのクオリティは上がっていきます。
最後の『反復』ですが、たとえばChatGPTには『再生成ボタン』が実装されており、これを押すことによって同じ質問に対する異なる答えが生成されます。そういった別解を見ることも、ユーザーが求める答えを得るための有効な手段になるでしょう」(中島)
「感情労働」の社会学研究に、生成AIを活用
続いて中島は、この手法を「研究テーマのアイデア創出」に応用してみせた。
中島は「感情労働(自分の感情を誘発、または抑圧することを求められる労働)」に関心を寄せる社会学者になりきり、感情労働に関する新たな研究テーマを定めることを目的に、「逆転」のロジックを組み込んだChatGPTとの対話を進めた。
対話は、「『ファーストフード店における感情労働』を対象とした新たな研究テーマを検討したい」という旨をChatGPTに伝えることからスタート。すると、ChatGPTはさっそくいくつかの研究テーマを示した。
たとえば、「共感の抑制が感情労働者のメンタルヘルスに与える影響に関する調査」という研究テーマだ。これは「感情労働においては、共感を示すことが重要だとされているが、そのことが感情労働者の負担になっている」という常識を逆転させ、「共感を抑制することで、感情労働者のメンタルヘルスは向上するのではないか」という仮説を導き、その仮説を研究テーマに落とし込んだものである。
また、「接客業務において感情労働は不可欠とされている」を逆転させた、「感情労働を不要とする技術の導入が従業員満足度やパフォーマンスに与える影響の調査」を示した。他に提案された案は以下の通り。
「感情労働のポジティブな側面:幸福感と成長の機会」
「感情労働を意識的に行わない従業員のパフォーマンスと顧客満足度の関係」
「感情労働と表現の自由の関係」
「感情労働とアートの融合:アートセラピーとしての感情労働」
「感情労働とゲーム化:ゲーム理論を応用した感情労働の最適化」
「感情労働と時間知覚の関係:時間管理と感情の相互作用」
しかし、「おもしろい視点もあるが、個人的にはどれも抽象度が高すぎると感じた」と中島。アイデアをさらにブラッシュアップするための方法をこう語る。
「先ほどの『発想の地図』を思い出してもらいたいのですが、『具体』『抽象』『常識』『仮説』という4つの要素があったと思います。AIがはじき出すアイデアがそのいずれかに寄ってしまっていると感じたら、その逆に行くような指令をすればいい。
今回の場合は、アイデアが抽象的すぎると感じたので、その逆の『具体』にアイデアを寄せるための指示を出します。たとえば『ファーストフード店の業務内容や労働環境を起点に、より具体的なアイデアを出してください』といった具合ですね」(中島)
すると、ChatGPTはより具体的な以下の研究テーマを生成した。
「顧客クレームをポジティブに受け止める訓練の効果」
「無感情接客の導入とその影響」
「感情労働をローテーションする効果」
「感情労働の見える化とその効果」
「感情労働と音楽の関係」
「感情労働をシミュレーションゲームとして捉える」
「無感情労働とフィジカルフィードバックの融合」
「感情労働と香りの関係」
この中で中島が着目したのは、「感情労働をローテーションすることによる効果」という研究テーマだ。感情労働は、それを得意とする店員が負担することになりがちだが、その負担を分担、すなわち「感情労働を担当する者」をローテーションさせることによって、従業員のストレスやモチベーションにどのような変化が生じるかを研究する、といった内容である。
「このアイデアをさらに具体化してほしい」と指示を出すと、研究の背景や目的だけではなく、「いかに感情労働をローテーションさせ、どのようなデータを収集するか」といったアイデアまでアウトプットされた。加えて、この調査から得られるデータの評価指標、仮説、期待される成果や研究の意義なども示され、あくまでもたたき台レベルのものではあるが、新たな研究を進める素地があっという間に整った。
「このような形で、AIがアウトプットするアイデアの中にピンと来るものがあれば、あっという間に研究のたたき台をつくれます。もちろん、いくらやってもピンと来るアイデアが得られない、ということもあるとは思いますが、その場合は『なぜこれらのアイデアに惹かれないのか』を考えてみると、その思考がきっかけとなり、新たな研究テーマを見出せるかもしれません。
これまで、『Ideable』をマーケティングや新規事業案の創出に利用してきましたが、今回の取り組みを通して、アカデミックな分野でも活用可能だという手応えを得ることができました」(中島)
