人社系学問の「脱サイロ化」──“外”にひらかれた人文・社会科学に向けて(後編)【DE-SILO RESERACH REPORT】
大学数や教員ポストの減少、運営交付金や研究費の縮小、不安定な研究者のキャリア……いまアカデミア全体が苦境に置かれている中、既存のアカデミアの枠の“外”において、人社系学問の活路を見出そうとする動きが広がっています。
2024年7月、デサイロは「DE-SILO RESEARCH REPORT」を全編無料で公開。このレポートでは、人文・社会科学領域(以下、人社系)の研究者が直面する課題と構造的背景を明らかにした上で、人社系学問がポテンシャルを発揮するための30の論点を提示しました。
本ニュースレターでは、リサーチレポートの内容を一部抜粋して配信。今回の記事では、「脱サイロ化」という概念を切り口として、既存のアカデミアの枠組みにとらわれない、“外”にひらかれた人社系学問のあり方について考察した6つの論点【後編】をお届けします。
【本記事の目次】
【論点3】 「知の流通経路」の多様化
【論点4】知の応用に活かせるスキル開発
【論点5】専門知を「外部へと開く」能力
【論点6】 芸術・文化的な「表現」への接続
【論点3】 「知の流通経路」の多様化
前編では、学術界に留まらず、産業界や行政、NPO、市民など多様なアクター間との「知識交換」のネットワークが拡大することそのものを評価する試み「生産的な相互作用」について論じてきました。では、「生産的相互作用」の具体的な内容とはいかなるものでしょうか。
スパーヘンとドローグは、3つの相互作用を想定しています。①直接的相互作用(Direct interactions:個人的なつながり)、②間接的相互作用(Indirect interactions:文書やマテリアル、モデルやフィルムなどのやり取り)、③経済的相互作用(Financialinteractions:研究契約、経済的貢献、研究プログラムへの寄付などの経済的関与・参加)です。人社系の研究は社会と関わりが目に見えづらく、成文化されにくいローカルな環境に組み込まれることも多いため、学術論文、引用、契約、特許、ライセンス、所得分配など、説明しやすい研究成果や関与にのみ注目するとそのインパクトを正しく捉えられません。また、この相互作用には一人ひとりの個人の内面などに与える影響も想定されます。
生産的相互作用の概念が2011年に提唱されて以降、人社系のインパクトは、「Social Sciences andHumanities(SSH)」という言葉とセットで研究が重ねられました。『生産的相互作用からインパクト・パスウェイへ:SSH研究の社会的インパクトを発展させる上で重要な次元を理解する』(注2)という論文では、「生産的相互作用」という概念の可能性を模索するために、人社系の研究が社会にインパクトを及ぼすメカニズムや「経路(パスウェイ)」について類型化して整理しています。
①インタラクティブな普及:出版、テレビ、SNS、ウェブサイト、放送などを通じて、その影響を受けるステークホルダーが研究成果について知る。まず科学的な研究が進み、そのあとに社会がそれに反応して研究の妥当性を検証する。
②コラボレーション:ステークホルダーとの協業、オープンアクセス、領域横断型プロジェクトなどを通じて、生産的相互作用により社会に影響を及ぼす。その際に、異なるステークホルダー同士での対話がプロセスに組み込まれる。
③パブリック・エンゲージメント:アクティビスト的な行動、市民活動、広報的な宣伝などを通じて、「社会実験」的な行動により社会に影響を及ぼす。対話というよりも、一般市民の積極的な参加によってインパクトが生み出される。
④専門知:研究者が専門知識に基づいて、専門家としての役割を果たすことを通じて影響を及ぼす。政策提言や具体的なプロジェクトへの助言など。
⑤移動:研究者自身が異なる文脈の領域へと移動し、自分が培ってきた知識やスキルを新しいコンテクストで転用する。
⑥未来予測(anticipating anniversaries):研究者が将来起こりうる事象を予測して備える。例えば高齢化や気候変動、選挙など変化の潮流や時事的なテーマを読み取って、自分の研究テーマと関連させてチャンスを見出す。
⑦今日をつかむ(seize the day):予期せぬ政治的な事件や大災害など、突発的に発生する出来事に対応して専門家が解説したり、適切な対応を示したりする。
