「奢り規範」と性別役割の近未来像──「幸福な親密性」の実践に向けて|木村絵里子
この数十年間で、恋愛文化はメディア環境の変遷に伴って大きく変化してきました。
『anan』『non-no』などの雑誌から、mixi、Twitter、InstagramなどSNSの登場、そしてマッチングアプリへ……。2022年には年間婚姻数のうち「マッチングアプリ婚」の比率が20%を上回ったという調査もあり、その影響は決して小さくないと言えます。
一方、近年では出会い方やデートにおける作法など、恋愛文化のあり方についてインターネット上でさまざまな議論が交わされるようになりました。「男性は女性にデート代を奢るべきか?」という論争は、その代表例として挙げられるでしょう。
この議論の背景には、「男性がリードすべき」という旧来的な価値観と、「男女平等」という現代的な価値観の対立などが垣間見えます。そうした恋愛文化や性別役割の変化について文化社会学を専門に研究しているのが、大妻女子大学人間関係学部准教授の木村絵里子さんです。
2024年10月25日に発売された『Forbes JAPAN』2024年12月号では、デサイロが編集担当・木村さんが執筆した寄稿「『おごり規範』と性別役割の近未来像──『幸福な親密性』の実践に向けて」が掲載されました。
本記事では、『Forbes JAPAN』の同名記事から一部を抜粋。「男性は女性に奢るべき」という価値観の成立と変遷から読み解く、日本社会の現在地について木村さんに論じていただきました。
「男性はデート代を奢るべきか?」という論争が近年起こっている。
デート代をおごらない男性は、なぜカッコ悪いといわれるのだろうか。特に初デートのときには男性がおごるという行為が、女性に対する思いや、今後、ふたりの関係を進展させたいという気持ちを示すことになっているのは、いったいなぜなのだろうか。
社会には、理由はよくわからないけれどその社会で生きる多くの人々が守るべきと考えるルールがある。社会学では、それを「規範」と呼んでいる。この規範を破ったからといって何らかの法的な罰則があるわけではない。しかし、多くの人がそのルールに従ったほうが良いと思っていたり、あるいは絶対に従わなければいけないと思っていたりする強制力のあるものもある。
デートの際に「男性がおごらなければいけない」という人々の考え方も、「おごり規範」とでも呼びうる恋愛関係にみられる規範のひとつとなっている。長い時間をかけて繰り返される行為のなかで、こうした規範はかたちづくられてきた。
「リード規範」実践と恋愛アドバンテージ
では、現在、上記の規範を守らなければいけないと考える人は、実際にどのくらいいるのだろうか。直接「男性がおごらなければいけないのか」を尋ねたものではないのだが、この規範を包摂し、主に男性側に課せられている「デートは男性がリードするべき」という規範意識(「リード規範」)の項目を検討してみたい。
若年層の研究を行う社会学者のグループ・青少年研究会が2022年に行った全国調査のうち、16~39歳までの独身者のデータを使用した分析によれば(注1)、「デートは男性がリードすべきだ」という考え方を支持(「そう思う」+「ややそう思う」)するのは46.8%、支持しない(「あまりそう思わない」+「そう思わない」)のは53.2%であった。支持する人としない人でおおよそ半分に割れている。
補足として、夫は外で働いて稼ぎ、妻は家庭を守るべきだという家庭内の性別役割に関する意識についても確認しておこう。前述の全国調査によれば、「家事や育児は、夫ではなく妻が中心的に担うほうがよい」の支持率は15.6%、「一家の家計を支えるのはやはり男性の役割だ」の支持率は36.7%で、支持しない派が多数を占めている。男女共同参画白書(令和3年版)(注2)でも、近年になるにつれて「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という考え方を支持しない人が多数派になっている。このような傾向からすると、日本社会ではもう性別役割分業のあり方が十分に是正されたかのようにも見える。
一方で、先ほどのデータでは「デートは男性がリードすべきだ」の割合が、支持/非支持でおおよそ半数に割れていた。では、どのような人が恋愛関係のリード規範を支持するのだろうか。
ここでは詳細な分析結果は省略するが、性別や年齢層、文化資本、可処分所得、都市規模には関連がなく、雇用形態にはやや弱い関連があった(注3)。そして、とりわけ強い関連が見られたのが恋愛交際経験と恋人保有、恋愛交際人数である。リード規範を支持する人のほうが、支持しない人と比べて恋愛交際経験があり、現在恋人がおり、また、交際人数も多くなっている。
リード規範を内面化し実践することは、恋人を獲得するための手段になるであろうし、または規範に従わなかった場合には恋人が得られないというある種の制裁にもなる。つまり、リード規範を実践することは、それによって恋人が得やすくなるというアドバンテージになると考えられる。
デート時の「暗黙のルール」の成立過程