そう語った中島は、「このレクチャーで学んだことを参考に、AIを活用して自らの専攻に関係する新たな研究テーマを作成する」という課題を受講者に課し、レクチャーを終えた。
発想を拡張し、革新的な研究を生み出す
レクチャーから約一ヶ月後、ワークショップが開催された。
自画像を生成することを通して、生成AIの使い方に慣れる準備運動から始まったワークショップは、受講者が持ち寄った課題をベースにした「AIを用いた研究テーマの生成」の実践へと移っていった。
題材とするテーマは、受講者の一人が実際に研究対象としている「未練」。この受講者は、レクチャーの最後に出された課題の中で、AIの力を借りて「未練とはネガティブな感情である」という常識を逆転させ、未練を「過去に対する尊重とリスペクトの証」と捉え直し、未練をアートに昇華させる研究を立案した。
中島は「とてもいい事例」としつつ、「『ネガティブな感情』というのは、あくまでも『未練』の一側面でしかない。他にもさまざまな切り口が考えられることから、このワークショップでは、AIを活用して『未練』をテーマにした研究テーマの立案に取り組んでもらう」とワークのテーマを伝えた。
しかし、いきなりAIとの対話に取り組むわけではない。「まずは、手書きで『未練』に関する常識と、それを逆転させることで見出せる仮説を書き出してもらう」とワークシートを配布した。
「こちらで用意したプロンプトをChatGPTにコピペすれば、簡単に新たなアイデアが生成されます。しかし、それは『逆転』のロジックが頭に残りません。まずは、手書きで『逆転』させることによって、頭の使い方を知ってもらいたいと思っています。
自らの頭の中で『逆転』のロジックを使いこなせるようになった上で、同じロジックをAIに流し込む。そうすることによって、自らの頭を使う際と、AIを活用した際のアイデア生成のスピードの違いを実感してもらえると思います」(中島)
その後、受講者たちはワークシートに「未練」に関する常識と仮説を書き出しながら、逆転のロジックを体感した後、AIを使った実践に挑んだ。
実践のおおまかな流れは、レクチャーパートで触れた通りである。中島が事前に用意したプロンプトを受講者が各自のChatGPTに取り込み、質問に回答していくと、『未練』に関する常識と、それを反転させた仮説に基づく研究テーマが示される。
受講者たちは回答に対する「評価」と生成を「反復」しながら、研究テーマをブラッシュアップし、最終的に導き出した研究テーマをビジュアル化した。
ワークショップを通して生み出された研究テーマを一部紹介する。
・「未練」が個人の消費行動や投資活動に与える影響の研究
常識的に「未練」は個人的な感情であり、経済的な価値はないとされる。この常識を逆転されると「『未練』にも経済的な価値があるかもしれない」という仮説が導き出され、このような研究テーマにつながった。
・「未練の先取り」が人生の幸福度に与える影響に関する研究
当然ながら、一般的に「未練」は過去の出来事に対して生じるものである。では、もし未来に存在する未練を先取りして関知することが出来たら、人生にはどのような影響が生じるのか。直感的に「未来への不安が増し、幸福度は低下するのではないか」という仮説が立てられるテーマだが、「おもしろい着眼点だ」と中島は評価した。
レクチャーとワークショップを通じて用いられたのは、「逆転」のロジックだ。しかし、中島がレクチャーで触れたように、発想のロジックは他にも7つある。これらを体得し、言語化することができれば、プロンプトが作成できる。プロンプトが作成できれば、アイデア創出の局面におけるAIの価値をさらに高められるはずだ。
こうして、2日程にわたって開催されたレクチャーとワークショップは幕を閉じた。
AIの指数関数的な進化によって、さまざまな領域に地殻変動が生じていることは、今更言及する必要もないだろう。当然、アカデミアの世界も例外ではない。AIの進化は不可逆であり、いま私たちに問われているのは、その是非ではなく「それをどう活かすか」であることも論をまたないだろう。
「Ideable」が示すのは、人社系研究におけるAI活用の新たな道筋だ。今後、世界を変える革新的な研究は「AIを使いこなす研究者」によって生み出されるのかもしれない。
(Text by Ryotaro Washio, Photographs by Ryo Yoshiya, ,Edit by Masaki Koike)