⑧社会的イノベーション:異なる領域同士がどこかで接点が生まれ、イノベーションが起こる。社会と科学者の両方が、同じ社会問題に個別に取り組み、それぞれの知識を用いて解決策を開発する。
⑨商業化:研究者が生み出した概念を製品開発や市場開拓に用いる。例としては、歴史学者や考古学者などが研究する「古代のノウハウ」を組み込んだ商品開発など。
⑩インパクトの鍵としての研究関与:研究者が研究に取り組む過程で、目の前のテーマに対する認知拡大や意識が高まる。
⑪知識が“忍び込む”:研究で生まれた概念が日常や政治に入りこみ、市民の意見や政策へと反映される。知識がいかにして拡散するかは明確ではないものの、世論や法律などを変えることで影響する。
⑫新しい認識論的コミュニティ:研究が生み出した概念が、学校のカリキュラムのような制度的慣行を変える。
こうした学術共同体内の外側で研究がインパクトを及ぼしていく「経路」は、どのような活動が「脱サイロ化」なのかを示しているとも言えます。①による社会へ「普及」は分かりやすい例だと言えるでしょう。書籍の出版やテレビ出演、SNS上での研究内容の拡散まで、広義のメディアに出ることは、一定の業績や知名度がある研究にとっては一般的な活動であるとも言えます。
しかし、ここで先述した伝統的な学術コミュニティによる暗黙の評価基準(詳細は【論点1】を参照)によって、研究者に葛藤が生まれることがあります。例えば、社会運動論の研究者である富永京子氏は、専門家としての意見を求められてメディアで活動することに対して、「自分が『正統な研究者像』から外れているのではないかという“ 後ろめたさ”がある」と語ります。一方で、講演や執筆活動を通じて一般社会からフィードバックを得るうちに研究の核心となるコンセプトに辿り着くこともあり、アウトリーチを通じた社会との相互作用が研究活動にも良い作用を及ぼしているとも語ります。
また②~⑤は、研究者と社会のステークホルダーが広範囲に接点を持ち、生産的相互作用を繰り返す「共創」によって発生する影響を指します。とりわけ②のコラボレーションでは、ステークホルダー間の対話や意見交換がプロセスとして組み込まれています。⑥~⑨は「社会的変化への対応」に大別され、社会にとって話題性のあるテーマに対して研究者が反応していくものです。⑥と⑦はある出来事を予測して事前に備えたり、起こった出来事に対して理解を促す解説を加えたりすることで、社会の関心やニーズに対応します。⑧と⑨は異なる他者と出会うことで新たな知が生まれるという意味では、近年の「オープンイノベーション」とも類似した概念であると言えるかもしれません。⑩~⑫では、生産的相互作用を通じて研究が「社会変革を推進する」という考え方を反映しています。社会的な影響への因果関係は見えにくいものの、より広範な社会に対してインパクトを与える可能性が示唆されています。
このように人社系研究者は、会議やインタビュー、メディア出演、ワークショップなどを通じて自身の知を広めたり、特定のテーマのアドバイザーや専門家として参加したりすることで、自らの知をインパクトに繋げます。そのほかにも書籍、翻訳、新聞記事、授業などのカリキュラム、調査報告書まで、アカデミアの外側に位置する社会的アクターとともに幅広いアウトプットを生み出すことで発生する影響もあります。
そうした幅広い場所での活動が、やがて生産的相互作用などのインパクトとなって社会へと研究の知が還元されていくと考えられます。今後の研究者は「知の流通経路」を意識しながら、社会との関わり方を試行錯誤して模索していく活動も重要になるのではないでしょうか。
【論点4】知の応用に活かせるスキル開発
「総合知」「文理融合」「TD」といった言葉とともに、モード2の要素が強い研究を推進する潮流の中で、今後の人社系分野へのファンディングにおいて、文理融合的かつ社会的・政策的課題を意識したプロジェクト/プログラム型としての性格がますます強化されていくと考えられています。
そこで研究者に求められるのは、自然科学と人社系、理論研究と実践的な取り組み、学術セクターと産業・市民セクターなどとの、分野や組織を越えた知の協働です。そうした変化にともなって、「個人で孤独に研究が続けられる」ことが特徴であった従来の人社系研究のあり方も変わっています。理系の科学研究では「研究のフロンティアがどこにあるか」を全員で共有しながらチームで分担して研究を進めることが一般的ですが、こうした共同作業を円滑に進めることを前提とした価値観や動き方が、人社系の研究者にも必要になってきています。すなわち、人社系の研究者には論文の執筆能力に加えて、プロジェクトワークに適したスキルが求められはじめていると言えるでしょう。
