人社系学問の事業化エコシステムの構築──アイデアや構想をカタチにするインフラを整備する【DE-SILO RESERACH REPORT】
大学数や教員ポストの減少、運営交付金や研究費の縮小、不安定な研究者のキャリア……いまアカデミア全体が苦境に置かれている中、既存のアカデミアの枠の“外”において、人社系学問の活路を見出そうとする動きが広がっています。
2024年7月、デサイロは「DE-SILO RESEARCH REPORT」を全編無料で公開。このレポートでは、人文・社会科学領域(以下、人社系)の研究者が直面する課題と構造的背景を明らかにした上で、人社系学問がポテンシャルを発揮するための30の論点を提示しました。
本ニュースレターでは、リサーチレポートの内容を一部抜粋して配信。今回の記事では、人社系学問の事業化を志す研究者のアイデアや構想をカタチにするための「エコシステム」を構築していくための、3つの論点を提示します。
【本記事の目次】
【論点21】「インタープリター」という役割
【論点22】人社系研究者による「ギルド」組成
【論点23】人社系学問の事業化を取り巻く「エコシステム」
ここまで見てきたように、昨今さまざまな領域において人社系学問の事業活用が進み、自ら起業に踏み出す研究者も増えつつあります。株式会社アイデアファンド(注1)の大川内氏も昨今の所感を「最近も哲学専攻の学生から『どうしたら哲学で起業できるんですか?』という相談を受けたが、人文系の専門性を社会の中でアクティブな課題解決に活かしたいという人が増え始めている感覚がある」と語ります。合同会社メッシュワーク(注2)の比嘉氏も、共同創業者の槌屋詩野氏に「研究計画を立てて、プロジェクトマネジメントして、論文という成果を出す。それって、起業家と同じようなことをしているんじゃない?」と言われたことが、創業の一つのきっかけになったといいます。
しかし、人社系の専門性と、その知を事業化していくために必要な知識やスキル、ネットワークには重ならない部分も少なくないでしょう。「事業を伸ばしていくために必要な考え方は、人文的な感覚とは真逆とも言える面もある」(大川内氏)。昨今は大学内にも産学連携や起業を支援する学習プログラムもできつつありますが、今後は意欲がある人であれば誰もが社会への研究知の接続に向けて行動を起こせるようにするため、とりわけ事業化に向けたエコシステムを構築していくことが重要になってくるのではないでしょうか。
【論点21】「インタープリター」という役割
研究によって生み出される価値が、そのまま事業価値になるとは限りません。研究者コミュニティで評価される業績を生み出したとしても、その成果がビジネスの現場で適切に評価され、予算を投じられる対象になるとは限らないからです。そこで重要になるのが、人社系研究者の生み出す価値を、事業における価値と接続する「インタープリター(解釈者、通訳者)」の存在です。そもそも産官学連携においては、行政と民間の違いを理解し、さまざまなステークホルダーをつなぐ「ブリッジ人材」の重要性が指摘されることも少なくありません。アイデアファンド・大川内氏はその難しさについて「(人類学的なリサーチによって生み出された)インサイトの発見が既存の経営指標に還元されるとは限らない。むしろ、既存の経営指標の一面性や問題点を浮き彫りにするのが私たちの狙いでもあるわけだが、従来の短期業績重視・数値偏重の経営観ではまだまだ理解されないことも多い。事業や商品開発への活かし方はクライアント自身にも考えていただかなければいけない」と指摘しています。
その上で、大川内氏は「要件定義」が重要だと強調します。「このプロジェクトで何を目指していて、どのくらいのタイムラインで、どこに終着したら成功なのか。そうした会話を(クライアント企業と)しっかり重ね、プロジェクトで立てる問いや予測される効用を明確にする。その過程では『なぜ人類学なのか?』をすり合わせるワークショップを行うこともある。そうすることで、クライアント企業も適切なメンバーをアサインできるようになるし、効用も高まる」(大川内氏)。だからこそ、ビジネスと人類学のインタープリターの役割を果たす人の存在が重要なのです。例えば時間軸にしても、クライアント企業に「1ヶ月で納品までお願いしたい」と言われても、「それだと意味のある調査ができない」と思ったら、その必要性を説明し、半年くらいまで期間を伸ばす。「ビジネスの論理と人類学の論理、その両方を理解している人が、要件定義からプロジェクトの進行まで立ち会い、架橋する必要がある」(大川内氏)
