「大学」をめぐる政策の変遷──人社系研究者の窮状の構造的背景を探る【DE-SILO RESERACH REPORT】
研究者だけでなく、大学、行政機関、メディア、民間団体……学問を取り巻く世界には、さまざまなステークホルダーがいます。しかしながら、アカデミアを代表する中心的な存在といえる「大学」もまた、苦境に置かれています。
2024年7月、デサイロは「DE-SILO RESEARCH REPORT」を全編無料で公開。このレポートでは、人文・社会科学領域(以下、人社系)の研究者が直面する課題と構造的背景を明らかにした上で、人社系学問がポテンシャルを発揮するための30の論点を提示しました。
本ニュースレターでは、リサーチレポートの内容を一部抜粋して配信。今回の記事では、日本で大学が制度化された経緯、1990年代以降に進んだ大学の多様化の背景や展開、現代の大学経営までを、それを取り巻く政策の観点を中心に解説します(注1)。
【本記事の目次】
戦後における「新制大学」の成立── “ 象牙の塔”からの脱皮へ
1990年代以降の大学「改革」──ポスドク問題や文系軽視はなぜ起きた?
大学「改革」に関連する近年の議論──文系は「不要」か? 不可欠か?
大学のガバナンス──権限構造と職員のあり方
戦後における「新制大学」の成立── “ 象牙の塔”からの脱皮へ
戦前から第二次世界大戦後にかけて、日本の大学制度は大きく変化してきました。明治時代に確立された大学制度では、国家の需要に応える「官立」と、社会の需要に応える「私立」という2つの体制で高等教育機関としての大学と専門学校が運営されていました。このような体制では、国や社会のニーズに応えるために、官立と私立という大きく2つの領域で専門教育に特化した高等教育が展開され、それぞれ特色ある教育機関が設立されていきました。
第二次世界大戦が終わると、日本には米国式の大学制度が導入されました。このような大学は新制大学と呼ばれ、1948年には4年制の新制大学が発足しました。新制大学の特徴として、例えば、「一般教育」の導入が挙げられます。戦前までの大学制度は、どちらかと言えば専門教育に特化し、現在の大学で言うところの「教養課程」は旧制高校が担うものとされていました。ところが、戦後の新制大学では、米国の大学における「General Education」が取り入れられ、「一般教育」として制度化されました。
これにより、入学する学部や学科を問わず、特に大学教育の初期段階において、人文・社会・自然の諸科学についての知見を得ることが求められるようになりました。この「一般教育」は、1963年の国立大学における教養部の法制化や、後述する大学設置基準の大綱化などのいくつかの制度面の変更を経ながら、現在も多くの大学に「一般教養課程」(ときには「パンキョー」と略されることもある)として根付いています。
このように、国や社会のニーズを意識して高等教育の制度を整えた明治時代から、米国を参照して大学制度を導入した戦後まで、日本の大学制度は大きく変化してきました。変化の背景には、大学を社会から隔絶された“ 象牙の塔”ではなく、社会との関わりを意識した組織としようとする意図が垣間見えます。
1990年代以降の大学「改革」──ポスドク問題や文系軽視はなぜ起きた?