例えば、株式会社MIMIGURI代表の安斎勇樹氏(注3)は「プロジェクトマネジメント(PM)」という概念がアカデミアに十分に浸透していないことが、研究者が能力を発揮するボトルネックになっているのではないかと指摘します。「論文執筆は自分との戦いなので、人社系の研究者は成熟するまでずっと個人プレー。だから共同研究プロジェクトであっても、PMという機能を担う人がほとんど存在しない。PMとは『物事を前進させる』という汎用的なスキルだが、多くの研究者はこの能力に乏しい傾向がある。そして、私はそれが研究者のキャリアの可能性を狭めていると思う。もし大学の研究室に一人ずつPM人材がいたら、劇的に生産性が向上するのではないか。逆に言えば、それができる人がいるチームが、アカデミア外部から上手に資金調達をして成功しているのではないかと感じる」(安斎氏)。そこでMIMIGURIでは、「PMは基礎教養」というポリシーの下で、社内の人事評価指標に「PM能力」を採用。企業内研究者枠で採用した人材にもPMとしての修業期間を設けることで、企業との協働プロジェクトで活躍できる研究者を意図的に育成しているといいます。
こうした研究者に求められる汎用的なスキルを定義する動きも海外に存在します。研究者能力開発プログラムをつくっている英国の非営利組織「Vitae」では、研究者の専門性を社会的に活かせるキャリア開発を模索する「プロフェッショナル・ディベロップメント」という分野で活動しています。同団体では研究者に必要な資質能力・技能などを体系化したフレームワーク「Researcher Development Framework(以下、RDF)」を開発。RDFは4つのドメイン、12のサブドメイン、及び63のディスクリプタから研究者にとって必要な能力やスキル等を体系化しており、「博士課程在籍者」「ポスドク」「独立した研究者」「シニア・著名な研究者」の4つに研究者の段階を分けて、それぞれに必要なスキルを詳細に定める試みを行っています。
RDFが「優秀な研究者の特徴」として定める4つのドメインは以下です。(注4)
A.「研究者としての知識とアカデミック能力」:研究者として必要な基礎技能。アカデミック能力には、例えば知識基盤の構築、認識力、そして創造性というものが含まれる。
B.「個人の効率性」:専門職としてのキャリア開発、自己管理能力、そして個人の特性を向上させるという技能。
C.「研究管理と組織」:研究機関の中で自らが専門家としてどういう行動をすべきか、どのように研究を管理するか、財政面がどのように機能しているかを理解する技能。
D.「社会との関わり、影響力、インパクト」:研究者としてどのように一般社会と関わり、また産業界、財界、そして他国の機関とどう関係を構築するかを学ぶ技能。PR活動などにおける、メッセージの発信の重要性や、チームワークといったコミュニケーションスキルもこちらに含まれる。
このように、研究者に必要とされるスキルをより広義に捉えることで、研究者の活躍の場をアカデミア外まで広げていく営みがより円滑になる可能性があります。そして、異なる領域の人々と共同でチームとしてプロジェクトに取り組んでみることで、研究者はこうした能力を磨いていくことが重要になると言えるでしょう。
【論点5】専門知を「外部へと開く」能力
また、RDFのフレームワークにもあるように、一般社会といかに関わるか、PR活動やメッセージを発信していくかという点も重要です。
とりわけ理系の分野では、科学者が非専門家に対して専門的なトピックを伝える「サイエンスコミュニケーション」といった営みが職種としても存在しています。この重要性についてジーンクエストの高橋祥子氏は、「研究者の世界では、『わからなかったら理解できなかった人が悪い』という前提がある。しかし、一般社会ではそうではない。きちんと理解してもらえるように説明することが大事なのだと、研究者から起業家の立場になった時に痛感した」と語っています。(注5)
