宇宙こそが私たちの故郷である──有人宇宙学研究センター訪問記【連載:故郷とアイデンティティ】
1960年代、次なるフロンティアを開拓するために米国では宇宙開発が大きな盛り上がりを見せていました。そして2010年代以降、再び宇宙開発への関心が高まっています。イーロン・マスクやジェフ・ベゾスをはじめとするテックビリオネアたちは、宇宙移住の実現に向け、次々と宇宙関連スタートアップを立ち上げるようになりました。同時に、宇宙ビジネスは新たな産業として急速に発展し、その市場規模は2025年時点で約54兆円に達し、2040年までに140兆円規模へ拡大するとも見込まれています。
「故郷とアイデンティティ」をテーマとしてきた本連載では、問いを深めるためのひとつの視点として、宇宙移住が現実のものとなった際、私たちの暮らしやアイデンティティはどのように変わるかを考えていきます。
本リサーチは、Goldwin Field Research Lab.と一般社団法人デサイロ(De-Silo)のコラボレーションプロジェクトとして始動。哲学・宗教思想を専門とする関西学院大学准教授の柳澤田実さんとデジタルメディアを複合的に用いた美術作品の表現を追求してきたアーティスト/多摩美術大学美術学部准教授の谷口暁彦さんを共同リサーチャーとして迎え、研究者とアーティストという異なる視点から、得られた知見を作品と論考という形でまとめていきます。
連載第5回では、京都大学総合生存学館教授で宇宙飛行士の土井隆雄さん、同大学教授でSIC有人宇宙学研究センター長の山敷庸亮さんにインタビューを実施。有人宇宙飛行を研究するお二人に、宇宙移住の現在地点や、そのビジョンにおける故郷とアイデンティティの捉え方についてうかがいます。
人間が生き延びるための学問
柳澤:本日はどうぞよろしくお願いします。私は土井さん、山敷さんが書かれた『有人宇宙学』を拝読し、単なる可能性の提示や思考実験ではなく、「本気で」宇宙に移住するビジョンを持たれていることに率直に感動しました。宇宙移住という壮大なビジョンに向けた活動が、この研究室で進められていると思うと心が躍ります。
土井:ありがとうございます。研究室には、私たちが開発している超小型木造人工衛星の模型やさまざまな実験機材もありますので、ぜひご覧になってください。
柳澤:ありがとうございます!ぜひ後ほど拝見させていただきます。改めて、本日は「宇宙移住と故郷性」というテーマでお二人にお話をうかがえればと思います。まずはお二人の研究している「有人宇宙学」について、その概要からおうかがいしたいです。
山敷:有人宇宙学は、人類が恒久的に宇宙に展開していくための基盤を築くことを目指した学問です。宇宙での生存環境の構築から、社会システムの設計、さらに人間の心理的側面まで、学際的な視点から宇宙移住を研究することで、その実現に向けたプロセスを提案しています。
具体的には、宇宙社会を構築するための最小単位の要素を抽出し、「コアコンセプト」として3つの柱を設定しています。宇宙放射線対策技術と人工重力技術などの宇宙で生存するための技術基盤である「コアテクノロジー」、人々がどのように協力し社会を維持するかという枠組みである「コアソサエティ」、そして自然資本に関わる考え方である「コアバイオーム」という三つを柱を構築すること軸に、宇宙社会の在り方を模索しています。
柳澤:宇宙社会を構築する際に最小単位の要素を抽出するという点が、まるで旧約聖書のノアの箱舟のようにも見え興味深いです。やはり地球環境をそのまま宇宙に再現するのは難しいのでしょうか?
山敷:非常に難しいですね。例えば、「テラフォーミング」という概念があります。これは、惑星全体を地球と同じ環境に変えるという考え方ですが、これは現時点では空想科学の域を出ず、1000年先にも実現するかどうかは分かりません。
一方で、最小単位の社会を宇宙へ持ち込むという考え方は、技術的にも実現可能な段階に近づいています。実際、アメリカには「Biosphere 2」という巨大な建築物があり、世界初の人工隔離生態系の構築に成功しています。この施設では、熱帯雨林や海、砂漠・サバンナなど、地球環境の一部を閉鎖系の中に再現されているんです。このような閉鎖系の中に人工重力を導入し、持続可能な社会を構築することが、21世紀後半の宇宙移住に向けた現実的なプランではないかと考えています。
柳澤:宇宙移住は決して遠い未来の話ではなく、実現可能な段階に相当近づいているのですね。
土井:そうですね。さらに、有人宇宙学を別の視点から捉えると、これは人類が宇宙に展開できるように「学問そのもの」を作り変えていく取り組みだと考えています。私は、学問を探求する理由の一つは、世代を超えて知識を継承し、時代の変化に適応しながら発展すること──つまり、人類が生存し続けるためではないかと考えています。現在の多くの学問は地球で生き延びるために生まれたものですが、火星や月での生活を前提とするならば、それに適した新たな学問が必要になります。このような学問の再定義こそが、有人宇宙学の本質だと捉えています。
遠い未来・異なる惑星にも、「自然との共生」を
柳澤:お二人の話をうかがっていて、有人宇宙学という学問の輪郭が少しずつ見えてきたように思います。その上で、歴史的な観点からもお話を伺いたいです。これまでの宇宙開発を振り返ると、アメリカやソ連が冷戦下で軍事的な目的も相まって競い合いながら発展し、近年ではイーロン・マスクやジェフ・ベゾスといったビリオネアたちが宇宙開発に多額の投資をしているなど、世界情勢と密接に関わってきたように思います。有人宇宙学は、これまでの歴史における宇宙開発のビジョンとは異なる視点を提示するものなのでしょうか?