1990年代から始まる大学改革では、カリキュラムや運営における柔軟性の増加など、いくつもの「改革」を経て大学は多様化していきます。
大学設置基準の大綱化 :カリキュラムの多様化、質評価の導入
高度経済成長期からバブル期、そして平成へと時代が移り変わっていく中で、大学入学者は増加していきました。それとともに、大学に入学した学生がほとんど勉強や研究に身を入れることなく卒業できるとして、「大学のレジャーランド化」という言葉も現れます。そうした状況で「大学における教育のあり方が現実社会の実態に合っていないのではないか」という声も出てきます。
しかし、当時の大学は大学設置基準という厳格な基準に沿って設立・運営されることとなっていました。この厳格な運用が、大学が時代や社会の変化に適応できていない要因なのではないかという意見が、行政側でも真剣に議論されることとなります。その結果、1991年、文部省(現:文部科学省)の省令であった大学設置基準が改正され、それまで大学設置時に課されていた厳格な審査基準が緩和されることとなりました。この大学設置基準の規制緩和は一般に、「大学設置基準の大綱化」(以下「大綱化」)と呼ばれます。
大綱化はまず、大学教育におけるカリキュラムの多様化をもたらしました。大綱化より前、大学における授業科目は、一般教育科目・外国語科目・保健体育科目・専門教育科目と事細かに区分され、区分毎の最低修得単位数まで規定されていました。ところが、大綱化によってこのような区分は廃止されました。
この基準変更により、大学における「専門重視」が促され、戦後の国立大学で一般教育を担当していた教養部という組織の多くが廃止されることとなりました。その一方、大綱化で大学のカリキュラムに関する基準が緩和されたことで、多くの大学で特色あるカリキュラム編成がされるようになりました。例えば、大学教育の初期段階から専門教育の一部を早期に行おうとする「専門基礎教育」や、学生の卒業後を見据えた「キャリア教育」などがカリキュラムの中に取り入れられました。
大綱化はまた、大学における教育や研究の自己点検・評価を大学側に課すことにもなり、1991年には大学による自己点検・評価が努力義務となりました。これは、大学設置基準の変更という規制緩和によって変化が見込まれた大学の「質」を適切に維持・向上するための取り組みと言えるでしょう。また、1999年には、自己点検・評価の実施と結果の公表が義務化され、自己点検・評価の学外者による検証が努力義務となりました。さらに、国立大学の法人化(後述)とあわせて、大学認証評価制度をはじめとした、大学運営に関して第三者の立場から客観的な視点や、教育や研究の成果に関する明確なエビデンスが求められる評価制度が立て続けに生まれました。
このような大学の質評価に関連して大学で実施されている活動の一つに、「ファカルティ・ディベロップメント(FD)」というものがあります。FDは、大学教員が授業内容・方法を改善し向上させるための取り組みで、今では各大学においてカリキュラムデザインや授業方法の改善などをテーマにした多様なFDが実施されています。また、将来大学教員になることを想定している大学院生を対象にした「プレFD」プログラムを提供している大学もあります。
大学院の重点化 :博士学生の増加と「ポスドク問題」の発生
大綱化とほとんど同じ時期に、多くの大学で前述した大学院の重点化が進みました。「大学院の重点化」とは、教育や研究における中心組織が学部から研究科(大学院)へ移行していった流れを指します。しかし、これは単に組織構成上の変化だけでなく、大学における研究環境の変化をもたらすこととなりました。
1991年、東京大学の法学部が改組され、それまで法学部に所属していた教員は、大学院法学政治学研究科へ移籍。その後、他学部でも同様の組織変更が進んでいき、さらには他大学にもその流れが波及していきます。この政策は、同時に大学院の定員を増加させるものでした。この重点化によって1991 年に98,650 人であった大学院在籍者数は、2000年には205,000人を超えるなど、約10年で大学院生が2倍以上に急増することとなりました。
このような大学院重点化が進展していった背景には、理工系人材の不足による1980年代からの工学系大学院の拡大や、1990年代に文部省の審議会において示された答申(大学院学生数の倍増や大学院生の処遇改善が提言された)などの影響があります。欧米に比べて見劣りすると思われていた日本の大学院教育のレベルを向上させてグローバル競争に対抗する意図もあり、多くの国立大学や私立大学において、自然科学分野だけでなく、人社系分野を含め、大学院の拡大が続きました。