こうして一般社会に対して「伝える」スキルだけでなく、異なる分野の専門家とも対話して、互いの専門性を結びつけて力を発揮する能力も「専門性を開く」ために必要だと言えるでしょう。
科学社会学者のハリー・コリンズとロバート・エヴァンズはこうした能力を、「貢献型専門知」「対話型専門知」という概念を用いて論じています。前者の「貢献型専門知」が自らの専門分野内で知見を深く掘り下げ、高度な理論的・学術的知識を発展させる能力を指すのに対して、後者の「対話型専門知」は異分野の知や実践現場の知恵との積極的な対話を通じて、異なる専門分野を結びつけて生産的なつながりを生み出せる能力を指します。
この概念は、社会学者であるコリンズが調査活動で物理学の研究室に通った結果、物理学者とも対等に対話できるようになった経験から生まれています。自分がその分野の貢献型専門知を持っていなくても、コミュニケーションを通じて専門的な知識を「翻訳者(インタープリター)」として繋いで活動できるようになる。しかし、ここでコリンズは特定の専門分野における貢献型専門知を持つ人の方が、対話型専門知は得やすいとも言及しており、自らの専門性を持つ人は外に出ていくことで対話型の翻訳者にもなっていくことができると言います。
また対話型専門知の習得は、社会学者、民族学者、社会人類学者が参与観察を実施する上で必要とされるため身につけやすく、その他にも特定分野の専門性をもつジャーナリストや、場合によっては営業職や経営者にも必要とされるとしています。そして、対話型専門知の獲得は自分とは異なる専門家とのコミュニケーションを重ねる中で、専門家への「インタビュー」から「議論」を経て、最終的に対等な「会話」へと至るように、そのトピックへの理解度が深まるにつれてゆっくりと進行すると言います。専門性の深化と対話力の醸成をどのように両立させるかという難しい課題は残りますが、「人社系の知を社会に還元する」際にこうした異分野の知を結びつけて協働させられる能力は大きな力を発揮すると言えるでしょう。
こうした専門性が異なる知識でもそれを翻訳して伝える能力は、人社系の研究者は本来得意なのではないかと標葉氏は指摘します。研究者は書類や面接で、相手に「なかなか研究の意義や価値が伝えられない」と悩むことも少なくないでしょう。
それに対して標葉氏は以下のように語ります。「論文執筆も、研究費獲得の書類作成も、公募書類を書くのも、本質的には似た能力が必要とされていると感じる。問題を捉えて、必要な情報を調べ、相手にあわせて提示する。例えばジョブインタビューの際は、相手の背景や経歴、執筆した論文を読み込んで話題を提示する。本来、こうした基本スキルを研究者は身につけているはずなのに、他の場面で転用しようとするマインドセットが薄い。『既に自分はスキルを持っているので、ちょっとした視点の変化や工夫で、自分がうまくいく状況はつくりだせる』と考えることが重要ではないか」(標葉氏)。こうして知の伝え方を工夫し、さまざまなステークホルダーとの関係性をうまく構築することで、今後の研究者は活躍の場が切り拓かれていくはずです。
【 論点6】 芸術・文化的な「表現」への接続
ここまで、課題解決を志向するモード2としての人社系の「脱サイロ化」のあり方について論じてきました。一方で、人社系がもたらすインパクトの中でも大きな議論のトピックに挙げられるのは「文化的インパクト」です。
例えば、人社系分野の研究には考古学や歴史的資料の収集やアーカイブなども含まれており、こうした活動はたしかに「豊かな文化を生み出し維持する」ものであると言えます。一方で、近年ではこうした文化事業や研究の企画・評価で「経済的インパクト」が問われたり、「客観的エビデンス」が要求されたりすることが社会背景として増えています。
こうした状況に危機感を持ち、「文化や芸術に資する研究の価値をいかに評価するか?」という問いに真正面から取り組んだのが、芸術や人文学に特化した研究支援組織として【論点1】で言及したAHRCです。AHRCでは2016年に「Understanding the value of arts &culture: The AHRC Cultural Value Project」という報告書を公開。芸術文化は、「個人の内省」を促し、コミュニティ再生や都市空間、経済とイノベーション、健康やウェルビーイング、教育への貢献において、社会のさまざまな側面や部門にポジティブな影響があることを示しました(日本国内では『芸術文化の価値とは何か:個人や社会にもたらす変化とその評価』として2022年に出版されています)。
