「在野研究者」を取り巻くエコシステムの整備──アカデミックポスト“以外”の選択肢を増やすために【DE-SILO RESERACH REPORT】
大学数や教員ポストの減少、運営交付金や研究費の縮小、不安定な研究者のキャリア……いまアカデミア全体が苦境に置かれている中、既存のアカデミアの枠の“外”において、人社系学問の活路を見出そうとする動きが広がっています。
2024年7月、デサイロは「DE-SILO RESEARCH REPORT」を全編無料で公開。このレポートでは、人文・社会科学領域(以下、人社系)の研究者が直面する課題と構造的背景を明らかにした上で、人社系学問がポテンシャルを発揮するための30の論点を提示しました。
本ニュースレターでは、リサーチレポートの内容を一部抜粋して配信。今回の記事では、人社系研究者のキャリアの可能性を広げるため、「在野研究者」を取り巻くエコシステムの整備につながる7つの論点をお届けします。
【本記事の目次】
【論点7】「在野研究者」という選択肢
【論点8】企業による院進・学位取得支援
【論点9】企業内の“出島”としての研究開発組織
【論点10】企業と大学の人材交流
【論点11】研究者向けの組織環境の整備
【論点12】在野研究の「業績」化
【論点13】在野研究者向けの人材サービス
ここまで繰り返し論じてきたように(注1)、人社系研究者のキャリアパスに関する大きな課題の一つが、アカデミックポスト以外に、研究者を続けていく、あるいは専門性を活かしながら生きていく道が少ないことにあります。
理工系においては、企業の研究部門で研究者として生きていく道も珍しくありませんし、修士卒・博士卒の就職活動を支援するサービスやコミュニティも存在しています。人社系においても民間で研究者として働く道や、研究職でなくとも大学院で培った専門性を活かして就職する道は現状でも一定はあります(注2)が、そうした選択肢がより広まっていけば、研究者のキャリアの可能性が拓かれていくのではないでしょうか。
ここで論じていくのは、人社系における「在野研究者」を取り巻くエコシステムの整備について。近年、大学に所属せずに研究活動を続ける「在野研究」への注目が高まっており、現役で活躍するさまざまな在野研究者たちによる研究方法・生活を紹介した荒木優太(編著)『在野研究ビギナーズ:勝手にはじめる研究生活』(明石書店, 2019)も話題を呼びました。
ここではそうした潮流も踏まえつつ、アカデミックポスト“ 以外”に研究を続ける道として考えられる、①研究職ではない仕事に就きながら、仕事外の時間で研究を続ける②民間の企業や機関で研究職として働くの2つの研究者としてのあり方をまとめて「在野研究者」と定義することにします。その上で、ここでは在野研究者の所属先として、とりわけ民間企業にフォーカスします。公的機関などに比べて従業員数が多くてボリュームゾーンであるのに加え、組織制度の変革なども比較的柔軟に行え、比較的短期間での変革が見込めると考えられるからです。
在野研究者たちが研究活動を続けていきやすい状況を実現するためには、研究者や大学院生の間に在野研究者という選択肢が当たり前のものとして広まっていくのはもちろん、在野研究者の所属先である民間企業の組織制度やインフラを整備していくことも大切でしょう。
究極的には、アカデミックポストに就いているかどうかにかかわらず、あらゆる研究者がサステナブルな研究活動を行えるのが理想で、その意味では「在野研究者」という概念そのものがなくなる未来が望ましいともいえます(そもそも「在野」研究者という呼称自体が、アカデミックポストを特権視する価値観を前提としている、という見方もできます)。ただ、そうした理想状態への過渡期として、まずは既存のシステムの外に新たな選択肢をつくることは重要ではないでしょうか。
【論点7】「在野研究者」という選択肢
そもそも歴史を紐解けば、人社系の研究者がアカデミックポストに就きながら知を生み出している状態は、決して自明ではないとわかります。スピノザ哲学を専門とし、企業において「哲学者」として4年間携わった経験を持つ佐々木晃也氏は、デカルト、スピノザ、ライプニッツ、キルケゴール、マルクスなどが大学の教職に就いたことは一度もなく、スピノザに至っては「哲学する自由」が制限されるという理由で大学教授のオファーを断っている点を指摘。
また現代においても、哲学の思考法を活用したコンサルティングやワークショップ事業を手がけるクロス・フィロソフィーズ株式会社(注3)の代表である哲学者・吉田幸司氏も、人社系研究者のキャリアに関する最近の変化についてこう語っていました。「学振PD(注4)を取っている優秀な研究者でも、大学から声がかかっているのに、『就職したくない』という人もいる。かつては大学の外にいる人は“(大学教員に)なれなかった人”でしたが、いまやそうではなく、“なれるけれど新しい道を選ぼうとする人”が誕生しつつある。競争のなかで学会誌に論文を投稿したり、学会発表したり……そうした繰り返しに対して、物足りなさを感じている人も増えている」(吉田氏)