そもそも、この「デートは男性がリードすべき」というデート時の規範はどのように成立したのだろうか。この規範の成立過程を1980年代の都市の文化、そして消費と関連するデート文化のなかに見いだすことができる(注4)。1980年代は、恋愛が結婚を前提にしたものではなくなり、恋愛の自由が拡大した時代である。
例えば、1980年代の『non-no』(集英社)や『POPEYE』(マガジンハウス)などの若者向け雑誌では、恋愛のハウツーとしてデートの作法が執拗に取り上げられるようになった。異性愛を中心とする恋愛関係では、性別役割規範があり、ジェンダーの非対称性が露呈する。雑誌のマニュアルでは、女性に対して、振る舞いやしぐさ、言葉遣い、化粧、ファッションという外見的要素が、恋人としての魅力、すなわち、恋愛関係における性的魅力と結びつけて語られている。こうした魅力によって相手を引きつけること、それがとりわけ女性に課された役割であった。
一方、男性に課された役割は「デートやふたりの関係をリードすること」であり、男性が遂行するリードのなかにはデート費用を「おごる」ことも含まれている。例えば『non-no』には男性側の意見として次のようなものが紹介される。
「カフェバー、居酒屋は男のテリトリー。店もよく知ってるし、なじみの店員さんもいるから、黙っておごらせてほしい。ホテルへの序章という意味でも、このへんからリードしたい」(「デートのときの経済学PART・2おごられるのも楽じゃない!!」『non-no』1988.10.5より)。男性側の申し出を断り、女性側が「割り勘」を提案すると、頭を下げて「おごらせてくれ」と懇願されたという、いささか奇妙なエピソードも登場する。どういうことかというと、男性の「おごり」は、「ホテルへの序章」となり、「割り勘」は、距離のある関係を示すものなのである。男性側がおごることのできる関係とは、性的行為の可能性をも含む親密な関係にあることを裏付けるものなのだ。
女性は外見的魅力を備えて男性を引きつけ、男性がデートに誘い、ふたりの関係を進展させたいという思いを、デート費用を負担することで表明し、女性がそれに応じるかを決定する……。当時の記事には、「男性がリードし、女性が応じる」という行動様式を規定するそれぞれの性別役割が記述されていた。
こうした結婚から切り離された恋愛関係の性別役割は、実は、既存の家庭内における性別役割が参照されたという可能性も考えられる。恋愛関係の性別役割と家庭内のそれの連続性は、恋愛が必ずしも結婚に結びつかなくなったとはいえ、結婚は恋愛を前提にしているため、むしろ都合が良い。ふたりの関係をリードしておごってくれる男性は、収入も多く、結婚後もきっと頼りがいのある夫になるだろうとみなせるように。
では、女性のほうはどうだろうか。社会学者の江原由美子が提唱する「ジェンダー秩序」によれば、恋愛関係における性的魅力と、家庭内におけるケア役割の要請は密接に関連しあっている(注5)。というのも、性別分業において「女性」というカテゴリーは「他者の必要あるいは欲求を満たす手助けをすること」と結びついているからだ。他方、「男性」というカテゴリーは「自分自身の欲求や必要に基づく活動」と結びついている。だから、異性愛において女性は、性的欲望の主体である男性の望みをかなえることが自分の努めであるように感じられるのである(注6)。それが恋愛の場におけるアドバンテージになるのであれば、「女らしい」外見やふるまいを自ら積極的に手に入れる努力がなされるようになるのは当然のことだろう。
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本記事は、『Forbes JAPAN』2024年12月号に掲載された同名記事の一部を転載したものです。記事の全文は、『Forbes JAPAN』の誌面に掲載されています。続きはぜひ、お近くの書店やオンライン販売にてご覧ください。
参考文献
(注1)調査概要については青少年研究会のHP( http://jysg.jp/)を参照のこと
(注2)男女共同参画局「男女共同参画白書(平成30年版、令和3年版、令和4年版)」
(注3)木村絵里子「恋愛関係にみる性別役割分業規範」、『「若者の生活と意識に関する調査」「生活と意識に関する世代比較調査」調査結果分析報告書』(2024a)
(注4)木村絵里子「1980年代の「恋愛至上主義」―『non-no』と『POPEYE』の言説分析を通して」、『恋愛社会学』、ナカニシヤ出版(2024c)
(注5)(注6)江原由美子『ジェンダー秩序 新装版』、勁草書房(2021)
寄稿者プロフィール
木村絵里子(きむら・えりこ)
大妻女子大学人間関係学部人間関係学科社会学専攻准教授、博士(学術) 。専門は文化社会学。主要業績は『恋愛社会学』(共著、ナカニシヤ出版、2024年)、『「最近の大学生」の社会学』(共編著、ナカニシヤ出版、2024年)、『ガールズ・アーバン・スタディーズ』(共編著、法律文化社、2023年)など。
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