また、人社系の影響を文献調査した論文『理論と実践における共創の分析:SSHの影響に関する文献のシステマティック・レビュー』(注6)によれば、人社系の文化的なインパクトは博物館、図書館、芸術祭、劇場、ギャラリー、あるいはエンターテインメント、ファッション、観光などの民間産業や公共産業などの機関と密接に関わりながら生み出され、主に遺産や文化保護、創造的産業やレジャー、エンターテイメントなどに貢献します。また、言語、文書、工芸品、建造物、伝統、儀式などに関する知識を、少数民族、言語学、地域コミュニティなどさまざまなトピックと関連させながら維持していく。こうした文化的なインパクト・パスウェイは書籍、アート作品、デザイン、翻訳、映像記録など、研究から得られる広範なアウトプットと関連してもたらされ、最終的には創造的思考や革新的なサービスへとつながることが期待できると言います。
人社系のインパクトをスペイン国内の事例から分析した論文では、音楽や演劇などのジャンルでの「生産的相互作用」がいくつか例示されています。例えば、古楽研究グループが16~17世紀の未発表のスペインの詩音楽作品を復元。この“ 再発見”された作品は、音楽学者や音楽家が楽曲を利用できるようになったことで、新たな知識の創造に貢献したとされています。
また、前述のAHRCの報告書では、犯罪を犯した人々が刑務所や青少年犯罪者施設などで公演する劇団「Geese Theatre Company」の事例を挙げています。例えば、DVで有罪判決を受けた囚人たちが、舞台上で加害者や被害者が描かれる演劇作品を第三者の観点から鑑賞することで、虐待の加害者治療として再犯防止に寄与すると示唆されています。この事例は人々に内省を促すアートならではの力を示しており、心理学など人社系の研究知とも掛け合わせることでさらなる確実な効果が期待できるかもしれません。
日本でもとりわけ人文学と芸術を掛け合わせた試みは数多く行われてきました。例えば21世紀的人文学の「語り口」を模索する『1970年代以後の人文学ならびに芸術における語りの形式についての領域横断的研究』では、「アートを通した人文知の感性的な社会発信」を試みています。コロナ禍を背景に実施された文芸理融合のオンラインライブ配信イベントの試み「ぎふ未来音楽展2020 三輪眞弘祭 ─清められた夜─」を企画した作曲家・IAMAS教授の三輪眞弘氏はいくつもの賞を受賞。並行して出版された書籍『音楽の危機:《第九》が歌えなくなった日』の著者・京都大学人文科学研究所教授の岡田暁生氏は、音楽作品の背景にあるコンセプトについて、「アカデミックな人文学が今こそ真正面から考えるべき主題の数々が提示されていると強く感じるようになった」と語っています。また、同氏は「認識科学には『モノを作って考える』という工学があるのと同じく、人文学にも『人文工学』としてモノを作ることを通して社会に働きかけるという営みがあるべきではないか」「『人文工学』とは結局のところこれまで『芸術』と呼ばれてきたものではないか」とも語っています。
さらに、「アート・ベースド・リサーチ(ABR)」といった概念なども、人社系の知を芸術文化と相互に反照させ、科学的知と芸術的身体的知の境界線を取り払う営みであると言えます。「アートベース社会学」を提唱する社会学者の岡原正幸氏は、ABRを学術的な研究作業のプロセス全体で、特に最終的なアウトプットを文字媒体を主とするテクストではなく、写真、映像、パフォーマンス、ダンス、演劇、美術、音楽、文学などを媒体として用いる研究スタイルであり、言語だけでは表現しきれない経験や知を探求することを目指すと説明し、その上でABRは研究対象を客観的に観察し記述するのではなく、研究者自身が身体的に関与して調査対象者との相互作用の中で知を生み出そうとすると言います。さらに岡原氏は、社会学者がアートを生み出すだけでなく、アーティストも社会学者に近い実践をしてきたのではないかとも語ります。「少なくとも2000年代初頭にはアーティストが社会学の文献を参照し、社会学的な視点から物事を語り、社会にコミットする意識を持って制作物を生み出していた。これはもう社会学だろうと思っていた」(岡原氏)。このように、アートと人社系の研究を最終的なアウトプットの違いで分けること自体を疑問視する立場もあります。