まず、「①研究職ではない仕事に就きながら、仕事外の時間で研究を続ける」という選択肢に関しては、少しずつ広まりつつあります。実際、ある哲学系の若手研究者は「アカデミックポストが減少傾向にある以上、働きながら研究を続けるというかたちが今後増えていくのではないか」と所感を話していました。「企業で働きながら、定期的に研究会や読書会に参加しつつ、無理のないペースで博士号を取り、学会発表や論文執筆も行う。そうしたモデルが広まることは今後も大事なはずだし、むしろそのほうが生涯年収は高い可能性もある。大学院の長期履修制度(注5)も広まりつつありますし、『アカデミックポストを獲得できないと終わり』という常識を変えていく必要がある」
また、働きながら研究活動を続けていくにあたって、研究職ではなくとも、研究で培った専門性を活かしたが研究に対してプラスとなることも珍しくなく、アカデミアと企業の両方に籍を置くある経営学系の若手研究者は「(仮にテニュアに就けたとしても)企業で働く機会も持ち続けたい。研究した理論を企業の実務現場で応用していかないと机上の空論になってしまうし、実際の企業活動に参加したり、企業の人と議論したりする中で、新たな問いが生まれたり研究が深まったりすることはよくある」と語ります。
また文化人類学の調査手法を応用した事業を手がける株式会社アイデアファンド(注6)の代表取締役・大川内直子氏も、専門性を事業活動に活かすことがもたらす利点について、こう語っていました。「アイデアファンドのプロジェクトに関わってくれた人類学の院生や研究者の多くは、企業で専門性を活かせてお金にもなることに、新鮮な驚きを感じてくれる。これまでは人類学の専門性を活かせる仕事は基本的に大学にしかないと思われてきて、専門性を切り売りすることに罪悪感を覚える人もいた。しかし、(アイデアファンドのプロジェクトに関わることで)専門性を社会で活かしている手応えや自信になり、自分の専門性の価値を客観的に認識する契機にもなっているようだ」(大川内氏)
他方、まだまだ人社系においては数は多くないものの、「②民間企業で研究職として働く」というケースもあり得ます。民間企業における研究開発活動の中では、人社系分野での研究活動の割合は著しく低いのが現状です。しかし、民間企業における研究職という選択肢がいっそう普及していけば、人社系研究者がよりポテンシャルを発揮したり、キャリアの可能性を広げたりできるようになるのではないでしょうか。
その際、企業における研究組織が、活躍場所の有力な候補となるでしょう。企業の事業活動や経営方針を前提とした研究機関であるため、場合によってはアカデミックポストに比べると研究内容の制約もありますが、専門分野や興味関心とのマッチングがうまくいけば、在野研究のフィールドとして魅力的な選択肢となり得ます。例えば、株式会社リクルート内にある、人と組織に関する研究機関「リクルートワークス研究所」は1999年に設立され、以降、「労働政策」「労働市場」「組織人事」「個人のキャリア」「キャリア教育」「人材ビジネス」などに関する調査・研究、情報発信、提言活動を行ってきました。またオムロン株式会社のグループ内シンクタンクとして設立された「ヒューマンルネサンス研究所(HRI)」は、同社の未来予測理論である「SINIC 理論」を活動基盤とした未来社会・生活研究を推進しています。
最近だと株式会社サイバーエージェントにおいて、実際のビジネスや社会に使える経済学を作ることを目指す研究開発組織「AI Lab 経済学チーム」が組成。株式会社メルカリにおいても、同社のミッションである「あらゆる価値を循環させ、あらゆる人の可能性を広げる」社会を実現するために、アカデミックな観点からその社会のあり方を研究し、社会実装を通じて新たな価値を届けることを目的とする研究開発組織「mercari R4D」が2017年に創設されています。同組織では、「大規模量子インターネット」「視覚障害者や高齢者のためのインクルーシブなC2Cショッピング体験の設計・創造」といった自然科学系の領域に限らず、「フリマアプリにおけるコミュニケーション」「新たな科学技術をなめらかに社会実装していくためのELSI」といった人社系の領域においてもプロジェクトが進められています。
【論点8】企業による院進・学位取得支援
2024年3月、文部科学省は博士号取得者を3倍に増やす構想を発表しました(注7)。こうした政策面での後押しも活用しながら、大学院への進学や博士号の取得を企業としてバックアップしていくことは、在野研究者を取り巻くエコシステムを整備していくにあたって重要でしょう。