しかし、こうして大学院への「入口」が拡大された一方で、その拡大に見合う仕方で大学院修了者の「出口」、すなわち雇用先は十分に拡充されませんでした。博士課程修了者の主な就職先であるアカデミックポストが大きく増加することはなく、他方で民間企業は学部卒の新卒一括が主流であり、博士課程修了者の採用拡大の動きは見られませんでした。こうした「出口」のない大学院の量的拡大によって、前節で詳述した「ポスドク問題」や「高学歴ワーキングプア」と形容される安定した雇用にありつけない大学院博士課程の修了者が数多く生まれたとされています。
科学技術基本法:除かれた「人文科学」とその影響
これらの大学院重点化の動きと並行して成立したのが科学技術基本法(1995年)や同法を根拠とする第一期科学技術基本計画(1996年)です。これらの法は、とりわけ人社系学問のその後に対して大きな影響を与えました。例えば、科学技術基本法では、振興対象となる「科学技術」の定義において、「人文科学のみに係るものを除く」という言葉が明記されており、この記述がその後数十年間にわたり長らく文系学問が軽視され周縁化された要因の一つだと言われています。
その結果、同法の「科学技術の振興に関する基本的な計画」において、人文科学固有の振興策は含まれないという認識が生まれ、理系と比較して文系の予算配分が少なくなる傾向が生まれました。科学技術基本法におけるこうした文系軽視の動きを受けて、日本学術会議は2001年の『21世紀における人文・社会科学の役割とその重要性』という声明において、「科学技術基本計画の運用にあたっては、人文・ 社会科学の役割を明確に位置づけ直す必要がある」と主張していますが、当時はその意見は受け入れられませんでした。
さらには、第一期科学技術基本計画の施策の一部として策定された「ポストドクター等1万人支援計画」(通称:ポスドク1万人計画)では、優れた若手研究者が研究に専念できる環境を整備することを目的に、さまざまな支援施策が打ち出されました。その結果、1999年度には計画より1年早くポスドク人材の人数が1万人に達しました(しかし先述のように、雇用先が十分に拡充されなかったため、「ポスドク問題」へとつながっていきました)。
国立大学の法人化 :「運営費交付金の縮小」と「競争的資金の増加」という問題
大学院を中心とした研究活動は、1990年代半ばになると、ニューパブリックマネジメント(NPM)の影響を受けるようになります。NPMとは、「行政や大学などの公的セクターのマネジメントに、民間企業において行われているような経営手法を取り入れることで業務の効率化や質の向上を図る試み」を指しています。なお、NPMの導入は、大学における研究に限った話ではありません。例えば、英国や日本で進められた鉄道事業や電話事業の民営化も、NPMが実践された例です。このようなNPMの考え方に基づく「改革」活動の過程で生じたのが、「国立大学の法人化」です。
2002年に「競争的環境の中で世界最高水準の大学を育成するため、『国立大学法人化』などの施策を通して大学の構造改革を進める」ことが閣議決定されると、翌年の2003年には、国立大学法人法をはじめとする法律が成立しました。その結果、2004年4月から、国立大学は「国立大学法人」として扱われることとなります。それまでは国の行政機関、すなわち文部科学省の行政機構の一部として位置づけられていた国立大学が、それぞれが運営主体となる、法人格を持つ機関になったのです。
法人化によって起こった大きく変化した領域として、大学の財政運営が挙げられます。法人化の前、各国立大学の財政は、政府予算である国立学校特別会計で運営資金のほとんどが賄われていました。ところが、国立大学が法人化されると、新たに導入された運営費交付金(政府の支出)と、各大学の自己収入(授業料など)によって経費が賄われることとなりました。運営費交付金は、研究者が自分の知的好奇心にもとづいて最低限の研究をするための基盤となる経費を補助するもので、国から国立大学へと毎年分配されます。これは、各大学の研究室にとっては「生活費」とも言える資金ですが、国立大学が法人化された2004年度から2023年度までに、約1,600億円削減されました。また、運営費交付金の削減は地方大学では研究環境の悪化を招いているという指摘もあります。