土井:これまでの宇宙開発の歴史は「宇宙に行く力を実証する」ものであって、その先に明確なビジョンが定められていなかったと私は考えています。例えば、1961年から始まった「アポロ計画」では17回の月飛行計画が実施されましたが、その目的は第二次世界大戦を経て発展した航空技術を用いれば、月に到達できることを証明することでした。また、近年の民間企業による宇宙開発もビジネスとしての投資の側面が強いと思っています。
そうした背景の中で、私たちが取り組んでいる有人宇宙学は、宇宙開発の目的を提案する学問だと考えています。これまで技術優位で進められてきた宇宙開発を、「誰のためのものなのか」という視点から再定義し、そのための計画を立案することを目指しています。
山敷:同感です。私は有人宇宙学の大きな意義の一つは、従来の宇宙開発にフィロソフィーの視点を入れ込むことで、「惑星に優しい開発」を実現することだと考えています。これは、地球環境への負荷をこれ以上増やさず、他の生命体の可能性を損なわないようにするために、他の惑星への移住を可能にするという地球環境保全の意味を持つと同時に、月や火星をも守っていこうとする取り組みでもあります。これまでの宇宙移住の構想では、技術開発やインフラ構築に関する議論が中心で、人類が生存するための最低限の基盤づくりに焦点が当てられてきました。もちろん、こうした視点は必要不可欠ですが、それだけでは非常に人間中心的な宇宙開発になってしまうように思えます。
柳澤:そのような宇宙開発だと長期的には、地球で起きているような環境破壊が宇宙でも繰り返される懸念がある、ということですね。
山敷:その通りです。人類は地球上の自然界に属するただ一種の生物であり、生態系の中で生きている。この視点を忘れないためにも、宇宙にも「地球の自然資本を持ち込むこと」が大切なはずです。そしてこの考え方は、日本における「八百万の神」のような自然観とも共通しており、私たちならではの視点を宇宙開発に提供できると思っています。
柳澤:「自然資本を持ち込む」とは、具体的にはどういった形で実現されるのでしょうか?
山敷:それには、先ほどお話しした「コアコンセプト」の一つである「コアバイオーム」の考え方が鍵になります。コアバイオームとは、地球の生態系の中で不可欠な要素を指し、森林や草原、砂漠などのバイオームに加えて、人類の活動によって形成された農地や都市なども含まれます。有人宇宙学では、こうした多様なバイオームの中から、宇宙空間で現実的に構築可能なものを選定し、それらが共生する状態を目指しています。
柳澤:月や火星に移住する際に、どのバイオームを持ち込むかによって、人類の生活も大きく変わってくることが想像できます。具体的に、どのような基準でバイオームの選定が行われるのでしょうか?
山敷:理想を言えば、地球上に存在する全てのバイオームを宇宙に持ち込むことですが、地球の約7割が海洋であるのに対し、月や火星には水域がありません。そのため、それは現実的ではなく、「人類と競合しない生態系を選ぶ」という方針をとっています。
これは、先ほども紹介したBiosphere 2を訪れたときの経験がもとになっています。私や土井さんは研修としてBiosphere 2の中で共同生活を送ったのですが、そこでの学びとして、動物を含む生態系を再現することの限界を感じました。表面的な景観を再現することができても、その中に動物を生存させようと思うと、食料や酸素を生産してくれる存在が必要で、そこまでを複製すると思うと非常に困難かつ莫大なコストがかかってしまうんです。
柳澤:なるほど。具体的にはどのようなバイオームが選定されるのでしょうか?
山敷:陸上のモジュールであれば、生産性や生態系の複雑性が高い森林や河川のバイオームを、海洋のモジュールであれば、沿岸域にある藻場やサンゴ礁などのバイオームを選定しています。いずれも、生命活動に必要な酸素や栄養素を生産してくれる生態系です。実際に私の研究室では、宇宙空間と同様の条件下で、光合成などによって酸素やタンパク質などの生産を担うことのできるサンゴを育成する実験も行っています。現在は限られた閉鎖系での実験ですが、ゆくゆくはここにさまざまな生物や海藻などを入れ込み、一つのバイオームを構築することを目指しています。
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本記事は2025年4月24日に公開された「故郷とアイデンティティ 05」より同名記事の一部を抜粋したものです。記事の全文はGoldwin Field Research Lab.のウェブサイトに掲載されています。
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