ここで参考になるのが、mercari R4Dで導入されている社会人博士支援制度です。2022年1月末に導入されたこの制度では、博士課程の進学・在学にかかる学費を支給、研究時間を確保するため週休3日・4日など柔軟な働き方を認めるなど、社員の研究活動・学び直しを支援しています。メルカリグループに2年以上在籍する社員を対象に、研究領域不問で利用者の募集を開始。人社系の分野も積極的に支援しているといいます。背景には、民間におけるPh.Dホルダーの活躍可能性を探り、さまざまな場面でPh.Dホルダーの活躍を発信していくことで、産学間での人材流動が硬直化してイノベーションが起こりづらくなっている現状を打開したいという思いがあるそうです。また、この支援制度によって、企業の競争力を高めるための人への投資のみならず、研究テーマの発掘、大学とのネットワーク構築、人材育成を見込んだ価値の創出をも目指しているといいます。
さらに、理系院生や研究者向けの就職・転職サービスを展開する株式会社LabBaseの宮﨑航一氏は、人社系の研究者の民間進出を後押しするアイデアとして、一度民間企業に就職した人が再度博士課程に進学することを企業が後押しするあり方を提案してくれました。「一度民間企業に就職した人が、再度博士課程に進学するケースを増やしていくことが重要だと考えている。いまの日本の雇用慣習だと、人社系は学部卒就職がメインである現状はなかなか変わらないように思える。だからこそ、“出戻り博士”を増やしていくことが必要ではないか。実際に理工系においては、富士通社が修士卒の学生を博士課程への進学と同時に雇用し、給料を受け取りながら大学に残って博士課程で研究に注力してもらうよう支援するスキームが出てきている。こうしたスキームを、人社系においても模索していく。その際、より長期的/公益的視点を持って制度設計を行えるかが重要だが、これは現在もまだ根ざしている新卒一括採用の仕組みと相性が良いのではないか」(宮﨑氏)
【論点9】企業内の“出島”としての研究開発組織
株式会社LabBaseの宮﨑氏は、理工系分野における企業の研究知活用の成否を分けるポイントとして「どの程度インハウス化するのか」という点を挙げました。「(企業内研究は)目指す場所のすり合わせや、知識の社内での移転をスムーズに行うためにも、社内での受託部門や御用聞き機関とならず、研究者主体でプロジェクトがリードされるとうまくいきやすい。それゆえ一時的な委託ではなく、社内で部門をつくって、しっかり雇用することが重要。その際、出島的な研究組織をつくっているとうまくいくケースが多い。研究者のニーズに沿ったかたちで、仕事の進め方や評価制度、給与水準をチューニングしやすくなる」(宮﨑氏)もちろんこうした研究組織を立ち上げるのは、一定の資金的体力や組織規模のある企業でないと難しい側面はありますが、在野研究者を取り巻くエコシステム整備にあたって重要な観点ではあるでしょう。【論点7】で触れたリクルートワークス研究所、オムロンのヒューマンルネサンス研究所(HRI)、サイバーエージェントのAI Lab 経済学チーム、mercari R4Dなどは、参考にすべき出島的な研究開発組織の先行事例とも言えます。また、株式会社日立製作所が京都大学との共同研究部門として設立し、「ヒトや文化に学ぶ基礎と学理の探究」をテーマとして文理融合のもと新たな社会イノベーションの研究を進める「日立京大ラボ」のように、大学と連携した研究組織を立ち上げるケースも見られます。
研究組織の社内での位置づけやあり方としては、mercari R4Dが再び参考になるでしょう。同組織は前述のように、人社系も含めた幅広い研究領域でプロジェクトを展開。mercari R4D マネージャーの井上眞梨氏によると、「(メルカリにおけるmercari R4Dは)中長期的にミッション達成を目指していく組織。それゆえ短期的な目線にとらわれず、ミッション達成という大きなゴールから逆算して、解くべき課題が何なのかを探索するところから議論できる」(井上氏)
とりわけ今後の研究開発活動を支える基盤として、社会的なリスクやインパクトを見据えた「ELSI(倫理的・法的・社会的課題)(注8)」研究が重要であると考え、ELSIの考え方をmercari R4Dはもちろんのこと、メルカリグループ全体での実践へとつなげていくべく活動しています。 ELSIの他にも、フリマアプリ上で行われるコミュニケーションの最適化を目的とした研究のプロジェクトも推進。言語領域の博士号を持っているメンバーが中心となり、大学に籍を置く、日本語学、コミュニケーション科学、情報学分野の研究者たちと連携し、アプリ上でやりとりされるテキストコミュニケーションの研究を進めているといいます。