このような運営費交付金の減少に伴い、政府からの交付金に加えて外部の競争的資金も獲得して研究を実施するという、マルチファンディングの構造が根付いていきました。競争的資金は研究者から提出される研究計画等の審査に基づき、公的機関や財団などから支給されます。競争的資金には研究者の自由な発想に基づくボトムアップ型の研究費と、出口志向の強いトップダウン型の研究費があり、近年では後者が特に増加。その結果、社会実装に繋がりやすい研究が増加する傾向があり、使用できる研究費の格差が研究者間で拡大しているという指摘もあります。
なお、法人化自体は国立大学を対象としていましたが、このような「改革」の結果、財政の面で、国立大学と公立大学、私立大学の差が少なくなったという指摘がされることもあります。運営費交付金制度が始まったことで、国立大学に対して運営費の削減や人件費の削減などの制約を加えることが可能になり、競争的な資金配分の増額とともに、私立大学の経常費補助金の削減も行えるようになったとされています。このように、国立大学の法人化は、日本の大学運営(特にその財政運営)において大きな変化をもたらしました。
また、国立大学の法人化とあわせて、大学の評価に関する制度のさらなる充実が図られました。例えば、国立大学の中期目標の達成状況を評価する国立大学法人評価制度や、全ての大学が評価機関の評価を定期的に受けることを義務化する認証評価制度などが法制化されました。そして近年では、各大学の評価結果を交付金分配額へ反映しようとする取り組みも進められています。以前から、国立大学法人評価や重点支援評価に基づいて、交付金の一部配分を決定するという取り組みは行われていました。
このような取り組みが、特に2019年度以降になって拡大されています。具体的には、評価に基づく配分金額が1,000億円に拡大され、そのうち700億円については、教育・研究の成果についての客観的な共通指標等に基づく配分とすることが、国会審議を経て決まりました。これに対して、一般社団法人国立大学協会(当時の会長は山極壽一氏)は「強く反対せざるを得ない」とする声明を2018年に公表。この声明は、国の予算が使われることを踏まえて、予算の配分は評価に基づくべきだということには理解を示しています。しかし、中期目標の6年間という期間ではなく、毎年度という短い期間での評価が重視されることで、国立大学法人化が本来目指していた自律的・戦略的経営が困難になるという懸念が示されました。
なお、私立大学については、私立大学等経常費補助という制度があります。これは、日本私立学校振興・共済事業団を通じて学校法人に補助金が支給されるもので、補助率は各法人の経常費の2分の1以内とすることが法律で定められています。補助率は、1980年度の29.5%をピークに減少し、2015 年度には10%を切って9.9%となっています。このような補助の減少を受けて、私立大学関係者からなる団体(日本私立大学教職員組合連合等)は、補助率の改善を政府へ求めています。
こうした予算配分の変化によって、成果が見えやすく「役に立つ」ことが主張しやすい分野へ資金が集まりやすくなり、多くの人社系研究や理系の基礎研究にあたる研究のような、成果が見えづらい研究の立場は弱いものとなりました。
吉見氏は、競争的資金の獲得が文系よりも理系に有利に働くと指摘しています。その理由として、①一般に理系の研究は文系よりも期待される成果を見せやすく、比較的短期間で成果を出しやすい/②理系の研究予算は文系よりも大規模であることが多く、同じ件数の研究予算であっても、理系と文系では大学における経済効果に大きな差が生じやすい/③競争的資金の獲得はチームワークが要求される作業であるため、研究室単位で分担を割り振ってチームとして研究を進めることが多い理系の方が優秀さを発揮する、の3点に言及。こうした競争的資金獲得における適性の違いがある中で、運営費交付金の縮小と競争的資金の拡大が進み、文系学問の財政的基盤はより脆弱となっていったのです(注2)。
そして運営費交付金の縮小とそれに伴う競争的資金の増加は、「任期付き」の有期雇用の増加をもたらしました。競争的資金で研究者が雇用される場合、資金の継続性が担保されないため、契約期間が定められた形での雇用が多くなるのです。
大学「改革」に関連する近年の議論──文系は「不要」か? 不可欠か?
以上のような大学の「改革」に関する取り組みは、今もなお続いています。ここでは、これらの取り組みに関連し、人社系に特に関係している議論を取り上げます。
「文系不要論」:人社系学問は「役に立たない」?
