進む人社系学問の事業活用──研究知の「応用」と「社会実装」はいかにして可能か?(前編)【DE-SILO RESERACH REPORT】
大学数や教員ポストの減少、運営交付金や研究費の縮小、不安定な研究者のキャリア……いまアカデミア全体が苦境に置かれている中、既存のアカデミアの枠の“外”において、人社系学問の活路を見出そうとする動きが広がっています。
2024年7月、デサイロは「DE-SILO RESEARCH REPORT」を全編無料で公開。このレポートでは、人文・社会科学領域(以下、人社系)の研究者が直面する課題と構造的背景を明らかにした上で、人社系学問がポテンシャルを発揮するための30の論点を提示しました。
本ニュースレターでは、リサーチレポートの内容を一部抜粋して配信。今回の記事では、従来のような研究や教育だけではなく、事業活動を通じて人社系の研究知を社会に接続していく回路を広げていくための、7つの論点【前半】をお届けします。
【本記事の目次】
【論点14】経営学と企業実務の接近
【論点15】「エンジニアリング」としての経済学
【論点16】心理学による課題解決
昨今、人社系における専門性を活かした事業、またそうした事業を手がける企業を(時には研究者自らが)立ち上げるケースも現れ始めています。経営学や経済学、心理学といった企業活動との関わりが密接な領域に加え、文化人類学や哲学、歴史学といった人文領域においても、事業活動への応用を試みるプレイヤーが出現しているのです。
理工系では最先端の研究成果を基盤とした「ディープテック」と呼ばれるスタートアップも勃興していますが、人社系においてもそうした動きが進んでいくと、研究知が社会にいっそう還元されていくのはもちろん、研究者にとってもキャリアの選択肢が広がり、大学では得られない刺激やフィードバックは研究そのものにも還元されていくはずです。
人社系の産官学連携を研究する南了太氏は、人社系における産官学連携のあり方を、①経営関与型(企業の取締役等に就任し、役員会で自身の専門知識をもとに経営に助言をしたり、方向性を示す) ②社会価値探求型(直近の技術課題の解決ではなく、中長期的な将来の兆候を読み取る) ③調査・マーケティング型(大学研究者の方法論を活用し、企業や自治体の調査やマーケティングに活用する)に類型化しましたが、こうした価値発揮のあり方は事業活用においてもそのまま参考になるでしょう。
合同会社メッシュワーク(注1)を立ち上げた人類学者・水上優氏は「人類学を教養に留まらせず、実践までつなげていくための“ 社会運動” だと思って起業している」と語っていました。また、株式会社MIMIGURI(注2)を共同創業した経営・組織文化などの研究者・安斎勇樹氏は「研究知見を売っているわけではない。事業というエコシステムをつくることで、自分が関心に応じて研究を持続できる学習環境をデザインしている」と意味付けます。
従来のような研究や教育だけではなく、事業活動を通じて人社系の研究知を社会に接続していく回路には、どのような可能性が芽吹いているのでしょうか?
【論点14】経営学と企業実務の接近
人社系学問の中でも、事業活用が最もイメージしやすい領域の一つが経営学でしょう。しかし、アカデミックな経営学と企業における実務との間には距離があるという点も指摘されてきました。経営学者・楠木建氏は、自然科学に準ずる法則の定立を目的とする「経営学」と、実際に実務家にとって意義や有用性のある思考を提供することを目指す「経営論」を区別する必要があると論じています。
また株式会社MIMIGURI・安斎氏も「経営者の中には『経営学は“ 死体解剖学”であり、うまくいったケースを後付けで説明しているだけで現場では役立たない』と考えている人も少なくない。他方で研究者も、経営学に限らずアカデミア全体の傾向として、学会に所属する研究者に向けて論文を投稿することに注力するあまり、実務家まで十分に知見が届かないケースがよくある」と指摘しています。
そうした背景も踏まえつつ、経営・組織文化などの研究者である安斎氏が、経営・組織変革の実績豊富な経営者・コンサルタントであるミナベトモミ氏と共同創業した株式会社MIMIGURIは、研究機関としてのアカデミックな理論開発とコンサルティングサービスを同時に展開。「人と組織に対する深い洞察と専門知を有する経営コンサルティングファーム」を掲げています。同社は新しい多角化経営モデル「CreativeCultivation Model(CCM)」 の確立を目指して、自社に博士号を取得している研究者を複数名抱えながら研究活動に取り組んでおり、2022年には文科省の研究機関としても認定。組織変革論、新規事業マネジメント論、組織デザイン論、組織文化開発論、ナレッジマネジメント論、ファシリテーション論といった研究テーマを設定し、社内外のパートナーと協力しながら研究プロジェクトを推進しています。これらの研究プロジェクトの成果をベースとして、コンサルティングサービスにおける多角化支援、事業開発、組織設計、文化開発、人材開発のソリューションを絶えずアップデートし、有機的に結び合わせています。