【論点10】企業と大学の人材交流
企業の研究開発組織において、前例が少ない中で人社系の研究者をいきなり雇用するのはハードルが高いでしょう。そこでまず、企業と大学との人材交流から始めてみる選択肢が有効ではないでしょうか。一定期間、あるいは特定のプロジェクトにおいて、企業から大学組織に人材を送り込む代わりに、大学からも人社系研究者に「出向」してもらうのです。そうすることで、企業にとっては人社系学問の価値を実際に知る最初の一歩になりますし、研究者にとってもアカデミアの中にはない経験や刺激を得る機会となり、在野研究者という選択肢の解像度を高める機会となるはずです。政策動向としても、経済産業省と文部科学省によって、「クロスアポイントメント制度」の積極的な導入・活用が推奨されています。この制度は研究者が「大学、公的研究機関、企業の中で、二つ以上の機関に雇用されつつ、一定のエフォート管理の下で、それぞれの機関における役割に応じて研究・開発及び教育に従事することを可能にする制度」であり、今後いっそう普及していくことが期待されます。
ここで一つのモデルケースとなるのが、mercariR4Dにおける人材交流制度です。同組織において展開されているプロジェクト「新たな科学技術をなめらかに社会実装していくためのELSI」に際して、大阪大学 社会技術共創研究センター(ELSIセンター)とクロス・アポイントメント協定を締結し、人材交流制度を創設。同センターに所属する研究者が、mercariR4Dに出向しています。
この制度を利用してmercari R4Dにリサーチャーとして出向している、文化政策や音楽学の研究者であり、大学におけるアウトリーチ活動の実践にも関わってきた肥後楽氏は「人社系研究者と企業の共同研究における『つなぐ』役割の果たし方について、クロスアポイントを通じて模索している」と語ります。「人社系の研究が、社会課題や企業現場とどうつながるか。同じ社員という枠組みで、異分野の研究者やエンジニアと議論する中で、少しずつわかってきた感覚がある。また人文系の研究はテーマ設定から遂行まで一人で手がけることが多かったが、mercari R4Dとの共同研究ではチームで研究実践を推進する経験を得られることも新鮮」(肥後氏)
こうした人材交流を成功させるためのポイントとして、クロスアポイントメントを受け入れる企業側の視点として同組織の井上氏は「目線合わせ」を挙げます。「企業はミッションをもとに成果を出していく必要があるし、研究者は論文など、学術的な成果を目標としている場合が多い。両者が目指すものがすれ違ってしまわないために、共同研究に限らずこのような人材交流においても何を目標とし、どのような成果につなげるべきか、こまめに目線合わせを行うことを大事にしている」(井上氏)
【論点11】研究者向けの組織環境の整備
企業において人社系研究者が価値を発揮するポイントは多々あります(注9)が、企業側がある程度留意しなければいけないのが組織環境について。研究者は大学での常勤職に就いていたとしても、時間的・場所的に自由度の高い、一般的な会社員よりもフリーランスのクリエイターに近い働き方をしているケースが多く、また業績評価のあり方も一般的な会社員とは異なります。それゆえ、研究者を雇用するにあたっては、企業側の組織づくりにおいても配慮すべきポイントがあると考えられるでしょう。mercari R4Dにおいては、研究者は科研費を取得することが認められており、また日本学術振興会の特別研究員の受け入れも行っています。mercari R4Dの井上氏は、研究者が働きやすい組織環境を整備することの重要性についてこう指摘します。「研究者にとって、民間での経験がどのように自分のキャリアにとってプラスになるのかはまだまだ不透明。だからこそ、フルフレックスや時短勤務に加え、大学との兼職(クロスアポイントメント)を導入することで、より柔軟なキャリアパスを支援することがとても大切だと捉えている」(井上氏)
こうしたあり方に関して、mercari R4Dのプロジェクトにも参画している、科学社会学を専門とする大阪大学の 標葉隆馬氏は以下のようにコメントしました。「企業にとっては管理コストのほうが高くなるケースもあるにもかかわらず、外部の研究資金の取得を認めているのは、個々の研究者を応援しようという意図を感じる。こうしたパブリックセクターに近い動き方は重要ではないか」(標葉氏)