また、メッシュワーク・水上優氏も「プロジェクト全体の設計として、その中でフィールドリサーチをどのように位置づけるのかが非常に重要」と語ります。アカデミアにおいてはリサーチ自体に価値が見出されますが、ビジネスにおいては、プロジェクトにおけるコンテクストの中でどう位置づけるかによって生み出せる価値は変わります。「人類学的なまなざしで捉えて考察するだけではなく、そこで得られたものがいかにして事業運営やものづくりに活用され、実装されていくかが大事。そのためのプロジェクト設計、問いの設定から入って一緒に考えるのがメッシュワークという会社」(水上氏)。これはまさしく、ビジネスのロジックと研究のロジックをつなぐインタープリターの役割だと言えるでしょう。
現状では、人社系の事業活用に挑む企業においては、研究者である創業者がインタープリターの役割を兼ねているケースが一般的でしょう。しかし、例えば2022年に科学技術振興機構(JST)が国の研究開発プロジェクトを運営する専門人材として「研究開発マネージャー」という新ポストの公募を開始したように、ビジネスに限らず社会と研究を橋渡しし、プロジェクトを企画・立案・推進する専門人材の必要性についての認識はますます高まっています。人社系における「インタープリター」というポジションの必要性と存在意義を明確に打ち立て、例えばそうしたポジションの採用やコミュニティの醸成、ノウハウやスキルセットの整理・普及を行っていくことが、今後重要になってくるでしょう。
【論点22】人社系研究者による「ギルド」組成
人社系の研究者は、個々人で研究を進めるケースが多いため、組織化をあまりしない傾向があります。しかし、そもそも絶対数が少ない中で各プレイヤーが孤軍奮闘するのではなく、近い立場や志向性を持ったプレイヤー同士で連帯していくことも重要ではないでしょうか。
例えば、デザイナーやエンジニアといったクリエイターの領域においては、プロフェッショナルなスキルを持ったフリーランスが集まった「ギルド型組織」が存在し、プロジェクトを共同で請け負ったり、スキルやネットワークをシェアしあったりする相互扶助的なコミュニティを形成しています。こうした組織体が存在することで、情報不足によりクリエイターが不当な条件で仕事を受注することもある程度は避けられ、かつ発注主である企業としてもゼロから個人のクリエイターを探し出し、依頼するコストやリスクを軽減できるメリットがあります。ある人類学系の若手研究者は「講演や執筆を引き受けるとき、適切な謝金がわからないし、相談できる同業者も多くない」と語っていましたが、人社系学問を活かした事業も、多額の資金を投資して短期的な急成長を志向するビジネスというよりは、広義には個々人の専門性を活かした個人事業主・個人事務所的な事業形態に近いケースが多いことが想定されます。したがって、こうしたギルド型組織──例えば、人類学や哲学を活用した事業を手がける人々が所属するフリーランスギルドなど──を構築していくことが有効であるはずです。
さらにギルド型組織は、新興領域においては、その領域の存在感を社会にアピールしていくためのプラットフォームとしても機能します。例えば日本における「分散型科学(Decentralize Science:DeSci)」(注3) の勃興において、関連領域の研究者やエンジニアが立ち上げた「DeSci Tokyo」が啓蒙・ハブ組成の役割を担っていますが、同じように「人社系学問の事業化」という領域自体の啓蒙やハブ組織となる役割も期待できるでしょう。
そして中でも重要なのは、適正でない金額感やモデルでの事業化を防ぐ効果です。背景には、人社系学問に対する、市場からの価値認識の低さがあります。在野の人類学者として約4年間活動してきた磯野真穂氏は、人社系学問を取り巻く搾取構造について、「人文社会科学界隈には『お金を稼ぐのはよくないこと』といった清貧思想が確かにあって、最悪なことにこれで報酬の相場が作られてしまっている」と指摘しています。またクロス・フィロソフィーズ株式会社(注4)・吉田氏も、「人文系研究者への搾取の問題」について問題視。「例えば企業向けの哲学セミナーを開催するとして、数十万円以上が一般的だが、安い金額で請け負ってしまう人がいると、企業側としてはそうした予算テーブルが当たり前に思うようになってしまう。結果、人文系研究者が自分たちで自分たちの首を締めることになってしまう。それは人文系の影響力の弱体化にもつながるのであって、経済や経営との関係を考慮すべき」(吉田氏)。株式会社イデアラボ(注5)の澤井氏も同様の問題意識を持っており、「しっかりと適正な対価をいただくことが大事。見積もりでは割引は絶対にしない。値引きは給料を削ることになり、人的資本をベースに価値を創出している弊社にとって、給料を削ることはクオリティの低下にも直結してしまう」(澤井氏)