MIMIGURIにおいては、「研究活動と実践活動は切り離せない関係」と安斎氏は述べます。コンサルティングサービスにおける多角化経営支援の経験が研究の種となり、研究で明らかになった洞察がコンサルティングの知の礎となる。研究と実践を絶えず往復しながら融合させることで、モデルを磨き続けているのです。例えば、2024年3月には、リクルートを創業期から支える経営論「心理学的経営」の本質を読み解きながら、その内容をわかりやすく組織全体に伝えるためのコンセプトブックを制作・発表。「知識創造活動全般を『研究』と捉えると、MIMIGURIという企業経営そのものが研究の一部だとも言える。権威的な専門家としてコンサルティングしているわけではなく、不確実性の高い課題に対して、良い問いを立て、伴走しながら一緒に考えるというスタイル。その際、過去の蓄積を踏まえつつ、まだ言語化されていない事象をモデル化して記述する研究者の職能が役に立つ」(安斎氏)
その他にも経営学と企業実務の接近における先行事例としては、安斎氏もロールモデルとしているという、研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに組織サーベイや人事データ分析を提供する株式会社ビジネスリサーチラボ、株式会社リクルート内にある人と組織に関する研究機関「リクルートワークス研究所」(注3)などが挙げられます。
【論点15】「エンジニアリング」としての経済学
経済学もまた、人社系学問の中で、近年、研究知の事業活用に積極的に取り組まれている領域の一つ。プラットフォーム市場やさまざまな領域におけるオンラインマッチングの隆盛も背景としつつ、ビジネスやデータサイエンス、マーケットデザインやアルゴリズムのデザイン、さらには「EBPM」(エビデンスに基づく政策形成, Evidence-Based Policy Making)をはじめとした政策領域まで、幅広く社会実装が試みられています。
「経済学のビジネス活用」を掲げる株式会社エコノミクスデザインの共同創業者である経済学者・安田洋祐氏は、2002年にアメリカの経済学者アルヴィン・ロスが「The Economics as Engineer」という論文を公刊したことを契機に、従来の「サイエンス」としてのあり方だけでなく、個別の問題に向き合って解決していく「エンジニアリング」としての経済学のあり方に注目が集まってきたと指摘。近年ではアメリカの大手テック企業が、統計学や計量経済学を修めたデータサイエンティストをこぞって採用して需要予測の分析を担ってもらい、Amazon社には経済学博士号を持つ専門家だけでも100人以上が在籍しているとも言われています。エコノミクスデザインの共同創業者でもある経済学者・坂井豊貴氏は、「経済学コンサルテーション」という産業が急成長している点を指摘し、「これからのコンサルテーション企業は、そのような部門をもつことが不可欠になる」と予想しています。
昨今は科学技術振興機構(JST)が独創的な研究に対して支給する大型補助金「ERATO」の2023年度の支援対象に、東京大学教授でマッチング理論を研究する経済学者の小島武仁氏のチームが選ばれ、1981年の同制度の創設以来初めて支援対象「文系」研究が採択されるなど、ますます注目が高まっている領域だといえるでしょう。
エコノミクスデザインは、前掲の安田氏・坂井氏をはじめとした経済学者たちを共同創業者として2020年に創業されました。ミクロ経済理論・行動経済学などに基づくコンサルティング業務/スクール運営などを展開。10名以上の経済学者を抱え、データ分析やマーケティングサイエンス、ESG施策や売買市場、レーティング制度などの制度設計などの領域において幅広いコンサルティングサービスを手がけています。
同社の代表取締役/共同創業者である今井誠氏は、経済学をビジネス実装する際のポイントとして、①経済学者を「先生」と崇めて丸投げするのではなく、ビジネス側の常識を共有したうえで、共に課題に立ち向かう「パートナー」として取り組むこと ②ビジネスサイドと経済学者の間の重視する点の違いを認識すること ③ビジネスサイドがパートナーのキュレーション・発注のための能力を高めることの3点を挙げています。