心理学の研究者による研究開発のコンサルティング事業を手がける株式会社イデアラボ(注10) では、正社員として7名(取材当時)の研究者を雇用していますが、フルリモート&裁量労働制/学会・研究会・セミナーなどの参加は旅費含めて会社が全額負担/副業OK/博士学位手当/個人研究費支給/サバティカルなど、「研究者が研究者として働ける制度」を整えていると代表取締役で心理学研究者の澤井大樹氏は語ります。「イデアラボにおける人材に関する考え方は、一言でいえば、『研究者』してください、というもの。シンプルに研究者が研究に専念できる環境を整備している。大学にいると事務作業などで思うように研究に時間を使えないこともあるし、ポスドクでは社会保険に入れず、育児休業給付金を取得できないケースもある。それゆえ、逆に『大学の仕事はもういいや』とうちを希望してくれる方もいる。もちろんジャーナルや研究に必要な機器へのアクセスでは大学に劣りますが、科研費研究機関でもありますし、大学での非常勤講師という形で学生の教育に携わる機会もつくれるため、むしろ研究の自由度は高いと思っていただけることもある」(澤井氏)
民間における研究の自由度の高さに関しては、「人類学者の目をインストールする」をミッションにコンサルティング業務や事業開発・組織開発などを手がける合同会社メッシュワーク(注11)の共同創業者である人類学者・比嘉夏子氏も似た指摘をしていました。「アカデミアにおける科研費のプロジェクトにも期限やフレームの制限はあるし、そもそも大学に就職すると研究以外の業務で忙しくなり、なかなかフィールドに行けない人類学者も多い。資金面でも、科研費よりも、企業との共同研究のほうが潤沢な研究費がいただける機会も少なくない。アカデミックポストを巡って争奪戦を繰り広げることが全てだと思っている研究者も多いが、もっと企業など民間に目を向けてみてもいいのではないか」(比嘉氏)
他方、複数名の研究者を正社員として雇用している株式会社MIMIGURI(注12)の共同創業者で、経営・組織文化などの研究者である安斎勇樹氏は「研究者を研究者扱いしないことが大事」とも指摘します。「例えばコンサルティングのプロジェクトにおいて、『研究者としてどう関わるか』という問いを立て、必要以上に理論を振りかざしても、それがクライアントの課題解決に寄与しないことには意味がない。もちろん研究者としてのスキルや姿勢は活かしてもらっているし、エキスパートである研究者としての目標設定も行っているが、事業の現場では『研究者として』というスタンスをアンラーニングすることが大切」(安斎氏)
【論点12】在野研究の「業績」化
アカデミックポストに就いていない在野研究者にとっても、いや就いていないからこそ、学会発表あるいは論文といった、既存の研究業績のフレームの中での「業績」を積み上げていけることは重要でしょう。研究者にとっての安心感につながるのはもちろん、その後もしアカデミックポストに就こうとするタイミングが来たときに、一定の「業績」が必要となることが想定されるからです。すなわち、在野研究の「業績」化を支援することはセーフティネットの整備となり、在野研究者という前例の少ないキャリアに踏み出す人への後押しとなるのではないでしょうか。また、学問分野そのものの発展のためにも、在野研究がしっかりと「業績」化していくことで、研究領域全体での知的生産性が高まるはずです。
こうしたアカデミアの外での「業績」化の意義の背景として、アイデアファンド・大川内氏は「(人類学では)博士課程に進む時点で、さながら“ポイント・オブ・ノー・リターン”(後戻りできない)という追い込まれた気持ちになる」点を指摘。「例えばアメリカでは、企業とアカデミアの人材の往復が活発になされている印象だが、日本の人社系においては、産業界とアカデミア界が断絶しており、一度アカデミアを出ると『出た人』とみなされ、戻ってテニュアを取るのが難しくなってしまう。アカデミアと企業の間での、キャリア、あるいは実績の互換性が、もっと高まっていくことが必要ではないか」(大川内氏)
そもそも企業にとっても、企業内の研究プロジェクトからアカデミックな業績が生み出されることは、特許取得やブランディングといったメリットになります。ですから在野研究者が研究活動をしっかりと学会発表や論文へと結実させていくこともできるよう、企業側がプロジェクト設計やサポートを行っていくことが肝要です。例えば、イデアラボは、企業との共同研究において「学術的なクオリティにこだわる」点を重視しており、そのために「現状のリソースでできないことはしない」「遠回りに思われても、真面目にこつこつと研究をする」「研究への姿勢をご理解いただけるクライアントと研究する」といったスタンスを取っているといいます。「アカデミアでの業績をつくることと、ビジネスの成果を出すことは、決して競合するものではない。もちろんどうしてもクローズドにしなければならない内容もあるが、むしろ基本的には企業としても論文にすることで成果になるし、せっかく高いお金をお支払いいただくのだから、そこまでやるべきだと思っている」(澤井氏)