加えて、吉田氏は知的財産権に関する問題についても指摘します。「学会で発表した成果は研究者のものだが、企業との共同プロジェクトでは契約内容による。人文系の知財は取り扱いが難しく、例えば成果物と著作権、機密保持契約にはさまざまな問題が生じうる。競合規定により研究活動に制約が付くこともあるので、大学教員で企業と協働する人は注意が必要」(吉田氏)
吉田氏は言います。「アカデミアとビジネスの暗黙の了解、倫理の違いにより衝突が起こるケースは、今後も事業化のケースが増えるにつれて増えていくだろう。単にポストや事例を増やすだけでなく、そうした問題に対する対応策も考えていかなければいけないフェーズに差し掛かっている」(吉田氏)。だからこそ、ギルド型組織の組成によって、ノウハウや相場感の共有のみならず、適正な相場感を主体的につくっていく動きが求められるのではないでしょうか。
【論点23】人社系学問の事業化を取り巻く「エコシステム」
前の2つの「論点」はあくまでも最初の一歩、基盤づくりに過ぎません。ゆくゆくは、人社系学問の事業化を取り巻く「エコシステム」を構築していくことが、人社系の長期的な持続可能性において必要でしょう(注6)。ビジネスにおけるエコシステムとは、一般に、製品や企業が互いに連動、補完し合い、生態系のような相乗効果を生み出すシステムを指します(注7)。ただ、本節では「エコシステム」を、特定企業が構築するエコシステムよりもっと広く、いわば産業全体を取り巻くシステムと定義します。その例としては、「スタートアップエコシステム」と呼ばれる、革新的なアイデアや技術を強みに新しいビジネスを創り出し、短期間での急成長を志向するスタートアップ企業を取り巻くエコシステムが挙げられるでしょう。一般に、スタートアップエコシステムの構築には、「人材 」「資金」 「サポート・インフラ」(メンター、アクセラレータ、インキュベータ)「 コミュニティ」の4つの要素が必要だと言われていますが、シリコンバレーや深圳のようにスタートアップが多く勃興する地域では濃密なエコシステムが形成されており、日本でもその構築の必要性が叫ばれてきました。もちろん、まだまだ発展途上ではありますが、ここ十数年で日本でもスタートアップエコシステムが形成されつつあり、起業によってビジネスのアイデアや構想をカタチにするための環境は一定程度整備されてきていると言えるでしょう。
こうしたスタートアップエコシステムのように、人社系学問の事業化に関しても、「人材」「資金」 「サポート・インフラ(メンター、アクセラレータ、インキュベータ)」 「コミュニティ」を兼ね備えた生態系を構築することで、研究者の選択肢として「事業化」がより一般化していくはずです。もちろん、先述のように人社系学問を活かした事業は個人事業主・個人事務所的な事業形態に近いケースが多いことが想定されるので、一定規模の資金を一気呵成に投下して短期間での急速な事業成長を目指すスタートアップと同等規模・構造のエコシステムを構築することは難しいでしょうし、その必要もないでしょう。しかし、小規模であっても、「研究知を活かして事業をやってみたい」と思い立った人社系研究者が、まずアクセスしてみることができるエコシステムが存在していることは、選択肢を増やすことに大きく資するはずです。
実際、理工系においては、スタートアップエコシステムにおいても、「ディープテック」と呼ばれる、AIやロボット、通信、半導体、宇宙・航空工学や地上の移動体、ゲノム、ライフサイエンス、素材化学など、最先端の研究成果を基盤としたスタートアップの創出が一つの注目領域となっており、研究知を基盤としたエコシステムの構築が進みつつあります。「大学強化」と「スタートアップ強化」はイノベーションの両輪とみなされ、大学からの質の高い研究成果と人材の輩出によるスタートアップ創出が、エコシステム形成の土台になると考えられているのです。もちろん、理工系における研究知を人社系と同等に捉えることはできませんが、研究知を基盤とした事業化エコシステムの一つの参考事例となるのではないでしょうか。
クロス・フィロソフィーズの吉田氏は、哲学をベースとした事業化に関して、こう語っていました。「現在は哲学で事業展開する資源は埋まっているけれども、採掘する術を知らない人が多い状態と言える。ある種の起業家精神、アントレプレナーシップの醸成が必要だろうし、ノウハウの共有や仕組み化も求められていくのでは」(吉田氏)。その第一歩として、吉田氏のような問題意識と経験を持った経営者のいる企業と、研究知の事業化に関心のある研究者が連携し、次なる事業家を輩出していくことも効果的かもしれません。実際、スタートアップエコシステムにおいても、ある特定企業が次世代の起業家を何人も輩出するといった事例が散見されます。