まず、2015年の文部科学省による通知をきっかけにして報道等でも取り上げられた、いわゆる「文系学部廃止」に関する議論です。2015年6月8日、文部科学省から各国立大学の学長に対し、「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」という通知が発せられました。この通知は、国立大学法人が達成すべき業務運営についての目標の第2期取組期間(2010年度~2017年度)の終了時に各大学が見直すことを検討する内容を記載するものでした。
この通知の中の「第3 国立大学法人の組織及び業務全般の見直し」に、以下のような記載があります。「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」。
この通知全体の趣旨は、人社系分野に限らず、各大学が法人化のメリットを活かして、各々の強み・特色・社会的役割を踏まえた付加価値向上を促すものであったと考えられています。一方で、この引用に見られるように、人社系の教育や研究に大きな影響を及ぼすと思われる記載があったことから、該当部分がさまざまな報道で大きく取り上げられることとなりました。
この件を受けて日本経済団体連合会(経団連)が声明を公表するほか、SNSをはじめとする各種メディアでは、いわゆる「文系不要論」への賛否についての意見が飛び交いました。国立大学の法人化をはじめとする一連の「改革」の過程での文部科学省による通知を一つのきっかけとして、いわゆる文系・理系という分け方や、それぞれの持つ価値に関する議論が、報道や各種の論壇で意識的に取り上げられるようになりました。
この一連の経緯を論じた書籍『「文系学部廃止」の衝撃』を出版した吉見氏は、「国が文系学部を廃止しようとしている」と報道されたこと自体はメディアが事の経緯を見誤ったミスリーディングな報道だと説明。
しかし、より根本的な問題として、「理系は役に立つが文系は役に立たない」といった通念や、「大学も経済成長に教育で貢献しなければならない」という前提が当然のように受け入れられている状況を指摘しています。
「総合知」の誕生:人社系学問は「イノベーション創出」に不可欠?
しかし、近年こうした潮流には変化が起こっています。先に詳述した科学技術基本法の成立から25年以上が経った2021年4月、この法律の改正が施行されることとなりました。背景や経緯については第2章「人社系研究のあり方を舵取りする『行政機関』」内(p30-33)で詳述しますが、改正法は「科学技術・イノベーション基本法」となり、それに伴って「人文科学のみに係るものを除く」の但し書きが消えました。また、同法に基づく第6期科学技術・イノベーション基本計画では、人文・社会科学と自然科学を含むあらゆる知として「総合知」という考え方が明記されました。
このような改正について、現代におけるイノベーション創出においては自然科学のみならず、人文・社会科学を含む、まさに「総合知」が不可欠であるということから歓迎する声があります。一方で、 人文・社会科学も社会経済活動のために「役に立つ」という認識が政策領域でも広がりつつあることで、社会経済活動の「役に立つ」ことが考えにくい研究が適切に振興される対象となるのか、自然科学と近しい領域の研究に偏った振興がされるのではないかといった懸念もあります。
いずれにせよ、現在の人社系研究者の状況に鑑みると、科学技術基本法の施行開始から25年以上にわたる文系学問の軽視によって広がった傷口は癒えていないと言えるでしょう。
大学のガバナンス──権限構造と職員のあり方
人社系研究者の置かれている厳しい現状の背景にある、「大学」をめぐる政策の変遷を見てきた本節。その最後に、そうした政策のもとで実際にどのような大学運営が行われているのか、ガバナンスのあり方を概観します。
大学におけるリーダーシップ:「学長」への権限集中
国立大学の法人化では、学長に権限を集中させる制度設計が導入されました。さらに、2014年の学校教育法改正では、学長補佐体制の充実や教授会の権限の制限などの変更も加えられました。このような学長への権限の集中は、学長が法人運営についての全ての情報を理解し、最適な意思決定をすべきという前提の上に成り立っています。しかし、学長の能力には当然限界があります。また、米国の大学運営で生まれた共同統治(Shared Governance)という考え方(理事会、学長をはじめとする執行部、教育組織である評議会の3者による統治)をより重視すべきであるという意見もあります。