アイデアファンド・大川内氏も、守秘義務の観点で一定の限界はあるものの、そうした企業との共同研究をもとに学会発表に至ったケースもあり、今後は論文化も視野に入れているといいます。「せっかく調査をするからには、研究の公益性は重要です。やはり社会、あるいはアカデミアに還元することは意味がある。産業界とアカデミアの断絶に対してアカデミアに変化をもたらす意味でも、『大学じゃなくてもこんな面白い調査ができる』と言っていくことは重要だと考えている」(大川内氏)」
ただ一方で、既存のアカデミアの評価基準にとらわれず、新たな尺度での「実績」を認知・普及していくことも重要でしょう。昨今は文部科学省においても多様な評価の必要性が議論されており(注13)、「実績」が指し示すものそのもののアップデートは今後もいっそう進んでいくでしょう。本来、論文や学会発表に限らず、例えば研究者の参画によってサービスやビジネスに変化がもたらされることも一種の「知的生産」としての側面があるはず。前掲のメッシュワーク・比嘉氏も、メッシュワークでの実践を学会発表や論文にしていくことには取り組みつつも、それだけではない評価のあり方の必要性も感じているといいます。「『アドバイザー』という立場や『アウトリーチ活動』の一環だと、大学外の人々とのインタラクティブな関わりには限界があるし、本当の意味で専門知をひらいていくためには、知識を置いておくだけでなく、対話をしていく必要がある。例えば多くの人々と関わってきたこと、論文ではないかたちのアウトプットを試みたことに関しても、ある程度は研究者の業績として認められるようになるべきだと考えている」(比嘉氏)
【論点13】在野研究者向けの人材サービス
在野研究者を増やしていくにあたって、そうしたキャリアパスを検討している院生や研究者がまずアクセスするコミュニティやサービスが存在することも重要です。現状、企業で人社系の研究職に就くためには、企業がごくまれに出している求人に応募する、あるいは個人的なツテをたどるか直接声をかけてもらうのを待つ、といったルートしか基本的には存在しません。しかし、これではアクセスできる人が限られてしまいます。例えば大学生が就職活動を始めるときにまず登録する就活サイト、あるいは転職を考えたときに登録する転職エージェントのように、誰もがアクセス可能な人材サービスが必要であるはずです。近年は、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が運営し、多くの研究者がアカデミックポストを探す際に利用するポータルサイト「JREC-IN Portal(Japan REsearchCareer Information Network Portal)」においても企業の求人が掲載されるようになっていますが、サービスの質や選択肢の多様性を高めていくためにも、さまざまなプレイヤーが在野研究者向けの人材サービスを開発する状況が望ましいでしょう。
人社系の在野研究者向け人材サービスのかたちを考えるとき、参考になるのが、既に存在する理系の研究人材向けサービスです。前掲のLabBaseに加え、アカリク、博士情報エージェント、博士情報エンジンなど、主に理系の研究人材に特化した就職/転職プラットフォームは国内にも既に複数存在しているので、これらを参考に人社系をカバーした人材サービスのかたちを構想することはある程度有効でしょう。
LabBaseの宮﨑氏は、主力サービスである、「研究を頑張る理系学生のための、就活サービス」を掲げる「LabBase 就職」の特徴として、「研究プロフィールを充実させ、『研究』をベースに就職できるようになっている」点を挙げます。「Ph.D.を取得した理系学生のうち約四割から五割が民間就職という選択肢を取るが、民間企業や公的機関からの博士人材への評価は十分に高いとは言えないのが現状。その背景には、研究者や技術者ではなく、人事担当が博士人材を評価し採用するのが一般的である日本の採用システムの課題がある。つまり、博士学生が良い就職結果を得るためには、博士学生を適切に評価できる部署の研究者との接点が鍵だと考えている」(宮﨑氏)
しかし、昨今は日本においても、総合職の一括採用からジョブ型採用へと重点がシフトしつつあります。学生側もジョブ型採用への志向性が高まっており、その変化に従来の博士学生の採用が抱える課題を解決するカギがあるといいます。「総合職採用では、専門性よりもジョブローテーションに耐えうる力を持つ学生が評価されたので、ある意味では網目の粗いマッチングでも大きな問題は生じていなかった。しかし、ジョブ型採用においては、専門性を正確に見極め、より細かい網目でのピンポイントなマッチングが求められる。それゆえ、研究の専門性を適切に評価することがより重要になるし、LabBaseではそうした変化を後押ししていきたい」(宮﨑氏)。また民間企業と研究者のマッチングに関しては、経済産業省において、大半の研究者が登録しているデータベース型研究者総覧「researchmap」と民間事業者との効率的なAPI連携に向けた取り組みの必要性についても議論されています。