同社の他にも経営学のビジネス実装を試みる企業は登場しており、因果推論等の実証ミクロ経済学の知見を応用し、クライアント内外のビッグデータを活かした企業の財務・会計・マーケティング・人事といったビジネス現場の意思決定の効率化を支援する東京大学エコノミックコンサルティング株式会社も2020年に創業されています。また、株式会社サイバーエージェントにおいても、企業が直面する施策の意思決定や資源の分配などの課題に対し、解決方法を示しながら実際のビジネスや社会に使える経済学を作ることを目指す研究開発組織「AI Lab 経済学チーム」(注4)を組成。「研究チーム」と「社会実装チーム」に分かれ、さまざまな経済学者と協働しながら、トップジャーナル・トップカンファレンスへの採択を目指した応用研究から、小売や医療など幅広い領域における実装やアルゴリズム開発まで取り組んでいます。
【論点16】心理学による課題解決
そもそも「マーケティング」という技術はジークムント・フロイトの甥であるエドワード・バーネイズがフロイトの心理学をベースに作り上げたと言われていますが、現代日本でも企業における研究所で心理学の専門性を持った研究者が活躍するケースは少なくありません。
そんな中、心理学の専門性を活かした事業を手がける会社を起業するケースも見られます。2010年に設立された株式会社イデアラボは、心理学の各分野の研究者集団による研究開発コンサルティング企業。民間企業の研究所をはじめとした研究機関と、共同研究や受託研究を行っています。所属するコンサルタントは全員心理学の博士号を有し、全員が大学での客員研究員や非常勤講師を兼務しながら学術活動(論文執筆や学会発表)を行う現役の研究者/教育者でもあるといいます。
具体的には、R&Dのためのアカデミックな心理学をベースとした研究開発コンサルティング、学問と社会をつなぐサイエンスコミュニケーション、参加者に対して継続的に調査をする縦断的な研究方法「経験サンプリング法(ESM:Experience Sampling Method)」の提供などを展開。飲食店におけるロボットと顧客のインタラクションに関する観察調査、化粧時における感情や意識に関する日米間の違いについての調査、ごく軽い酔いにおけるベネフィットについての調査及び実験、クリニックの改築による木造空間の使用感に関する調査など、業界・業種を問わず多種多様なクライアント企業の主に研究所と協働し、研究やビジネスにおける課題解決に携わってきました。
自身も知覚心理学、生理心理学、精神物理学を専門とする研究者である代表の澤井大樹氏は「私自身、心理学は自然科学の一部だと思って研究してきたので、その応用として社会と接点を持ってやっていくことは自然な流れだと思っている」と語ります。一口に「心理学」と言っても、その内実は多様であり、企業が自社の課題に応じて適切な専門知にアクセスすることは容易ではありません。「質的な研究の専門家もいれば、一方で統計的研究の専門家もいる。例えば日本心理学会では、ある部屋では目の網膜像について議論されていたと思えば、その隣の部屋ではそもそも『語る』とは何かについて話されている、なんてことはよくある。そうした別々の領域の研究者どうしが交わることはあまりないが、イデアラボにはジャンルのバランスよく多様な心理学研究者の方々に所属していただいているので、社会と学問の媒介になれると自負している」(澤井氏)
他方、2016年における英国のEU離脱キャンペーンと米国の大統領選挙に、心理分析に基づく広告手法が影響を与えていたことが問題視されていたように、心理学はときに人々の行動に大きな影響を及ぼすため、その倫理性や活用のあり方には熟慮を重ねる必要もあります。しかし、適切な目的で心理学の知見を事業活用していくことは、企業にとって大きなメリットをもたらす可能性があり、重要な機会領域の一つだといえるでしょう。
Research & Text by Masaki Koike, Edit by De-Silo
参考文献
(注1)合同会社メッシュワークの事業内容に関しては、【論点17】(p67-69)」にて詳述
(注2)株式会社MIMIGURIの事業内容に関しては、【論点14】(p65)」にて詳述
(注3)リクルートワークス研究所に関しては、【論点7】(p57-58)」や【論点9
(p59)などで詳述
(注4)AI Lab 経済学チームに関しては、【論点7】(p57-58)や【論点9】(p59)などで詳述
その他、参考文献は「DE-SILO RESEARCH REPORT」全文PDF(p93〜94)に掲載されております。無料でダウンロード可能ですので、ご興味のある方はぜひご一読ください。
▶▶▶「DE-SILO RESEARCH REPORT」全文PDFダウンロード
リリース記念イベント開催のお知らせ
このたび、本レポートのリリースを記念したイベント【DE-SILO RESEARCH REPORTリリースイベント──「30の論点」から考える人文・社会科学の未来】の開催が決定しました。