エコシステムの構築には、少なくない時間がかかります。多額の資金が投入され、政策的にも注力がなされているスタートアップエコシステムですら、未だ発展途上であることに鑑みると、人社系における研究知の事業化を取り巻くエコシステムの構築には、さらなる長い目での計画が必要でしょう。
もっと言えば、エコシステムはあくまでもインフラにすぎません。ニュース解説メディア「The HEADLINE」や企業向けの情報収集サービス「Insights」などの事業を展開する株式会社リバースタジオの創業者・石田健氏は「魔法の一手は存在しないはず」と念を押します。「(人社系学問の)こういう側面が社会につながる、という議論は大事。しかし結局は、自分たちのやりたいことやできることと、世の中のニーズが重なるところを探して、繰り返しすり合わせる試行錯誤の作業を重ねていくしかない。いくらエコシステムや制度を整えても、思想やあるべき社会の構想がないと意味がない。思想や構想があれば、その周りに人が集まり、エコシステムができていくはず」(石田氏)
Research & Text by Masaki Koike, Edit by De-Silo
参考文献
(注1)株式会社アイデアファンドの事業内容に関しては、【論点17】(p67-69)にて詳述
(注2)合同会社メッシュワークの事業内容に関しては、【論点17】(p67-69)にて詳述
(注3)DeSciに関しては、【論点30】(p88-89)にて詳述
(注4)クロス・フィロソフィーズ株式会社の事業内容に関しては、【論点18】(p69-70)にて詳述
(注5)株式会社イデアラボの事業内容に関しては、【論点16】(p66-67)にて詳述
(注6)厳密には、前掲の2つの領域もエコシステムの一環とも捉えられますが、ここではより中長期的なタイムスパンを見据え、3つ目の項目として独立させるかたちとしました
(注7)その代表例としてよく引き合いに出されるのがAppleで、同社の主力製品であるiPhoneやiPad、Apple Watch、Macなどのプロダクトは互いに密接に連動しており、ユーザーにとって、付加価値や同社製品を購入し続ける動機づけになっています
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サポーター募集について
「DE-SILO RESERACH REPORT」では、アカデミアの内外で研究知の社会実装を試みる実践者や当該領域の専門家へのヒアリングや文献調査を行うことで、人社系領域の豊かな未来に向けた30の論点を提示しました。
これらの論点はあくまでも仮説であり、今後デサイロでは本調査を起点に、本領域に関わるさまざまな人々を巻き込みながら、さらなる議論や探究の場を醸成し、人社系学問の知を社会に拓くための実践に取り組んでいきます。
具体的には、例えば以下のような実践に取り組む予定です。
・人社系研究者と、企業をはじめとする大学外の多様なステークホルダーとの協業による、研究の中で立ち現れる「概念の社会化」事例の創出
・大学などと連携した、人社系学問の事業活用の推進プロジェクトの遂行
・独自の研究者ネットワーク/コミュニティづくりによる、新たな人社系研究者のエコシステムの構築
・アートから出版、ビジネスまで、メディアフォーマットにとらわれない展開による、人社系学問の脱サイロ化の推進
・人社系の研究知を世にひらいていくイベントシリーズの開催による、人社系学問の脱サイロ化の推進
・メンバーシップの構築による、新たなファンディングモデルの構築
非営利型一般社団法人として運営しているデサイロは、みなさまからの寄付や事業収入にて活動を継続しているため、こうした取り組みのためにサポーター(寄付者)を募集しています。私たちの活動に共鳴し、デサイロおよび研究から生まれる知の可能性をともに切り拓き、豊かにしていく営みを共にしていただける方は、ぜひサポーターになっていただけますと幸いです。
なお、1万円を寄付いただくごとに、デサイロ第1期の研究プロジェクトに参加した人文・社会科学分野の4名の研究者(磯野真穂さん、柳澤田実さん、山田陽子さん、和田夏実さん)による研究成果がまとめられた論集『生の実感とリアリティをめぐる四つの探求──「人文・社会科学」と「アート」の交差から立ち現れる景色(限定1000部)』を1冊プレゼントします。
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