研究の専門性をベースとする就職を推し進めていく際、カギとなるのが「専門性」を柔軟に捉えることです。とりわけPh.D.取得者にもなると、個々の研究成果や論文そのものはきわめて専門性が高く、必ずしもそのまま企業活動への応用が可能なわけではありません。それゆえに「トランスファラブル・スキル(注14)」と呼ばれる、研究プロセスの中で経た経験や身についたスキルも含めて評価してもらうことが重要です。「学生さんは自身の専門性の中で何が企業における価値になるのか、適切に理解できていないケースも少なくない。それゆえ、LabBaseではプロフィールに研究分野や専攻の知識だけでなく、基礎科学に対する知識やリテラシー、さらには論理的思考力や仮説検証力、イノベーション素養といった『研究を通して身についたこと』が幅広くわかるように記入してもらい、マッチングを手助けしている。いわば「研究を通して身についた強みを共に棚卸しし、『専門性』の定義を拡張している」(宮﨑氏)
もちろん、理工系と人社系では、「専門性」の中身もアカデミアにおける文化も企業活動において価値を発揮する場面も異なり、潜在的な市場にも違いがある
可能性が高いため、理系人材向けのサービスをそのまま人社系に転用することは難しいでしょう。しかし、理系向け事業で培われたマッチング手法や「専門性」の捉え方を応用し、人社系に特化したかたちで人材サービスを開発することは、学生や在野研究者はもちろん、企業にとっても眠れる資産を掘り起こす可能性となるはずです。
Research & Text by Masaki Koike, Edit by De-Silo
参考文献
(注1)人社系研究者のキャリアに関わる課題に関しては、第2章のp16~22にて詳述
(注2)現状における、人社系研究者のアカデミックポスト以外の進路に関しては、 第2章のp19にて詳述
(注3)クロス・フィロソフィーズ株式会社の事業内容に関しては、【論点18】(p69-70)にて詳述
(注4)日本学術振興会の「特別研究員制度」における「ポスドク研究員」のこと。第2章(p34-35)にて詳述
(注5)職業を有しているなどの事情により、本来の標準修業年限では履修が困難と認められる者について、長期履修学生として標準修業年限を超えて履修を可能とする制度
(注6)株式会社アイデアファンドの事業内容に関しては、【論点17】(p67-69)にて詳述
(注7)文部科学省の構想「博士人材活躍プラン~博士をとろう~」に関しては、第2章のp22て詳述
(注8)倫理学の応用としてのELSIについては、【論点19】(p70-71 )にて詳述
(注9)人社系学問の事業活用のあり方に関しては、【論点14】~【論点20】(p64-73)にて詳述
(注10)株式会社イデアラボの事業内容に関しては、【論点16】(p66-67)」にて詳述
(注11)合同会社メッシュワークの事業内容に関しては、【論点17】(p67-69)」にて詳述
(注12)株式会社MIMIGURIの事業内容に関しては、【論点14】(p65)」にて詳述
(注13)新たな研究評価のあり方に関しては、【論点2】(p49-50)にて詳述
(注14)欧州科学財団( European Science Foundation)の報告書 “ResearchCareers in Europe Landscape and Horizons”では、「1つの文脈で学んだスキル、例えば、研究を行う上で学んだスキルのなかで、他の状況、例えば研究であれビジネスであれ、今後の就職先において有効に活用できるようなスキルのことである。そしてまた、トランスファラブル・スキルがあれば、学問領域及び研究関連のスキルを効果的に応用したり、開発したりすることができるようになる」と定義されています
その他、参考文献は「DE-SILO RESEARCH REPORT」全文PDF(p93〜94)に掲載されております。無料でダウンロード可能ですので、ご興味のある方はぜひご一読ください。
▶▶▶「DE-SILO RESEARCH REPORT」全文PDFダウンロード
リリース記念イベント開催のお知らせ
このたび、本レポートのリリースを記念したイベント【DE-SILO RESEARCH REPORTリリースイベント──「30の論点」から考える人文・社会科学の未来】の開催が決定しました。