特に直近の動向として、 2023年12月13日、国立大学法人法の一部を改正する法律が臨時国会を通過しました。この法律では、東京大学や京都大学をはじめとする大規模な国立大学法人を政令により「特定国立大学法人」として指定し、これらの大学に強い権限を持つ合議体である「運営方針会議」の設置を義務づけることが明記されました。これにより、従来は役員会(学長、理事等)が有していた組織目標や予算の決定権が、学長が選ぶ3名程度の会議委員(委員の属性については特に定めがない)のものとなります。このような制度変更について、例えば、短期的な収益向上に重きを置く委員が就任することによる授業料値上げや、収益向上に直結しない研究科等の縮小につながるのではないか、という懸念も見られます。実際にどのような運用がなされるかは現時点ではわかりませんが、動向を注視する必要があるでしょう。
大学運営を支える職員:ジェネラリストからスペシャリストへ
日本における大学職員は、研究支援、学生支援、財務、人事などをジェネラリスト的に経験していくのが一般的です。一方で、米国では、大学職員の専門職化が進んでいて、大学院に大学職員に関する専門養成課程があります。近年では日本でも、大学職員を高度専門職としていこうという声があります。
中でも、研究支援に特化する職種である「URA」(University Research Administrator)は、今後さらなる活躍が期待されています。ただしURAは大学によって事務職系列の職種である場合と、教員職系列の職種である場合があり、またその中間となる第三の職種と位置付けられている場合もあります。例えば、京都大学の学術研究展開センター(KURA)のURAは第三の職種となっています。よく知られている支援内容としては、研究者が外部の競争資金を獲得する前までの段階(プレアワード)と獲得した後の段階(ポストアワード)の支援ですが、KURAではその他にも研究力強化に向けた学内ファンドの企画・運営、研究の国際化の推進、産官学連携事業の推進、研究者と社会との双方向コミュニケーションのデザイン、大学の研究戦略の企画・立案支援、URAの知識・技術の高度化に関する事業を実施しています。
こうした活動を大学主体で推進する意義について、KURA人文・社会系部門副部門長の稲石奈津子氏はこう語ります。「これまでのような研究は研究者、実務的なことは事務という切り分けでは対応できず、両者や研究者とさまざまなステークホルダーを繋げて研究を推進していく役割が必要とされるようになってきたのではないか。人社系に関しては、(“ 文系不要論争”が起こるような世相において)研究が社会的な理解を得にくくなっている感覚がある。『総合知』などの政策的・社会的要請と研究現場の間にはギャップがあり、社会との齟齬が生じる場合もある。研究の社会的意義の発信などを通して、そうしたギャップを埋める役割がURAに求められているのではないか」(稲石氏)。
このように、大きく変化する社会背景を前に、大学運営サイドも人社系学問が健全に存続する形を模索していると言えるでしょう。
Research & Text by Takumi Kimura, Edit by De-Silo
注釈・参考文献
(注1)なお、一般的に高等教育と言うと、四年制大学の他に、短期大学、専修学校(専門課程)、高等専門学校が含まれますが、ここでは特に断りがない限り、四年制大学を指して「大学」とし、さまざまな高等教育の中でも、大学に関するものを中心に解説します
(注2)人社系研究は評価のあり方が明確に確立されていないこと、知的財産権など外部資金獲得につながる成果物を示しづらいことなども、この傾向に拍車をかけていると言えます
その他、参考文献は「DE-SILO RESEARCH REPORT」全文PDF(p93〜94)に掲載されております。無料でダウンロード可能ですので、ご興味のある方はぜひご一読ください。
▶▶▶「DE-SILO RESEARCH REPORT」全文PDFダウンロード
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「DE-SILO RESERACH REPORT」では、アカデミアの内外で研究知の社会実装を試みる実践者や当該領域の専門家へのヒアリングや文献調査を行うことで、人社系領域の豊かな未来に向けた30の論点を提示しました。
これらの論点はあくまでも仮説であり、今後デサイロでは本調査を起点に、本領域に関わるさまざまな人々を巻き込みながら、さらなる議論や探究の場を醸成し、人社系学問の知を社会に拓くための実践に取り組んでいきます。
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