また、RISTEXが発信する公募型研究開発領域である「人と情報のエコシステム(HITE)」の一環として生まれたプロジェクト『RE-END』も、人社系の知が「スペキュラティブ・デザイン」を通じて社会へと還元された一つの例だと言えるでしょう。「死を問うことは、近現代が築いた社会を問い直すこと」というコンセプトから生まれたこの実験的な試みでは、最終的に書籍刊行や展覧会を開催。マンガ家による描き下ろしのショートマンガや絵を織り交ぜながら、民俗学や人類学、情報社会学や人工知能研究といった多様な論者と、「死」という切り口からこれからのテクノロジーと社会について読者や来場者に問いを投げかけました。
このように直接の課題解決を志向せずとも、例えば論文以外のアウトプットを用いる研究手法や「未来像」を構想するようなプロジェクトを通じて、人社系の知が社会を豊かにする文化的インパクトをもたらす可能性が大いに存在します。デサイロが2024年4月に実施した、「研究とアートの融合」を試みる「DESILOEXPERIMENT 2024」もその試行錯誤の一つと言えるかもしれません。このイベントでは、人文・社会科学分野の4人の研究者が「いま私たちはどんな時代を生きているのか」を考えるための研究テーマを設定し、そのテーマに基づいてアーティストが作品を制作。小説、映像、音楽、ゲーム、メディアアートまで、研究が生み出した知のアウトプットをさまざまな方法で試みるこのイベントには、2日間で400人以上が来場しました。
いずれにせよ、人社系の研究知の新しい実践方法を模索していくことが、これから人社系学問が再度脚光を浴びる鍵を握っているのではないでしょうか。
Research & Text by Tetsuhiro Ishida, Edit by De-Silo
参考文献
(注2)原題:“From productive interactions to impact pathways: Understanding the key dimensions in developing SSH research societal impact”
(注3)MIMIGURIや安齋氏の活動については【論点14】にて詳述
(注4)日本学術振興会ロンドン研究連絡センター 加賀涼子「魅力的な研究者を育成するために ―英国リサーチカウンシルのキャリア開発プログラム」参照
(注5)研究者のアウトリーチ活動の是非に関する議論としては、「セーガン効果(Sagan effect)」が知られています。天文学者のカール・セーガンは、SF作家やテレビ出演などの活動に注力した結果、学術コミュニティから“干される”経験をしました。そこから「一般の人々に研究内容を伝えることに時間と労力を費やす科学者は、同僚や学術コミュニティ内から低い評価を受けやすい」という現象が「セーガン効果」と呼ばれるようになりました。しかし、後にセーガンの出版物を分析したところ、その学術的業績はアウトリーチ活動にあまり関与しない他の科学者と遜色なかったと言われています。それどころか、セーガン効果をめぐって「科学者のアウトリーチ活動への積極性は、より高い業績と相関している」と主張する論文もあり、いまなお議論が続いています
(注6)原題:“Analysing co-creation in theory and in practice –A systemic review of the SSH impact literature”
その他、参考文献は「DE-SILO RESEARCH REPORT」全文PDF(p93〜94)に掲載されております。無料でダウンロード可能ですので、ご興味のある方はぜひご一読ください。
▶▶▶「DE-SILO RESEARCH REPORT」全文PDFダウンロード
リリース記念イベント開催のお知らせ
このたび、本レポートのリリースを記念したイベント【DE-SILO RESEARCH REPORTリリースイベント──「30の論点」から考える人文・社会科学の未来】の開催が決定しました。
▼イベント概要
今回のレポートに含まれる「人文・社会科学の未来を拓く30の論点」(文献調査や専門家・プレイヤーへのヒアリングも踏まえ作成)を活用しながら、参加者それぞれの立場からどのようなアクションやコラボレーションが考えられるのか、アイデアを出し合うワークショップの実施を予定しております。