▼イベント概要
今回のレポートに含まれる「人文・社会科学の未来を拓く30の論点」(文献調査や専門家・プレイヤーへのヒアリングも踏まえ作成)を活用しながら、参加者それぞれの立場からどのようなアクションやコラボレーションが考えられるのか、アイデアを出し合うワークショップの実施を予定しております。
ワークショップの話題提供をいただくゲストとして、今回のリサーチレポート制作における取材にも協力をいただいた2名をお招きします。レポートのテーマでもある「人文・社会科学分野におけるさまざまな課題や機会」について、ご自身の活動にも触れながらお話いただく予定です(※ゲスト詳細後述)。
▼イベント詳細
・日時:9月19日(木)19:00-21:30
・会場:MIDORI.so SHIBUYA(渋谷駅徒歩5分程度)
・参加費:2,000円
・席数:20名 ※先着順
当日のタイムテーブル(予定)は以下のとおりです。
・18:50:開場
・19:00-19:20:ご挨拶/DE-SILO RESEARCH REPORTの紹介
・19:20-21:00:ワークショップ ※ゲストによる話題提供あり
・21:00-21:30:ミートアップ ※ドリンクの用意を予定しております
▼お申し込み
こちらのPeatixよりチケットのご購入お願いいたします。
▼ゲストプロフィール
井上 眞梨さん|株式会社メルカリ mercari R4D (Research Administrator)
慶應義塾大学大学院 理工学研究科 前期博士課程(修士)修了。国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)にて、IT分野の動向俯瞰や戦略提言、研究開発プロジェクトの支援等に従事。2021年10月に入社後、大阪大学ELSIセンターとの共同研究の推進や、社会人博士支援制度の整備、メルカリデータ提供などの活動に尽力。
大川内 直子さん|株式会社アイデアファンド 代表取締役
東京大学教養学部卒。同大学大学院より修士号取得。専門分野は文化人類学、科学技術社会論。学術活動と並行して、ベンチャー企業の立ち上げ・運営や、米大手IT企業をクライアントとしたフィールドワークなどに携わる。大学院修了後、みずほ銀行入行。2018年、株式会社アイデアファンドを設立、代表取締役に就任。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)主任研究員、昭和池田記念財団顧問。著書に『アイデア資本主義 文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』(実業之日本社)。
サポーター募集について
「DE-SILO RESERACH REPORT」では、アカデミアの内外で研究知の社会実装を試みる実践者や当該領域の専門家へのヒアリングや文献調査を行うことで、人社系領域の豊かな未来に向けた30の論点を提示しました。
これらの論点はあくまでも仮説であり、今後デサイロでは本調査を起点に、本領域に関わるさまざまな人々を巻き込みながら、さらなる議論や探究の場を醸成し、人社系学問の知を社会に拓くための実践に取り組んでいきます。
具体的には、例えば以下のような実践に取り組む予定です。
・人社系研究者と、企業をはじめとする大学外の多様なステークホルダーとの協業による、研究の中で立ち現れる「概念の社会化」事例の創出
・大学などと連携した、人社系学問の事業活用の推進プロジェクトの遂行
・独自の研究者ネットワーク/コミュニティづくりによる、新たな人社系研究者のエコシステムの構築
・アートから出版、ビジネスまで、メディアフォーマットにとらわれない展開による、人社系学問の脱サイロ化の推進
・人社系の研究知を世にひらいていくイベントシリーズの開催による、人社系学問の脱サイロ化の推進
・メンバーシップの構築による、新たなファンディングモデルの構築
非営利型一般社団法人として運営しているデサイロは、みなさまからの寄付や事業収入にて活動を継続しているため、こうした取り組みのためにサポーター(寄付者)を募集しています。私たちの活動に共鳴し、デサイロおよび研究から生まれる知の可能性をともに切り拓き、豊かにしていく営みを共にしていただける方は、ぜひサポーターになっていただけますと幸いです。
なお、1万円を寄付いただくごとに、デサイロ第1期の研究プロジェクトに参加した人文・社会科学分野の4名の研究者(磯野真穂さん、柳澤田実さん、山田陽子さん、和田夏実さん)による研究成果がまとめられた論考集「DE-SILO PUBLISHING第一弾書籍(限定1000部)」を1冊プレゼントします。
サポーター申し込みに関しては、以下リンクより詳細をご確認いただけますと幸いです。