▼イベント概要
今回のレポートに含まれる「人文・社会科学の未来を拓く30の論点」(文献調査や専門家・プレイヤーへのヒアリングも踏まえ作成)を活用しながら、参加者それぞれの立場からどのようなアクションやコラボレーションが考えられるのか、アイデアを出し合うワークショップの実施を予定しております。
ワークショップの話題提供をいただくゲストとして、今回のリサーチレポート制作における取材にも協力をいただいた2名をお招きします。レポートのテーマでもある「人文・社会科学分野におけるさまざまな課題や機会」について、ご自身の活動にも触れながらお話いただく予定です(※ゲスト詳細後述)。
▼イベント詳細
・日時:9月19日(木)19:00-21:30
・会場:MIDORI.so SHIBUYA(渋谷駅徒歩5分程度)
・参加費:2,000円
・席数:20名 ※先着順
当日のタイムテーブル(予定)は以下のとおりです。
・18:50:開場
・19:00-19:20:ご挨拶/DE-SILO RESEARCH REPORTの紹介
・19:20-21:00:ワークショップ ※ゲストによる話題提供あり
・21:00-21:30:ミートアップ ※ドリンクの用意を予定しております
▼お申し込み
こちらのPeatixよりチケットのご購入お願いいたします。
▼ゲストプロフィール
井上 眞梨さん|株式会社メルカリ mercari R4D (Research Administrator)
慶應義塾大学大学院 理工学研究科 前期博士課程(修士)修了。国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)にて、IT分野の動向俯瞰や戦略提言、研究開発プロジェクトの支援等に従事。2021年10月に入社後、大阪大学ELSIセンターとの共同研究の推進や、社会人博士支援制度の整備、メルカリデータ提供などの活動に尽力。
大川内 直子さん|株式会社アイデアファンド 代表取締役
東京大学教養学部卒。同大学大学院より修士号取得。専門分野は文化人類学、科学技術社会論。学術活動と並行して、ベンチャー企業の立ち上げ・運営や、米大手IT企業をクライアントとしたフィールドワークなどに携わる。大学院修了後、みずほ銀行入行。2018年、株式会社アイデアファンドを設立、代表取締役に就任。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)主任研究員、昭和池田記念財団顧問。著書に『アイデア資本主義 文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』(実業之日本社)。
サポーター募集について
「DE-SILO RESERACH REPORT」では、アカデミアの内外で研究知の社会実装を試みる実践者や当該領域の専門家へのヒアリングや文献調査を行うことで、人社系領域の豊かな未来に向けた30の論点を提示しました。
これらの論点はあくまでも仮説であり、今後デサイロでは本調査を起点に、本領域に関わるさまざまな人々を巻き込みながら、さらなる議論や探究の場を醸成し、人社系学問の知を社会に拓くための実践に取り組んでいきます。
具体的には、例えば以下のような実践に取り組む予定です。
・人社系研究者と、企業をはじめとする大学外の多様なステークホルダーとの協業による、研究の中で立ち現れる「概念の社会化」事例の創出
・大学などと連携した、人社系学問の事業活用の推進プロジェクトの遂行
・独自の研究者ネットワーク/コミュニティづくりによる、新たな人社系研究者のエコシステムの構築
・アートから出版、ビジネスまで、メディアフォーマットにとらわれない展開による、人社系学問の脱サイロ化の推進
・人社系の研究知を世にひらいていくイベントシリーズの開催による、人社系学問の脱サイロ化の推進
・メンバーシップの構築による、新たなファンディングモデルの構築
非営利型一般社団法人として運営しているデサイロは、みなさまからの寄付や事業収入にて活動を継続しているため、こうした取り組みのためにサポーター(寄付者)を募集しています。私たちの活動に共鳴し、デサイロおよび研究から生まれる知の可能性をともに切り拓き、豊かにしていく営みを共にしていただける方は、ぜひサポーターになっていただけますと幸いです。
なお、1万円を寄付いただくごとに、デサイロ第1期の研究プロジェクトに参加した人文・社会科学分野の4名の研究者(磯野真穂さん、柳澤田実さん、山田陽子さん、和田夏実さん)による研究成果がまとめられた論考集「DE-SILO PUBLISHING第一弾書籍(限定1000部)」を1冊プレゼントします。
サポーター申し込みに関しては、以下リンクより詳細をご確認いただけますと幸いです。