ワークショップの話題提供をいただくゲストとして、今回のリサーチレポート制作における取材にも協力をいただいた2名をお招きします。レポートのテーマでもある「人文・社会科学分野におけるさまざまな課題や機会」について、ご自身の活動にも触れながらお話いただく予定です(※ゲスト詳細後述)。
▼イベント詳細
・日時:9月19日(木)19:00-21:30
・会場:MIDORI.so SHIBUYA(渋谷駅徒歩5分程度)
・参加費:2,000円
・席数:20名 ※先着順
当日のタイムテーブル(予定)は以下のとおりです。
・18:50:開場
・19:00-19:20:ご挨拶/DE-SILO RESEARCH REPORTの紹介
・19:20-21:00:ワークショップ ※ゲストによる話題提供あり
・21:00-21:30:ミートアップ ※ドリンクの用意を予定しております
▼お申し込み
こちらのPeatixよりチケットのご購入お願いいたします。
▼ゲストプロフィール
井上 眞梨さん|株式会社メルカリ mercari R4D (Research Administrator)
慶應義塾大学大学院 理工学研究科 前期博士課程(修士)修了。国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)にて、IT分野の動向俯瞰や戦略提言、研究開発プロジェクトの支援等に従事。2021年10月に入社後、大阪大学ELSIセンターとの共同研究の推進や、社会人博士支援制度の整備、メルカリデータ提供などの活動に尽力。
大川内 直子さん|株式会社アイデアファンド 代表取締役
東京大学教養学部卒。同大学大学院より修士号取得。専門分野は文化人類学、科学技術社会論。学術活動と並行して、ベンチャー企業の立ち上げ・運営や、米大手IT企業をクライアントとしたフィールドワークなどに携わる。大学院修了後、みずほ銀行入行。2018年、株式会社アイデアファンドを設立、代表取締役に就任。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)主任研究員、昭和池田記念財団顧問。著書に『アイデア資本主義 文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』(実業之日本社)。
サポーター募集について
「DE-SILO RESERACH REPORT」では、アカデミアの内外で研究知の社会実装を試みる実践者や当該領域の専門家へのヒアリングや文献調査を行うことで、人社系領域の豊かな未来に向けた30の論点を提示しました。
これらの論点はあくまでも仮説であり、今後デサイロでは本調査を起点に、本領域に関わるさまざまな人々を巻き込みながら、さらなる議論や探究の場を醸成し、人社系学問の知を社会に拓くための実践に取り組んでいきます。
具体的には、例えば以下のような実践に取り組む予定です。
・人社系研究者と、企業をはじめとする大学外の多様なステークホルダーとの協業による、研究の中で立ち現れる「概念の社会化」事例の創出
・大学などと連携した、人社系学問の事業活用の推進プロジェクトの遂行
・独自の研究者ネットワーク/コミュニティづくりによる、新たな人社系研究者のエコシステムの構築
・アートから出版、ビジネスまで、メディアフォーマットにとらわれない展開による、人社系学問の脱サイロ化の推進
・人社系の研究知を世にひらいていくイベントシリーズの開催による、人社系学問の脱サイロ化の推進
・メンバーシップの構築による、新たなファンディングモデルの構築
非営利型一般社団法人として運営しているデサイロは、みなさまからの寄付や事業収入にて活動を継続しているため、こうした取り組みのためにサポーター(寄付者)を募集しています。私たちの活動に共鳴し、デサイロおよび研究から生まれる知の可能性をともに切り拓き、豊かにしていく営みを共にしていただける方は、ぜひサポーターになっていただけますと幸いです。
なお、1万円を寄付いただくごとに、デサイロ第1期の研究プロジェクトに参加した人文・社会科学分野の4名の研究者(磯野真穂さん、柳澤田実さん、山田陽子さん、和田夏実さん)による研究成果がまとめられた論考集「DE-SILO PUBLISHING第一弾書籍(限定1000部)」を1冊プレゼントします。
サポーター申し込みに関しては、以下リンクより詳細をご確認いただけますと幸いです。